クォ・ヴァディス 71

 私は夢を見ています。色のない、モノクロの夢です。
 夢というものは、自分の経験が元になって形成される幻だと、カタリナさんから教わったことがあります。
 しかし私の見る夢は、少なくとも私の経験したこと、見たことのないことばかりが下地になっているように、最近は思えて仕方ないのです。
 多くは、戦場の夢です。誰かの視点で戦場を駆け巡り、魔法をつむぎ、誰かを傷つけ、誰かから傷つけられ、時にはそのまま終わってしまいます。
 魔術の工房のような場所も、よく出てきます。様々な本を読み、様々な紋章球を扱い、時には生命を犠牲にしてなにかを確認します。何かの研究をしているのは間違いのでしょうが、何をしているのか私にはまったく分かりません。
 そう、まったく分からない、色のない夢ばかりを、私は見るのです。
 そして、その夢の多くには、ある男性が出てきます。背の高い、漆黒の衣を纏った、双剣の男性です。それがマクスウェルなのか、他の誰かなのかは分かりません。

 分かっているのは原因だけです。自ら志願して頭に宿した紋章(五鬼の紋章というそうです)です。
 ジーン師が言っていた「紋章の見せる紋章の記憶」というのが、私の夢に現われているのでしょう。
 私はマクスウェルが罰の紋章の幻視に悩んでいることを知っていて、でも、彼のためにできることはありませんでした。
 彼の見る幻を私も見ることができるのなら、少しでも彼の悩みを理解できるかもしれない。そう考え、苦痛を覚悟のうえで、私は志願してこの紋章を宿しました。

 しかし、隠さずにいうと、私は恐ろしいのです。
 私は私のものではない記憶を延々と刷り込まれ続けています。自分の名前ではない名前で呼ばれ続けながら、誰かの記憶、誰かの生、誰かの死を、私は延々と見せ続けられているのです。
 これは私の記憶ではない。私は、誰とも知れぬ記憶に乗っ取られ、いつか私でいられなくなるときがくるのではないか。
 私は自分を失うことが恐ろしいのです。私はせめて死ぬまで、私でいたいのです。
 同時に、マクスウェルはこれよりも恐ろしいものを三年以上も見続け、耐え続けている。その事実も、同時に恐ろしいのです。
 彼は、まだ私たちの知っている彼でいてくれているのでしょうか? 彼はこれからも、私たちの親友であるマクスウェルでいてくれるのでしょうか?
 私はいま、なにもかもが恐ろしい。私が私でいられなくなることに。マクスウェルがマクスウェルでいられなくなることに。

 私は彼を守ります。そうかたく決意して、オベリア・インティファーダに参加しました。
 自分がどうなろうと、彼は守り抜いて見せます。
 あのとき。ミズキさんやアカギさんとともにマクスウェルの決意を共に見届けたあなたには、私たちの現状を知っておいて頂きたかった。
 あなたは私以上にたいへんな立場にいると思います。無理を承知でお願いします。

 ケネス、どうか私たちを忘れないでください。ガイエン騎士団時代の私とマクスウェルを、そしてジュエルを、タルを忘れないでいてください。
 語り継げとまではいいません。誰かが覚えていてくれたなら、私は私を、私たちを保てそうな気がするのです。
 私は弱音を吐いているのかもしれません。私にも、あなたにしか吐けない弱音があるのだと好意的に受け取ってくれたら幸いです。

 それでは何かと忙しいと思いますが、ご健康にはお気をつけください。疲れを取るには快眠と快食、なによりマンゴーを少しずつ食べることがいいそうですよ。
 どうかこの戦争後、この手紙の内容を、全員で笑い話にできることを祈って。

 三〇九年六月、自室にて。ラズリル海上騎士団、ケネス様。

(ターニャ著「パニッシュメント・ブリーフィング」第85巻註釈、補填資料。太陽暦三六六年、ケネスの死後に遺品から発見された手紙。差出人は分かっていない)

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(初:14.5.18)