クォ・ヴァディス 43

8-1

 無人島において、誰も知らぬ間にマクスウェルらの勢力が拡大している頃、群島を騒がせていた当事者達は、ただ午睡を楽しんでいたわけではない。
 この時期、オベル島に拠るラインバッハ二世も、ラズリルに拠るカタリナとリノ・エン・クルデスも、マクスウェルと同様、自らの勢力の拡大と、その安定に腐心していたのである。
 無知な軍事ロマンチストたちは、リノ・エン・クルデスの惜敗に終わった第二次オベル沖海戦以降、一ヶ月に及ぶ軍事的空白を不満に思うかもしれない。
 実際に、リノ・エン・クルデスらの周囲にも、「もっと積極的に行動すべきだ」という不満の声があったことも確かである。
 彼らは、軍隊の総司令官が「出撃!」と一言命令を下せば、三千人規模の大艦隊がすぐさま海上にその雄姿をあらわすもの、と思い込んでいる節があるが、現実はそう簡単なものではない。
「出撃!」というたった一言が降るまでに、艦隊の編成、艦隊行動の訓練、補給の整備、航路の確認など、膨大な準備の時間を必要とし、その長さは艦隊の規模と正比例する。
 この一ヶ月の軍事的空白は、ラインバッハ二世にとっても、ラズリル側にとっても、その準備期間にあたっている。
 その入念な準備期間の存在を無視しては、いかなる勝利もありえないのであるが、それがわかっていない(あるいは、わかっていても無視している)人間達の小言と諫言は、「出撃」の一言をかける責任のある者を、あるいは失笑させ、あるいは怒らせていた。

 ではこの時期、彼らは、艦隊を動かすかわりに、なにを動かしていたのか。
 必死に口を動かしていたのである。
 第二次オベル沖海戦から二日ほどしてから、双方の勢力から、様々なメッセージが発せられた。
 自らの行動の正当をアピールするためにも、様々な宣伝工作は欠かせない。
 ことに、裏切りという醜行をしてのけたラインバッハ二世は、その裏切り行為が、群島にとって必要なものであったこと、自分がこの行為に走らざるをえなかった背景などを、様々な筆致で群島にばらまいた。
 それらのメッセージの大半は文学的洗練とは縁遠いものだったが、それだけに当事者達の肺腑を強烈にえぐった。

 群島諸国連合の存在によって、我ら群島の島々は一層の平和と利益を共有するであろう。連合盟主であるリノ・エン・クルデスは、かつてそう宣言した。
 だが、現実を見てみるがいい。
 連合の存在によって、オベル王国以外に利益を享受している国があるか。
 リノ・エン・クルデス以外に、利益を享受している人間がいるか。
 オベル王国は、自らが連合の中心に座ることによって、それまでそれぞれの島が独自に群島外の国々と行ってきた通商や貿易を独占しようとしているではないか。
 そして、それらに反対するであろう勢力の長を、自らの息のかかった人間達(この場合はイザクやアクセル)に挿げ替えてしまったではないか。
 これが、真に群島の平和を思う人間のやることか。
 元来、オベル王家には人間のものとは思えぬ残虐な血が流れている。
 先王アイン・ヘリ・エル俗物王は、自らの王子と民間人の縁者を残酷にも虐殺し、リノ・エン・クルデスは先の海戦でついに本性を表し、群島解放戦争の英雄マクスウェルを悪用し、自らの国民まで皆殺しにしようとした。
 真に群島の平和を願う賢者セツ殿は、愚かなる王の下で深刻なる憂慮を重ね、秘かに、そして繰り返し我ら(ラインバッハ二世)に、群島の平和を確立するための助力を請われた。
 我らにしても群島の平和の破壊と、敬慕するセツ殿の憂慮を見るに耐えかね、やむを得ぬ蜂起に応じたものである。
 オベルから悪虐なる王家の血を一掃した暁には、セツ殿を首班とする平和政権を立て、我らは退くであろう。
 そしてこのときこそ、真の群島諸国連合を発足させるときである。
 群島に真の混乱を招いているのは・エン・クルデスであり、我らこそ真に平和を願うものである。
 群島の心ある諸氏よ、いまこそセツ殿の下に集うべし。
 そしてその勇気を結集して、愚者リノ・エン・クルデスを討つのだ。

 ラインバッハ二世の宣告はさらに続く。

 先の海戦において、望まぬ敵対関係におちいってしまったが、本来ラズリル騎士団と我らミドルポート関係者は、同盟関係にある。
 騎士団長カタリナ殿、及び、副団長ケネス殿の勇気と賢明は、我らがもっとも知り、もっとも尊敬するところである。
 彼等がリノ・エン・クルデスの口先に踊らされ、道理の順逆をあやまったことは残念でならない。
 我らは、お互いに前非を悔い、再び同じ理想の下に参集することを切に望んでいる。
 カタリナ殿の賢明なる判断を期待するものである。

 驚くべき論理のアクロバットであるが、このたぐいの宣言は自らの正当性を主張するものとして、過去にいくらでも実例が存在する。
 敵対勢力の分裂を企図する内容も、目新しいものではない。

 この宣告文は、ラインバッハ二世の秘書官をつとめたボアローが発案・起草したもので、宣言当時から内外で様々な物議をかもした。
 オベル国内においては、解放戦争中リノ・エン・クルデスの広報官を務め、戦後下野げやしていたペローによって、リノ・エン・クルデスに味方する立場からの強烈な反論がなされた。
 そのペローの反論に、ボアローが更に反論するという議論が始まり、オベル国内の意見も混乱を極めていたのである。
 ひとつの事実として、先の海戦において、マクスウェルが【罰の紋章】でオベルを攻撃し島に被害が出た際、セツがミドルポート兵を引き連れて島の復旧を指導している姿を、多くの市民が目撃している。
 実際には「引き連れていた」のではなく「監視されていた」のではあるが、その受け止め方は市民によって様々であり、ラインバッハ二世の宣告文をどう受け止めるか、大きな基準のひとつとなっていた。

 そして、この情報と意見の混乱こそ、ラインバッハ二世が望んでいたものだった。
 統治者の立場からすれば、市民の忠誠を一心に集めたほうが得策にも思われる。たしかにそれが理想ではあるが、最善とは限らない場合もあるのである。
 ここに、ある宗教的なまでのカリスマを持つ国王がいたとする。国民は一人残らず、彼のためならば命を捨ててもかまわない、と思うほど国王を熱烈に崇拝している。
 ある時、その国王がひとつの失政を犯した。それは、すべての国民と、彼らの国家の利益を大きく損なうほどの大失政である。
 ここで、その失敗した国王がもっとも恐れるのはなんだろう? まず、それまで自分に向けられていた熱烈な忠誠が、そっくりそのまま反感に変わってしまうことではないか。
 それまで彼を褒め称え、玉座を支えていた国民が、口々に彼を呪う言葉を吐きながら、手に手に斧を持って襲ってくるのを恐れる。
 いかに巨大な権力といえど、民衆の数の前には、最終的には無力である。歴史的に数多の事実が示すように、暴力による弾圧は、ほぼ確実に裏目に出る。
 革命とは、弾圧への反感から生まれてくるエネルギーだ。そして、そのエネルギーが集約されることを恐れるが故に、統治者は国民にある程度の情報を与え、雑多な価値観を植えつけておくのである。この場合、その情報が真実のもか、虚偽のものか、それはどうでもよい。
 ただし、国民に与えられる「情報」は、彼らを統治者の手のひらの上で転がせることができる程度に調整されなければならない……。
 逆に言えば、その「調整手腕」こそ、政治家としての手腕に他ならないのであるが。

 なお、ボアローとペローの議論は、「新旧論争」という題名で後世に残り、この時代を考察する重要な資料のひとつとなっている。

 オベル国内で物議をかもしたラインバッハ二世の宣告文は、国外においても騒ぎを起こしたが、まず最も大きな怒りをあらわした者はリノ・エン・クルデスであったろう。
 彼は、手と視線を震わせながら文章を読み、

「このような詭弁がまかり通るか!」

 と文章を破り捨ててしまった。
 リノ・エン・クルデスの激怒を諌めたのはミレイである。
 この王の下からマクスウェルが去り、アカギとミズキが姿を消し、いまやミレイは、オベル王家を支える唯一の盾となっている。
 プラス3が転じてそのままマイナス3になってしまった現在、ミレイの細い肩にのしかかる責任は一秒ごとにその重さを増していたが、当のミレイは、その重さを実感する暇も与えられなかった。
 ミレイは激怒するリノ・エン・クルデスを、あえて常識論で諌めた。
 この宣告文には、一グラムの事実も誠意もない。セツの裏切りなど、事実であるはずがない。
 逆に見れば、リノ・エン・クルデスのこれまでの姿勢につけいる隙がなかったから、ラインバッハ二世は虚構に頼るしかなかったのだ。
 王がこれまでの姿勢を変える必要はまったくないのだ……。

 リノ・エン・クルデスはその説得を受け入れたが、別の問題があることも理解していた。
 ミレイの言うとおり、この宣告には事実のひとかけらもない。
 だが、極論すれば、読む者にとって、宣告の内容が真実かどうかはさほど問題ではない。
 その内容が「受け容れやすいかどうか」が問題なのである。
 群島諸国連合に反対する勢力や、オベル王家の勢力の伸張を面白くない目で見ている者たちにとって、このラインバッハ二世の主張ほど都合の良い「事実」はないであろう。
 これを機に、彼らが一気に旗色を鮮明にし、リノ・エン・クルデスに敵対する可能性も大きい。リノにしても、自分の手が真っ白だと言い張ることなどできはしない。

 リノは、もう一人の有力者の動向が気になり始めていた。
 ラインバッハ二世から、同盟関係を修復しよう、と持ちかけられているカタリナである。
 カタリナとて人間だ。そして、自分と同じ、責任ある立場にいる。
 彼女がどのような選択をするつもりでいるのか、彼は気が気ではない。
 現在は二人は共闘しているが、もしもカタリナが、リノ・エン・クルデスと握手をしている逆の手で背後からラインバッハ二世と手を組めば、リノ・エン・クルデスはじめ現在のオベル王家には滅亡以外の道は残されていない。
 自らの行動の正当を疑うことはない。だが、他人の行動の正当性までは、リノ・エン・クルデスには責任は負えないのだった。

 翌朝、ラズリル騎士団の会議室で行われた恒例の三者会議には、ラズリル騎士団、オベル王家、そしてオルネラ一派の代表者が顔を連ねた。
 彼らはラインバッハ二世の宣告を笑殺し、共同でラインバッハ二世こそ悪であり、自分たちこそ群島の平和を願う者である、という宣告を出すことを決定した。
 あわせて、この宣告を周辺諸国に徹底して告知することも決められた。
 これは、この場で彼らができる、唯一の決定であったろう。だが、彼らの表情は、その事実ほどに健康的な自信に溢れているわけではなかった。
 むしろ、危機感の方が強く現れていた。

 軍議が散会し、自らの宿舎に帰る途中、オルネラとその弟バスクが深刻な会話を交わしている。

「姉上、私にはラズリルとオベルの関係が微妙にきしんでいるように見受けられるのですが……。
 大丈夫なのでしょうな? 我らとて本来なら、全身全霊をなげうって彼らに加担しなければならない義理はない。
 彼らの不協和音の巻き添えを食らって滅亡するなど、もっとも避けなければならんことですぞ」

 弟の諫言に、オルネラがその切れ長の瞳に微妙な光を点した。

「私たちに義理は無くても、コルセリア様には義理があるのだ。
 主君の意を汲むのは部下としては当然のことだろう。
 将来、コルセリア様にクールーク皇国を再興していただくためには、赤月の脅威を取り除かねばならぬ。
 そのためには、どうしても群島勢力の助力は欠かせないのだ。
 それに……」

 とオルネラは言う。

「それに、ラズリルとオベルの関係が微妙ならば、むしろ我らにとっては好機ではないか?
 その間に入ってうまく関係を調整できれば、三者連合の内における私たちの存在感も増すというものだ。
 漁夫の利、という言葉は好きではないが、それを求めるのも、時には必要だ」

「そんなにうまくいきますかな」

 バスクとしては、姉の言葉が、陰謀家になりきれぬ理想主義者の夢のかけらのようにも思えるのだ。
 そもそも、クールーク皇国が解体した原因のひとつは、皇国の政治権力をにぎっていた二大勢力、皇王派と長老派の主張の融和が図れず、小さな対立の火花が年月をかけて、国の内部を焼きつくす大火に発展したことにある。
 このラズリル内部における雰囲気は、対立というにはまだ微妙で、スケールも小さいかもしれないが、過去に自国の意見調整に失敗し続けた自分達が、場を移して突然仲裁の名人に変身できるか、と問われれば、バスクも素直に首肯はできない。

(漁夫の利を得るにしても、それ相応の努力か対価が必要だろう。
 それに、コルセリア様ご自身が、クールークの再興など望んでおられぬ。それが分からぬ姉上でもあるまいに……)

 そう思ったが、バスクは口には出さなかった。
 彼が口にしたのは、別のことだった。

「もしもトロイ提督がご存命であったなら……。
 この現状も、少しは変わっていたでしょうかな」

 と、ぽつりと言った。言って、後悔した。
 オルネラが歩を止め、低い声を吐き出す。

「……言うな。トロイは死んだ。死んだ人間は生き返らぬ。
 彼は偉大な人間だったが、世界を作るのは、生き残った人間の仕事だ。
 ……死者に与えられる活躍の場は、天国か地獄だけだ」

 呟くように言ってから、頭を一つ振り、オルネラは足早にその場を歩き去った。
 その背中は、バスクのあらゆる言葉を拒絶していた。

8-2

 ラインバッハ二世は、オベル王国の占領後も、市民たちの生活に裏から様々な情報を流しはしたが、表立って介入しようとはしなかった。
 オベルの旧来の国法を無闇に改正しようともしなかったし、前国王に忠義を立て、サボタージュというかたちで抵抗する者に対しては、賞賛の言葉さえ贈った。
 無論、自分たちに行動でもって反抗する者は処罰したが、それ以外の者には手出ししなかった。
 自分の部下達には厳しいルールを課して、市民に対する正当防衛以外の暴力を厳禁した結果、オベル市民よりもラインバッハ二世の部下のほうが、処罰された者の数が多かった、というのは、市民にとっては真剣に笑いきれない笑い話だった。
 オベルの経済にも表立って手を出そうとはせず、統制しようとはしなかった。
 経済とは生き物である。統制経済が国家に対してなんらの益をもたらさないことを、彼は熟知していた。
 無論、彼の影響下にある商人達が、その事実を隠してオベルで勢力を伸ばし始めることに対しても、彼は一言も言及したことはない。

 ラインバッハ二世は、もともとは政治家ではない。ガイエン公国において、経済官僚を務めていた。
 彼の父、同名の一世は、優秀な経済官僚として知られた。破綻寸前だったガイエン公国の経済を、強力な改革によって持ちなおさせた。
 その功績により、ラインバッハ家はミドルポートの領主としての地位を与えられたのである。
 父が早くに引退し、領主としてミドルポートに移ってからも、息子の二世はガイエン本土に残り、経済官僚として俊英を謳われた。

 ラインバッハ一世がガイエンの経済界を去った後、二世は父から財政の取り舵を任された。
 能力的には、二世は職務に不足するところはないと思われていたが、なにぶんにも若すぎた。子供に対する父親の期待が大きすぎたこともあったろうが、二世ではまだまだ一国の財政を引っ張っていける貫禄は出せなかった。
 ガイエン経済界には、ぽつぽつと、見たことのある顔が戻り始めていた。かつてラインバッハ一世によって立場を追われた、旧職の汚職官僚たちである。
 ガイエン公国の財政を食い荒らした張本人たちが、かつての敵対者の後継者が若いのをいいことに、かつての栄華を再現しようと、ここぞとばかりに行動を開始し始めたのだ。
 ガイエン公国の経済白書に虫食いの穴が開き始めるまでに、半年もかからなかったであろう。官僚たちは様々な口実を設けては、国民の血税を不正に分配し、巨大な自らのポケットに投げ込んだ。
 ラインバッハ二世は人道の具現者ではなかったけれども、少なくとも、職務に対しては誠実だった。
 二世は官僚たちの不誠実を憎み、非難し、不正を糾弾した。しかし、それらはことごとく握りつぶされた。父親の豪腕を再現するには、彼の腕はまだ細すぎた。
 結局、二世はガイエンに絶望し、自らの職務のみを忠実にこなしながら、中央から離れる機会を探っていた。
 彼がミドルポートに来たのは、父が急死し、領主としてあとを継いだ二十七歳のときである。ここで初めて、彼の手腕は正当な結果を導いた。

 父がミドルポートにきたとき、この島は現在の姿からは想像もできぬような惨状にあった。もとは漁村であったが、先の島長の政策の誤りもあってか、次々と人は去り、島の殆どの施設はその残骸しか残っていない有様だった。
 ラインバッハ一世はこの寂れた漁村を、ガイエン初の「経済特区」として再生・開発する手法をとった。
 まず彼は、この島で新たに産業を起こす者に対して、破格の好条件を与えて商売をすることを許した。また、新たに商売を学びたいという者たちに対しては、経済の専門家として教鞭を執り、専門の教育を与えて社会に送り出した。
 ガイエンの人々は、不景気と汚職の蔓延する首都オリゾンテを捨て、突如として台頭し始めたこの小さな島の町に、希望と野心とを集めだし、その経済規模は急速な勢いで拡大した。こうしてラインバッハ一世は、ミドルポートを「人材と産業の発信地」として劇的に生まれ変わらせることに成功した。
 そして、その偉業をさらに発展させたのが、ラインバッハ二世である。彼は、独創的な想像力こそ父には劣っていたが、こと調整能力に関しては父を凌駕した。父が創業の偉人とすれば、彼は守勢の偉人であるといえるかもしれない。
 ギャンブル的な投機は極力控え、確実に結果の出る産業を慎重に選んでは巨額の投資を行い、しかもそれはことごとく成功した。ミドルポートに新たに進出する商人と、地元の商人との利害関係を巧みに調整し、ミドルポートの規模を拡大し続けた。
 彼はその手腕に相応しい莫大な税収を得て、地方の一領主でありながら、個人的資産はガイエン大公家に並ぶとさえ言われた。
 一世と二世、二人の「ラインバッハ」の辣腕によって、寂れた一漁島にすぎなかったミドルポートの歴史は、「発展」というよりも「跳躍」と呼べるほど変化したのである。

 二世の後継者と目されていた同名の三世は、人格的には大変な人気があったが、父や祖父のような実務経験に乏しく、能力的には後継者の器を疑問視されている。
 二世は、長男に様々な経験を積ませようと試みた時期もあったが、三世は宮廷で奔放に育った母親の遺伝が強く出たのか、傷つきやすい詩人的な感性が強すぎ、経済の世界で生き抜くには精神的な強靭さが足りなかった。
 一世も二世も、若いときから実戦で鍛えられて経済感覚を磨いてきたが、二世が若くして一国の経済界に絶望し、少年期から青年期にいたる時期の三世を、荒々しい経済の世界から遠ざけたことが裏目に出てしまったわけである。

 ラインバッハ二世に試練が訪れたのは、十年ほど前だ。
 当時、群島地方に対して侵攻の気配を見せていたクールーク皇国が、ガイエン公国との大きな争いに勝利し、ミドルポートを独立都市とするよう、強烈な内政干渉を仕掛けてきた。
 自分で自分のはらわたを食いちぎってしまった当時のガイエンには、再度の戦争によってこれをはねつけるだけの余力はなく、内政干渉を引き上げる条件として、ミドルポート島のガイエンからの独立を認めさせられたのである。
 クールークとしては、ガイエンでも飛び切り豊かなこの街をガイエンから引き離すことで、その国力を奪うこともできるし、独立の恩を売っておいて、この街を橋頭堡として群島攻略の足がかりにすることもできる。
 クールークにとっては一石で二鳥も三鳥も落すことができる絶妙な策にも思えたが、恩を売られた側のラインバッハ二世は、極めて冷静だった。
 彼は、ガイエンともクールークとも、等距離を保つ道を選んだ。
 巧みな外交手腕によって、クールークからの政治的な圧力を弱めることに成功すると、得意の経済感覚を発揮し、クールークとガイエンの中間という地の利も生かして、貿易によって更なる富を築いた。父が「人材と産業の発信地」に変えたミドルポートを、さらに「群島全体における資金と人材の中継地」にまで成長させたのだ。
 結局、得をしたのはラインバッハ二世一人きりで、クールークもガイエンも馬鹿をみるハメになってしまったのである。
 クールークが群島制圧に本気で乗り出すのは、南の軍事拠点であるエルイール要塞に巨大な紋章砲が完成する、八年も後のことであった。

 ラインバッハ二世は、そのような人物である。では、どういうかたちであれ、その同盟者ということになっている、グレアム・クレイとは何者であろう。

COMMENT

(初:11.02.10/前半部分)

(初:10.01.05/後半部分)
(改:10.01.10/後半部分)
(改:10.01.20/後半部分)
(改:11.02.12/後半部分)
(改:11.10.17)