クォ・ヴァディス 66

11-7

 リキエ救出作戦から派生したこの艦隊戦は、オベリア・インティファーダが経験した初の実戦でもあった。
 艦数はほぼ互角。もとが、マキシンとの合流をひそかに行なうのが目的の部隊だったからであろうか、幸運にも、敵艦隊には大型艦船がいない。

「全艦、流れの紋章を使え。相手を全滅させなくてもいい。
 ただ圧倒的な速度で翻弄し、オベリア・インティファーダ艦隊の神速を相手に見せ付けることだけを考えろ」

 マクスウェルの指令が、オベリア・インティファーダ艦隊に行き渡る。
「東南海遭遇戦」と呼ばれるこの艦隊戦は、そもそも艦隊戦と呼んでいいのかわからないような結果に終わった。
 敵方も現場の異常に気づいており、最初から戦闘準備を整えいた。船をマクスウェル側から見て△型に並べ、一気に縦伸陣で突き崩す作戦に出たのだ。
 戦術としては決して間違っていない。どこか一箇所の敵のほころびを見つけ、そこに砲撃を集中させ、一気に崩壊に導く。短期決戦で決着を狙うには、これしかない。
 しかし、オベリア・インティファーダ艦隊は、この重厚な敵艦隊の正面から、蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。
 敵の想像を遥かに越える速度で逃げ散ると、今度はその密集艦隊の周囲を全艦で取り囲み、ぐるぐると周回をはじめたのだ。

「取り囲まれました。敵の速度が、こちらよりも速過ぎます! 対応できません!」

 この敵甲板員の言葉が、戦場の異様な雰囲気を表している。
 船長が考えあぐねて口を開いた瞬間、オベリア・インティファーダ艦隊の新たな動きが始まった。
 全艦が船首を敵艦に向けたかと思うと、とてつもない速度で突撃を開始したのだ。
 艦隊は、全速で敵の密集陣形の中に突撃した。速度は通常の中型船が可能な速度の二倍以上。敵の艦が思いもよらぬ行為にどう対応すればよいかわからずに右往左往している隙に、艦隊は何事もなかったかのように敵艦隊の密集を無事に抜け出てしまった。
 そして、全艦が再び敵陣形を囲んだ。

「相手に理性を取り戻す隙を与えてはいけない。突撃!」

 マクスウェルが叫ぶまでもなく、神速を持つ艦隊は、再び敵陣形に突入した。二度目の突入にも、敵は狼狽した。
 艦砲を動かそうにも、敵の速度に対応できず、艦を動かそうにも、向きを変えればもうそこには敵艦はいなかった。
 くわえて、オベリア・インティファーダ艦隊は、この二回目に突入でついに敵艦隊への砲撃を開始したのだ。
 この速度での砲撃訓練は、オベリア・インティファーダにとっては最も重要なものであり、砲撃担当者にとっては、文字通り身体に染み付くほどやらされたものだ。
 その経験が生きて、一つ間違えば砲撃の反動で艦が沈没することもありえる速度での砲撃を、オベリア・インティファーダ艦隊は正確にこなしてみせた。敵密集陣形を突き抜ける間に、発射できるチャンスははわずか一回。
 この一回のチャンスを、オベリア・インティファーダ艦隊は全て成功させて敵艦隊に軽くない傷を負わせた。
 敵艦隊はすでにパニックにあるようだ。縦深陣はすでにくずれ、それぞれの艦がバラバラに動いている。
 この機を逃さず、再び敵を囲む。

「もし消えたマキシンとロジェが、敵艦隊のどれかにいるとするとどうする?」

「ロジェの居場所を特定することはできない。可能性があるとすれば無人島のビッキーの元だが、それもこの瞬間ではどうするこもできない」

 ここまで一体何をしにわざわざ出てきたのか、とマクスウェルは右手を思わず握り締め、苦虫を噛み潰した。

「ただ、リキエさんが乗せられている可能性がある以上、敵の船をどれも沈めることはできないということだ」

 敵の艦船はどうやらクールーク皇国製の軍艦で間違いないらしい。南から来たということはリノ・エン・クルデスに力を貸しているオルネラの勢力ではないだろう。

「俺を見守ってくれた人が、また一人、ラインバッハ二世のせいで連れて行かれたということだな!」

 怒りを隠そうともせず、マクスウェルは背後の壁を殴りつけた。罰の紋章は口を開いてはおらず、彼の純粋な感情であろう。
 元来、マクスウェルは荒々しい感情を周囲に見せる性質ではない。しかし、罰の紋章の侵食が深くなって以降、彼の性質に少しずつ変化が現われていた。
 罰の紋章の覚醒と侵食については緘口令がしかれていたが、マクスウェルのその変化に気づいている人間も少なくはない。
 しかし、その性格そのものは、まだかろうじてマクスウェルであることをやめてはいなかった。
 マクスウェルは、怒りにまかせて敵艦隊を一気に全滅させるような指令は出さなかった。リキエがどこにいるのか分からないからである。
 あるいは相手が疲弊して降伏するまで待ってもいいが、こちらも扱いの難しい「流れの紋章」を使い続けることになる。
 戦況は有利に見えて、五分五分といったところだ。

「次の突撃・砲撃で本作戦は終了する。突入・砲撃後、敵の囲みを解く。
 敵が逃げ帰るようなら、そのままこちらも撤退する。再び縦深陣に艦隊を再編するようなら、これまでと同じく囲んでかき乱す」

 オベリア・インティファーダ艦隊の三度目の突入の結果、敵艦隊は抵抗の形は見せつつも、ゆっくりと撤退を開始した。
 マクスウェルはこれを少しだけ追い、小さくない打撃を与えたが、結局は一隻の敵も沈めなかった。マキシンやロジェはともかく、リキエを海の藻屑に変えることなど、マクスウェルにはできなかった。

 オベリア・インティファーダの最初の海戦は、こうして幕を閉じた。
 敵味方ともに沈没被害ゼロ、敵方に負傷者が数名出ただけで、結果だけを見れば痛みわけに見えるかもしれない。
 しかし、敵側から見ればこれは艦隊戦ですらなく、正体不明の異常な速度の敵に、ただ一方的に遊ばれただけの屈辱だった。
 この屈辱は、尾ひれがついた噂として群島に広がることだろう。大げさに広がれば広がるほど、マクスウェルに悪意を持って手を出そうとする者は減るに違いない。
 最高ではないかもしれないが、まず最良と言ってよい結果であるはずだった。
 しかし、マクスウェルの表情は曇ったままはれなかった。

「すぐに戦場を離脱して無人島に帰還する。戦闘態勢ファイティングポーズを解くな! まだ作戦は終わっていない!」

 一瞬、弛緩しかけた船内の空気を、マクスウェルの一喝が引き締めた。彼の想像が最悪を極めていれば、無人島が戦場になっている可能性がある。
 アリアンロッドの緊張感は最高の水位を保ったまま、梶を無人島へとむけた。

11-8

 一瞬の光が視界を焼き、次に視界を回復したとき、マキシンは陸上にいた。先ほどまで海上に浮いて激しい戦闘をしていたためか、地上に足をつけて体重を支えることに、少しだけとまどった。
 落ち着いてから目を動かすと、隣には荷物を抱えたままのロジェが立っていて、笑顔を向けてきた。

「どうです、俺でも役に立つことがあるでしょう」

 だいたいロジェの言いたいことは予想出来たので、マキシンは無視して目を別の方に向けた。ロジェは残念そうに、網に包まれたものを丁寧にソファに寝かせて、その網をほどきにかかった。

 そこは、客室だろうか。シンプルながらイメージの統一された高級そうな家具が、激しい自己主張もせずに並んでいる。
 大き目の窓から入る日光が、時間がさほど進んでいないことを悟らせた。

「宮殿……か?」

「そうですよ」

 網を解くのに悪戦苦闘しながら、ロジェが口を挟んだ。

「依頼主の今の住処です」

「あの鏡は?」

「とっておきですよ。目的を達した後でマキシンさんが苦戦するようなら、一度だけ使っていいって」

 目元に皮肉をこめたやんちゃ坊主のような顔で、ロジェが言葉を続けようとする。
 しかし、その口元が閉じ、マキシンを見ていた視線が部屋のドアの方に移動した。自然と、マキシンの目もそちらを向く。

 一人の男が立っていた。背は大きくないが腹が大きく出ている。くすんだ金髪は長く伸ばされ、縦にカールしていた。
 大変豪華な衣装に身を包んでいるが、それが彼の人品の向上につながっているとは言い切れない。
 なにより、真一文字に閉じられた口元と、常に何かを計算して居るかのような目元が、マキシンを警戒させる。会うのは初めてではないというのに。
 その男が口を開いた。

「見事、契約を果たしたようだな。ご苦労だった。
 そのリキエという女をこちらに引き渡してもらいたい。すぐにでも、残りの報酬を支払おう」

 男が低い声で語るのは、ビジネスのことだけであった。その経緯で何があったかなど、この男には――ラインバッハ二世には興味がないのである。
 マキシンは、ラインバッハ二世の脇に、もうひとり佇んでいるのに気づいた。それは、あまりに不自然な組み合わせだった。
 それは少女だった。十歳くらいだろうか、背はラインバッハ二世の肩にも届いていない。
 しかし、目つきは常に落ち着つき、口元も動揺していない。超然とした態度を保っている。年齢のわりに大人びているのかもしれない。
 少し外側に跳ねた黒の髪を腰まで伸ばしている。

(この娘、どこかで見たことがあるぞ……)

 マキシンは記憶の束を探ろうと試みたが、残念ながらこの人物をあてることはできなかった。
 ラインバッハ二世は、手鏡をロジェから大事そうに手渡されると、それをそのまま少女に手渡した。
 少女は手鏡を厳しい目つきでまじまじと見つめている。どこか欠けたりしていないか、念入りにチェックしているようだ。

「その手鏡が役に立ったようだな」

「そりゃ、もちろん!」

 リキエを解放し、ゆっくりをソファに寝かせながら、ロジェはなぜか自信げに言ってみせた。

「しかし、目的の場所に一瞬にテレポートする手鏡ですか! 世の中にはすごいものがあるもんですね」

 ロジェの薄い舌が回転を始める。手鏡を渡された少女は、怪訝な顔のまま話を右から左に流しているようだ。

「そんなすごいものなら、なぜもっと使わないンすか?
 自由自在に世界中に出現! かっこいいじゃないですか!」

 ロジェの大げさな感動は、残念ながら周囲の共感は得られなかったようだ。マキシンはため息をつき、ラインバッハ二世は表情をピクリとも動かさず、少女は口元で怒りをあらわしながら、手鏡を懐にしまいこんだ。
 ラインバッハ二世は丁寧にソファに寝かされたリキエを見、怪我などがないことを確認すると、満足げに頷いた。合図をすると、部屋の外に待機していた兵たちを五人入ってきて、できるだけ丁寧にリキエを部屋の外に運び出してしまった。

「彼女をこれからどうするのか、聞かせてもらうくらいはできるんだろうね?」

「残念ながらそれは契約事項にない。私に応える義務はない」

 冷たい視線、冷たい言葉が交わされる中で、ラインバッハ二世の脇にいた少女がきびすを返した。

「これで一宿一飯の恩は返したはずだ。もうこの手鏡を使わせることはないぞ」

 感情のこもらない声で、少女はラインバッハ二世を見上げる。彼も、少女に温かい感情を求めているわけではないのだろう、やや口元をほころばせただけだった。

「わかっている、この一度で十分だ。これ以上ないほどの効果を上げてくれた」

「では、私がどこへ行こうが、もうそなた方には無関係なはずだな」

 言うだけ言って、少女は部屋を出る。ラインバッハ二世もそれについて行こうとして、ロジェに背中越しに声を掛けた。

「残りの報酬はここに持ってこさせよう。それまではここにいたまえ」

 様々なことが気になっている。マキシンの表情はさえない。

(金や真の紋章などどうでもいい。ミツバ、ジーン……、あの二人だけは、この手で必ず討ち果たす……!)



 足早にオベル宮殿の廊下を歩く少女を追いかけながら、ラインバッハ二世は問いを投げかける。

「それでは、君が「この時代」に現われたのは、なにかの手違いなのかね?」

「何かの手違いというなら、運命の手違いだ。
 同じ時代に同じ人間が、よりにもよって私が時を越えて出現することなど、常ならばあってはいけないことだ。何かが運命をも狂わせている」

「運命の手違い?」

 ラインバッハ二世のことばに我に返ったのか、少女は彼を見上げた。そして、マキシンが強いデジャブを覚えた目つきでにらみつけた。

「これ以上の詮索は無用だ。そもそも、運命の輪廻を妨げたのはお前たちだ。
 私はそなたたちにこれ以上協力することも、境遇を話すこともない」

「それはそれは」

 気丈な少女のことばを聞き流し、ラインバッハ二世は礼をした。

「偶然とはいえ、手を貸してくれたことを感謝する。君のいく道に幸福のあらんことを、ビッキーさん・・・・・・

 少女は立ち止まると、先ほどの手鏡をひらめかせた。次の瞬間、淡い光に包まれて少女の姿は消えていた。
 ラインバッハ二世は驚くこともなく、部下を呼びつけた。

「先ほど捕らえたリキエという女を、地下のリタと同じ牢獄に閉じ込めておけ。
 よいな、拘束はしてもよいが、彼女は捕虜でも奴隷でもない。決して手荒に扱うでないぞ」

 厳命を聞いた部下があわただしく去っていった後、ひとり立ち尽くしたラインバッハ二世は、暗い目元に暗い笑いを浮かべていた。

「クク……、これであと二人。クク、クククク……」

 その笑いが何を思っての感情の発露なのか、知る人物はまだいなかった。


 それでもグレアム・クレイを相手にすると、表情は陰気なものに取って代わった。
 彼の成功に対し、この同盟者が少なからず貢献してくれているのは確かだったから、邪険にするつもりはなかったが、それでも理性的な好悪の念は仕方がなかった。

「四人そろえるべき柱のうち、お二人を確保されたそうですな。お手並み、感服いたします」

 クレイの感情のこもらぬ色素の薄い目を見ると、総てを見抜いた上で見下しているのではないか、という気すら、ラインバッハ二世はするのだ。……自分ならば、もっと上手くやって見せるとでも思っているのではないか……。

「うむ、しかしマキシンの救援に行かせた部隊は、敵に翻弄されるだけ翻弄されて逃げ帰ってきおった。
 被害は軽微だが、兵士たちに動揺が広がっておる。
 相手は罰の紋章の小僧だったそうだが、悪魔のような速度で海上を走り去ったそうだ。今後の作戦の弊害になるのではないか」

「今しがた、私も報告を受けました。常識では考えられぬ速度であったと。
 新たな魔法の応用か、チープー商会の新商品か。そんなところでしょう。
 ご領主殿はエックス商会を通じて情報をお集めになるがよろしいでしょう。もしかすると……」

 クレイは正面からラインバッハ二世を見据えた。心から微笑んでいるわけではない。造型された笑顔だが、その視線から異様な光が零れ落ちた。

「いずれにしても、次の戦いがあるなら、彼らが戦場を左右する存在になるのは間違いなさそうです」

 笑っている。戦場には、戦闘のたびに鬼札ジョーカーが出てくる。オベリア・インティファーダの名は、ただ一度の戦闘でその名を周囲に刻みつつあった。
 ラインバッハ二世は気難しそうに腕を組んだ。

(まあいい、軍事はクレイに任せてある。私は私にできることをすればよい。
 遺跡の発掘も、マニュが横に動くえれべーたーを開発してくれておかげで、土砂を外部に運び出す効率が格段にがアップした。
 あとは、底にいる「あの男」だが……)

COMMENT

(初:14.07.17)
(改:14.07.22)
(改:14.07.24)
(改:14.08.04)