クォ・ヴァディス 49

9-4

 大公妃の護衛をアメリアに一任し、キャンメルリング公爵ギネは一足先に首都オリゾンテへと帰還した。時刻はすでに夜半になっていたが、ギネは自らの邸宅に帰ることなく、大公の宮殿へと馬車を直行させた。
 大公宮は、オリゾンテの中央に建てられた巨大な建造物だ。豪壮な宮殿だが、その建築様式と建物の雰囲気から、首都の住民たちからは「博物館」と呼ばれている。
 ギネはすぐにガイエン大公スタニスラスに面会を申し出た。並みの貴族ならば追い返されてしまう時間であるが、そこは大公妃の甥であり公爵である。スムーズに大公への面会は実現した。
 大公への連絡を担当した者は、ギネに対して憚らずに表情を曲げた。彼は、ギネに敵対する者であった。

 ギネは、玄関からホールに向かう長い長い階段を、わずかな人数を伴って昇る。大国の主の居住する空間にしては、夜間に灯された明かりは少ない。
 ……宮殿の夜を十分に照らす灯を調達する金銭がないのだ。
 大公宮へは当然、私兵を伴って入ることはできないため、ギネの部下たちは、大公宮の門の外で待たされている。
 夜間の冷たい風が、ギネの髪を揺らした。五月の末、昼も夜も、そろそろ暑くなってくる時期のはずだが、オリゾンテの風は冷たい。

(この街の風が、暖かくなることはあるのだろうか)

 ふと、ギネは思った。彼の受けた風が、この街の民たち、ひいてはガイエン国民の心の温度ではないのかと錯覚したのだ。
 そんなことはあるはずはないのだが、市民たちの感情の温度の低さを思えば、錯覚と断ずることもできないように思えた。
 大公宮と市街のほとんどが闇に溶け込んでいる中で、西の一角に派手に火を灯す地域がある。ガイエン大公国を支える大貴族たちが居を構える一角だ。
 つまりは、この明るさの差が、そのまま大公家と大貴族たちの資金力の差であり、政治的な権力の大きさの差だった。

 巨大なホールで部下を待たせ、ギネはそこから一人で大公の私室へと向かう。五分ほど歩き、巨大な扉の前に立つ。扉の脇を守る重鎧の衛兵が二人、ギネに対して敬礼をした。
 イグネシアの別荘のものよりも豪奢な飾りが施された扉だが、その豪奢さには「威厳」という要素が感じられないのは、この部屋の所有者の覇気の大きさと正比例しているのかもしれない。

 ギネは二度ノックして名乗り、扉を開いた。
 大公はすでにベッドに入っているようで、広く薄暗い部屋の中、天蓋とカーテンに覆われたベッドの中にわずかに影が動いているのが見える。
 さすがにそこまで近づくことはできないため、入り口から一歩入ってひざを折り、ギネは言った。

「お休みのところを失礼いたします。
 殿下、イグネシアにおいて本日午前、大公妃殿下を狙った暗殺未遂事件が起きましてございます。
 ことを企てた不逞の輩は捕らえました由、速やかに処置を下しますが、よろしゅうございますか」

 大公の影が、カーテン越しにわずかに動いた。

「なんと、それはまことか。許せぬ!
 愛しき我が妻を害そうなどとした輩は即刻、背後関係を吐かせたのち、この世に生まれてきたことを後悔するほどの懲罰を与えて、汚らわしき四肢をもぎ取り、関係者、一族もろとも皆殺しにしてしまえ!」

 ……などとは、大公は言わなかった。自分の妻が殺されかけたと聞いて、大公が見せた反応はわずかだった。
 ベッドから起き上がることもなく、カーテン越しにわずかに手を振り、

「……よきにはからえ……」

 と、一言、つぶやくように言っただけだった。
 ギネは膝を折ったまま、しばらく無言で床を見つめていた。そして、こちらもわずかに声を発した。

「……わかりましてございます」

 大公の部屋を出るギネの目撃した近衛兵は、言葉を詰まらせた。ギネの表情は、寂寥と情けなさ、怒りと刹那さなど、様々な感情を大量に含んで、一言も出さなかった。
 ただ沈黙を守って大公宮を歩くギネが十人の共を連れ、ホールを出て正面の大門に続く長い階段に差し掛かったとき、彼は状況の変化を誘った。大公宮を訪れたときに感じた冷たい空気はそのままであったが、その空気に邪なものが混じっていることに気づいた。

 宮を照らすわずかな灯りの中で、ギネは立ち止まる。閉じたままの右目がうずいた・・・・。まぶたの上から右目を一撫でする。
 立ち止まったギネの目前で、奇妙な人間の悲鳴が聞こえた。そして「どう」と音がした。
 人が倒れる音だ。ほの暗い灯の中で、ギネは自分の部下が階段に倒れたことを理解した。

「閣下!」

 彼の周囲にいた部下たちが色めき立ち、ギネの周囲を囲む。
 倒れた人数はわからない。五人か、六人か。ギネは足を折り、自分の目の前で倒れた者を確認する。その首を、矢が貫通していた。明らかに彼に害意を持つ者が、この周囲、それも至近にいる。それも、この薄暗さで正確に首を射抜く、並々ならぬ腕の者が。

「狼藉者あり、狼藉者あり!」

 残されたギネの部下が自分の主を囲み、叫んだ。宮殿の入り口で武器を預けてしまっているため、彼らが携帯しているのは、護身用になるかどうかも怪しい短剣だ。暗殺者の群れから大国の重臣を守りぬくには、いかにも心もとない。
 あるいは、このタイミングを狙った犯行か。

 しかし、ギネの部下が忠誠にも勇気にも秀でているのは明らかだった。このような状況でなお逃げもせず、ギネを取り囲み、がっちりとガードしながら怒声を上げた。みな、冷や汗はかいていたが、狼狽はしていなかった。
 大公宮正門の脇に待機している公爵の私兵たちに、この騒ぎは届いているだろう。彼らが正門の衛兵の制止を「突破」できれば、公爵を生還させることはできる。
 本来なら、大公宮の中でギネを守るべきは、宮の警護にあたる衛兵たちである。このような騒ぎを起こされてしまった衛兵たちと、それらを管轄する者は、本来それだけで斬首に値する罪を問われるだろう。
 しかし、彼らがその罪を問われるか否かは疑問である。衛兵たちも、それを管轄する者たちも、ギネに対立する立場にいる。

(たとえこの場で私が殺されても、彼らは簡単な戒告で済まされるか、もしくは末端の衛兵にのみ死が命じられ、責任者は罪に問われない可能性も高いだろうな)

 ギネは思う。無論、ギネはそのことを知悉しているから、自らの部下にのみ信頼を置き、他の何にも期待していない。
 逆に言えば、暗殺者たちは、ギネの兵の群れが自分たちに殺到するまでに、公爵を倒さねばならない。
 わずかな時間を置いて、ギネがその不埒な射手を一喝した。彼の声は、この状況に合わぬほど凛としている。

「この大公宮で公爵たる私を襲う君たちの勇気を、私は賞賛しよう。
 だが、残念ながら今、私は機嫌が悪い。私を殺すつもりならば、私の肉体も魂も、この世に残さぬくらいの徹底した覚悟でくるがいい。でなければ……」

 暗闇から次々と不躾な暗殺者がたちが姿を現した。その数、およそ十人。黒に近い装束に、黒に近いマスクと帽子とを着用し、おのおの抜き身の剣を手にしていた。
 ギネを囲んでいた部下たちが、暗殺者たちに正対した。目の前にいるのが犯人全員とは限るまいが、その無言の暗殺者たちを、左目だけで睥睨し、ギネは声のトーンを下げた。

「……でなければ、君たちが死ぬことになる」

 公爵は丸腰である。しかし、その公爵の静かな言葉が虚喝はったりではないことを、幾人かは気づいたのであろう。自分たちが殺すべき相手を徐々に包囲しながら、しばらく、奇妙な沈黙が続いた。
 そして、二つの動作が同時に起こされる。暗殺者のうちの一人が、沈黙と緊張に耐えかねて、ギネに斬りかかった。
 同時に、ゆっくりと。ギネの右のまぶたが開いた。その異様な光を、暗殺者たちは死の直前まで忘れなかった。

 暗闇に、真紅の光がたゆたっている。まるで闇夜に揺れる蝋燭ろうそくの炎のような光が、赤く揺れている。暗闇でありながら、はっきりと認識できる真っ赤な光。
 それを目にした暗殺者の行動も、常軌を逸していた。
 まずギネに斬りかかった男の動きが止まった。剣を振り上げたまま硬直し、しばらくぶるぶると腕を振るわせた。

「あ、あが!」

 異様なうなり声を上げ、その男は、剣を突き刺した。自らの剣を構えなおし、自らの口の中に突き立てのである。剣が喉の真裏に貫通し、真紅の血液の噴水を上げ、息絶えた男は階段に倒れ臥した。
 同じ惨劇が、ほとんと瞬間的に、十人分演じられた。空中に光るギネの右目の赤い光を見た暗殺者たちは、奇妙なうなり声を上げながら、次々と自らを剣を自らに突き立てた。ある者は腹を突き通し、ある者は胸を突き通した。

 いったい、何事が起こったのか。ギネの右目が閉じられたとき、白亜の階段に転がっているのは、暗殺されたギネの部下五名、そして「自殺させられた」暗殺者十名の死体だった。生き残ったのは、ギネの側の人間のみ。

(宮の衛兵たちは、さぞかし面白くあるまいな)

 一瞬前の剣呑な空気がうそのようだ。ギネが傲然と、静寂が支配した大公宮の闇を見下ろした。一瞬の静寂のあと、ギネの部下たちが、声高に怒声をあげながら動く。殺されてしまった同僚の遺体を鄭重に担ぎ上げ、公爵はため息をつき、歩を進め……、そして、目前に新たな人影を見出した。

 たてつづけに状況が変わる。この大公宮でこれほどの騒ぎが起こることなど、数年に一度もなかろう。
 新たに現れたのは、先ほどの暗殺者よりもさらにおおくの人影だった。しかし、彼らは暗殺者のような後ろめたさを持っていなかった。
 多くの兵が、灯りを持って階段の両端に立ち並ぶ。ギネほどの権力者も尊重している大公宮でのルールを、平然と無視するかのような数の私兵たちだ。
 その兵の中央、すなわち階段の中央を、悠然と上ってくる人間がいた。

 深夜とは思えぬほど明るい光のもとで、その人物は、ギネの二メートル下まで近づいた。
 女性だ。やや白みがかった金髪を背中まで伸ばし、胸元の大きく開いた豪奢なドレスで全身を覆っている。炎に照らされるその表情は、人によっては「絶世の」と冠詞をつけたくなる美貌である。おそらく、「栄華」という言葉を擬人化すれば、この女性になるだろう。それほどの存在感を闇に解き放っていた。

「急ぎの帰還かと思えば剣呑なこの騒ぎ、そなたの周囲はなかなかに賑やかであるな、ギネ」

「マノウォック公……」

 ギネがつぶやいたその名が、この女性の名前だった。
 マノウォック公爵ハーキュリーズ。ガイエン地方に古くから伝わる不死の英雄に由来する男性名を持っているが、れっきとした女性である。そのため、正式には「女公爵」とか「公爵夫人」という敬称が正しいが、ハーキュリーズはただ「公爵」と呼ばれることを好んでいる。
 ガイエン公国でもっとも格式の高い名家に生まれ、その門地を継ぎながら、一種の奇人として名の知られた人物だった。
 マノウォック公爵は、政治にも経済にもとくに興味を示さない。彼女が興味を示すものはただひとつ、「男」であった。男なしでは一睡もできぬという体質で、とくに容姿の美しく才のある男を好み、自分の屋敷に何人も囲っている、といわれている。
 そのためか、今年二十六歳になるはずのその容姿は、十代に見えるほどの若さを保っていた。
 特定の男性と関係を固定することはしない。その網はガイエンの政財界にもおよび、いまも幾人かの俊英が、この公爵の庇護下にある。そして、公爵がその男たちとベッドを共にするときには、重要な情報が枕元で囁かれるのが常だった。
 こうして、政治にも経済にも興味がないはずのマノウォック公爵は、ガイエンの裏表に関する様々な情報・醜聞を武器に、際限のない財力と奔放な興味を行動力として、ガイエンの財政界に隠然たる力を誇っていたのだ。

 だが、と、ギネは不審に思う。マノウォック公爵の夜は、自宅の豪勢なベッドで百花繚乱の才気と美貌に囲まれているのが常である。
 それが、このような時間に、このような場所にいるのは、不自然であるような気がしたのだ。

「随分と遅い外出でございますな」

 嫌味にならない程度の口調でギネが言う。
 同じ「公爵」という立場であり、年齢もギネのほうが上である。だが、キャンメルリング家とマノウォック家は、格式と伝統ではまったく勝負にならない。言葉が自然と敬語になった。また、ギネにそうさせるだけの風格を、この女公爵は持っていた。
 マノウォック公爵は、文句なく美しいその表情に、含みのある笑顔を浮かべた。

「わらわとて、このような時間に出歩くのは望むところではない。
 だが、愛しい男妾めかけの一人が余りに騒ぐのでな。たまには飼い犬の機嫌を取ってやるのも、飼い主の責務であろう」

男妾めかけ?」

「おや、とぼけるのか。聡いそなたのことであるから、分からぬはずはあるまいが」

 そして、そのグリーンの瞳を、ギネに向けた。

「アルバレズ子爵のことじゃ」

 この発言には、さすがのギネも目を見張った。アルバレズ子爵ナハトといえば、先の大公妃暗殺未遂を起こした女が、自らを教唆したものとして名を上げた貴族ではないか。
 本人は意地でもその事実を認めないであろうが、そのパトロンである公爵が、事実をあっさりと認めてしまった。はたして豪放なのか、ただの無神経なのか。

「……閣下」

「アルバレズ子爵がわらわに、身元の保護と、暗殺に失敗した女の引渡しを頼み込んできおった。子爵は才気はあるが、器の小さな男じゃ。目前の小機に引きずられて、小細工を弄する悪癖がある。
 身の丈に合う服で満足していればいいものを、無理に格好をつけようとして失敗したな」

「閣下、マノウォック公爵」

「惜しむらくは大物を狙いすぎた。しかも暗殺に年端もいかぬ女を使うなど、大器を自称する価値もない男よ。わらわは、そんな男は大嫌いじゃ」

「マノウォック公!」

 ギネは思わず、自分と同等の爵位を持つその女性をたしなめるように声をかけた。

「あなたのことだ、ご自分の発言の持つ意味を理解されておられぬはずがないが、後々のことまでお考えか?
 あなたはいま、とんでもないことをおっしゃっておられるのですぞ」

 ギネの言葉に、なぜかマノウォック公爵は、楽しそうな顔をする。これまた、あまりに場違いな表情である。妙齢の貴婦人、というよりも、いたずら好きな十代の少女のようだ。

「ほう、ギネ。わらわの言葉に重大な意味があるとして、だから、そなたはどうするのじゃ?
 その足でナハトを粛清しにいくのか、それとも、わらわにナハトを渡せと泣いて頼むのか?」

「………………」

「どちらも、そなたにはできまい。わらわの言葉が真実であるという証拠は、何一つないのじゃからな」

 一歩一歩、マノウォック公爵は階段を上がる。勤めて冷静な表情で、ギネはそれを迎えた。
 マノウォック公爵ハーキュリーズは小柄だ。ガイエン男性の平均よりもわずかに背の高いギネよりも、頭ひとつ小さい。しかしその表情も、口調も、雰囲気も、存在感も、なにひとつとしてギネの迫力に劣っているものはない。
 マノウォック公は、ギネの耳元に口を近づけ、囁く。

「わらわが望んでいるのは、男たちの火の出るような争いじゃ。
 大公妃殿下もそなたも、暗殺を企てたのは、ナハトじゃ。その事実をつきつけられたそなたがナハトをどうするのか、そなたに追い込まれるナハトがどう対抗するのか。
 わらわは見てみたいのじゃ」

「……しかし、子爵はあなたの可愛い男妾なのではないのですか」

「ふふ」

 マノウォック公はギネの身体に抱きつき、そしてその耳たぶに舌を這わせる。驚くほど淫らな行動だった。ギネはかろうじて動揺を抑えている。

「わらわが愛するのは、いつでも才気と美貌。この程度のことで死ぬなら、ナハトもその程度の男じゃ。わらわには必要ない」

「………………」

「それに、わらわはそなた自身にも興味がある」

「私に?」

「とぼけるでない。さきほど、ナハトの暗殺者を自殺せしめたその「右眼」のこと、わらわが知らぬと思うてか。
 そなたの力、鋭気、そして性格。すべてわらわの好みよ。じゃが……」

 ギネの首筋を抱きしめるマノウォック公の両手に、少し力が入る。そしてその可憐な唇から、ギネがぞくりとするような言葉を吐き出した。

「亡霊を引きずって戯れておれば、気づかぬうちに己が亡霊と化すぞ」

「亡霊?」

 ギネの開かれた左目が虚空をにらみつけ、口元を引きつらせた。

「さて、なんのことをおっしゃっておられるやら」

「そなた、父御を失うて何年になる。妻子を失うて何年になる?」

「………………」

「亡者の毒気は、時に才の方向をも狂わせる。野心の息吹と亡者の毒気は、似て非なるものと知れ」

 ギネは数瞬、沈黙した。というより、絶句した。お互いの顔が見えぬこの「会話」は、「牽制」というには棘と含みがありすぎた。

「お言葉を返すようですが、それならあなたとて、例外ではありますまい。
 あなたもお父上を亡くされて久しい。亡者の毒気とやら、あなたご自身にふりかかっていないとは思えませぬ」

「そのような心配は要らぬ。わらわはとうに、魔王にも亡者にも相手にされぬ身よ。
 まあよい。わらわの男妾には保守派が多いゆえ、そなたとは立場を異にもしようが、夜の方面では、わらわがそなたの敵になるとは限らぬぞ、ギネ」

「ご好意のみお預かりいたします。残念ながら私のほうがあなたにつりあいますまい」

「それは残念じゃ」

 好意を拒まれたにもかかわらず、マノウォック公は気分を害した様子はない。とりあえず粉をかけてみただけ、といったところだろうか。自分の意思がギネに伝わればよいと思っているようだ。
 マノウォック公はギネの身体から離れ、妖艶な動作で階段を三段降りた。

「まあよい、ナハトに頼まれた用事は済ませた。あとはおぬしら次第じゃ。
 先ほどもいったが、火の出るような争いを期待しておるぞ。わらわを落胆させるでない。
 それと、この暗殺者たちの遺体は、わらわが持って帰るぞ」

「それも、子爵の頼み事ですかな」

「いや、わらわの嗜好の問題じゃ。わらわが立ち去ったあとに無粋な血が残るなど、あってなるものか」

 そう言い残して、マノウォック公爵ハーキュリーズは、ギネたちの目前から、喧騒も、死体も、すべてを持って立ち去った。ギネは、苦笑するしかない。

「なんと気まぐれな方だ、見事に自分の興味のあることだけを語っていってしまわれた」

 しかし、マノウォック公の要望どおり、アルバレズ子爵ナハトと「火の出るような争い」をしなければならない義理は、ギネにはない。
 大公妃暗殺未遂の犯人は、ギネの息のかかった組織の内にある。とりあえず先手は打てるだろう。
 また、それとは別に、群島の騒ぎも捨て置けぬ。ギネは重要な案件をいくつも両手のうちに抱え込んで、ため息をついた。


ハーキュリーズ
 Hercules。英語で用いられる男性名。綴りからも分かるとおり、その語源はギリシア神話最大の英雄、ヘラクレス。
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COMMENT

(初:11.6.18)