翌朝早朝、ジーンは幼ビッキーとクロデキルドを連れ、マクスウェルの部屋を訪れていた。
クロデキルドは深夜のワープさせられて余り寝れてもいないだろうに、しっかりと武人らしい赴きを整えていたのは流石だろう。
髪を整え、左腰に太刀を佩き、肩当も一ミリのずれもない。これだけで武人らしい心意気の持ち主なのが分かる。元は王女なのだと言われたほうが信じられぬかも知れぬ。
ジーンはいつもどおり、いつ寝ているのかわからぬほど優雅な物腰だったが、幼ビッキーはまだ眠いのか、すこし身体がゆらりゆらりと揺れていた。
クロデキルドどから見ると、彼らのリーダーというマクスウェルという青年のほうが異様な雰囲気を出していた。
聞けば六月に入り、もう暑くなる時期だろうに、武人なのか魔術師なのかわからぬフードで顔を少し隠している。
腰に佩いた双剣と、物腰を見れば、相当な剣の使い手だろうとは思われるが、フードで顔を隠せば戦いにくいだろうに、顔を隠さねばならぬ理由でもあるのだろうか……。
これはクロデキルドも予想があたっていた。
この朝、マクスウェルは相当に体調が悪く、【罰の紋章】の文様がくっきりと体表にあらわれてしまっていた。
そこへ、初対面の人間が味方をしてくれる、という。特にジーンの紹介だというから、是非にでも会っておきたい。いま、マクスウェルが欲しているのは、なによりも人材だった。
そこで怪しいと自分でも思いつつも、フードで顔を半分隠していた。
クロデキルドは自分が怪しくないと言えない自信もないが、マクスウェルの連れている護衛も変わっていた。
この日、マクスウェルの側にいるのはポーラとラインバッハである。
グリーンの薄鎧にミニスカートというエルフらしいいでたちのポーラにくらべて、ラインバッハは極楽鳥のように派手な衣装を身につけていた。
この日は大きく袖の膨らんだイエローのラメ入りの貴族服に、やはり光を反射するブルーのつばの大きな帽子を身につけている。彼の誠実な人格を知らぬものがいきなり対面すれば、マクスウェルと彼と、どちらがリーダーか分かるまい。
とにかくも、風変わりな六人組は、マクスウェルが左右にポーラとラインバッハを従えて座し、クロデキルドがジーンと幼ビッキーを左右に従えてマクスウェルの対面に座した。
「ようこそ、オベリア・インティファーダへ。リーダーのマクスウェルだ。
いまは一人でも力強い味方が欲しい時期で、申し出はありがたくお受けしたい。
しかし、優れた剣士とお見受けしたが、失礼だが冥夜の騎士団というのは初耳だ。
失礼を承知のうえで、味方をしてくれる経緯をお聞きしたいのだけれど」
当然の質問だが、ジーンも幼ビッキーも迷っている。
元が世界の性質が違う異世界の人間であり、紋章の存在も知らない。さて、どう回答したものか。
だが、この質問にはクロデキルド自身が意外に無難な回答をした。
「遠い遠い、とある国の物語だ。アストラシアという国を奪われた旧家臣が集まって、騎士団を結成し、戦っている。
ただ、戦況は悪く、私は偶然に逃げ込んだ船で迷いに迷ってこの地方に紛れ込み、縁あってジーン殿に救われ、その恩を返したいと思った」
うまい回答だ、とジーンは思った。実直な武人らしく、事実のみを、しかし真の紋章には触れずに答えた。頭の回転は速いのかもしれない。
さて、クロデキルドはそれでいいが、問題なのがもう一人いる。幼ビッキーである。
外見はどう見ても、オベリア・インティファーダのビッキーが若返った姿そのままであり、他人の空似で通じるレベルではない。従姉妹か姉妹で乗り切ってしまうか。
と、ジーンは悩んだ。
「私はビッキーだ。同じ名の少女がこちらにいると思うが、同じ人物と思ってもらっていい。
異次元同位体という存在で、同一存在が同一世界の同一次元上に存在している」
ジーンの杞憂は、ビッキー本人によって木っ端微塵に粉砕された。
ストレートといえば、ストレートな回答であった。ジーンが珍しく、マクスウェルの前でため息をついている。
誰も真の意味を理解できまいが、これで怪しむなというほうが無理であろう。
「異次元……つまり、あなたもビッキーさんなのですか?」
ポーラが質問をしたが、やや間が抜けてしまったのは仕方ないだろう。
これが幼い頃のイザクがいまここに現われて同じことを言っても、やはり理解はできないと思われる。
「そうだ、私もビッキーだ。つまり、この瞬間に年齢の異なる同じ存在がいると思ってもらっていい」
「……おお、なるほど」
とラインバッハが返したが、彼も幼ビッキーの言葉を理解していない。理解したつもりになって、深く考えてはいない。
このとき、マクスウェルの微妙な変化に気づいたのは、クロデキルドとジーンである。
わずかに垣間見える彼の左目の周囲の奇妙な紅色の文様が、わずかに光を帯びていた。
「完全に同一の人物が、体内の時間軸と魂の位置をずらして、同じ場所にいるということか。
なるほど、この事件の異端さが垣間見えるな。予兆が異端を生み出して傍観しているのか、異端が焦慮して予兆を生み出しているのか」
「ま、マクスウェル?」
ポーラとラインバッハが、つい座っているマクスウェルを驚いた表情で見下ろした。
マクスウェルの声には、わずかに笑みさえ含んでいるが、二人にはマクスウェルの言っている意味が全く分からない。
幼ビッキーも驚きを隠さずに目元をしかめさせた。
「どちらかといえば、両方だ。異端と予兆とが同時に生まれ螺旋のアンビエントを起こしている」
「………………」
クロデキルド、ポーラ、ラインバッハの三人にはさっぱりだが、とりあえず幼ビッキーとマクスウェルは会話が通じたらしく、表情がわずかにおだやかになった。
「それと、ひとつ確認をしておきたい。
俺たちは先日、ある海戦を行なったが、そのときにロジェという男が、瞬きの手鏡を使用した。
あれは君の鏡か、それとも、さらに鏡の力を使えるものがいるということか」
「……間違いない。あれは、私の手鏡だ」
難しい顔を作って、幼ビッキーがうつむいた。
「ビッキーとは原理が異なるが、私もランダムにテレポートさせられることがある。
数週間前、私はオベルという地に飛ばされた。そこで、異常なほどの歓待を受けたのだ。
ラインバッハ二世といったか、彼は私やビッキーの力のことを知っていたのだろうな。
一度だけでよいから瞬きの手鏡を使わせろといってきた」
「それで、許可をしたのですか」
口を挟んだのはラインバッハだ。大きな帽子が揺れ表情が曇る。
「あの遺跡の秘密を教えられればな、一度くらいは使わせなければ割に合わぬと思ったのだ」
「遺跡の秘密?」
ポーラが首を傾げたが、マクスウェルは頷いた。オベルで遺跡といえば、あそこしかないだろう。
「それで、これからどうするんだ? クロデキルドさんとともに力を貸してくれるか」
幼ビッキーの表情は、どうも年齢につりあわない。落ち着きすぎているが、このときは落ち着きの中にわずかに笑みを含ませた。
「そうだな。クロデキルド嬢の責任をとらねばならぬし、ビッキーのいるここは居心地も良い。
邪魔にならなければ世話になりたい」
「もちろんだ。クロデキルドさんと二人加わってくれれば心強い。よろしくお願いするよ」
少しぎこちないながらも、二人は、握手を交わす。
「あとでビッキーにも会っていくといい」
「ああ、そうさせてもらおう」
これで会談は終了した。マクスウェルには仕事があるし、クロデキルドも島の者たちを見ておきたいということで、散会となった。
ポーラとラインバッハが、フードをかぶったままのマクスウェルの背中を、やや不安な表情で見守っている。
クロデキルドもジーンと歩きながら、目元を険しくしていた。
「あれが、君たちのリーダーか」
「そう、私たちオベリア・インティファーダの代表者よ」
「……恐ろしい男だな」
クロデキルドの言葉は、百パーセントと言っていい脅威と驚異とに支配されていた。
自分ほどの武人が、汗が止まらない。わずかだが、手も声も震えていた。
「剣の腕が優れていることは、体格などで一目で分かった。
しかし、それだけではない、一言では言えぬが、得体の知れぬ異能を秘めている。
感じた瞬間にぞっとした。なんなのだ、あの力は? なんなのだ、あの男は?」
幼ビッキーの言葉に反応したときの、彼の変化を指して言っているのだろう。
一見にはタトゥーに見えなくもない複雑な螺旋状の文様がわずかに輝いた瞬間に、明らかに彼の口調が変わった。
そして、幼ビッキーと話をあわせた。恐らく、彼は幼ビッキーの話を完全に理解しているのだろう。あれだけのやりとりで。
得体の知れぬ、としか、クロデキルドには言えなかった。
「あれが、【真の紋章】というものの力よ。
彼も少し前までは、普通の人だった。ああいう面を見せることのない、普通の青年だった。
しかし、【真の紋章】……彼の持つものは【罰の紋章】というものだけれど、確実に彼の人格を、魂を侵食しつつある。
そして、マクスウェルという人間を崩壊させつつある」
「紋章が……人間を喰らうというのか」
「それが、【罰の紋章】の「星回り」なのよ」
「喰らわれると、その人間はどうなるのだ」
「分からないわ。【罰の紋章】は、継承者が死ねば自ら次の継承者を選んで寄生する。
しかし、これまでの歴史上、【罰の紋章】に【喰われ】、【融合】した人間はいない」
「………………」
口元と目元を引き締め、五秒ほど歩いて、クロデキルドは歩を止めた。
「あなたたちは、それを知った上で、あの青年の元で戦うのか。どうなるかわからぬというのに?」
ジーンは、少しだけクロデキルドを追い越して歩を止めた。そして、ゆっくりと言った。
「そうよ。それが、私たちがここに集う理由。私たちが成さねばならぬ定めだから」
「………………」
クロデキルドは、再び黙った。碧の瞳から光が失われかける。
自分はこんなところでなにをしているというのだろう。自分にも成さねばならぬことがあるというのに。
「……悪かったわね、巻き込んでしまって」
ジーンの言葉に、ふと我に返ったクロデキルドが、ぷいとそっぽを向いた。
「あなたから謝られる筋合いはない。別の人間に一人、確実に謝ってもらわねばならぬ者がいるが」
それが幼ビッキーのことだとすぐにわかったジーンは、少し表情をほころばせた。
彼は、いつもの空間にいる。赤と黒と紫の入り混じった、湿度と温度の高い、果てのない空間。
罰の紋章によって死を強制された人たちの、後悔と懺悔の世界。
そこに、彼はいる。いつものように。
いつものように、気づけば横になっている。
動こうと思えば動けるのかも知れないが、すでに彼自身に動く意志すらない。
ただ横になって真上を見上げたまま、彼の視線はある一点に固定される。
ある一点。
少年が、側に立って、横になっている彼を覗き込んでいる。
質の良い服を着ている。十歳くらいの、貴族の子だろうか。
「彼」は、すでに「彼」に会っている。もう、四度目か五度目かわからない。
ただ、最近はこういう「出会い」が多い。
横になったままの彼の顔を覗き込むように、顔を近づけてくる。
最近の彼には、色彩がない。灰色の少年。ただ、その表情は、彼をひがむような、あざけるような、質の悪い笑顔で彩られている。
目が歪んでいる。口が三日月形に、大きく開かれている。禍々しい笑顔。
「彼」は、その笑顔を見て、なんの表情も返さない。意思の疎通はない。
返しても帰ってこないから、返さない。
そして、時間が来た。
少年は、質の悪い笑顔のまま、笑顔をぐにゃりと歪ませた。そして、頭の先から灰となって崩れていく。
灰となって崩れ、彼――マクスウェルの身体にふりかかっていく。
それに対しても、彼は無反応だ。灰となった人間の残骸をかぶって、彼も、質の悪い笑顔を浮かべた。
―――楽しいかい? 罰の紋章?
目元と口元を吊り上げ、狂気を孕んだ笑顔で問う。
―――ああ、楽しいとも。
反応があった。あった気がする。気のせいかも知れぬ。自分が狂ったのかもしれぬ。
元は少年だった「灰」を握りしめて、マクスウェルは笑った。狂ったように笑った。背を反り、顔を天に向けて狂い笑った。
―――いつものように。
そのまま、横を向いた。一人、立っていた。「彼女」は、色彩を持っていた。
人間のような身体を持っているが、羊のような大きな角と白い肌、ひづめのような手足を持っている。
彼女は。
その狂笑する英雄を、悲しそうな表情で見守っていた。
―――いつものように。
真夜中に目が覚めたとき、マクスウェルはなんの感慨も受けていなかった。
いつも見ている夢に、いつも出てくる人物。何も変わらぬ毎日。
【罰の紋章】が自分に侵食してくる、何も変わらぬ毎日。
あのクロデキルドという気持ちの良い正義の女傑が、自分の何かを変えてくれるだろうか。
幼いビッキーが、自分の何かを変えてくれるだろうか。
しかし、現実はそうは甘くないようだった。
少し汗をかいていたので、着替えることにしたマクスウェルは、シャツを脱いだところで、自分の部屋に新たな気配を感じた。
害意はない。しかし、鍵を掛けているはずの部屋にやすやすと侵入してくる者が、普通の人間であるはずはない。
マクスウェルが気配のしたほうに頭を向けると、一人の男が片ひざを立てて頭を下げていた。
マクスウェルは何も言わず、とりあえずシャツを着替えると、ようやくベッドに腰かけ、男に瞳を向けた。
妙に中腰で歩く癖の男で、背は高くない。すでに老齢の域に入っているようで、あごひげはあるが、髪の毛は額のやや上の中央と耳の周囲にわずかにしがみついている。
人好きのしそうな笑顔を浮かべているが、それは正体を隠すためのものだった。
男の名を、キーンと言った。
キーンは片ひざを立てたまま何も言わずに、一通の手紙をマクスウェルに差し出した。
マクスウェルはそれを広げ、無言で読み続ける。
かなり長いもので、手紙と言うよりも報告書といえるものだった。
ようやく、その報告書から目を離したマクスウェルに、キーンが語った。
「ガイエン大公妃は結局、暗殺はされていない。
その事件に関与して、恐らく無関係と思われる者も含めて、五十名以上が処刑された。
ガイエン大公国は現在、キャンメルリング公爵のほぼ独裁状態にある」
「要点を言え。スノウはどうなった?」
くく、と笑ってキーンは話を続けた。
「キャンメルリング公爵の対抗者でもあるマノウォック公爵と言う女の元にいる。
この女は生来の男好きで、スノウを我が物にせんと画策しているが、悪巧みと言うよりは、色々とスノウの反応を楽しんでいるようだ。
キャンメルリングとの諍いはあるが、政治的というよりは、スノウの取り合いのようなことしている。
キャンメルリング公もスノウのことをかなり信用しているようでな」
「つまり当面、スノウの命に危険はないわけだな」
「突発の事故が起こらぬ限りはな」
マクスウェルはキーンの持ってきた報告書をくしゃくしゃと丸めてしまうと、鉄製の皿に放り投げた。
そして、火を放った。報告書と、キーンがそれをマクスウェルに届けたと言う事実が、この世から消えていく。
それを見て、中腰ぎみのキーンは不敵な笑い声を上げた。
「アルバレズ子爵を扇動し、大公妃を暗殺させかけ、首都オリゾンテで騒ぎを起こしたのが、まさか群島の英雄様とはな。
世も末ということか、人は変わるということか」
炎を無表情に眺めながら、マクスウェルは言った。
「スノウの命を守るためなら、俺は何でもするよ。
ジュエルの二の舞など、誰にもさせないし、俺は絶対に許さない」
報告書は燃え尽きたはずだが、わずかな紅い光がマクスウェルからもれているのを、キーンは見た。
不振には思ったが、別のことを口にした。
「自分のお仲間を守るために、他の誰かを犠牲にしてもか?」
キーンに背を向けたまま、マクスウェルは首を縦に振った。
「我欲のために何かを犠牲にしようとする人間いるとするなら、その人間から犠牲になるべきなんだ。
我欲のための犠牲など、絶対に許してはいけないんだ」
マクスウェルの言葉が正しいのかどうなのか、そこにキーンは興味はない。彼の興味は、マクスウェルの言葉の手段だった。
「スノウを助けるためにアルバレズを犠牲にしたお前の我欲は、正統化されるのかね?」
「彼は我欲のためにガイエンを犠牲にしていた。なんの順序も間違っていない」
「そのアルバレズの我欲が、お前の願望に関係があるとは思えんがね」
燃え尽きた後の紙を見つめたまま、マクスウェルはキーンに手を振った。これ以上、会話をする気はないようだった。
「では、これからもガイエンでスノウの側におれば良いのだな」
「ああ、スノウのことを頼む」
「承知した。なにかあれば、すぐに知らせよう」
言い終えると、すでにキーンの気配は消えていた。
もともと、彼は暗殺者だ。気配を消すのにも、素早く移動する術にも長けている。
「……………………!」
ドン、と、彼はテーブルを殴り付けた。自分の行為の結果を、彼自身が判別しかねているようだった。
(初:14.07.30)
(改:14.07.31)
(改:14.08.03)
(改:14.08.11)
(改:14.08.16)
(改:14.08.20)