ヘルムートとマクスウェルによって指揮される三隻の小艦隊は、春先の波を順調に裂いている。
この艦隊は数こそ少ないが、収容している小型船も含め、そのすべてにマクスウェルらが持ち込んだ「流れの紋章」を搭載しており、現在の群島勢力の中では圧倒的な機動力を誇っていた。
興味深い一致であったが、マクスウェルもヘルムートも、どちらかといえば機動力を生かした攻撃的な用兵を好む指揮官である。
この快速艦隊を二人が有機的に指揮することができれば、どのような戦場においても、まず完敗することはあるまい、とアグネスは思っていた。
司令部は旗艦「アプサラス」の艦橋におかれ、一派の重要メンバーが全員、その場に顔を並べていた。
アプサラスは、コルトンとヘルムートの治める街の一つで、コルトンの治世下で最初に建造された軍艦であり、艦名はかつてクールーク海軍において天才をうたわれた名将、トロイの旗艦に由来する。
先代のアプサラスは、群島解放戦争の最終局面において、司令官であるトロイと共に海に還ったが、コルトンはかつてより自分よりも二十歳以上も年少のこの軍人を畏敬しており、その天才を惜しむ心情と、彼の軍事的成功にあやかりたいという願望を、この艦名に込めていたようだ。
その先代のアプサラスを沈めたのは、誰であろう解放軍の指揮を執っていたマクスウェルであり、その本人が同名の艦に乗り込んで指揮を執るのも、皮肉といえば皮肉であった。
そのアプサラスの船員たちは、旧クールークの軍人であったが、着ている軍装はかつてのクールークのものとは大幅にデザインが変更されている。
これは、マクスウェルたちがこの艦隊に同乗するに当たって、必要以上のストレスと敵意を彼らに与えないように、というヘルムートの心配りであるのだが、そのヘルムート自身がクールーク時代の軍装を一分の隙もなく着こなしており、せっかくの心配りも効果は七十点といったところだった。
政治的な思惑ではなく、それなりの利害関係で繋がった集団であることもあってか、マクスウェルやアグネス、アカギたちは必要以上の警戒心を持ってはいないようだったが、ポーラとラインバッハは、前もって話には聞いてはいたものの、警戒心を隠そうとはしなかった。
ポーラはマクスウェルを守らなければならない、という使命を自らに課していたし、ラインバッハにとっては、父の醜行に手を貸した一味も同然である。
リーダーであるマクスウェルがヘルムートを信頼しているようなので、激発するわけにもいかなかったが、もしもクールーク側のミスによってマクスウェルに何かが起こった場合、この二人が真っ先に行動を起こすであろう。
ポーラとラインバッハは無言の連携を成立させてマクスウェルに常に付き従い、ヘルムートも敏感にその空気を感じ取っていた。
何か一つでも作戦が成功でもすれば、空気も変わるであろうが、それまでは行動には慎重さが求められるであろう。
だが、その機会は意外に早くやってきた。
四日目の五月十一日、目的地である無人島まで二十キロの地点まで船を進めたときである。
ヘルムートは夜陰に乗じて先行させていた小型の偵察船から報告を受けた。
「ラインバッハ二世も、無人島のことは無視はしていないようだ。軍艦一隻が、島にへばりついている。
それほど厳重な警戒ではないが、どうする。正面から艦隊戦で撃破するか?」
ヘルムートの言葉を受けて、真夜中の艦橋に顔を並べた中心メンバーたちは、意見を交わした。
(思っていたより、警戒が薄い……。なぜ? オベルの北には注力していないということ?)
細かく思考を働かせながら、アグネスが言った。
「三対一ですから負けはしないでしょうが、今は貴重な戦力を傷つける可能性がある行為は得策とはいえません。
それよりも、せっかく一隻だけ群れからはぐれてるんですから、どうせならこの船を奪って、私たちの戦力にしちゃいましょう」
場違いなほど明るい声で、アグネスはとんでもない提案をした。
マクスウェルとヘルムートは、無言でお互いの表情を確認しあったが、ミズキが同意した。
「良い案かもしれない。派手に撃破すれば、それだけ情報がラインバッハ二世の元に届くのも早くなる。
我々の行動には迅速さと同時に、できるだけ情報を隠匿することも必要だ。
船を奪えなくとも、静かに敵戦力を無力化できれば、それに越したことは無い」
この意見が決定打になって、アグネスの提案が採用されることになった。
問題は、敵船を奪うために船に侵入するメンバーの人選であったのだが。
「俺が行こう」
と真っ先に名乗りを上げたのは、マクスウェルであった。
さすがにこれには、アグネスも、そしてヘルムートも反対した。
「危険すぎる。卿の命は、既に卿一人のものではない。
勇気と蛮勇とは違うものだ。自重すべきではないか」
だがマクスウェルも聞かない。
「なら、蛮勇を必要とするこの作戦を却下するだけだ。
それに、これは俺が決起してから最初の作戦だ。いま自ら決意を行動で示さなくてどうする?」
意外に頑固な男だ、と思ったに違いない。
ヘルムートは思わず肩を竦めた。
「分かった、尊重しよう。そのかわり、私も同行する。
クールークの軍艦であるなら、私が最も効率的に行動できるはずだ。
それに、卿の決意と勇気をこの目で見る、いい機会でもある」
「それは心強いが、艦隊の指揮はどうする?」
「この元気な軍師殿に任せよう。我々も卿らに従う覚悟を見せておかねばなるまいしな」
突然大役を任されたアグネスは、目を見開いたが動揺はせず、胸を叩いて頷いた。
最終的に、行動メンバーは二十名と決まった。これを五つのチームに分割し、マクスウェル、ヘルムート、アカギ、ポーラ、ラインバッハの五名が指揮を執る。
ポーラはマクスウェルと共に行動することを望んだが、これはマクスウェル自身が説得したことで、ポーラは渋々指揮を引き受けた。
ポーラには人間にはない、エルフ特有の暗視能力を始めとする優れた五感があり、闇中の作戦では、指揮官の一人として欠かせなかったのである。
その一方で、暗にクールーク側を信用し切れていないポーラとラインバッハが指揮を執る部隊には、クールークの兵をいれず、ラズリルからマクスウェルに着いて来た者のみで部隊を構成するなど、部下の配置には気を使った。
ヘルムートの部下で、軍艦の管理の専門家であるスタークスが、偵察隊の情報から敵の艦を推測した。
「エスコバール級で間違いないと思われます。旧クールーク海軍の、一世代前の主力艦のひとつです」
「エスコバールか、主に偵察艦として使われた型だな」
「はい、攻撃力、防衛力はさほどでもありませんが、旧軍有数の快速と、大きさの割りに少人数で操れる手軽さを重宝されました」
「つまり、逃げられたら少々厄介なことになる、というわけだ」
「だが、船員の数が少ないのは、今の俺たちには好都合だ」
スタークスの知識で、潜入すべき場所、制圧すべき場所を慎重に選別すると、すぐさま潜入メンバーは準備にとりかかった。
決行は移動時間も含め、五月十二日午前三時。この作戦の結果が、一派の今後を占うことにもなりかねない。マクスウェルは精神を引き締めた。
午前二時五十分、マクスウェルたちが分乗した高速の小型船が、淡い灯を点す目的の船を確認した。
マクスウェルにとっては、自らの勢力を率いて行う最初の作戦である。
出発するまではさすがに心臓が口から飛び出そうなほどの緊張感に支配され、身体を硬直させていたが、彼とて歴戦の戦士であった。
目標物を自分の目で確認すれば、体内を駆け回る緊張感の種類が一変した。
マクスウェルたちは、闇に紛れる黒の衣服に身を包んでいたが、船内での同士討ちを避けるために、右腕の部分にオレンジ色で控えめに印を入れている。
アカギが最初にそうしたのをラインバッハが真似し、あっという間に全員の右腕に同じ文字が記された。
誰も何も言わなかったが、「M」というその文字が意味するところを、マクスウェルは理解した。彼はその思いや期待に、全力で応えねばならなかった。
午前三時になった。時間である。
マクスウェルが右腕を振り下ろし、作戦開始を命じた。
二十名の潜入部隊を乗せた五隻の小船が、目標の船の左右両舷に、徐々に近づいていく。
甲板の淡い光源に、何名かの見張りの姿が確認できた。
エルフ特有の暗視能力を持ち、さらに飛び道具に長じたポーラたちが放つクロスボウの矢が、その見張りの兵たちを次々と打ち倒していった。
ゆっくりしている時間は無い。事前にスタークスが指摘していた、甲板の最も低い場所にロープを投げ入れて固定し、一人また一人と侵入していく。
こういう作業に慣れたアカギが指揮する一隊が、やはり最も素早く侵入に成功し、行動を開始した。
彼の指揮下にはスタークスが加わっている。
艦の構造に詳しいスタークスを含むアカギ隊は、機関部の制圧を任されており、この作戦の要であった。
スタークスは有能だが元来が文官で、決して激しい任務にむいているとは言えないが、このときはどうやら周囲の勢いに乗せられて身体が勝手に動いているようであった。
アカギ隊は船上に残っている見張りたちを、闇にまぎれて次々と打ち倒していった。
作戦は当初、静かに開始されたが、敵であるクールーク長老派とて無能ではない。
甲板の見張り兵からの定時連絡な無くなったことに不信を抱いた艦橋の兵が、甲板でその見張りたちの死体を発見し、すぐに艦内は第一級の警戒態勢に移行した。
この船「アエロファンテ」号の艦長はウッドマンという巨漢である。
能力的にはともかく性格的には、ラインバッハ二世についたクールーク艦隊の指揮を執るヤンセン提督を小型にしたような熱血漢だった。
「このウッドマンをたばかろうとは片腹痛いが、その
どこの誰か知らぬが、生死は問わぬから俺の前につれて来い。その度胸の座った肝を引きずり出して、食ろうてやるわ!」
凄まじい命令を受け、艦内は大騒ぎとなった。
群島解放の象徴である英雄、元クールーク第二艦隊の勇将、そしてラインバッハ二世の長男。
これほど正体がばれやすい侵入者は、過去の歴史においてあまり例はないであろう。
最初に発見されたのは、ポーラ隊と共に武器・兵器庫の制圧を任された、その有名人の一人だった。
ポーラ隊は器用に敵兵を避けながら移動していたが、ラインバッハはそうもいかぬ。
こういった類の作戦に慣れていない上に、元々大げさな動きの多い男なので、じっとしているべき場所で、じっとしていられないのだ。
後から冷静に考えれば完全な人選ミスであったのだが、皮肉にも発見されてしまったことが、この男の意外な戦闘能力の高さを示すことになった。
武器庫のある第三甲板は、薄暗い廊下の角から弓矢が飛び交う戦場と化した。
「降伏しろ! 今なら命だけは助けてやる!」
投降の呼びかけに対し、ラインバッハは目元をしかめて首を振った。
美しくない、と呟いたようであった。
「私が突入します。あなた方はあとからついていらっしゃい」
「一人で突っ込むんですか? そんな無茶な!」
「まあ、見ていらっしゃい」
言うと、ラインバッハは黒い衣服の右腕を捲り上げる。
そこには、バラの紋様をかたどった、真紅の紋章があった。
ラインバッハが一言呟くと、その紋章が淡い光を帯びた。
その周囲にいた者は例外なく驚愕したであろう。
薄暗い視界が、一瞬のうちに真紅に彩られたのである。
降伏を呼びかけている長老派の兵たちは一瞬呆気に取られたが、次の一瞬、まるで何かに魅了されたかのように、彼らはその動きを止めてしまった。
「シュトルテハイム・ラインバッハ三世、参る!」
ラインバッハの華麗な剣撃が、動きを封じられた彼らの眉間を正確に切り裂いていく。
普段の豪勢な衣装であれば、その華麗さは三倍にも増したであろう。
初めて彼が戦う姿を見る同志たちに、その華麗さを見せ付けられぬことは残念であったが、彼らは最善の選択をした。
ラインバッハの勇姿に見惚れながらも、彼のすぐ後を追いかけ、残敵を掃討したのである。
「……あなたも、英雄の一人なのでしたな」
感心したように言う同志の言葉に首を振り、ラインバッハは天井を見上げた。
「私はただ、自らの恥を
同時刻、ポーラも敵部隊を撃破していた。二つの武器庫は制圧された。
「なにか良い報告は無いのか!」
苛立ちを隠そうともせず、巨体を震わせながら、ウッドマンは深夜の艦橋で叫んでいる。
次々と入ってくる報告は自分たちの不利を伝えるものばかりで、彼の苛立ちをおさめるような事柄は何一つ存在しなかった。
こういった状況の場合、どうしても奇襲をかけた方が有利になるのは仕方の無いことだが、ウッドマンは敵よりもむしろ、自分の部下の不甲斐なさに怒りを露にしていた。
彼は元来からの軍人ではなく、元はその豪腕を売りにしていた冒険者である。軍人としてのキャリアは短い。
意外な指揮力を買われて船長にまでのし上がったが、自らの腕が立つ分、部下の不甲斐の無さがより目に付いてしまい、彼の苛立ちを倍化させてしまっていた。
「たいへんです、武器庫が制圧されました」
そう正しい報告を兵士は、苛立ちが極限に達した艦長の、無慈悲で理不尽な殴打を顔面に受けて失神した。
ウッドマンは次々に命令を飛ばしていたが、この状況に嫌気が差したのか、足で強く床を蹴りつけた。
そして、最後の手段に出ようとした。
「ええい、出航してしまえ! 何者か知らんが、このままオベルに連れて帰って、本隊の部隊と合同で制圧してやる」
狂える猛牛のように目を赤く染めてウッドマンは叫んだが、部下の報告がその興奮を一気に冷めさせてしまった。
「ダメです、艦が動きません。動力が封じられています!」
「なんだと!?」
音程が壊れたウッドマンの声が艦橋の壁に跳ね返る。
これはアカギ隊とスタークスの仕業であった。双方共に知る由も無いが、間一髪のタイミングだった。
スタークスは慎重に機関部を操作し、艦を機能不全に陥らせた。
破壊してしまえばもっと短時間で無力化できたかもしれないが、この艦はあとあと自分たちが使わねばならないから、できるだけ原型を留める必要があったのだ。
精神をヤスリで削られるような状況に我慢ならなくなり、ついにウッドマンは自らの剣を抜いた。
「こうなれば、何者にも任せておけぬ。
俺自ら制圧する。愚か者どもを全員、抹殺してくれる」
「いや、その必要はない」
突然背後で響いた声に、艦橋にいた者の全員の目が向いた。
そこにいたのは、黒い服を着た蒼い瞳の男だった。クロスボウを構える四人の男を引き連れていたが、その男たちよりも明らかに若い。
様々な感情に射抜かれながら、その若い侵入者はたじろぐこともせず、逆に彼らをブルーの視線で射抜いた。
「あなたが艦長だな。この艦内は、既に我々の制圧下にある。
素直に降伏すれば、命までとろうとは思わない。懸命な判断を……」
だが、その侵入者の言葉が終わらないうちに、巨漢の艦長がその巨体に似合わぬ俊敏さで動いた。
その豪剣が縦に空気を裂き、剣先が木製の床を抉った。
若い侵入者は、二歩退いてその剣戟を避けたが、明らかに表情が変わった。
警戒のレベルを二段階ほど引き上げたようだ。
「俺の聞き違いか。降伏しろだと?」
ウッドマンが挑戦的な視線で侵入者を貫く。
一瞬の間をおいて、腹の底から地を揺るがすような豪声を放った。
「千年早いわ! 少しはわきまえろ、このクソガキ。
貴様の目的などどうでもいい。のこのこと俺の前に出てきたことを、あの世で後悔させてくれる」
叫んで二歩踏み込み、再び豪剣を一閃する。今度は青年の頭の高さを、空気ごと水平に切り裂いた。
切り裂かれた空気の温度が、瞬間的に上昇する。切り裂かれた軌跡に生まれた真空が、一瞬の生命を主張するように青年の髪を跳ね上げる。
若い男はしゃがみこむ体勢で、かろうじてこれも避け、自ら黒い双剣を抜いた。
「実力行使は本意ではないが、仕方ない」
「生意気な口を叩く! 誰がこの場の支配者か、その身体に教えてやるわ」
ウッドマンの豪腕が、逡巡などという言葉を母の胎内に置き忘れてきたかのように、躊躇無く青年を断ち割ろうとする。
青年はその嵐のような剣檄に、力で立ち入ろうとはしなかった。
変則的な足捌きでウッドマンの視線を固定させず、器用に攻撃を双剣でいなしながら、恐ろしいタイミングを選んではカウンターの一撃を狙ってくる。
ウッドマンは息もつかせぬ攻撃を続けながら、奇妙なやりにくさを感じていた。
相手のカウンターのタイミングがいやらしく、また察知しにくい方向から剣が飛んでくるため、こちらの攻めの流れがすぐに断ち切られてしまう。
圧倒的に攻めているように見えて、決定的な一撃がどうにもとりにくい。
相手の武器が双剣であり、攻撃と防御を同時にこなせる戦法の故かと思っていたが、どうやらそれだけではなさそうだと気付いたのは、相手の足の位置を見てからだった。
相手の構えが、自分とは逆なのだ。
「なるほど、やりにくいはずだ。貴様、左利きか」
元来、人間は右利きの方が圧倒的に多い。
特に片手武器を扱う人間や、素手で戦う人間にとって、左利きという先天的な素質は、それだけで一つの強さと言えた。
なにせ、普通の相手とは、動きのなにもかもが逆なのだ。
そしてその影響は、ウッドマンのような強豪にこそ大きかった。
ウッドマンは旧クールーク海軍にあっても剣豪と呼ばれた身であるが、それでも左利きの戦士との対決経験は殆ど無い。
身体に刷り込まれた右利きとの対戦経験が、その全ての逆をついてくる攻撃に対して、一瞬の躊躇を生ませるのだ。
特にこの相手は、左利きに加え、両手に剣を持ち、随分と変則的な剣さばき、体さばきを使ってくる。
やりにくいにもほどがあった。
「よくぞここまでデタラメな剣を極めた。そこだけは褒めてやろう。だが――」
ウッドマンは剣の柄を握り直すと、肺に残った空気を全て吐き出すように、声を張り上げた。
「強者の前では、ピエロは所詮、ピエロにすぎんのだ!」
時間という単位を無視するかのような速度で一気に間合いを詰めたウッドマンの一撃が、青年の右剣を襲う。
かろうじて剣先の角度を変え、ウッドマンの攻撃を受け止めずに流したが、それでも青年の右手に重い痺れが残った。
単純な論法だった。相手の変則的な動きに付き合うことなく、力ずくでねじ伏せれば良いのである。
「――――!」
青年の表情が、さらに深刻さを増した。
だが、相手に余裕を与えるわけにはいかなかった。
青年も、精神の警戒のレベルと同時に、動きのギアも一つ上げた。
乱戦となったが、戦いは侵入者たちに有利に進んだ。
船員たちは艦長を助けようと武器を抜こうとしたが、その隙を侵入者たちのクロスボウによる一斉射撃によって突かれ、死傷者をいたずらに増やすだけであった。
だがその侵入者たちも、自分たちのリーダーとウッドマンの戦いには介入できなかった。
「破壊」という言葉を具現化したようなウッドマンの一撃と、魔術師のような変則的な動きを見せる青年の双剣の戦いに、照準を定めることも容易ではなく、彼ら以外の者は観客に徹せざるを得なかった。
だが、その応酬もついに終わりを迎える。
剣の戦いでは埒があかないと悟ったのか、若者はウッドマンの破壊の暴雨の一瞬の隙を突くと、左手のグローブを外して何らかの紋章を機能させた。
そう思った次の瞬間には、ウッドマンの巨体は艦橋の壁まで弾き飛ばされていた。
「な、なんだ……?」
何が起こったのか分からず、剣を杖代わりにしてウッドマンは立ち上がる。
そして、若者の左手で赤黒い光を揺らめかせる紋章を目の当たりにし、表情を驚愕の色に染め上げた。
「き、貴様、それはまさか」
若者はその紋章をウッドマンに突きつけ、言った。
「もう一度勧告する。降伏しろ、命の保障はしよう」
船員たちが固唾を呑んで沈黙を守る中で、ウッドマンはなおも戦意を失っていない。
むしろ興奮するように声を荒げた。
「舐めるな! その紋章が本物なら、貴様こそクールーク海軍にとって最大のカタキではないか!
思わぬ僥倖、エルイールに散った数知れぬ英霊たちの怨念を、今こそ我が剣にて晴らす!」
憤怒の形相で構えるウッドマンに、若者は無表情を貫き、紋章を宿した左腕を握り締める。
異様な空気が場を支配した。正体不明の不安感に精神を満たされた船員たちが、落ち着き無く周囲をきょろきょろと見回している。
だが次の瞬間、その場の全員が予想もしないことが起こった。
場の空気を支配していたのは双剣の青年だが、その青年が、いきなり艦橋の扉を蹴破って甲板に飛び出したのである。
「……ッッ!?」
何が起こったのか分からず、だが戦いを放棄する気もないウッドマンが慌てて後を追う。
甲板に走り出た彼を待っていたものは、二桁に及ぶクロスボウだった。
甲板に十名を超えるいずこかの兵たちが、いつでも彼を射殺できる態勢で、クロスボウを構えていた。
艦橋も甲板も、敵の手に落ちていた。
ウッドマンは、自分の支配していたテリトリーが全て失われている、という厳しい現実を、眼前に突きつけられた。
青年が、それらの者たちの前に立ち、再び言った。
「これが最後の勧告だ。あなたはよく戦った。
この紋章を使わずとも、俺たちはいま、あなたを殺すことができる位置にいる。
悪いようにはしない。この状況で降伏することは、あなたの恥ではない」
ウッドマンの表情が驚愕に支配される。
それは、半分はこの場の状況によるものだったが、半分は別の要素だった。
敵の青年の隣に立った、別の青年を視界におさめたからだ。
その銀髪の青年は、かつては自分と同じ艦隊で戦った身であった。
無論、ウッドマンは一艦長であり、この青年は司令官の一人であったから、会話を交わす機会はなかったが、名前は当然、知っていた。
「今夜はなんと醜悪な夜だ。この世で最も汚らわしい面を、二つも並べて見ることになろうとはな!」
ウッドマンが吠える。
「裏切り者ヘルムート! 貴様、どの面を下げて我らの前に出てくるのか。
クールークを裏切ったくせに、今は有力諸侯の一人だと!? 汚らわしすぎて反吐が出るわ!
貴様の良心は、いったいどちらの方向を向いている? いまその脳髄を断ち割って、俺が確認してくれる。
そこを動くな! 俺が行くまでな」
すさまじい猛りをぶつけられても、ヘルムートは微動だにしない。
その細面に似合わぬ胆力だが、この程度の恫喝にしぼむような精神力ては、艦隊司令官など勤まらぬのであった。
「裏切り者と罵られるのも、命あってこそさ。
逆に卿に尋ねよう。卿の良心は、いったいどちらを向いている?
獣が人間に投げ込まれた餌に貪りつくように、ラインバッハ二世に投げ与えられた
ヘルムートが、後ろにいる者たちに合図した。
ウッドマンに向けられたクロスボウの矢先に、殺気が込められる。
「さあ、最後の選択肢だ。金に良心を売り渡して死に、後世に汚名を残すか、それとも降伏の恥辱にまみれても生き残って、恥辱を雪ぐ機会を待つか。
私はマクスウェルほど優しくないぞ。機会がそう何度も、卿の心をノックすると考えるな」
ウッドマンは悟らされるどころか、顔面一杯に怒気をみなぎらせて、青年提督をにらみつけた。
「獣は貴様だ、ヘルムート! その行動だけでなく、口から漏れる言葉すら、人としての羞恥を知らんのか!
俺はそうはならない。人として生き、人としてエルイールに散った同胞の仇を討つ!」
大きく肩で息をし、全ての力を拳にこめて剣を握り直すと、ウッドマンは雄叫びを上げた。
そして、青年とヘルムートに向かって突進する。
まるでその突進によって、自らに迫り来る死の恐怖すら突破するような勢いであった。
ヘルムートは無言のまま一歩左に位置を変えると、表情を変えることも無く、振り上げた左腕を振り下ろす。
同時に、十の矢が十のクロスボウから発射された。
音も無く夜陰を割き、十本の矢が正確にウッドマンの身体に突き刺さる。
決定打だった。誰が見ても、これで勝負がつく攻撃であったろう。
だが、ウッドマンは潰えなかった。
十本もの矢に身体を貫かれながら、倒れなかった。
さすがに立ち止まり、血を吐いたが、いったん剣を杖代わりにし、最後の力を足に伝えてその巨大な体重を支えると、その剣を振り上げたのだ。
直前までの勢いはまるで無かったが、力のこもった剣が、ヘルムートの顔面に振り下ろされようとする。
それを受けたのは、ヘルムートではなかった。
彼の脇から、最初にウッドマンの相手をした青年が割り込んだ。
そして、右手に構えた双剣で、殺意はあるが力の無い、ウッドマンの怨念の一撃を「受け止めた」。
「――――見事だ」
青年は言い、ウッドマンは挑戦的に笑った。
この世での最後の感情。彼は、この強敵を一笑に伏した。
「どこまでも……クソ生意気なガキだ……」
一笑に伏して、ウッドマンはこの世から退場した。
時刻は午前五時である。ウッドマンの死をもって、マクスウェル一派の最初の作戦は完遂された。
彼が率いていた部下の一人が、彼に近づいて静かに言った。
「マクスウェル様、先ほどの艦長の言葉、あまりお気になさらぬよう。
私たちは、あなたをカタキなどと思っておりません。
むしろ我が上司ヘルムート、及びコルトンの命を救っていただいた恩人と、感謝しております」
「……分かっているさ」
マクスウェルはそう言っただけで、多くを語ろうとはせず、艦橋を後にした。
奪取した艦の後始末をヘルムートとスタークスに委ね、マクスウェルは早々に船を降りた。
そして、夜が白み始めた薄明かりの中、ポーラとラインバッハ、アカギを引き連れて、自らは無人島に上陸した。
敵兵が潜んでいる可能性を考慮してか、アカギとポーラは武器に手をかけたままであったが、マクスウェルは大して気にしていないのか、ラインバッハを含めた三人を信頼しきっているのか、鷹揚に白い砂浜に立ち尽くしている。
考えてみれば、彼がこの地でナ・ナル島からの刺客に襲われ、ミズキとミレイに救われてから、まだ二ヶ月ほどしか経過していないのである。
そのときはまだ、彼はオベル王国の一客将という立場だった。
真の紋章を身に宿しているマクスウェルは、生命の終着点である「寿命」というくびきを外されている。
他者に殺されでもしない限り、永遠の命を約束されているのだ。
恐らく、彼の命よりも先にオベル王国の方が滅びることになるだろうが、そのときまでは、その立場で王国を見守っていきたいと思っていた。
それが、わずか二ヶ月である。
あれほど尊敬していたリノ・エン・クルデスとの関係は断絶に近いほどに悪化し、自分は小さいなりとも一勢力の頭となった。
このように状況が激変するなど、誰が予想できたであろう。
そして、このような状況で再びこの地を踏むことになるとも、思いもよらなかった。
自分自身の選択であるはずだったが、それでも自らの境遇の激変を思いやって、マクスウェルは絶句した。
巨大すぎる感慨が精神の中を通り過ぎ、彼は無言のまま、しばらく呆然としていた。
「マクスウェル……?」
ポーラが心配して声をかけたが、マクスウェルは聞こえないように、ぼうっとしている。
何か危険な要素を察知して、ポーラがマクスウェルの肩を揺さぶって、何度か名前を呼んだ。
それによってようやく我に返り、マクスウェルは弱々しい微笑を見せた。
「すまない、ちょっとぼうっとしてた」
「……大丈夫ですか? 本当に?」
「大丈夫だよ。ここまでくるのに色々あったなって、つい思い出してね。
だけど、もう大丈夫。ここを足がかりに、ジュエルたちを助け出さなきゃいけない。ぼうっとしている時間は無いよね」
「………………………………」
マクスウェルは気負いすぎている。それがわかって、ポーラの心を重くした。
気負いと若さ、その要素は常に危険を孕む。マクスウェル自身が自らの気負いと焦りを自覚しきれていない分、より危険であった。
いつかマクスウェルという存在そのものを、食いつぶしてしまうかもしれなかった。
(マクスウェルを一人にするわけにはいかない)
ポーラはこのとき、改めてマクスウェルの傍で、彼を守り続けることを決意した。
かつてミレイがそうであったように、ポーラも自らの意志で、その役割を自らに課した。
自分自身にそうさせた真の理由をポーラが自覚するのは、もう少し後のことであるが……。
ともあれ、マクスウェルは本拠地を手に入れた。
このことで、マクスウェル一派の独立は、事実として歴史に刻まれることとなった。
今後、どのように状況が移っていくのか、マクスウェルたちは慎重に目を光らせている。
この島を選んだマクスウェルの決断、それは、彼らがこの段階で考えうる最良の選択であったと、誰もが信じていた。
だがこの決断は後に、マクスウェルにとって生涯消すことのできない、暗い十字架になった―――。
薔薇の紋章が原作と別物になってしまった気がするのは気のせいでしょうか。
(初:10.01.06)
マクスウェルたちの敵船攻略の内容が余りに気に入らなかったので、大幅に書き直しました。申し訳ない。
(改:10.01.25)
(改:10.03.24)