スノウ一行が屋敷をあとにして二十分。
キャンメルリング公ギネは、彼と会談した書斎から動かず、執事に淹れなおさせたコーヒーを飲んでいる。
人払いをしているから、書斎にいるのはギネ一人だったが、その時間の終了を告げるように、扉がノックされた。
ギネの返事を待つことなく、男が入ってくる。
長身の男だった。擦り切れた冒険者風の衣服に身を包んでおり、腰にはやはり使い慣れた剣を佩いている。
服の襟元と首に巻いた布で顔の下半分を隠し、バンダナで頭を隠しているので、一見には表情どころか、顔の形すら分からない。
一見に怪しいその男の姿を見て、ギネは苦笑した。
「そこまでして正体を隠さねばならぬとは、あなたも苦労が続きますな」
「……誰が見ているか分からぬ。君を疑うわけではないが、油断もできぬ」
ギネは男に、対面の席を勧めた。先ほどまでスノウが座っていた席である。
「ワインでも出しますかな。今なら、二〇五年物の一品があるが」
男は首を振り、次に手を振った。
「あり難いが辞退させていただく。話が終われば、すぐに辞去せねばならぬ」
「なるほど、時勢があなたに休息を許さぬと見える。よろしい、手短に説明しましょう」
ギネは、先ほどまでのスノウとの会談の内容を、かいつまんで説明した。
男は無言で聞いていたが、両者の会談が成功のうちに終わったと理解して、首を縦に振った。
「あなたの提案を聞いていたとはいえ、スノウの見せた覚悟は本物だった。
彼が唯一、命を捨ててもよいとまで言った友人とは、どのような人物なのです? 興味のあるところだが」
「………………」
男はまたしばらく沈黙して、口を開いた。
「……強い、そう、強い男だ。唯一人、私に敗北の土をつけた男だ」
男の言葉は低い。少ない言葉の中に万の感情が込められていることに、ギネは気付いている。
ギネが、イヤリングを弾く。
「なるほど、噂には聞いていたが、あの罰の紋章を持つという青年か。
どうもあなたも私も、多少遠回りながら、その青年には縁があるらしい」
ギネはコーヒーを飲み干し、カップを置く。男が腕を組んで、その様子を見ていたが、静かに口を開いた。
「それにしても、ずいぶん素直にラズリルの要請に応じたな。
君なら、スノウ・フィンガーフートを手玉に取ることもできたろう」
「最初は試そうとしましたがね」
ギネは肩をすくめた。
「素直に言いましょう。物好きと思われるかも知れぬが、私は彼に敬意を抱いたのです」
「敬意?」
「はい。自ら隻腕のハンデを受け入れようとした彼の覚悟と、それを瞬時に決断させた彼の勇気。私も隻眼隻耳のハンデを持つ身ですから、それがどれほど偉大なことか、よく分かるのです。
いまのガイエンの政界を探しても、あれほどの男はまずいません。友を持つのならば、彼のような友を持ちたいものです。
ラズリルへの対処は、政治的な配慮とは別に、私の彼への敬意のあらわれです。しかし……」
「うむ?」
「物好きの度合いでは、あなたとて同類ではありませんか? かつての敵国を救うために、ここまで単身で乗り込んでこられるとは」
「長居はせぬよ。ほかに行かねばならぬところもあるのでな」
「ラズリル・オベルが、軍事はともかく、政治工作では明らかにラインバッハ・クレイ連合に遅れをとっている。
その遅れをわざわざあなたが取り戻すことはありますまいに」
「厄介な女からの頼みごとでな。それに、かつての同胞が多く関わっている。動かざるをえないのだ」
「そして最後は、以前のように、ご自身で艦隊の指揮をおとりになりますか」
男はやや俯き、軽く溜息をついた。頭を覆っているバンダナから、やや長めに伸びた、黒に近いブラウンの髪がこぼれ見える。
「……それはない。私が二度と
ギネは興味深く男を観察するが、その表情を読むことはできない。
「では、あなたをこき使っているその「厄介な女性」は、いまどちらに?」
「今は赤月にいるはずだ。やはり中枢部を扇動して、群島への好意的中立を引き出そうというのだろう」
男は窓際に視線を移す。薄暗い灯りの部屋に、満月の光が差し込んでいた。
納得したように、ギネは頷いた。
「赤月国内では、シルバーバーグ家の権威と格式はいまだ高い。エレノア・シルバーバーグが裏から動けば政界も無視はできまい。
そうやって、事件を群島諸国連合内での出来事、という域にまで押し込めてしまうつもりなのだな。事件の規模が相対的に小さくなれば、外国の興味も徐々に薄らいでゆく」
男が立ち上がる。
「あらかた現状は理解した。君はラズリルの使者に対しての約束を、果たすことができるのだな?」
「百パーセントの保障はしかねるが、まず九割九分、信じていただいてかまわぬ」
「では私のここでの役割は終わりだ。一度、群島に戻ることにしよう」
男はバンダナを巻きなおし、ドアノブに手をかけた。
そこで動きを止め、ギネに振り向く。
「これは興味で聞くのだがな、キャンメルリング公。
君のその右の目、紋章の封印球を脳にリンクするなど、本当に可能なことなのか」
「ああ、これのことですか」
ギネは閉じていた右のまぶたを開いた。真紅の義眼が現れ、黄金の左目とあわせて、奇妙なコントラストを描く。
それは、鋭いギネの印象に、さらに奇怪な波紋を投げかけた。
「本当にそのようなことが可能ならば、私は烈火の封印球でも埋めこむでしょう。
わざわざ心理的云々などと回りくどいことはしない」
ギネは笑った。彼の話が本当かどうかは、男は追及しなかった。
薄暗い灯りに浮かぶ黄金と真紅の組み合わせは、その持ち主を怪物のように見せる、異様な光を放っていた。
スノウたちがキュンメルリング公爵の屋敷を出たとき、時刻は既に午後十一時を回っていた。首都オリゾンテの深夜は、巨大な都市がそのまま巨大な廃都になってしまったのかと思えるほどにうら寂しい。
吹き抜ける風には熱はない。街角で開いている酒屋もあるが、外からは熱気も喧騒も伝わらず、漏れているのはわずかな灯りだけであった。
ガイエン公国の首都は、皮肉なことに、キャンメリリング公爵の急進的な汚職の追放政策によって、逆に経済の熱気を失いつつあった。賄賂の風潮がすぐになくなるわけではないが、以前よりもやりにくくなったのは確かである。
これまでの金権政治に慣れきった大商人たちの中には、首都から撤退する者たちがあらわれはじめていた。やりにくくなった首都から離れ、地方でこれまでどおりのやり方を貫こうというのである。そのため、ただでさえ活発とはいえない首都の経済活動が、さらに縮小しはじめていた。
これはキャンメルリング公ギネも頭を痛めていることで、これからの政策には慎重さが求められるであろう。同時に、外国からの資本の流入を呼び込むには、群島地方の経済規模は無視できない。今回の群島での騒動は、ギネにとっても正念場であった。
スノウたち三人は、足早に宿に戻った。公爵の屋敷では「気持ち悪いほど接待された」というシャーロックとラベンナは、スノウの話を詳しく聞きたがったが、スノウが疲労していたこともあったし、おいそれと街角でできる話でもなかった。
宿は玄関を開けていた。キャンメルリング公から呼び出されたということで、スノウがただの旅人ではないことを悟っていたのか、遅い時刻にも関わらず、主人はスノウたちの帰りを待ってくれていた。そして、一階の食堂で、軽めの夜食を提供してくれた。
この「おせっかい」をスノウはありがたく受け、大き目の円卓で遅い夜食とワインにありついた。スノウはあまり酒は飲まないが、これまでの緊張ですっかり縮小していた胃には、今夜のワインの刺激は快かった。
さて、この時刻にも関わらず、食堂にはちらほらと客の姿がある。この宿では、スタッフをほぼ二十四時間の交代制で常駐させており、どんな時間帯でも軽い食事は出してくれるので、時間が不規則になりがちな旅人のあいだでは評判が良かった。
それは、まったくの偶然であったに違いない。スノウたちが食事を終え、部屋に戻ろうと階段を上がりかけたときだ。その食堂の隅のテーブルに陣取っていた五人の男達の小さな話し声が、偶然に、スノウたちの鼓膜をかすめたのである。
「大公妃殿下……ネシアからお戻りなったばかり……」
「殿下を……するには……今夜が最後……」
「殿下の威さえなければ……リングなどただの成り上がり……」
「……しかし、子爵が彼に代わるだけの器だとは……」
スノウは思わずシャーロックと視線を合わせた。この男達は今、恐るべきことを言わなかったか?
声の聞こえたテーブルに歩み寄ろうとしたスノウを、ラベンナが止めた。彼の肩を強くつかみ、長身と紅髪を持つ女兵士は、首を横に振った。
どのような問題が起ころうと、これがガイエン内部の問題である。ラズリルの公的な使者である自分達が、手も口も出すべきではない。下手をすれば、それこそ大問題に発展しかねない。
ラベンナの言いたいことはスノウには伝わったが、それで納得するスノウではなかった。彼は、どこまでも善性の人である。解放戦争の後、やや価値観に変化はあったが、人格の根がまるまる植え変わったわけではなかった。
にらみ合うスノウとラベンナとはまるで無関係に、小声で話し合っていた男達はテーブルを離れた。そして用心深く宿を出て行く。
スノウは肩を掴んでいたままのラベンナの手を振り払った。
「シャーロック、彼らを見失うな。僕たちもすぐに追う。無茶はしないで」
「ええ、そうこなくちゃ」
なぜか嬉しそうに頷いてから、シャーロックも宿を出た。
不満そうに口を真一文字にしているラベンナを一瞥して、スノウは主人から紙とペンを借りると、短めに文章をしたためた。そしてそれをぎゅっと丸め、いくらかのコインとともに主人に渡した。
「主人、すまないけど、これを今すぐキャンメルリング公のお屋敷に届けてほしい。スノウ・フィンガーフートの名を出せば、きっと取り次いでくれる。
僕たちは急用があるので、ちょっと留守にする。頼むよ」
スノウの表情からただ事ではないことを悟ったのか、初老の主人も深刻な表情で頷き、すぐに下男を一人、公爵の屋敷に走らせてくれた。
スノウは篤く礼を言うと、自分もすぐにシャーロックのあとを追う。時間差はほとんどない。静かな街中を静かに走り、すぐに彼に追いついた。
シャーロックは建物の影から、真っ直ぐ先を見据えている。その先にはランタンのほのかな光が四つばかり上下している。彼らも、人に知れぬように行動しているようだ。さきほどの会話の内容をそのまま実行するつもりなら、人に知られるわけにもいくまいが。
スノウは長身のシャーロックの背中に語りかける。
「様子は?」
「殺気立ってますね。人数が変わった様子はありませんが、正確にはわかりません。
どこかで別の一味と合流する気かも知れない」
「スノウ様、彼らが大公妃を襲うつもりなら、私たちが三人でどうにかできることではありません。ここは、関係を持たぬことです」
ラベンナの意志は変わらない。ただでさえたいへんな責務を負っているのに、自ら面倒ごとに首を突っ込むなど、ラベンナにとっては理解不能の極致なのかもしれない。
「さっき、使者を出したろう? 先に公爵が動きを見せてくれれば、ぼくたちが戦闘に巻き込まれることはないさ。
ただ、使者を出した以上は、ぼくたちが何らかの事情を知っていると公爵には思われる。まったく知らぬ存ぜぬを通すこともできないと思うよ」
言って、シャーロックを先頭に、スノウは建物の影から影へと歩を進める。しかし、追っているうちにシャーロックの予想は真実味を帯びてしまった。
街の様子は、中心街からはずれ、大きな邸宅が並ぶ地区へと入っている。中規模の貴族の屋敷であろう。少なくとも、スノウたちが追っていた男達に似つかわしい場所ではない。
しかし男達は、その屋敷のうちの一つに入っていった。周囲の暗い静寂から孤立するように、その屋敷からは、煌々と光が漏れ、また活発な人間の気配が漏れている。それは殺気に近い剣呑な空気を纏っていた。
スノウは、思わず
シャーロックもラベンナも、同じことを考えていたらしい。高い門に張り付きながら、緊張した面持ちをしている。
「やつら、戦争でも始めるつもりか」
ラベンナが吐き捨てた。しかし、あながちはずれてもいないであろう。この屋敷の持ち主がどのような心境でいるのかは不明だが、これだけの殺気がさきほどのキャンメルリング公の屋敷にいた兵士たちとそのままぶつかれば、いやでも小戦争にはなる。
首都の政治に与える影響も、少なくはないだろう。
見張りもいるだろうし、巡回の兵もいるだろう。とにかく、近くにいるのは危険だということで、三人は少し離れた場所に移動した。
ラベンナの言うとおりではあった。三人しかいないスノウたちに、いまできることはない。結局のところは、キャンメルリング公ギネの行動を待つしかない。
もっとも、その事実と、彼らがその事実に納得しているかどうかは、また別の問題であったけれども。
屋敷の中は、外から感じる剣呑さの百倍の殺気に満ちている。空気が針と化して常に肌を突き刺しているような、なんともいえぬ緊張がただよっていた。
それはそうであろう。今夜、彼らは恐れ多くも国主ガイエン大公の妃である大公妃シドニアに対し、二度目の暗殺事件を起こそうというのである。緊張するな、というほうが無理な話だ。
その巨大な緊張を、頭のてっぺんからつま先まで一人で抱えているような男性が、血が出そうなほど強く下唇を噛みながら、部屋の中をうろついている。
まだ若い。二十代の半ばといったところだろう。どちらかといえば小柄で、血色の悪い白色の顔をしたその男性は、子爵の爵位を持つ貴族であった。アルバレズ子爵家当主ナハトである。
彼はキャンメルリング公の改革路線と対立する陣営に身を置いてはいたが、一方の雄として政治の中心にいるわけでも、ビジネス界の巨頭として商人たちに担がれているわけでもなかった。悪く言えば、巨大な利権に群がってこぼれる小金に飛びつく小悪党のひとり、という存在に過ぎなかった。
キャンメルリング公から見れば、マノウォック公爵ハーキュリーズの懐に群がる、小虫の一匹に過ぎぬ。
それが、どうして今夜、このような大それた行為におよぶことになってしまったのか、ナハト自身も経緯の記憶が曖昧であった。
大公妃シドニアがイグネシアの別荘に赴く。そこに、自分の息のかかった暗殺者を送り込む。上手く大公妃の暗殺が適えば、首都で旧来の貴族達から蛇蝎のごとく嫌われているキャンメルリング公の失脚に繋がる。
これまで傍流の小貴族に過ぎなかった自分が、一気に政治と利権の中心に躍り出るチャンスであったのだ。暗殺者、とはいっても、送り込んだのはメイドにすぎぬ。なんの背景も持たぬ娘だし、いざ失敗しても、即座に殺されるであろうから、そこから自分が浮かぶはずがない、と考えていた。
キャンメルリング公が聞けば、全身を使って苦笑するであろう稚拙な考えであったが、ナハトにすれば万全の策であったはずなのだ。彼にとって計算違いであったのは、その暗殺の場に、ほかならぬキャンメルリング公ギネがいたこと、そしてもう一人、腕の立つアメリアという女性がいたことだった。
そう、なにもかも運が悪かったのだ。暗殺が失敗したうえに、暗殺者が捕らえられた、という事実は、イグネシアに潜伏させていた間者の手によって、光の速さでナハトの知るところとなった。
さらに、もっとも頼りにしていたマノウォック公からも見放されてしまい、精神にたががはじけてしまった。もとより「我慢」ということとは無縁だし、冷静に自分の足元を観察することができるような男でもない。
真夜中にこのように大勢の私兵を街中に集めるのがどれほど危険なことかも、この男の想像力のおよぶところではなかった。
ナハトはマノウォック公のことを内心で「男好きの情婦」と軽蔑していたが、自分がそのマノウォック公からもキャンメルリング公からも軽蔑されていたなどと、思いもしていない。
「こうなれば、私自ら大公妃を暗殺するしかない」
混乱と思考のジャングルを迷いに迷ったあげく、ナハトはその結論に至った。そしてそれを実行に移すべく、私兵を集めたのである。
襲う相手を公爵ではなく大公妃に定めたことで、この男は後世に汚名を残すことになった。自分も気づかぬ精神の奥深くで、自分は公爵にはかなわないのだ、と悟っていたのかもしれないが、決して自分では認めぬであろう。
何度も何度も部屋の端と端とを往復し、複雑な表情で頭を掻き毟り、顔を両手で覆って溜息をついた。決心はしたが、子爵は落ち着かない。
「本当に大公妃殿下はオリゾンテにお帰りあそばしたのだろうな。殿下の御座のお帰りになった時間の推測は正しいのだろうな?
マノウォック公は当てにならぬ。ヘラウァー侯爵に救援の使者は出したのか? 私の手紙は届いたのだろうな?」
何度も何度も、彼は執事にそう尋ねた。執事は子爵をなだめることしかできない。
「閣下、御自分の部下をお信じあれ。世に正義あらば、きっとことは成功するでしょう」
「そなたは自らの命をかけておらぬから、そう落ち着いていられるのだ、軽々しく正義を語る愚か者め」
ではどのように返答すれば満足なのか、とは思っても、執事は口には出さぬ。
どちらにしろ、あと半日のうちには勝敗の行方、ひいては子爵の生死の行方は決まってしまうであろう。
子爵は思い出したように執事を問い詰めた。
「あの男はどうしている。私に言い寄ってきたあの男はまだここにいるのだろうな」
さて、と執事は首を横に振った。次の瞬間、彼の視界は光に満たされた。横暴な主君の暴力によって、彼は床に不本意なキスを強いられてしまった。
アルバレズ子爵ナハトは、すでの正常な思考能力を失いかけていた。
「ヤング・フィンガーフートは、よほど数奇な星のもとに生まれたようだな。
自らの覚悟で、失うはずの右腕を守ったかと思えば、その矢先にこのような災厄に出くわすとは」
スノウからの緊急の手紙を読み、キャンメルリング公ギネは、小さく苦笑した。
その手紙は、文章は簡潔極まりないが、内容は深刻すぎるものだった。
「今宵、大公妃殿下に対し奉り、害意の企てあり。「子爵」なる者に注意されたし」
ギネはスノウの手紙を丁寧に折りたたみ、胸のポケットにしまいこんだ。そして、傍に立つメイド服の女性に向き直った。
「子爵か。時期的に見ても、アルバレズ子爵に違いあるまい。
暗殺未遂事件など見てみぬふりをして、知らぬ存ぜぬで通しておれば、私としても簡単には追及できぬものを」
「アルバレズ子爵閣下は、その場の思いつきで行動される方でした。行動や主張に一貫性がないので、身内の方からも信頼は薄かったようです」
メイド服の女性が応じた。まだ十代だろう。白い肌に黒い髪、そして青い瞳。あどけない表情は、まだ子供の印象を残していた。
怪我でもしているのか、右の頬に少し大きめのガーゼを貼っている。
「思いつきの連続で行動を最後まで制御できるのは、天才と呼ばれる一部の人種だけだ。
もとより、自らに嫌疑がかからぬように、君のような者まで暗殺に駆り出すような男、大した器ではない」
明らかな蔑みを篭めて、ギネがはき捨てる。わずか二時間前に見せられたスノウの勇気が、このガイエンにおいてはどれだけ崇高なものか、ギネはあらためて思い知っている。
彼の目の前にいるのは、二日前、彼の目の前で彼の叔母である大公妃を暗殺しようとした少女だった。
「どちらにしろ、このヤング・フィンガーフートの誠意も、時間も、今夜は貴重な資源だ。無駄にはすまい」
ギネは卓上のベルを鳴らした。すぐに屈強な鎧の兵士が三人、入室してくる。今夜はスノウを威迫するために呼び集められたはずの兵士だったが、その役割が変わってしまった。
「今夜、愚か者が一人、大公妃殿下に対し奉り暴動を起こすとの知らせがあった。そのようなものを成功させるわけにはいかぬ。
既に王宮の近衛旅団には急報を入れてある。アイゼイヤ、貴公は近衛兵と連携をとりつつ、首都の全ての通行口を護れ。怪しき者は拘束してかまわぬ」
「はっ」
「アロイス、貴公は一隊を率い大公妃殿下のご一行に合流せよ。殿下の周囲は充分な兵力あり、腕の立つ護衛もいるが、用心にしすぎということはない。
万が一、状況が貴公の手にあまる場合は、殿下の傍にあるアメリアという者の指示を仰ぐのだ。彼女ならば誤断は犯すまい」
「はっ」
「パトリック、貴公は市街に放っている間者(スパイ)から情報を得よ。同時にアルバレズ子爵邸の周辺に急行して待機。
急を要する場合は己の判断で突入せよ。私の裁可を待つ必要はない」
「はっ」
三人が、鎧を着てなおわかるほどの緊張を帯びる。ギネが左から視線を流し、三人を睥睨する。
「もうひとつ、ヤング・フィンガーフート一行を早急に探し出して保護するのだ。彼らを危険に巻き込んではならぬ」
三人が重厚な敬礼を上司に向けた。公爵のそばにあるメイドの少女が、うつむきげに何かをつぶやいた。オリゾンテの夜が、一気に緊張に支配された。
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