クォ・ヴァディス 39

7-1

 深夜に大木からぶら下がってみたり、妙に乾いた笑いで徘徊することが増えたなど、リーダー・マクスウェルの奇行が仲間内で噂になり始めた五月十七日、そのマクスウェルの名で、彼の指揮する集団の公式名称が、内部に公表された。
 これは厳しい艦隊行動訓練や設備建設の合間を縫って、集団の中から募集されたもので、五百近い案件の中からマクスウェルが選びぬいたものである。

【オベリア・インティファーダ】

 ……という名前をマクスウェルの口から聞かされたときの幹部の反応は様々だった。
 ジーンやイザク、アグネスなどは微笑んで頷き、ヘルムートやタル、ビッキーは首をかしげた。

「オベリア・インティファーダ……か、悪くない響きだ」

 ヘルムートは小さく何度もその名前を呟いて納得はしたが、疑問は残ったようである。
 その彼の疑問を口にしたのは、ビッキーだった。

「どういう意味があるの?」

 その疑問を、マクスウェルは氷解させた。

「【オベリア】というのは、オベルに群生するシダレザクラの一種さ。オベル固有の花だと言われてる」

 このサクラは、ある特徴がある事で有名だった。
 真紅の花を咲かせるのである。
 その儚げさに美を見出す人もいたが、どうしても鮮血をイメージさせることで嫌う人も多く、オベルでは不吉の象徴とされていた。
 群島地方は多くの島が大陸から孤立していることで、動植物の進化も島独自の形態を辿ったものが多い。 この真紅のサクラも、そういった進化の仇花だ。
 一説には、この「オベリア」がオベル王国の国名の由来ではないか、とも言われているが、まったく逆の説もある。

「いいのか? そんな不吉な花の名前を入れ込んでしまって?」

 タルの言葉は当然の疑問であったろうが、マクスウェルは神妙に説明した。

「続く【インティファーダ】は、これもオベルの古い言葉で【振り払う者たち】という意味があるんだ」

「なるほど、不吉なイメージを振り払う、という意味をこめたのだな」

「その通りです」

 イザクに向かって、マクスウェルは満足げに頷いた。
 不吉なイメージ、と一言で言っても、それを感じる者によって内容は様々であろう。
 戦うものにとっては敗北や死がそうであろうし、マクスウェルやビッキーなど、特殊な紋章を所有する者にとっては、その暴走なども該当する。
 この名称を仰ぐ者全員で、それらのイメージへの恐れを振り払おう、ということであった。

「それで、この名称の考案者は誰なのだ? いずれ、オベルの人であろうが……」

 ヘルムートが問う。名称の採用者には小額だが賞金が出ることになっており、基本的に応募は記名が原則になっているはずであるが、マクスウェルが閃かせた応募票には、それらしき記述が見当たらない。

「見ての通り、「オベリア・インティファーダ」という言葉以外はなにも書かれていない。
 困ったことに、考案者不明さ。賞金を出そうと思ったんだけどね」

「分からないものは仕方が無いわ。でも、その意志は受け取らなければならないわね」

 ジーンの言葉に、全員が頷く。
 現在、無法の徒によって占領状態にあるオベル王国。
 いちばん不吉なイメージを振り払いたいのは、その関係者に違いない。

「これで、私たちの団旗も統一されたわけだな。
 かつての群島解放軍のように、固い結束が形作れば良いがな」

「ヘルムートさん、あんたがそんなこと言っていいのか?
 俺たちとも戦ったし、あんたはれっきとしたクールーク海軍の将官だったんだろ?」

 意地の悪いタルの質問だが、ヘルムートは悪びれもせずに答えた。

「私は与えられた状況の中で、常に最善を尽くすようにしている。誰に後ろ指を差されることもない。
 それに、クールークの軍人としてグレアム・クレイの暴挙を止めるには、解放軍に加わることが最善の行動だったと、当時も今も、変わらずに信じているのだがな」

 シニカルな笑顔を向け合って、タルとヘルムートは互いに矛先をおさめた。
 統一された目的があるとはいえ、その目的に対する思惑は様々である。
 洗脳性の高い特殊な宗教団体などの例を除けば、集団の形態としてはそれは自然なことだった。
 すべての数字で割り切れるものではないにしても、できるだけ多くの数字で割り切れる要素を、マクスウェルたちは用意しておかねばならない。
 その一つが、この集団名の統一であり、象徴とするべきシンボルの統一だったのだ。

 ミズキは、この名称の決定をカタリナに伝えるために、マクスウェルの親書を持ってすぐさまラズリルへと飛んだ。
 カタリナはそのとき、軍議の最中だったが、鷹揚にもその席にミズキを招きいれた。
 どのような内容を持ってきたのか、おおよその想像はついていたのであろう。

 この日、軍議に参加していたのは、ラズリルのカタリナとケネス、オベルのリノ・エン・クルデスとフレア、軍師役が板についてきたターニャ、そしてラズリルに到着したばかりの元クールーク勢力の雄、オルネラとバスクである。
 ミズキは、オルネラに視線を数秒間、固定した。
 オルネラも、金白色の長い髪をストレートに流し、切れ長の瞳に深い興味の色を湛えて、ミズキを見ている。
 オルネラはこの年、三十一歳を迎える女性である。
 カタリナよりも一歳の年少だが、かつて故国で果たしてきた責任の大きさではカタリナを凌駕する。
 そのためか、その長身に秘められた威風も堂々たるもので、決してリノ・エン・クルデスの前でも臆する様子は無い。

(だが、硬い・・瞳だ)

 と、ミズキは思った。
 いざというときに融通が利くタイプではなさそうだ。
 そういう意味では、かつてミズキが見てきた、カタリナやキカ、エレノアといった女傑たちとは、違うタイプであるように思える。
 だがミズキは、自分の興味を数瞬で断ち切った。
 ここで見たオルネラの印象を、ミズキはマクスウェルに報告する義務がある。
 そこにミズキの主観は必要なかった。ただ客観的な事実を報告すれば良い。

 マクスウェルの親書が、全員に公開される。
【オベリア・インティファーダ】という名称を聞かされた反応はこちらでも様々で、リノ・エン・クルデスの陰気で複雑な表情は、ミズキに強く印象を残した。
 そしてマクスウェルは同時に、いくつかの「腹案」をカタリナに出していた。

 まず、ガイエンや赤月をふくめた周辺諸国に、自らの正当性を最大限アピールし、最低でもラズリルの敵に回ることが無いように説得すること。
 この事件では、最初に裏切りを敢行したのはラインバッハ二世であり、道義的には彼が疑いようも無い「悪」であるが、残念ながら道義的な善悪の概念と、政治的なそれが必ず一致するとは限らない。
 国家の利益がラインバッハ二世の行動と一致する可能性があるなら、いきなり背中からナイフを突き出すことも厭わない国も出てくるだろう。
 軍備の再編成で、ただでさえ長くない手がふさがっているラズリルとしては、それだけは避けなければならない。
 なにも、積極的に味方になってもらう必要はない。敵になってくれさえしなければ、それでよいのである。

 そして、海賊島の主であるキカを早い段階で口説き落とすこと。
 キカはこの事件では、まだ動きを見せていない。
 その理由は明らかではないが、今後事態が切迫してくれば、ラズリルとラインバッハ二世の間でキカの勢力の奪い合いが起こる可能性がある。
 各種のルールにがんじがらめにされている各国の海軍と違って、自らの自由意志にのみ従って海を往来する海賊達の機動力と屈強な戦闘力は、決して無視できる要素ではない。
 キカ一家の巨大な勢力を思えば、なおさらのことであった。
 キカは自分の行動は常に正義を旗印とし、リノ・エン・クルデスとは盟友関係にあり、マクスウェルとも親しいが、だからといってその信頼に甘えてすがるわけにはいかない。
 キカとて、多くの命を預かる身である。事態の変転によっては、意外な決断を迫られることもありえる。
 どのような決断をキカがするにしても、彼女の心象を良くしておくに越したことはないし、心奥を覗いておく必要もある。一度は、誰かが会っておかなければならないだろう。
 そしてそのために自分が出向いていっても良い、とマクスウェルは付け加えていた。
 周辺諸国を敵対させない。キカを味方につける。そのいずれの要素を確実にするためにも、ラズリルは勝たなくてはならないわけだが……。

 正式に言えば、これらのマクスウェルの案は、あくまで「腹案」であって、「提案」ではない。
 公式な「提案」にしてしまうと、その瞬間に、この文書は政治的な意味を持ってしまう。
 独立したばかりのマクスウェルが、「尊大にも」ラズリル勢力に対して「決断を迫る」かたちになってしまうのだ。
 だから、案だけを放り出しておいて、「そちらでよいように検討してくれ」というかたちにした。

「どうやら群島の英雄殿は、その二つ名に相応しい視野の広さをお持ちのようだ」

 オルネラが賞賛の感情を込めて言った。
 オルネラはクールーク崩壊事件の際に、マクスウェルと何度か話したことがあるだけで、そう面識が深いわけではない。
「マクスウェル」という名を聞いても、瞬時にはどのような顔だったか思い出せなかった、その程度の印象である。
 ラズリルから離れて行動している一派がいる、とカタリナから聞かされたときは怪訝な顔をしたオルネラであるが、この手紙の主がリーダーであるなら、とりあえずその一派のことで自分たちが手を焼かされることはなさそうだ。

 これらは、マクスウェルにしてみれば、むしろ遅すぎるようにすら思える提案であった。
 彼はそれを決断できる立場にはいなかったのだ。これまでは。
 カタリナは頷いて言った。

「よろしいでしょう。
 キカさんの件は最重要課題として検討し、また、ガイエン公国に派遣する使者もすぐに人選を始めます。
 そして、マクスウェルに伝えてちょうだい。
 私たち連合海軍は、【オベリア・インティファーダ】首脳部に対し、恒久的な同盟を提案します」

「………………!」

 この言葉にもっとも驚きの表情を見せたのは、やはりリノ・エン・クルデスである。
 色々と交わさねばならない取り決めもあるが、この同盟が成立すれば、連合海軍の最高責任者であるカタリナと、オベリア・インティファーダの領袖であるマクスウェルが対等の立場として扱われるのだ。
 それはつまり、国を失った「現在の」リノ・エン・クルデスと対等か、もしくはそれ以上の立場、ということになる。
 少なくとも、彼はそう理解した。

(オベリア、というのは「不吉のイメージ」ではなく、オベル王国そのものを暗示しているのではないか。
 マクスウェルが本当に振り払おうとしているのは、オベル王たる俺ではないのか?)

 精神的な再建をどうにか果たしているリノ・エン・クルデスではあるが、やはりことマクスウェルに関しては、その再建の勢いが空転しがちであった。
「可愛さあまって憎さ百倍」とは、こういうことをいうのであろう。
 健康的ではない思いを募らせるリノには気付かず、カタリナはミズキに視線を向けている。

「このことについては追って使者を派遣しますが、前向きな対応を期待しているわ」

「わかりました、確かにお伝えいたします」

 鄭重に頭を下げて、ミズキは退出しようとする。
 その退出を待たずに、軍議は再開された。

「それでは、五月二十日に行う海上訓練と、六月以降の予定について……」

 六月、という単語が、なぜかミズキの脳裏に残った。

7-2

 五月二十日、ラズリル公海上において、ラズリル・オベル・クールーク連合海軍による二度目の合同軍事演習が行われた。
 ラズリルら三つの勢力によるこの海軍は、公式には単に「連合海軍」と呼ばれる。
 当初、公式文書には「群島諸国連合軍」と載せられていたが、オルネラらクールークの一派が加わったことで「群島諸国」の冠詞が外された。そこに政治的な思惑が働いたことは間違いないが、誰がどのような判断を下したのか、までは公式の歴史書には記録されない。
 非公式な一面としては、マクスウェルの一派がラズリルから離脱したことも理由の一つではあろう。時期的にはまた後の話しになるが、マクスウェル一派「オベリア・インティファーダ」が公式に独立を宣言すると、やはり群島諸国連合に属するネイ島、イルヤ島、ナ・ナル島が彼らを公式に支持する意志を表したため、ラズリルとオベルの二カ国のみで「群島諸国連合軍」を自称することが難しくなるのである。

 さて、「連合海軍」の合同演習は、それぞれの艦隊の動きを確認するだけだった一度目とは異なり、本格的な連携行動の確認に入った。これは同時に本格的な戦闘訓練でもあるから、兵士達の必死さも一度目の演習とは違う。
 リノ・エン・クルデスもカタリナも、戦力的にも政治的にも、後の機会がそう豊富ではない、という状況を理解しており、この合同演習は、実弾を一発も使わなかったにもかかわらず、死者が出るほど苛烈なものとなった。
 そして、艦隊の問題点が浮き彫りになる。最大のウィークポイントは、やはりオルネラの一派であった。
 旧クールーク海軍の艦艇と兵士を連れてきているとはいえ、オルネラもバスクも、元は騎兵の指揮官である。陸上での戦闘では勇名を謳われる彼女達も、海上の戦闘指揮など初めてであり、当初は戦闘での連携どころか、船を有機的に動かすことすらできなかった。
 オルネラは当初、旧クールーク海軍の艦艇や兵士達をリノ・エン・クルデスらに預け、自らの直属の兵士は、敵船上に乗り込んでの白兵戦や、敵領に踏み入れての侵攻作戦まで温存しておく腹づもりだったようだが、現実はそう優しくはなかった。ラズリルにもオベルにも、船上で遊ばせておく兵力など、最初から考えていなかったのである。
 リノ・エン・クルデスはオルネラの意図を見抜いていたらしく、ある日の会議で、

「クールークの海兵には、我々を苦しめた英気と気概とを併せ持つ。
 そしてオルネラ殿もバスク殿も、勇名を謳われた指揮官だ。さぞその雄姿を、群島の海でも響き渡らせてくれるのでしょうな」

 と、軽い皮肉を込めてオルネラの思惑を封じてしまった。当然、オルネラのプライドの高さまで計算に入れての「腹芸」である。
 このあたりの腹芸は、本来リノの好むところではないが、多くの命がかかり、そして自分達に後のない状況を思えば、やりすぎではないと思っている。
 そしてオルネラは、ラズリルとオベルの仲介をして存在感を示そうと企んでいたくせに、そうした「腹芸」は得意ではなかった。まんまとリノの思惑に乗せられるかたちとなった。
 それでも、まったく初体験の海上指揮において、短期間で最低限の連携行動を成立させるところまでもっていく指揮能力は本物であろう。もっとも、「最低限」であって、現段階ではまだ戦場で、かろうじて足手まといになるかならないか、のレベルである。
 この合同演習は、カタリナにもリノのも、そしてオルネラやバスクにも、それぞれ別種の満足とストレスとを与えて終わった。

 夜。演習における効果と今後の課題とを話し合う首脳部の会議が終わり、オルネラは割り当てられた宿舎へと足を向けた。
 丸一日を慣れない船上で過ごし、肉体的な疲労はかなりあったはずだが、それを見せない歩き方はさすがであった。ほどほどの意匠がこらされた軍装も、長い黄金の髪も、颯爽として見える。
 目元にはわずかに疲れが出てはいたが、それをこの暗がりで発見できる人間はそうはいまい。
 弟のバスクと分かれ、自らの部屋に向かおうとしたとき、何者かがオルネラの視界に入った。
 狭い路地の先、建物の壁に背を預けている。
 オルネラはそれに気付いたが、さして殺気も害意も感じなかったので、そのまま目の前を通り抜けようとした。
 オルネラの予想通り、その人間は毒の刃も暗殺の魔法も仕掛けてはこなかったが、かわりに善意ともいえない言葉を投げかけてきた。

「さすがにお疲れのようだね、オルネラ。
 慣れない船にそうまでしがみついて、何を目的にここにいる?」

 さすがにオルネラは振り向き、その言葉の主を睨みつける。
 女性だった。闇に溶けるような漆黒のセミロングの髪、オルネラとさして変わらぬ機能的な長身は、機能性のみを重視した衣装に包まれていた。
 アカギやミズキと同郷の女忍び、ケイトである。

「おまえは……」

 言って、オルネラは少し言葉を濁した。
 連合軍の勢力間の橋渡しなど、重要な役割を担ったこの女忍者を、無論オルネラは見知っているが、名前を急には思い出せなかった。
 優れた体術を持つ、只者ではない使者。オルネラにとってはケイトもミズキも、その程度の印象でしかない。
 だが、ケイトにとっては、オルネラの自分への印象などどうでもよいことである。殺気立つオルネラの感情など関係ない、といわんばかりに、言いたいことを言った。

「コルセリアの嬢ちゃんをトップに、クールーク皇国を再興する。その将来の目的のために、いまのうちに群島に貸しを作っておく。
 周囲にはそう説明しているようだな、オルネラ」

「おまえの知ったことではない」

「まあね」

 オルネラのとげのある言葉を、ケイトは鼻先で一蹴する。

「まったくだ。あたしの知ったことではないけど、興味はあるのさ。
 例えば、こんな噂があるのはご存知かい、将軍閣下?
 ……コルセリアの嬢ちゃんは、キリルの行方を探してシメオン導師とともにオルネラ将軍の下を出奔し、現在は行方不明になっている。
 オルネラ将軍がコルセリアの名前を使っているのは、本当はコルセリアの意志など関係なく、単に自らの野望に都合がいいからだ……」

 ケイトの言葉が終わるか終わらぬかのうちに、オルネラの手元に、わずかに月光が反射した。
 オルネラが剣を抜いたのだ。

「後悔しないうちに、その汚らわしい口を閉じるがいい。
 私も、皇王陛下より賜ったこの剣先を、おまえの血で汚したくはない」

 だが、オルネラの脅しにもケイトはうろたえない。
 マクスウェルの「罰の紋章」を目の前にしても動じなかったこの女性に、剣の脅しなど無意味であるのだが、それを知らないオルネラには、まったくうろたえもしないケイトの反応は面白くなかったようで、口元を少し苦味ばらせた。
 当のケイトは一向に気にしたふうでもなく、言葉を続ける。

「噂ついでに、旧皇都グラスカで少し耳に挟んだんだけどね。
 ……あんた、生前のトロイ提督に、随分とご執心だったそうじゃないか。
 あの天才のために国葬をあげるように進言したのも、幾つかの名誉称号を与えるように進言したのも、あんたなんだって?
 なんとも惚れこんでいたんだと、もっぱらの噂だよ」

「警告は与えた!」

 オルネラの怒号と共に、その剣先が閃く。わずかな月光をたよりにケイトに切りかかるが、ケイトは暗がりとは思えぬ体さばきで、その剣先をするりとかわした。
 オルネラは少し前方によろめいたが、すぐに体勢を立て直し、ケイトに正対する。その表情は先ほどまでの高貴さは消し飛び、怒りに支配されていた。

「先人は偉大な言葉を残したものだ。下衆の勘ぐり、とな。
 おまえの今の妄言が、まさにそれだ。
 いつの世も、国家に功を成し、国家に殉じた者は、それに応じた栄誉を与えられなければならない。
 私がしたことは当然のことだ。下衆な噂の根拠にされるなど不本意だ。
 さらにいえば、それを貴様のような者の薄い舌から聞かされることも、不愉快だ!」

「噂を伝えただけで下衆扱いか。まったく、たいしたお貴族様だ。
 なら、己の権力の都合であたしらの忍びの里を、人殺しの養成機関に作り変えたあんたら権力者は、下衆ではないとでも言い張るつもりか」

 呆れたように肩をすくめて、ケイトはオルネラの正面に立った。
 今のオルネラに、ケイトを討つことは不可能だ。それは、ふたりが共有している唯一の認識だった。
 ケイトが声を低めた。

「あんた、エレノアからなにを言われてここまでやってきた?
 海の上での戦闘で、自分達が最初から満足に戦えると、無邪気に考えていたわけじゃないだろ?
 流浪のエレノアから、高額な成功報酬を約束されたわけでもあるまい。
 トロイが生きているかもしれない、と聞かされて、その生死を確認しに、群島までわざわざ出てきたんじゃないのかい?
 確かに、トロイ提督の旗艦は解放戦争で沈んだが、誰もその遺体を確認したわけじゃないからね」

「黙れ! 貴様如きの知ったことではない」

 オルネラは再び激高し、ケイトに切りかかる。その怒りに支配された雑な剣戟をかわしながら、ケイトは確信していた。
 この激昂こそが、肯定の反応だった。
 無論、クールーク再興の思いがあることも確かではあろうが、オルネラ自身の目的は別のところにあるのだ。
 オルネラから距離を置き、ケイトは口を開いた。

「確かに、あんたの思惑などあたしの知ったこっちゃないけどね。
 あんたらが関わるラズリルの勢力のうちには、あたしの可愛い妹分や弟分がいるのさ。
 そいつらにはまだ死なれちゃ困るし、マクスウェルのことも、あたしは気に入ってるんだ」

 ケイトはオルネラとの距離を一息で詰めた。
 そして、オルネラが身構えるよりも早くその身に接近し、耳元でささやいた。

「あんたの都合一つで、あたしのお気に入りが傷つくような事があれば、あたしはあんたを許さない。
 誰が本当の下衆なのか、その身に刻んで思い知らせてやる。やるなら、死力をつくすことだ」

 オルネラは剣を振るったが、一瞬遅かった。ケイトの身は闇にとけ、気配ごと消えていた。
 オルネラは屈辱と怒りとに口元を歪ませ闇を睨みつけたが、その感情が何も生み出さないことも知っていた。
 ただ静かに名剣を鞘に納め、その歩を部屋に向けたのだった。


「インティファーダ」
「Intifada」。(Interfadah、Inteifadahとも)。
 作中では「振り払う者たち」としているが、本来は「振り払うこと」という意味のアラビア語(ただし、概念としては別の意味で使用されることも多い)。
 日本では、パレスティナをめぐる対イスラエル民衆蜂起のことをいう場合が多い。主に1987年12月にガザで起きた交通事故をきっかけに広まった投石やストなどの抗議行動をさす。この「第一次インティファーダ」は1991年頃には暴力行動が下火となり、1993年8月のパレスティナ暫定政府の設立をもって沈静化したが、2001年には後のシャロン首相のアクサー・モスク訪問を機に、第二次インティファーダが開始された。
 また、インターネットのホームページを通じてパレスティナ問題を啓蒙していくことを目的とした「エレクトロニック・インティファーダ」という抗議行動もあるが、詳細はWikipediaなどを参照。
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COMMENT

 マクスウェルの勢力の名称は、一時期「プロジェクト・オプス」に変更しましたが、後から思い直して元に戻しました

(初:10.02.25)
(改:10.03.14)
(改:10.04.07)
(改:10.06.22)
(改:10.12.23)
(改:11.04.26)
(改:11.06.10)