彼らの新たな決意を照らし出すかのように、その晩、無人島を覆った夜の闇は、煌々たる満月の月光によって大部分が振り払われている。
夜警のために兵士が巡回をしているほかは、周囲は静かなものだ。
二ヵ月半前、ナ・ナルの無粋な刺客によって大半が焼き払われてしまった島の自然は、逞しいほどの治癒力を発揮して、以前ほどではないけれども力強い姿を見せ始めている。
これから二ヶ月ほどして、本格的な夏が到来するまでには、以前の鬱蒼たる緑の輝きを取り戻すだろう。
この満月の下、木々の間を歩いている少女がいる。
春から夏のちょうど間の季節ではあるが、まだこの真夜中の時間は、この少女のような薄着では肌寒かろうが、本人に寒さを意識している様子はない。
寒さだけではなく、他の何もまったく気にしていない様子で、ただ何かを探して、黙々と歩いている。
少女が奇妙なのは、その薄着だけではない。
まるで今から戦場に突入するかのように、無表情に抜き身の剣を抱えている。
少女の体格からすれば、やや大きめに見える剣だが、見た目以上の腕力があるのか、少女はそれを軽々と持ち歩いていた。
奇妙な剣だった。
一見しただけでは、普通の剣に見える。
この明るい月夜にあっては、その柄の白さが浮き上がって見えるが、剣身にかわったところは見られない。
この剣が変わっているのは、その柄だ。
怒りの化身のように激しい表情をあらわにした、老人の顔のかたちをした黄金のレリーフが施されている。
空の満月と同じ色を跳ね返すそのレリーフは、白昼で見る以上の怒りを、周囲に投げかけていた。
その無機質な素材に、まるで生命力を感じさせてしまうほどに。
「……………………」
道が悪路になっても、少女は一向に気にした風も無く、ひたすら無言で突き進む。
手に持った剣で草を刈ればもっと進みやすかろうに、それすらわずらわしいように、ただ黙々と歩いた。
「……………………」
少女は、なにかを探しているようだった。
それ以外のものは、まったく目に入っていないようだった。
兵士達の集落がある拓けた土地を離れ、森の中を海岸沿いにどんどん歩いていく。
「……………………」
ついに少女が立ち止まった。
その目前に、なにかがいた。
椰子の木の根元、三メートル四方ほど、柔らかな草の絨毯が広がっている。
そこに、なにかがいた。
背後は海である。切り立ったがけの下から、激しい波が岩に打ち付ける容赦のない音が空気を揺らしていた。
そこに、
明るすぎる月光の元、それはいた。
「……………………」
人間である。
中背をやや苦しげに丸め、時おり身体を揺らしながら、こちらも無言のまま、少女に身体の正面を向けた。
少女は、目的のものを発見した。
その
チョコレート色の髪は乱れ、額は大量の汗にぬれ、蒼い瞳には正気の影が残っていない。
そして、その左腕。
黒のグローブに包まれたその左腕が、不気味な音を発しながら、揺らめくような紅い光を発していたのだ。
その少年は、苦しそうに少女を睨みつける。
その行動が、少年の自律的な行動かどうかも、定かではない。
少女もまた、人間味の感じられぬ無表情で、それを受け止めた。
少女が、行動に出た。
手に持った剣を軽々と構えたのだ。
次のタイミングで、瞬時に少年に斬りかかれる構え。
剣を扱うことに慣れた者の構えだった。
声が響いた。
「ようやく……。ようやく、このときが来たか。
探したぞ、貴様を……気の遠くなるほど長い時間をかけてな……」
それは、老人男性の声だった。
この場に存在するのは、少年と少女の二名のみ。
およそ、この場に響くはずの無い声が、響いていた。
しかも、少年も少女も口を動かしていない。
明らかに、この場に存在するはずの無い第三者の声である。
その声は、言葉を続ける。
「だが、いざ探し出してみれば、その体たらく……。
今にも朽ち果ててしまいそうではないか……。
自らの罪に無関係の、その少年を巻き添えて滅び去るつもりか! 【罰】よ!」
次の瞬間、少女が持っていた剣を構え直した。
剣先を天上に向け、老人の顔のレリーフを、左腕を紅く輝かせる少年に向けた。
黄金の色をしたそのレリーフが、ゆらりと光を放っていた。
少年の紅の光と対になるかのごとき黄金色の光が、その顔から放たれていた。
声を発していたのは、この剣だったのである。
少年は、苦しげに身体を揺らせながら、顔を右手で覆った。
その震えが大きくなると、その様子からは想像しにくい声が、その身体からもれ出た。
《ク……ク……ククク……》
少年は、
顔を覆う掌の下で、口元が邪悪なカーブを描いて、上に曲がった。
少年の声も、奇妙な響きを発していた。
それは、少年一人の声ではなかった。
大勢の男女の声が複雑に重なりあう声だった。
それはまるで、彼が、その狂猛な力でオベルを消し去ろうとしたときのような声だった。
少年はその顔一杯に壊れた笑みを貼り付けて、この招かざる客を迎えた。
《だ……誰かと思えば、よ「夜」……では……ないか。
ご、ご苦労なことだ。未だ……に、か、
その果て無き妄執……ま、まるで「人間」だな》
「この、たわけが!」
剣が一喝した。レリーフから放たれる黄金の光は、徐々にその光度を増している。
「貴様の浅はかな悪知恵と興味が!
この【夜】と【太陽】の絆を切り裂かせた貴様
私のことを妄執と評するなら、世の【罪】に呑まれた今の貴様の存在を、どう語るというのだ!」
剣の怒りは、少年の不躾な笑い声によってかき消された。
少年はひとしきり笑うと、再び壊れた笑顔で少女ではなく、剣を睨みつける。
《お、おおいに結構……。剣と盾の相打ちより、と、時は流れ、すぎ、「やみ」の「なみだ」も乾いてしまった……。
今はもう、神代では、ない。我等はすでに、ただ巨大な、だけの、「世界」の「部品」にすぎぬ。
世界を動かしているのは、「人間」だ……。
我はただ、彼等を許し、「根源」に償うのみ……》
ゆらり、と少年の身体が揺れた。
その両の腰から、二本の剣を引き抜いた。
《「夜」よ……貴様とて、人間の手を借りなければ、身動きひとつ取れぬではない、か……。
その身を人間に委ねた貴様と、人の罪に呑まれて穢れた私と、果たして、どちらが愚かなのかな……》
「貴様の罪と私の選択を、同列に語るな!」
少女の持つ剣が、一瞬、強烈な黄金の光を放った。
少女が剣を振り上げる。それに呼応するように、少年も二刀流を構えた。
少女は相変わらずの無表情、少年は不適な笑みを浮かべている。
少女が動いた。
巨大な剣を抱えているとは思えぬほどの脚力で、一気に間合いを詰める。
そして闇と月光を同時に切り裂き、少年に剣先を叩き落す。
少年は二刀を交差させ、頭上でそれを受けとめた。
受け止めた瞬間、強烈な力が波となって、放射状に空気を伝播し、刃のように一定の高さにある木々を先をなぎ倒した。
少女の攻勢は続く。巨大な剣を乱暴に振り回し、一撃で勝負を決せんと、少年に力を叩きつける。
だが、少年も心得たもので、信じられぬ体捌きでその剣の姿をした暴力をかわし、懐に入り込んではカウンターを狙った。
《「夜」……よ、ここは、身を引け。
私を無に帰し、世を穿ち、貴様もその少女とともに自壊するつもりか》
少年と少女の激しい戦いとは、まるで別の次元で話しているように、「罰」と「夜」の意志はぶつかりあう。
「貴様こそ、大人しく眠っておればよかったのだ。
眠っておれば、ことを荒げずに済んだものを、なにゆえに目覚めた!?
破壊はせぬ。せめてもう一度、永遠の眠りにつくがよい。
貴様が自身の罪に溺死する寸前まで、おいつめてやるぞ」
次の瞬間、少年の口から、普段の彼からは信じられぬ奇声が発せられた。
音程の壊れた笑い声が、周囲の空気を汚染した。
《愚問、愚問! 愚問!!》
突如、少年の身体から発せられる邪気と、左腕から出ている光が強さを増した。
少女が警戒して、間合いを開けるが、それにかまわず少年は猛った。
《貴様らしからぬ愚問だ。
姉上がお目覚めになりつつある。私は目覚めなければならなかった。
貴様とて気付いているはずだ、「夜」よ。
「円」も「変化」も、私の動きを認めつつあるのは、いかなる理由か!?》
少女の豪剣を交わし、少年は少女の背後に回り込もうとする。
だが少女の剣が信じられぬ孤を描いて、少年の目前に振り下ろされ、彼の動きを縛った。
剛剣と二刀、スタイルは違えど腕はほぼ互角。
千日手。結局は、隙を見せたほうが敗北する。
「だから、貴様は愚かというのだ。まだ【アレ】を【姉】などと呼ぶか!
【アレ】がいかなるものか、その本質を知らぬ貴様ではあるまい!」
《本質を知っておればこそ、我が「罪」を清めていただかなければならぬのだ。
人間世界を大上段から「太陽」の影に隠すことしか知らぬ貴様には分かるまい!
私は永遠の許しと償いを繰り返し、人の罪に染まりきってしまったが、それゆえに世界の本質……「剣」と「盾」の真意を見た。
それを姉上に、教えて差し上げたいのだ》
「罰」の不自然な語り口が、徐々に流暢になりつつある。
それだけ、「罰」の少年への「浸食」が深くなっているのだ。
少年の二刀が少女の首を刺し貫かんと突き出されたが、少女はそれを剣ではじき返す。
逆に至近にいる少年を真っ二つにせんと、水平に大振りに剣を振るうが、少年はしゃがみこんでこれをかわす。
少年の頭髪が数本、焦げ臭い臭いを発した。
「私の行動を妄執などと、よくも言えたものだな。貴様の【アレ】に対するこだわりこそ、妄執以外の何者でもないではないか!
答えろ!! 貴様は【アレ】に、【
「夜」の声が周囲に響く。
だが、その恫喝に対し、「罰」は意外な反応を返した。
いや、「夜」以外の全員が、彼の思惑を外れる行動をとった。
「夜」の剣を持っていた少女も、「罰」の少年も、ふと立ち止まったのだ。
「夜」と「罰」の意識が、はじめてお互い以外のものに向いた。
「歌」が聞こえている。
誰が歌っているのかは分からないが、女性の声だ。
透き通るような、高い声。
どこの言葉かわからないが、悲しみを溶かした旋律が、二人の耳を震わせる。
本当に悲しいのは、歌の主題にされている者か、それとも歌っている者か。
「この歌は……」
「夜」が呟く。
そのとき、「夜」の剣を持つ少女が、その剣先をだらりと地面に下げた。
完全な無表情を貫いていたその顔に、本来の人間味が戻っている。
「なーんか最近、朝起きたら不自然に疲れてることがあると思ったら、こういうことだったのか……」
緊張感に欠ける声で、その少女―ミツバは言った。
そして、剣の柄のレリーフを睨みつける。
「あのさぁ、人の身体を勝手に使って、無茶なことやんないでくれるかな」
「貴様、いつから覚醒していた!?
私は貴様の制御を失ってはいないはずだ」
「あの【歌】だよ」
ミツバは周囲を見渡した。
まだ歌は聞こえているが、どこから聞こえているのか、誰が歌っているのか、それは分からない。
「あの歌が聞こえてから、目が醒めた。
もっとも、あんたたちの声もぜーんぶ聞こえてたけどね。
あれだけ頭の中で騒いでくれたら、いつかは目が覚めただろうけど」
ミツバは剣を乱暴に地面に突き刺すと、逆さまになったレリーフ―「夜の紋章」を、じろっと見つめた。
「あんたさ、真の紋章がどれだけ偉いのか知らないけど、人間様を舐めたら二束三文で売っちゃうよ?
買い取り手は幾らでもいそうだし」
「なんとバチ当たりなことを……」
二人の深刻だが緊張感に欠けるやり取りを見ながら、少年―「罰」が、再び狂笑を上げた。
《とりあえず、今宵はゲーム・オーバーと言ったところか。
堕ちたな、「夜」よ……妄執の果てに醜態をさらす気分は、いかなるものや》
ミツバは不機嫌そうに「罰」に向き直ると、不機嫌そうに声を上げた。
「ほらそこ、他人事のように言わないの。
あんただって同類でしょうが。より悪質だし」
ミツバは再び剣を抜き、構えて「夜」に話しかける。
「ねえ、あの「歌」を聴いて私は目覚めたのに、なんでマクスウェル様は目覚めないの?」
「目覚めかけてはおるよ。
だが、彼の魂には、【罰】の「存在理由」が複雑に絡みついている。
彼はマクスウェルであるが、いまや同時に【罰の紋章】そのものでもある。
いまは【罰】の意識が強すぎて、マクスウェルが覚醒しきれないのだ」
「【罰の紋章】そのもの……って、けっこうヤバくない?
じゃあ、マクスウェル様はどうなっちゃうの?」
「いずれは、彼と【罰】の意識は完全に融合するだろう。
彼自身が新たな【罰の紋章】として、これまでの【罰】の所業を引き継ぐのだ」
心中の不快さを隠そうともせず、「夜」は切り捨てる。
「そっかー、色々聞いてるけど、本当にツイてない人だなー。
難しいことはわかんないんだけど、要するにいまマクスウェル様を目覚めさせるにはどうすればいいの?」
「……………………」
「夜」は一瞬の空隙を空けて、シンプルに言った。
「【罰】を黙らせろ」
わが意を得たとばかりに、ミツバは大げさに剣を構え直す。
「よっしゃ、お仕置きターイム!
【罰の紋章】に恨みはないけど、あんなひきつった笑いを連発されたら、英雄の威厳も何もないでしょ。
すぐにお目覚めさせてあげるからね、マクスウェル様」
《……………………》
目前の状況が予想外の展開になっているのが、彼なりに不愉快であるのか、【罰】は口元をゆがめる。
が、言葉は出さない。
一言も発せずに、二刀を構え直す。
ミツバは以前、マクスウェルと対決したことがあるが、そのときの彼とは構えが違う。
マクスウェルは身体を相手の正面に向け、両の剣先を顔の前に持ってくる。
常に攻撃にも防御にも最速で対応できる、無駄の無い構えをする。
だが、今の彼の構えは違う。
(え?)
と、それを見たミツバが驚いた構えだ。
やや腰を落とし、肩口を敵に見せる極端な半身から、左剣をぐっと前方に突き出し、右剣先を後背に向ける。
(これ、ガイエン騎士団の構えだ)
右と左が逆で、片手剣と二刀の違いこそあるが、構えそのものは間違いなく、以前、ガイエン海上騎士団で標準的に教えられていた剣の型であった。
当然、ガイエンの海兵学校で剣を学んだマクスウェルも、いやになるほど身体に叩き込んだであろう。
「そっか、そういうのに頼りたくなるほど、君も無意識にあがいてるんだね」
ちょっと見直したように呟くと、ミツバは大きく剣先をスウィングして「罰」に襲い掛かる。
「夜」に身体を操られていた先ほどまでよりも、さらに大雑把な動きだ。
乱雑極まりない動きだが、「罰」は奇妙にやりにくそうに、その剣をかわし、いなす。
「罰」は様子を見ているようで、反撃に移る様子は無い。
動きは乱雑だが、ミツバの剣は速い。剣の動き、身体の捌き、なによりも精神の切り替えが、凄まじく速い。
大振りの一撃をかわされた次の瞬間には、もう次の一撃の準備が完璧に整っている。
かわされるのが前提、一撃でも当たればそれでOKという、シンプル極まりない戦いかただ。
たった一撃でも、ミツバのパワーを持ってすれば、充分にそれで勝負がつく。
ミツバはこのスタイルに馴染みきっているから、迷いもなにもない。
相手の都合などお構い無しに、ひたすら自分の好き勝手に剣を振り回す。
この傍若無人さが、マクスウェルをしてミツバを恐れさせた理由だった。
ミツバの剣には、闘争心も、殺意も、憎悪も無い。
そもそもミツバの剣は、誰に習ったものでもない。
ただひたすら本能で戦う。楽しいから戦う。
それも、恐ろしく純度の高い剣才を内包した本能だ。
異常に敏感な「嗅覚」が、次に打ち込むべき場所、次に守るべき場所を、相手よりも早く察知し、単純にそこに剣を持っていく。
相手がミツバの動きを読める要素が、ほとんど存在しない。
マクスウェルの剣も、相手によっては充分にデタラメな剣術だが、ミツバの剣はデタラメの度合いが違っていた。
「どうりゃあー!」
どこか楽しそうに叫びながら、ミツバの猛攻は続く。
「罰」は無言のまま、それをかわし続けている。
ミツバも気付いているが、先ほどよりも「罰」の動きがなんとなくギクシャクしていた。
時折、微妙に動きにくそうな仕草を見せている。
(やっぱり、あの「歌」が効いてるんだ)
ミツバを正気に立ち返らせた「歌」は、まだ周囲に悲しげな旋律を投げかけている。
その旋律が、マクスウェルの覚醒を促し、「罰」の支配を弱めている。
何らかの形で決着をつけるなら、あの「歌」が終わる前につけなければならないかもしれない。
ミツバは剣を大振りしながら、叫ぶ。
「こぉら、いつまで寝てるの、マクスウェル様!
あんた、ぐーたら寝てる暇なんてないはずでしょ!」
叫びながら、一歩、また一歩と踏み込む。
「罰」は無言のまま、引きつった顔をしている。
あやうくミツバの剣をしのいでいるが、一度マクスウェルと戦ったことのあるミツバは、彼の「捌き」がこんな不器用なものではなかったことを、よく覚えていた。
ミツバは、戦闘中の空気を読む能力は怪物並みだ。
相手が心の中でたじろいでいるのを敏感に察知して、攻めの間隔を徐々に詰めていた。
「いちいち深刻に考えるあんたのことだから、なにもかも抱え込んでウジウジしてるのかもしれないけどさ。
結果で出るときゃいやでも出るんだから、いちいち気にしてても仕方ないでしょうが」
《……………………》
ミツバが圧していることは間違いないが、マクスウェルだけでなく、ミツバの動きも目に見えて衰えてきている。
「夜」に操られていた時間を含めると、ミツバは二十分近く全力で動き続けているのだ。
さすがのミツバでも、身体がオーバーヒートしてくるのはどうしようもない。
ミツバはいったん間合いを開けると、真剣な視線で「罰」を貫いた。
「タルさんから聞いたよ。ジュエルちゃんを助けるんでしょ?
だったら、【
無茶といえば無茶な言い草であったが、ミツバとしてはほぼ百パーセント本音であった。
ミツバは、真の紋章がどれほどのものかなど、眼中に無い。
ただ、マクスウェルがもどかしい。
大きな目的を持ちながら、こんなものに悩まされているマクスウェルがもどかしい。
その剣と同じく、ミツバの生き方はシンプルだ。
結果など考えても仕方が無い。まず動けるだけ動いて、悪い結果が出るなら仕方が無い、とわりきっている。
それだけに、自分を打ち負かした「強いヤツ」が、こんなものに悩まされている現状がもどかしかった。
ミツバは剣を水平に構える。
「もっと……」
そして、一気に間合いを詰める。
「人生を……」
叫びながら、水平に構えた剣を天に振り上げ、
「楽しめー!」
マクスウェルの頭上から、その剣を一気に振り下ろす。
いくら「罰」にのっとられていても、マクスウェルがこんな大げさな一撃に倒されるはずが無い。
確信に近いその思いが、ミツバに容赦させなかった。
いくら満身創痍でも、目の前の相手は一度、自分に勝っている。
ミツバは、群島解放戦争の最初から最後までマクスウェルとともに戦った、数少ない人間の一人だ。
彼の気性も能力も、よく理解しているつもりでいる。
だから、自分の剣を「罰」が二刀を交差させて受け止めても、不思議には思わなかった。
ただ、受け止めた瞬間に飛び散った「剣気」が、一瞬前のものとは違う種類になったことに、不思議さを覚えた。
彼は間合いを離すと、大きく肩で息をしながら、ミツバに顔を向けた。
彼は、口を開いた。
「もっと人生を楽しめ、か。
知らないと思って無茶を言ってくれるな、ミツバ」
言って、彼は苦笑した。
その表情に、先ほどまでの剣呑さも、ひきつった笑顔も無い。
疲労の色は濃いが、普通の人間味に溢れていた。
マクスウェルが、目覚めていた。
ミツバは満面の笑顔で頷く。
「罰の紋章は?」
「「彼」に俺を「殺す」つもりは無いよ。
俺との同化を望んではいても、俺の意志を尊重してくれているようだ」
「そっか」
もう一つ大きくうなずくと、ミツバは再び剣を構えた。
「お互いに疲れてるけど、もうちょっと動けるよね?」
「ああ、本当にもうちょっと、だけどね」
「じゃあ、もうちょっと楽しもうか?」
「そうだな」
疲労から少し前のめりになりながらも、マクスウェルも二本の剣を構える。
先ほどまでの、ガイエン騎士団の型ではない。
彼本来の構えだ。
「どうしてかな、ミツバ。
前に戦ったときは、もう二度と君とはやりたくないって思ったんだけど、今日は違う。
なんにも考えずに全力を出し合えるのが、凄く楽しい」
「そこで考えるからダメなんだよ、君は。
楽しいなら、何も考えずに、いまを楽しめばいいじゃん!」
「なるほど、もっともだ!」
マクスウェルは、【オベリア・インティファーダ】を名乗ってから初めてとも言える笑顔を、無邪気な剣客に向けたのだった。
二十分後、二人の戦いの現場に、一人の女性が足を踏み入れた。
銀色の長い髪を背中まで伸ばし、裸に近い服装で周囲を見渡している。
ジーンであった。
彼女の足元には、精も根も使い果たしたマクスウェルとミツバが、倒れこんで眠っている。
だがその表情は、二人とも満ち足りたものだった。
ジーンは呆れたように首を振ると、二人の剣客に毛布をかけてやる。
そして、声をかけた。
「これは、あなたの望んだ結果なのかしら? 「夜」よ」
ミツバの側に乱暴に転がされていた剣の柄が、黄金の光をわずかに発した。
「馬鹿者が。私が意図したなら、このような無様な姿をさらすものか」
ジーンはその剣の脇に中腰になった。
だが、抱き起こしたりはしない。「夜」がため息をつく。
「毎度のことながら、西へ東へ、おぬしもご苦労なことだな、【調停者】よ」
ジーンが、難しい表情で剣を見る。
「誰のせいだと思っているの。あなたたちがのん気に構えているから、私やレックナートが苦労するのでしょう。
あなたも、少しはゼラセのことを考えてあげなさい」
「【
支配の輪を外れた眷属のことまで気にかけるほど、私は人情家ではないのでな」
「……それで、目的の【罰】に久しぶりに会った感想はどう?」
「…………………………」
「夜」はしばらく沈黙した跡、低いトーンで言った。
「いまも昔も変わらぬよ。こやつが何を考えておるのかなど、私には分からぬ。だが……」
ふたたび一瞬の沈黙が開く。ジーンも口をあけようとしない。
「人間というものは、八つの「識」から組み立てられていることは知っておるな、調停者」
「夜」が話題を変えた。
「唯識……ね」
ジーンが答える。
「そうだ。万物全てまず心ありて、心をよりどころとし、心により成る。
「
「【罰】と【八房】は、良くも悪くも、双方の「識」に強く干渉しあっている。それは、私と【太陽】との、表裏一体の関係とは似て非なるものだ」
「その「罰」と「八房」の中心にあるのが、【
風が、吹いている。ジーンが夜空を見上げた。【夜】が、言った。
「【罰】は大仰にも言いおった。「「剣」と「盾」の真意を見た」などと……。
【罰】と【八房】……人間の「阿頼耶」と「末那」とを見続けてきたこやつ等が、果たして何を見、何処へ行こうとしているのか……。
こやつ等がなぜ、私に【太陽】との絆を断ち切らせたのか、私は見届けねばなるまい」
「【太陽】が待たせてくれるかしら。相当にご機嫌斜めのようだけど」
「待たせておくさ。いや、待たざるを得まいよ。
既に【罰】の暴走という範疇で終わる話ではなくなっている。
それに、マクスウェルという男が、予想以上に【罰】に対して支配力を持ち始めている。
彼が今後どういう道を選ぶのかによっても、話の終着点が変わってくるはずだ」
「彼と【罰】は、もう引き剥がすことができないのかしら」
「お互いが望むまい。理由は両者で違うだろうがな。
ミツバにも言ったが、マクスウェルはもう【罰】とほとんど一体化している。
【罰】と彼を引き剥がすこと、それはもう、【真の紋章】をひとつ破壊することと同じ意味だ」
「そう……」
どこか悲しそうにジーンは呟き、「夜」は喋るのをやめた。
海からの風が、草木を揺らしている。
マクスウェルの誓いの戦いはすでに、様々な意味や現象を巻き込みながら、別のものへと変貌を遂げようとしていた……。
(初:10.07.02)
(改:10.07.16)