【オベリア・インティファーダ】がその名称を得てから最初の行動は、無人島に猫型の住居を建設してくれたネコボルトたちを、ネイ島まで送り届けることであった。
ネコボルトたちのリーダー格はナルクルという青年で、彼も二年前の群島解放戦争でマクスウェルに味方したくちである。
「クールークを倒して故郷に錦をかざる」という、ある意味では利己的な理由での参加であったが、彼らネコボルトの放つ特殊な【回復攻撃】は、思いのほかマクスウェルたちを助けてくれた。
「本当は、残って戦って、また一旗上げたかったんだけどな」
と、ナルクルは残念そうに言った。
二年前のナルクルは、弟分のチャンポと共に風来坊を気取っていたが、現在の彼は、チープーを目指す立派な商人である。
ファレナ地方との取引の約束もあり、マクスウェルたちと共に行動できる時間は限られていたのだった。
彼らをネイ島まで送る役を、マクスウェルはタルとビッキーに依頼した。
現在、ビッキーのテレポートで移動できるのは、ナ・ナルとラズリルのみだが、ビッキー自身がネイまで行けば、そこにも移動が可能となる。
事態が切迫しており悠長に本拠地を空けることができないため、イルヤへの渡航は今回は見送られたが、ネイ島のチープー商会と直に連絡が取れるようになることは、彼らにとって一つのプラス要素であるだろう。
無論、タルを含め、そのビッキーに屈強な護衛を数人つけることも忘れてはいない。
タルとビッキー、ネコボルトたちを送り出したマクスウェルは、猫型の愛らしい自分の住居にアグネスとヘルムートを招いて、陽気ではないが重要な会話を交わしている。
「ミズキさんの報告によれば、オルネラ将軍らは無事にラズリルに着いたようだ。
ごく近いうちに、共同で海上演習を行うらしい」
すでに海上での演習を充分に行っているマクスウェルらに比べて、行動が何日か遅れているが、マクスウェルらに比べて連合艦隊は大所帯である。
【オベリア・インティファーダ】とは事情が異なるだろう。
ヘルムートがテーブルの上で軽く指をタップさせた。
「オルネラ将軍か。
私は辺境の艦隊司令官に過ぎなかったから、中央の権力者である将軍とはじかに話したことはないが、有能な人と聞いている。
だが、なにかにつけ正論に固執する癖があったようだな。もっとも、それは当時の皇王派全員にいえる欠点ではあったが」
一説には、オルネラに視野を広げるように、と忠告したのはマルティン皇太子とされているが、そのマルティン自身の視野狭窄が、自身と国家との寿命を縮めてしまったことは皮肉といえるのだろうか。
そして、その評価が誰かに似ている気がして、マクスウェルはこめかみを少しもんだ。
カタリナだ。
今でこそ、カタリナは一国を代表して騎士団を指揮するに足る度量を身につけているが、グレン団長の存命中は、周囲から気ぜわしく視野が狭い人物と思われていた。
その視野の狭さが結果的に、マクスウェルをして、故郷であるはずのラズリル海上騎士団に対して複雑な感情を植えつける原因となった。
無論、「昔の話」である。
今はカタリナもマクスウェルも、一つの勢力を代表する身となった。
いつまでも同じことをくどくどと言っていては、進む話も進まない。
いまマクスウェルがカタリナに感じている複雑な思いは、別のことであった。
「そのオルネラさんに、なにか思うところでも?」
アグネスに問われて、
「危うい」
と、マクスウェルは言った。
「カタリナさんとリノ陛下、そしてオルネラ将軍。この三者の結びつきは、危うい。
俺とヘルムートさんは友人だし、お互いに現実的な「利」を分け合うことで協力できている。
だが、カタリナさんたち三者を結ぶものは、いまのところ、政治的な思惑でしかない。
しかも、オルネラ将軍の側にどのようなメリットがあるのか、いまいち分からない。
果たして、どこまでこの協力関係が維持できるか……」
マクスウェルは、リノ・エン・クルデスの元で活動した経験と、シャルルマーニュから経済を学んだことで、「利害関係」というものがもたらす影響について、少しずつ考えるようになっていた。
「オルネラ将軍も軍政官として、グラスカやハルナで鍛えられた人だ。
情誼的な動機のみでのこのこ出てくるほど、お人よしではなかろうが……」
ヘルムートの指が、テーブルを叩く速度を上げる。
口で言っているほど、ヘルムートもオルネラに全幅の信頼を寄せているわけではない。
確かに、軍政官としての能力に問題はないだろう。
先のクールークの崩壊事件における実績をみれば、実戦指揮における手腕も充分信頼できる。
だが、クールーク国内での戦いと、この群島における戦いでは、明らかに違う点がある。
この群島での戦いとは、つまり海上での戦いである。
これまで内陸部で活躍してきたオルネラやバスクに、海上戦闘や艦隊戦の経験があるとは考えにくい。すべてが初体験にちかいのではないか。
これが、オルネラがカタリナやリノ・エン・クルデスと共闘する上で大きな懸念になるのではないか。
ヘルムートはそう思っている。
「最後までリノ国王とそのオルネラ将軍をひきつけておくことができれば、カタリナ団長の実力は本物だ。
戦争を勝利することができれば、ラズリルは群島の覇者として、確実にオベル王国にとって変わることができるだろう」
「でも、もし上手くいかなかったら……」
小さなテーブルの上で、オベリア・インティファーダの最高幹部が顔を突き合わせて表情を暗くした。
アグネスの心配。もし、ラズリル、オベル、そしてオルネラ一派の協力関係が、なんらかの原因で崩れ去ってしまったら。
そのときは、戦争の勝利どころではない。オベル王国に続いて、ラズリルも存亡の危機に陥ってしまうだろう。
しかも、オベル王国のときよりも数段、状況が悪くなる。
外部から突き崩されるのであれば、そちらにむけて内部は一致団結できるが、内部の不協和音によって瓦解してしまった場合、修復するのはほぼ不可能に近い。
マクスウェルにとっては、ラズリルもオベルも「故郷」であった。
知らぬ顔を決め込むことができるはずもなく、大きくため息をつく。
「アグネス、これはエレノアの発案だそうだが、カタリナさんたちのフォローについて、ターニャはエレノアから何か言われているのかな。
策をバラ撒いて自分は高みの見物、というのであれば、俺はエレノアを見損なうぞ」
マクスウェルにしては、厳しい言葉である。
自分は自分の責任において独立を決意したが、それを焚きつけたアグネスやエレノアに対しても、彼は責任をまったく負わせまいとは思っていなかった。
更に、足場がために時間がかかるのは仕方がないにしても、多少強引にでもラインバッハ二世と決着をつけてジュエルたちをはやく救出したい焦りと、いっこうに全貌が見えてこないエレノアの構想に対しての不信感が、わずかながら影響もしていたであろう。
自分の師匠に対して予想外の酷評を寄せられて頭にきたのか、アグネスは口を尖らせた。
「ターニャさんに何が言われているかは、私には知らされていませんが、エレノア様はそんな無責任な方じゃありません。
群島解放戦争のときそうだったように、今回も、ご自分の策には最後まで責任を負われるはずです」
そうだろう、とはマクスウェルも思うが、なにより、敵であるラインバッハ二世の下には、グレアム・クレイがいるのだ。
大国クールークの海軍を私兵に仕立て上げてみせたあの策士が、この隙を黙ってみているかどうか。
ヘルムートが言った。
「思えば、オベル国王が先だって、「群島諸国連合」構想で、卿の懸念と同じミスを犯している。
政治的な思惑を先走らせて周辺諸国を抱き込もうとした結果、ナ・ナル島の反動分子が離脱し、ミドルポートの裏切りにあった。
この教訓は、カタリナ団長も充分、胸に刻んでいるはずだが」
やや皮肉を込めたヘルムートの批評に対して、さきほどのアグネスのように、今度はマクスウェルが少し表情を険しくした。
彼はリノ・エン・クルデスと決別にちかい別れをしたとはいえ、先日までの自らの主公に対しての敬意は、一分子も損なわれていない。
「群島諸国連合」は、マクスウェルもリノ・エン・クルデスとともに、その充実に心血を注いだ大構想である。
決して一面的な見方から批評できるものではないのだが、それはエレノアの策にも言える事であった。
当事者か第三者かという差もあるし、結局は、目的を同じくしていても、ものの見方や価値観までが完璧に一致するわけではない、ということであろう。
表面的には何も言わず、ひとつ頷いて、マクスウェルがアグネスに視線を向けた。
「カタリナさんは俺たちに対して、対等の同盟を結ぼうとまで言ってくれている。
どちらにしろ協力関係は構築しなければならないが、そうなるとあとは一蓮托生だ。
あちらが強力な連合勢力なることができるならそれが一番望ましいが、どんな理由であれ、原因であれ、共倒れになるのだけは避けたい。
エレノアの策はエレノアの策として、それとは別に、俺達もなにか対策を練っていたほうがいい」
だがアグネスは、この快活な軍師らしくなく、黙り込んでしまった。
マクスウェルはアグネスに、暗に「エレノアの考えに固執せずに、自分の識見で考えろ」と言っている。
自分はマクスウェルに「リノ・エン・クルデスから独立しろ」と焚きつけたアグネスであるが、自分自身がエレノアから独立することなど、考えたこともなかった。
未だエレノアの壮大な策が成らぬ中、果たしてその一端の完成を任された自分が、エレノアの考えの下から羽ばたいていいものかどうか。
沈黙するアグネスを見ながら、ヘルムートが言った。
「マクスウェル提督、気になることがある。
卿のこれまでの話は、カタリナ団長にリノ国王とオルネラ将軍を纏める実力が無い、という前提に成り立っている。
私としては、卿がそこまでカタリナ団長の実力を過小評価する理由が知りたいな。
卿とカタリナ団長は師弟の間柄であったと聞いているし、先の事件でも戦場を共にしている。
卿こそが、彼女の実力をもっとも高く評価してしかるべき人間ではないのかな」
「決して過小評価しているわけではないさ。俺はそこまで自信家じゃないよ。
ただ、何事にも「絶対」ということはないんだ。ラズリル側との関係がこちらの戦略に必須である以上、あちらの動向を気にしてしすぎることはないと思う。
俺たち【オベリア・インティファーダ】には、まだ自信にできるほどの強さは無いしね。
それに……」
「それに?」
マクスウェルは一度目を伏せて深く息を吐き出してから、ヘルムートに向き直る。
「これは笑ってくれていい。
俺は正直、今のカタリナさんが、恐い」
これには、ヘルムートも、アグネスも驚いた。
「恐い? あのカタリナ団長がか」
「ああ。カタリナさんは変わった。
今のカタリナさんは、俺が知っていた頃の彼女ではないんだ。
表面では随分と落ち着いたし、内面では恐ろしく強かになっている」
マクスウェルが知っていた頃のカタリナなら、敗戦したばかりのオベル海軍に、ラズリルに入るための条件を出したりはしなかったろう。
無条件でラズリルに受け入れ、リーダーシップをリノ・エン・クルデスに譲り、次の戦いのために協力を申し出たに違いない。
ラズリルがオベルの風下に立つ、という状況になってしまうが、それを打開するための決断力は、以前のカタリナにはなかったのだ。
「だがそれは、エレノア師とターニャの助言があったゆえではないのか」
「いや、グレン団長もそうだが、以前のカタリナさんも、そういう人の汚い部分を肯定する策を嫌っていた。
それがガイエン海上騎士団から続く精神的な風潮だった。
ターニャが話を持っていっても、きっとはねつけたと思う。
はねつけて、リノ陛下と共に、正面からラインバッハ二世にぶつかっていったはずだ」
それが、リノ・エン・クルデスとクールークの勢力を利用して自分の勢力を強化し、マクスウェルを利用して結束を乱しそうな要素をラズリルから出し、結局は、オベルではなくラズリルを反ラインバッハ陣営の中枢に仕立て上げてしまった。
「状況に流されて結果的にそうなった、とは、俺には思えない。
エレノアの策が底にあったとしても、それにしがみついているだけにしては、カタリナさんは落ち着きすぎている。
そこまで信頼しきるほど二人の間に親交は無かったはずだし、この状況で開き直れるほどの大胆さも、俺の知っているカタリナさんはもっていなかった」
「しかし、群島解放戦争から、まだ二年だ。
人というものは、短期間でそこまで変わることができるものかな」
ヘルムートが言った。
自分では気付いていないが、彼自身が、その疑問への一つの回答であろう。
群島解放戦争以前の、クールーク艦隊司令官ヘルムートなら、自分の決断で現在のような立場を選択することなど考えもしなかったに違いない。
「きっかけさ。すべてきっかけだよ、ヘルムートさん。
俺自身がそうだった。罰の紋章、リノ陛下、クールーク、そしてクレイ。
これらのきっかけがなければ、俺は今でもガイエン騎士団の一騎士で、スノウと一緒にグレン団長に怒られる毎日を送っているに違いない」
もう一人の生きた回答であるマクスウェルが、心持ち静かな口調で答えた。
それはもしかしたら、たとえ話ではなく、彼自身の願望ではなかったか。
ヘルムートは思ったが、その回答をマクスウェルが語ることは無いだろう。
わずかな寂しさを、その言葉に乗せて、彼は続けた。
「そして、俺の知らないきっかけがあって、カタリナさんは、俺の知らない人になってしまった。
騎士団もそうだ。もうガイエンではなく、ラズリルの騎士団だものな」
一瞬、表情を翳らせたマクスウェルは、だが気丈に顔を上げ、目元を厳しくした。
たとえ強がりでもいいから、前を向いていなければならない。
それも、マクスウェルが経験したいくつもの「きっかけ」から学んだ教訓だった。
「今のカタリナさんは、俺の知らないカタリナさんだ。
ということは、過小評価も何も、彼女がどういう選択をするのか、今の俺には予想ができないということだ。
俺が予想したとおりの決断をしてくれれば、それが一番いいが、そうでない状況が来たときに、どうすることもできずに崩れ去るわけにはいかない。
ラズリル側には悪いが、万が一の時には俺たち単独でも生き残ることができるように、状況を作っておかねばならないだろう」
難しい顔をしながら、アグネスが言った。
「ですが、現段階ではまだ、我々は少数派です。
積極的に生き残ることを模索するなら、そのためのプランを定めておかなければいけませんが」
「いま考えられるプランは?」
マクスウェルに問われて、アグネスの表情が引き締まった。
エレノアの弟子としての顔ではなく、軍師としての顔だ。
エレノアの策から外れることに迷いはあるが、考えろ、と言われれば考えなければならないのが軍師というものだ。
アグネスはいま、そういう立場にいて、その立場を放擲するつもりはないのだった。
アグネスはテーブルの上に群島地方の地図を広げた。
「早急に考えられるのは、攻守三策」
「守の策」
「この無人島よりも北方、オベル側から見て後方に、ここ以外の本拠地をもう一箇所、定めておきます。
そしてこの無人島には連絡と監視の機能のみを残し、ベースをその後方の地に移動します。
堅牢な要塞の跡が利用しやすい、エルイールあたりが候補となるでしょう」
群島の人間には、群島解放戦争の最後の戦場となったエルイール要塞に対して複雑な思いを抱いている者も多いが、現実的な判断を要求されるアグネスたち軍師にとっては、とるにたらないことのようである。
大事の前の小事、ということなのだろうか。
「長期戦を期して、じっくりと腰をすえる作戦か」
ヘルムートは腕を組んで聞いている。
「そうです。しかし、あえて言わせていただくなら、これは下策です。
消極的な行動は、【オベリア・インティファーダ】の結成思想とは真逆のもの。
それに、我々がクールークまで退けば、その南にあるイルヤ、ネイ、ナ・ナルが戦場になる可能性がでてきます。
いま我々は、この三島、ひいてはネイ島のチープー商会との関係を失うことはできません」
マクスウェルは地図を眺めながら、口元を手で覆った。
「現実的な行動に、上も下もないさ。最善の結果を求めるなら、どんな行動でも考慮にいれるべきだ。
もちろん、俺はそんな策を受け入れる気はないけどね」
わずかに、空気が張り詰める。だが、その空気を察知して、ヘルムートが機転きかせた。
「では、マクスウェル提督が痺れを切らさずにすむ、攻の策を聞こうか」
ややユーモアを交えたヘルムートの言葉に、アグネスが頷いた。
「ラズリルの意向とは無関係に、こちらで独自に勢力を拡大します。
ミドルポート勢力の力を弱めるには、経済的にも情報的にもオベル地方を封鎖するのが急務です。
しかし、ラズリルをはじめ、私たちの力が届くのはオベルの北方のみ。南方への締め付けは遅々として進んでいません。
キカ様の現状も判らぬ今、私たちだけの力で南方の締め付けを行うのは不可能です」
「具体的にはどうする?」
「この周囲を根城にしている海賊を引き込みます。
彼等は以前にも、クレイ商会に痛い目に合わされていますから、交渉次第では力を貸してくれるでしょう。
金銭を要求してくるようならば、【ラインバッハ資金】がものを言います。
そして彼等のネットワークを利用して南海を浸食し、最終的にはキカ様を引き込み、オベルを孤立させるところまでもっていきます」
「この周辺の海賊というと、最大の勢力はジャンゴとブレックだな」
「顔見知りか?」
マクスウェルが、彼等の垢じみた雄姿を思い出したのか、肩をすくめて苦笑気味の表情を作った。
「……まあ、頼りになることは間違いない」
アグネスが話を続ける。
「この策の問題点は、最終決着にもって行くまでに、ある程度の時間を見ておかなければならないこと。
そして、ラズリル側に周辺諸国の理解を求める腹案を出してしまった今となっては、ラズリル側を出し抜くことになる可能性があることです。
いくら対等の同盟を結ぶといっても、以前のカタリナ団長やリノ陛下とマクスウェルさんの関係を思えば、ラズリルとしては、こちらに対するある程度の優位性は感じているでしょう。
心理的に格下の相手が、勝手に勢力を伸ばしていくことを、いつまでも温かい目で見てくれるとは限りません。
あるいは、ラズリルとの関係が悪化する可能性もあります」
ヘルムートが、大きくため息をついた。
「我々にとっての良薬が、ラズリルにとっては毒薬に見える可能性がある、というわけか」
「良薬でも、飲みすぎれば毒になって我が身を滅ぼす、ということさ。
この策を用いるなら、良薬が毒薬にならない程度のギリギリの規模を見極めなければならないな」
「あるいは、ラズリルとの関係が悪化する前に、完全に関係を断ち切ってしまうのも、選択の一つではあります」
と、アグネスが怖いことを言った。
一瞬息を呑んで、マクスウェルとヘルムートが顔を見合わせる。
「我々にとってラズリルとの関係は、確かに当面は必要なものですが、それも状況次第です。
マクスウェルさんが先ほど言われたとおり、カタリナ団長の選択は我々には予想しにくくなっていますし、リノ陛下とマクスウェルさんの関係も、現段階では好ましいものではありません」
「………………………」
「緊張感のある関係をずるずると続けるくらいなら、時期を見計らって好意的に別れたほうが、好い結果をもたらすときもあります」
マクスウェルが、陰気な思惑を頭から追放するように、手を振った。
「その選択をするにしても先の話だ。覚えてはおくが、いまは現実の自分達の話をしよう。
攻の二策目。これをまだ聞いていない」
ラズリルとの決別をことさら推奨する意志はないアグネスは、胸を手に当てて呼吸を整えた。
そして、口を開いた。
「最後の案。これは、先ほどの案ほど時間を要するものではありません。
それどころか、事件を一瞬で解決してしまう可能性を秘めたものです。
唯一つ欠点があるとすれば、あまり快い種類の行動ではない、ということでしょうか。
当然、マクスウェルさんも、一度ならずお考えになったとは思いますが……」
マクスウェルとヘルムートの目に、興味の波と微妙な暗さが同時に揺れた。
二人には分かったのだ。アグネスの言わんとしていることが。
「……暗殺、か」
マクスウェルがポツリと呟く。
かつてナ・ナルの強硬派が、ビッキーを悪用して、自分やフレア王女を暗い陰謀の生贄に捧げようとした。
それと同じことを、そのナ・ナルを
ヘルムートがテーブルに肘をついた。
「確かに、一撃必死の可能性を秘めた作戦ではある。
だが、これは策ではないな。どちらかといえば陰謀のたぐいだ。
これで事件を解決しても、おおっぴらに喧伝できる成功ではないな」
不快感を匂わせるような口調ではないが、完全な賛同もしていない。
そういう言い方で、ヘルムートは評した。
現在はコルトンを支えて、その勢力の拡大に努めているヘルムートだが、性質的に、彼は生粋の軍人である。
自分の全能力を駆使してクールーク海軍の栄光に寄与してきた身であり、こういう陰謀のたぐいは、その思考になじみにくいのだろう。
そういう意味では、彼はマクスウェルとは異なった人種であるといえる。
マクスウェルは言う。
「策だろうが陰謀だろうが、
印象が異なるだけで、一皮剥けば本質は同じものだ。
要は、成功するか失敗するか、問題はそこだけだ」
群島解放戦争以前から終戦にいたるまでは、彼も群島の一騎士に過ぎなかった。
そこまでの時点では、彼もヘルムートと同じ人種だった。
だが、終戦以降、オベル王国の政治に参画するようになってから、マクスウェルは未熟ながら政治家としての一面も持つようになっている。
その一面が、彼の思考法にそれまでとは別の方向性を与えていた。
常に正面から立ち向かうのではなく、局面の打開のために、よく言えばあらゆる可能性を模索する。
悪く言えば、手段を選ばない。
ヘルムートの思考法と、どちらが良くてどちらが悪いか、ということではなく、一つの話にも様々な受け取り方がある、ということである。
マクスウェルは気付いていないが、彼を変えたこの政治家としての顔が、同じくカタリナを大きく変えた要因でもあったのだ。
この二人が尊敬してやまないグレン・コットは、優れた戦士であり、教育者であり、軍人であったが、唯一、政治家ではなかった。
ただ、マクスウェルはまだ、カタリナほど開き直れてはいないようだった。
彼はこう続けた。
「だが、アグネス、俺がその策を採ることはないよ。
いつかも言ったが、俺が仲間を集めているのは人殺しのためじゃない……と、俺は今でも思ってる。
この考え方は、これから先も変わらない」
無論、彼がどのようなことを言おうと、彼が率いているのが商船ではなく軍艦である以上、それは常に人殺しの道具となりうる。
マクスウェルの言は、所詮は偽善であり、彼は下町の道徳家のように、物事の良い面だけを言いふらしている―――。
そういう批判も、マクスウェルは覚悟はしていた。
彼自身、自分が都合のいいことを言っていると理解したうえで、自分に言い聞かせている。
要は使い方だ。最初から悪意をもって扱えば、ナイフでもガラス瓶でも、人は殺せるではないか……。
「……よし」
マクスウェルが何かを決心したように、姿勢を正した。
自然とヘルムートとアグネスの背筋も伸びる。
マクスウェルが言った。
「アグネス、あとで手紙を書く。海賊島とチープー商会、それと海賊のジャンゴ一家へ早急に使者を送れ。
海賊島へは必ずアカギさんとミズキさんに行ってもらう。彼ら以外では、何かあったときにキカさんには太刀打ちできない。
さらに二人には、海賊島へ赴くさい、オベル地方を避けてラズリルを通過するのはかまわないが、ラズリルやオベルの関係者とは会わないように厳命してくれ。
キカさんに手紙を渡すことだけに専念してくれればいい。
ヘルムートさんは、南の警戒を今まで以上に厳重にお願いする。この島の現状がラインバッハ二世の耳にそろそろ届くはずだが、彼らには、もう少し耳目をラズリルに向けておいてもらわなければいけない」
アグネスとヘルムートが、それぞれの表情で頷いた。
(初:10.02.25)
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