クォ・ヴァディス 69

11-14

 このオベリア・インティファーダのデビュー戦の話は、同盟関係にあるオベル・ラズリル関係者にすぐに伝えられた。
 マクスウェル側にも隠しておきたいことがないでもなく、戦勝報告には多少の脚色が入っている。特に、全艦に「流れの紋章」を有している群島屈指の機動力に関しては、極力記述が避けられていた。

 リノ・エン・クルデスは難しい顔でファイルをめくりながら、何度も同じ箇所を読み込んでいる。
「八房」の眷属紋章を持っていたマキシンによるリキエ襲撃は致し方ない。これだけの紋章術の使い手となると、容易に相手をするのも大事となるだろう。
 リノ・エン・クルデスが気になったのは、それからであった。

 ロジェとマキシンが「またたきの手鏡」らしきもので脱出をはかった。その後、マクスウェルは敵を全滅させず、それどころか一艦も沈めることなく敵を逃している。
 一応、「ロジェとともにリキエがいずれかの敵艦にテレポートした可能性があったため」という注釈が加えられているが、ならば降伏させて臨検すればすむだけの話で、それだけの余裕がなかったのだとしたら、「圧倒的に追いつめ、相手を心理的に敗北に追いやり」という記述と矛盾する。
 この不自然な記述は、リノ・エン・クルデスの心理に微妙な波を立てた。マクスウェルが、彼の知らないうちに海賊ジャンゴ一家を味方につけていることも気になる。
 こちらになにか重大な隠し事をしながら、ひそかに勢力を拡大しているのではないか。

 リノ・エン・クルデスこの疑問を数名の部下にぶつけてみた。
 まずはミレイである。ミレイがマクスウェルに心酔していることは、本人が隠しているだけで、ほぼ周知の事実であった。
 幾分、オブラートに包まれてはいたが、リノの予想通り、ミレイは全面的にマクスウェルを肯定した。

「マクスウェル様がオベル王家、ラズリル騎士団に対して嘘をつくなどありえません。あの方は、この地を心の故郷と考えておいでです。
 記述は全て本当でしょう。敵側にビッキーさんと同じ力を持つ敵がいる。まずはこれを警戒するべきであると考えます」

 リノの疑問への否定にはなるが、これはむしろ味方勢力への信頼を第一に是とするミレイの精神の潔癖さゆえの意見であって、リノはミレイを好意的に評した。
 しかし現実的にならざるを得ない連合海軍の軍師であるターニャの考え方は、少し深刻だった。

「まず、敵が強力な眷族紋章を持っていたとして、それを撃退できる人間がオベリア・インティファーダにはいるということです。
 そして、その後の一糸乱れぬ艦隊運動も気になります。これは、相当な訓練をこなしている証ですが、この完勝の裏には、もう一つ有利な条件が何かあるはずです。
 ジャンゴ一家がオベリア・インティファーダとは別行動しているとすれば、彼らのみでの二正面作戦すら可能になってきます。
 充実した訓練、卓越した紋章術、徐々に広がる勢力範囲、そして勝負を有利に持ち込む要因。
 いまのオベリア・インティファーダは、確実に強くなっています」

 頼もしい限りですね、と難しい顔をした。いざとなれば……というところまで考えているのかもしれない。
 この点、エレノアはどう考えているのか気になったが、ここにいない人間の思惑まで気にしてはきりがない。
 もともと、オベリア・インティファーダはラズリル・オベル連合艦隊の同格の同盟相手であるしリノはカタリナと相談して、それなりの祝いの伝言や宝物を送ることにした。
 そして、次は自分たちが、との思いを強くしていたのである。物資はある。作戦も用意した。オルネラら一派との連携も、そこそここなせるようになってきた。
 オベル奪還のためには、とにかく戦って勝たなければならない。早く戦場を。次の戦場を。
 焦る勇気と戦意が、連合艦隊を奮い立たせたが、それは危険なステップだった。勝てば大きな凱歌となるだろう。敗れれば、ステップを踏みながら奈落の底まで落ちていくことになる。
 オベリア・インティファーダの軍事的成功にあやかって、自分たちも何らかの戦果を!

 だが、オベリア・インティファーダからの戦勝報告には、まだ記されていない三つの事項があった。
 オベリア・インティファーダの全ての船に「流れの紋章」が搭載されていること。
 オベリア・インティファーダの元には、「真の紋章」の使い手が、マクスウェル以外にもう一人いること。
 敵が使ったビッキーと同じ能力の持ち主が、いまはオベリア・インティファーダに在籍していること。
 そして、マクスウェルの容態がいつ急変してもおかしくないこと。

 リノは、この戦勝報告の返信を持たせ、誰かをオベリア・インティファーダにむかわせることにした。現段階では味方とはいえ、やはり内部の情報を知っておきたかったのである。
 使者は、サルヴォという男に決まった。自分の内部分に較べて大言壮語が大きく、かつてはトリスタンやミレイなどから軽べつされ、あるいは敬遠されていた男だ。
 自分を大きく見せようとする性質は、誰にも、国王にすら好かれていなかったが、この大口は、相手を飲み込んで話を有利に進めるには適役だと、少なくともリノは思った。
 サルヴォはかつて、第二次オベル沖海戦の敗北後、なんの権力もないのにオセアニセス艦長マクスウェルを失態をあげつらって失職に追い込もうとした。散々、酷いことも言った。
 このときはミレイやアカギ、ミズキに見事に論破されて逆に自分が拘束される始末になってしまった。汚名を返上せねばならぬ。
 そして、自分の名誉を挽回するには、誰かを失墜させなければならない。少なくとも、この男の辞書にはそう記されている。
 王から指令書とオベリア・インティファーダへの親書を預かったときは、神妙な顔をしていたが、その裏でどのようなことを思い浮かべていたのか、本人にしか分かりえぬことだった。


「オベルから、戦勝記念の使者が来るそうだ」

 そう告げたマクスウェルの表情は、面倒くささと苦笑とに二分されていた。
 同盟関係にあるのだから確かにマナーというものは守らねばならないが、マクスウェルはこの手の面倒さを余り好きではない。
 幼少期にフィンガーフート家で、何かのイベントや祭典などのたびにこき使われた経験が、そう思わせているのかもしれない。
 マクスウェルの意図をタルは察した。

「歓待の準備はしておこう。できるだけ大げさにはしないように。
 次の戦闘に備えて準備中だから、とでもいえば、納得させられるだろう」

「……そうだな、それがいいか」

 マクスウェルはため息をつきながら、様々な思考を働かせる。
 戦勝を祝う。それは、どこにでもある使者の口上だ。なんの不自然もない。
 しかし、こちらはあちらに対して隠していることが多すぎる。
 もしかしたら、リノはそれらのことに気づいているのではないか。
 少なくとも、ジャンゴ一家がこちらの傘下に入ったことは、もう知られたはずだ。
 ラズリルに対し「周辺諸国の関心を買え」などと言ったのは自分である。その自分が、ラズリルをさしおいてジャンゴ一家を引き込んだことに対し、問い詰めてくるだろうか?
 マクスウェルの思考は、螺旋状にもつれた。
 マクスウェルとリノ・エン・クルデスの関係である。本来なら「すみませんでした」と笑って謝ればすむような人間関係だったのだ。
 だが、今の二人は違う。二人は、お互いにとって政治的な「記号」になってしまった。
 すでに、個人的な感情で判断してはいけない存在になってしまっている。しかもそれは、ラズリル時代にリノ・エン・クルデスを徹底的に避けた、自分の行動の結果だった。誰も責めようもない。

「とりあえず、使者がラズリルに帰るまで、総ての船につけてある「流れの紋章」を外しておこう。
 また、ミツバと幼ビッキーにはすまないが、身を隠しておいて欲しい。ここにある「真の紋章」と「瞬きの手鏡」は一つということになっている。
 少なくとも外聞はな」

 実際には、真の紋章は二つあり、チープー商会が安く払い下げてくれた弾薬が山のようにあり、イルヤ島から持ち込んだ紋章の欠片がトン単位で存在し、テレポート能力の使い手が二人もいるが、これらはまだ外部には知られていないもので、「ないもの」として誤魔化すしかない。
 もし外部に知られれば、一斉に「英雄の軍閥化」と、非難の対象となるだろう。

 そうこうしているうちに、ラズリルからの使者が訪れた。
 身なりはマナーにのっとった礼服だが、どうにもアンバランスに見えるのは、使者の態度から謙虚さが感じられないからだろう。
 マクスウェルは第二次オベル沖海戦で、罰の紋章を用いてオベル島を砲撃した後、ラズリルに保護されるまで意識を失っていたから、オセアニセスの甲板で起こった事態は知らない。
 またその場にいたアカギ、ミズキ、ミレイもここにはおらず、誰もそのときの事情を知らないのが実情だった。

 本来なら、使者は主君の手紙を相手に手渡し、その返事を受け取って帰るのが常である。
 しかしラズリル使者サルヴォは、厄介な男だった。案内されてもいない場所へ歩いていこうとしたり、しきりに軍艦の装備について聞こうとしたり、紋章はどうなっているのか、兵員は全部で何名いるのか、と、オベリア・インティファーダに深入りするような質問を繰り返して、周囲を鼻白ませた。
 イザクが、この若い無礼な使者に対し、マナーを諭そうとする。

「軍使、君の質問は軍規に抵触するものばかりだ。
 必要があればマクスウェルが手紙に記し、リノ陛下に直接お知らせするゆえ、君が気にやまなければならぬことは何一つない」

 使者は不満そうだった。

「私はリノ・エン・クルデス陛下より全権を預かって視察を言い渡されたものです。
 私の興味は、いわばリノ・エン・クルデス陛下の興味と言っていいでしょう。
 それを邪魔されることはすなわち、ラズリル・オベル両首脳の意志を阻害されるということ。
 それこそ、軍規に触れることではありませんか」

(この男は……)

 と、イザクは苦々しく口元をゆがめたが、国政というジャンルに関わったことのないイザクには、これ以上どうしてよいか分からなかった。
 マクスウェルが現われたのは、その直後だった。彼は、リノ・エン・クルデスの使者の前といえど、頭を下げることもせず、堂々と腕を組んでいる。
 現段階ではマクスウェルとリノ・エン・クルデスは、ラズリルをはさんで同格の存在であり、どちらかが平身低頭になる必要がないためである。
 私的には、マクスウェルはリノ・エン・クルデスを尊敬してやまないが、公的な立場になるとまた話は別であった。
 マクスウェルは、サルヴォを比較的大きめの部屋に案内した。マクスウェルとしては同盟関係にある者への心遣いをしたつもりなのだが、サルヴォは不満顔を隠さなかった。
 本来ならもっと大きな建物に通し、集団の幹部をそろえて、頭を下げて迎えるものではないのか。
 過去に因縁のあるサルヴォはマクスウェルのこの態度が気に入らない。大国の使者がわざわざ来たというのに、このずさんな扱いはなんだ。

「軍使、話は聞いている。リノ陛下よりの親書は?」

「……………………」

 サルヴォは頭を下げることもせず、懐から装飾された手紙を差し出すと、荒い息とともにマクスウェルに手渡した。
 使者の態度とは裏腹に、リノの手紙は、完璧なまでにマナーに則って記されている。
 戦勝の祝いと、リキエを捕らえられてしまったことへの悲しみが綴られていた。
 そして、これが最大の関心ごとであろう、完勝した戦法の解説をどうか教えてくれないだろうか、と思いのほかストレートに切り出していた。
 マクスウェルは、祝いと悲哀についてはごくごく丁寧に返書をしるしたが、戦法については「たまたまである」と、回答をした。
 真実ではないが、実際に「偶然」で決着がつく戦闘も少なくはない。まったくの虚偽でもない。
 今後の協力関係を維持したい旨を伝えて、親書を書き終えたマクスウェルは、それをサルヴォに手渡した。

「軍使、こちらは次の作戦に向けて準備を急がなければならない。
 本来はそれなりの饗応をもって迎えなければならないところだが、今日のところはこれにて失礼する。
 一日も早く、私の親書をリノ陛下に手渡して欲しい。活躍を期待している」

 そう言うだけ言って、マクスウェルは使者の前から立ち去った。
 マクスウェルは、サルヴォがリノの名を使って様々なものに探りを入れようとしていたことに気づいた。
 リノの命令かもしれないし、サルヴォの個人的な思惑だったのかもしれないが、とにかく、見られてはいけないものは隠し通せたようだ。
 サルヴォは、数人の兵士に先導されて、港へと歩いた。というよりも、歩かされた。
 使者の自分に皆がこびへつらい、豪奢な食事を期待していた。その場で、かつて因縁のあるマクスウェルを罵倒するなり睥睨するなりして、気を紛らわせるつもりだったが、この男の希望は、無残に打ち砕かれた。
 なによりも、マクスウェル自信がサルヴォをおぼえていなかった。

 マクスウェルは別のことを心配していた。これでオベリア・インティファーダと、ラズリル・オベルの信頼関係に、ひびが入らねばよいが。
 間にはカタリナがいる。リノとマクスウェルの関係が修復しなくても、カタリナ、ケネス、フレア、ミレイあたりが仲を取り持ってくれるだろう。こうして離れている間は。
 だが、敵にもビッキーと同じ能力の持ち主が現われたとラズリル側が思っている現在、どのようにも警戒しなければならない。味方と食いあいなどしている隙はないのだ。
 マクスウェルは夜空を見上げた。月が近い。それは自分の物語の終焉が近いのではないかとう幻想をマクスウェルに与えた。
 そうあってほしい。自分がマクスウェルのままで終わるのなら、それが一番いい。

「この月が、ずっと続けばいいのに」

 マクスウェルの独白は、誰にも聞こえなかった。

11-15

 これとほぼ同じ時間、同じ島の中で、難しい顔を並べている者たちがいる。
 ジーンの部屋だ。ジーンは、テーブルの上で、拳大の球形の物体に手をかざし、意識を集中している。
 それを心配そうに見守っているのは、幼ビッキー、シメオン、そしてすっかりジーンの部屋の居候と化しているクロデキルドである。
 ジーンは目元をしかめ、額にわずかながら汗を浮かべて、その物体に集中する。それは紋章球であった。あまり目にしない、白い色をしている。
 ジーンの掌から白い光がわずかにこぼれ、紋章球を包み込む。これを五分ほど続けてから一休みする、ということをジーンは一時間ほど繰り返していた。
 三人は、一言も挟むことなくその様子を見ていたが、シメオンが諦めたように声を掛けた。

「どうにも、難しいようだな」

 ジーンの手から光がやみ、彼女はため息をついて少しうつむいた。少し、疲労の色が見て取れる。
 ジーンが手にしていたのは、マキシンから奪い取った【八房の紋章】の眷属紋章のひとつ、【五鬼の紋章】だった。

「……そうね。この紋章を「紋章球」として安定させ「続ける」のは、至難の業だわ」

 たっぷりと間をあけて、ジーンが応える。幼ビッキーが言った。

「仕方あるまい。【八房】は現在、眷属を直接使って外部を観測し続けている。
 つまり、誰かにとりつかせて動き回っている状態だ。紋章球として安定させることを、【八房】の意思は許すまい。
 そなたにできぬのなら、この世の誰にも無理な話だ」

「つまりは、どういうことだ?」

 紋章の知識を全く持たないクロデキルドが、素直に疑問を出す。それには、幼ビッキーが答えた。

「普通の紋章というのは、人間が宿していない場合、「紋章球」という球体の状態で安定しているものだ。水晶玉のような形をしている。
 しかし、この【五鬼の紋章】は、ある理由で不安定な状態になっていて、「紋章球」として安定させておくことが極めて難しいのだ」

「危険なのか?」

「危険だな。いつ暴発するかも分からぬ爆弾のようなものだ」

「解決策はないのか?」

「あるにはある」

 幼ビッキーは断言しながら、すこし答えるのを戸惑った。その危険性を知っているからだろう。

「先ほども言ったとおり、「紋章球」として安定しないのなら、誰かが「紋章」としてそれを身体に宿しておけばよいのだ。
 宿主の意思をもって抑えておけば、一応は安定はする。危険だがな」

「ならばはなしは早い」

 クロデキルドが、身を乗り出して声を高めた。

「その紋章とやらを、私が宿そう。ここにきて、私はまだ何もしていない。
 紋章とやらがどんなものかを理解できるかもしれないし、自分に役割も欲しい」

 だが、その心意気に対し、幼ビッキーは首を横に振った。そして、申し訳なさそうに言った。

「残念だが、それは無理だ。紋章と人体には相性というものがあって、かならず宿せるとは限らない。
 さらに言えば、あなたは紋章のない世界から来た人間だ。相性以前の問題で、紋章への適正は全くないのだ」

「……つまりは、役に立てないということか」

 悔しそうにクロデキルドはつぶやいたが、残りの三人の言葉も、深刻なだけで元気はない。シメオンが口を開いた。

「そなただけではない。いまこの場でこれを解決できる人間はいないのだ」

「なぜだ。あなた方は三人とも、この軍では屈指の紋章術の使い手と聞いた。
 ならば、荒馬を乗りこなすことも難しくないないのでは?」

「………………」

 普段、人前で笑顔を余り崩さないジーンが深刻な表情を見せるのは珍しい。
 相手がビッキー、シメオン、そして異世界の人間であるクロデキルドだと知っているから、素直な表情が出るのかもしれない。

「その……、言葉で言うのは難しいのだけれど、私たちにも相性というのものがあるの。
 私たちは紋章という存在の「世界」に深く関わりすぎているのよ。だから、普通の人間よりも、相性の悪い紋章に対して拒絶反応も極端に大きくなるの」

「冗談ではなく、宿した瞬間に島が消滅するかも知れぬ」

 普通の人間が言えば酔っ払いの質の悪い冗談にしか聞こえない言葉だろうが、言った幼ビッキーの表情の深刻さが、クロデキルドにそれが真実なのだとわからせた。

「……では、どうすればいいのだ。解決策が分かっているのに、対処できないのか」

「対処はできる。この場にいない、適正のある誰かに宿せばよいのだ。
 ……どうか爆弾を背負ってくれと、面と向かって言える勇気があるのなら、の話だがな」

 幼ビッキーのいうそれは、クロデキルドがこれまで試されてきた勇気とはまったく別のものだった。
 彼女は、自分の剣を持って騎士団の先頭に立って戦ってきたし、どんな困難からも逃げようとは思わない。国を失う恥辱に較べれば、どんな困難にでも立ち向かえるのだ。
 ……ただし、自分自身がそれをやるなら、の話である。他人に困難を強制する勇気とは、別の存在だ。

「ではその爆弾、私が背負いましょう」

 響いたのは、それまでその場にいた誰の声でもなかった。
 突然の部外者の声に、全員が視線で射殺すのではないかと思わせるほどの深刻さを乗せて扉のほうをにらみつける。
 むしろ、にらみつけられて声の主がひるんだほどだった。

「……ポーラ」

 幼ビッキーの声が、ジーンたちを我に返らせた。部屋の扉を開けていたのは、エルフの少女、ポーラだったのだ。
 しかし、普段はマクスウェルの側に常にいるはずのポーラが、なぜこんなところにるのか。
 しかも、ノックも無しに他人の部屋の扉を開けるような非礼とは無縁のはずの少女である。

「話を聞いていたの? どこから?」

「誰かが身体に宿さなければ危険だ、というところから聞こえていました」

「なぜノックをしなったのだ? そなたらしくない」

「ノックをして話に交ざったら、別の話にすりかえられそうだったからです」

 ポーラの声には迷いがない。次々と来る質問にも、明快に答えている。
 ジーン、シメオンに続いて、クロデキルドが質問者となった。

「危険と聞いて、なぜ自分から宿そうと?」

「マクスウェルの危険を取り除くのが、私の最大の役割だからです」

「………………」

 シメオンとジーンが難しい表情で視線を交わした。
 直前まで迷っていた問題が一気に解決した。
 確かに、ポーラは適役かもしれない。マクスウェルのことを良く知っているし、なによりも【罰の紋章】の存在をマクスウェルごと受け入れて、さらに恐れていない。
 だが、かわりに別の問題が発生する。そのポーラの立ち居地だ。
 彼女は【罰】にごく近い立場にいる。その位置で【八房】の【眷属】が、どのような反応を見せるか、予想ができない……。
 そのことを説明されると、ポーラはむしろ表情を穏やかにした。
 そして、自分の左耳に指を当てる。長く突き出た右耳に較べると、その長さは半分しかない。
 この事件の最初となったナ・ナル島クーデター事件の際、ジュエルを逃がす代償として、敵対する側の「人間」に切裂かれたものだった。

「私の幼い友人に言わせると、この失われた耳は、私が「悪い心に屈しなかった勇気の証」なのだそうです。
 その友人は私のことを慕ってくれていて、先日も悪い心に屈することなく、傷つきながら戦い抜いてくれました」

 言って、ジーンからシメオン、クロデキルドへと視線を移した。

「私は悪い心に屈しなかっただけで、ジュエルを助け切れなかった。
 繰り返したくないのです。マクスウェルのことだけは、必ず守りたい。リシリアの誇りに報いたいのです」

 数秒、無言が続いた。勇気と私情の入り乱れた理由。
 しかし、クロデキルドはその勇気に素直に感服する。
 勇気の理由など、本来はほとんどが私情にすぎないのだ。
 幾千の民を救おうが、大帝国を打ち立てようが、その功績と勇気の、はたして何パーセントが「完全な公共心」であろうか?
 百パーセント私情を排した勇気の持ち主など、それはすでに人間を超越した、人間以外の何者ではないか、とも思う。
 ぱんぱん、と最年少者の幼ビッキーが手を叩いた。

「ここはポーラの勇気に敬意を表するべきだ。ジーン」

「……わかったわ」

 ジーンもシメオンも、大人であるべきだった。
 ポーラの私情と、自分たちの私情を重ねて、妥協しなければならないことを知っている。
 なによりも、ポーラの勇気への敬意を形にできるのは、自分たちしかいないのだから。
 ジーンはポーラに席を勧めた。そして、右手をテーブル上の【五鬼の紋章】にかざし、左手をポーラの頭上にかざす。
 両手から、わずかに光がもれた。

「……相性の問題はないわ。改めてこの紋章の説明をしておくわね。
 この紋章の役割は、固有の魔法を持たない補助的なものなの。
 特定の魔法、特にその持ち主の最も相性の良い魔法……あなたなら【風】がそれにあたるのだけど、その魔法を使うときに限り、ほぼ魔力が無尽蔵になると考えて。
 魔法が強力になるわけではなく、使用できる回数が増えるというべきかしら」

 シメオンは、あのマキシンの驚異的な強さを思い起こして、らしくもなく身震いした。
 考えてみれば、リシリアはよくもあの強敵に立ち向かっていったものだ。
「また「風」か……」と思わないでもないが、ポーラはマキシンほど魔力に特化しているわけではないし、なにより「敵」ではない。
 ジーンのポーラへの解説が続く。

「ただ、やはり強力な効果に対して、デメリットもあるの」

 ごくり、とポーラののどがわずかに動くが、静かに聴いている。

「時折、この紋章の持つ記憶を、その所有者に見せるのよ。
 その頻度は完全にランダムだと考えられている」

「記憶……?」

 ポーラが何かに気づいたようにはっとした。

「もしかしてそれは、時々マクスウェルが見ているという【罰の紋章】の記憶ような……?」

「まったく同じではないけれど、似たようなものとなるでしょうね。
 二つの紋章は同じく、戦場や歴史の闇を歩んできたものだから。
 どうする? このデメリットは、やはり無視できないと考えるべき」

「いえ、マクスウェルの苦しみが少しでも分かると言うのなら、むしろ私にとってはメリットです。
 やはりその紋章を、私が宿します」

「わかった。では、術式を始めます」

 紋章とポーラの頭上に両手をかざしたまま、ジーンは瞳を閉じた。紋章師ジーンの本領である。
 本来なら複数人の紋章師が覚悟を持ってかからねばならぬ厄介な紋章だが、ジーンにとっては不安定というだけで、宿すだけなら普通の紋章と変わらない。
 その儀式は、驚くほど一瞬で終わった。ジーンの掌から発せられる光が強まったかと思うと、テーブル上の球体が消失し、ポーラの額が一瞬、白い光を帯びた。
 それで、紋章の宿しは終了である。

「この紋章は、自分の意思で出さない限り、刻印としては額に現われないわ。
 マクスウェルやミツバに言うかどうかは、よく考えてね」

「しばらくは黙っていましょう。マクスウェルは心配性ですから」

 微笑みながら、ポーラは自分の額を軽くさすった。痛みはない。まだ、今は。
 これからのことは、まだわからなかった。

COMMENT

(初:14.06.29)
(改:14.07.14)
(改:14.07.18)
(改:14.08.04)