マクスウェルが目覚めたと聞いて彼の部屋に急行したケネスとアグネスは、その室内の異様な空気に、まず戸惑った。
室内にいるのは、マクスウェル、ポーラ、ミズキ、アカギ、リシリアの五人だが、マクスウェルは真新しい衣服を着ており、ポーラ、アカギ、ミズキの三名にいたっては、なぜかラズリル海上騎士団の制服に身を包んでいた。
沈黙のまま、ラズリル海上騎士に縁が薄い三人が、その制服で鎮座している光景は、ケネスが眉を潜めるくらい異様な印象である。
普段と違うのは衣服だけではない。
マクスウェルの顔には、なぜが青あざがついており、ポーラが目を吊り上げて彼を睨んでいる。
もちろん、このような状況になるには原因があった。
ケネスとアグネスが部屋に来る直前、リシリアが使った【旋風の紋章】は、威力が抑えられていたとはいえ、アカギとマクスウェルの衣服くらいを切り裂くには、充分な威力はあった。
ポーラも、これくらいで許してやろうか、と、少しは溜飲を下げたのだが、彼女は基本的なことを忘れていた。
奔放なリシリアが奔放に放った【旋風の紋章】は、この室内にあるものをズタズタにするのには、充分なレベルであった。
ポーラは、マクスウェルだけでなく、自分もその魔法の効果範囲の中にいることを、すっかり忘れてしまっていたのである。
気付いたときには、ポーラの衣服までもが旋風に切り裂かれていた。
ポーラは、生まれたままの姿で突っ立っていた。
一瞬遅れて事実に気付き、悲鳴を上げてしゃがみこんだまではよかったが、そこでポーラはまた、気付かなくてもいいことに気付いてしまったのだ。
魅入るようにポーラの肢体に視線を張り付かせたマクスウェルの健全な肉体が、思わず脊髄反射で、これまた健全すぎる反応を示した瞬間だった。
それまでエルフの姿をしていた魔王は、一瞬のうちに、懲罰の鬼と化した。
だが、わずかに残っていた理性が、マクスウェルに対して武器を使うことだけは、かろうじて止めさせた。
こうして、エルフの姿をした懲罰の鬼は、群島解放の英雄に対して、素手での暴行を開始した……。
以上の事情をケネスは知らないが、知れば大笑いしたであろう。
昨夜、マクスウェルがポーラに対して、感情をむき出しにして号泣したのは、マクスウェルにとってはほとんど初めてのことだったが、一方のポーラが、ここまでマクスウェルに対して感情を露にするのも、初めてのはずである。
あまりに感情をむき出しにしすぎるのも考え物だが、全く本音を出さない人付き合いよりは、たまには本気でぶつかり合ったほうが良いに決まっている。
ちなみに、ポーラたちが着ているラズリル騎士団の制服は、マクスウェルが後輩の騎士達に頼み込んで借りてきたものである。
この部屋に着替えを持っているのはマクスウェルだけで、彼しか外に出られる者がいなかったのが理由だった。
旧ガイエン海上騎士の制服は、茶色をベースにしたもので、質実剛健ではあるが地味なデザインだった。これは無意味な派手さを嫌がるグレンの意志であった。
現在のラズリル騎士団の制服は、ブルーを基調にした、旧制に比べれば幾分、派手なデザインになっている。
これは、イルヤ島に住む服飾デザイナー、フィルの手によるもので、彼にとっても出世作となったが、この話は、目前の事態にはさして関係がない。
ともかく、なぜか足音を殺すような慎重な動作で、ケネスはテーブルに着いた。
アカギとミズキが遠慮して立ち上がり、壁際に背を預ける。
見ようによっては、アカギとミズキを引き連れたケネスが、マクスウェルとポーラを尋問している風景に見えなくもない。
マクスウェルは、隣から漂ってくるポーラの冷気を避けようとしたのか、少しでも場の空気を変えようとしたのか、やや大げさに咳をした。
「どういう状況かまるで分からないが、まあ元気そうで安心した。大事ないか」
ケネスが腕を組んで問う。
明らかに大事が大またで過ぎ去ったようなマクスウェルの顔面だが、懸命にもその話題には両者とも触れず、当たり障りのない話題に終始した。
二三、言葉を交わした後、マクスウェルが本題に入る。
「さて、俺は自分がなぜラズリルにいるのか、事情がまだ飲み込めていない。
できれば、これまでに起こったことを教えて欲しいが……」
言って、少し周囲を気にするように首を回した。
「……ここでは、少し気まずいな。よければ、外に出ないか」
ケネスは不思議そうな顔で、親友の顔を見る。
この部屋は、ラズリルにおけるマクスウェルの自宅のようなものだ。
気兼ねなどする必要はあるまいに……。
そう言いたいところではあったが、マクスウェルがそう言うには理由があるのだろう。
素直に彼の言うことに従ってみることにした。
ケネスとアグネスを含めた七人は、とりあえず、群島解放戦争後の一時期、マクスウェルが住んでいた、裏通りに面した借家に向かった。
とはいえ、副団長のケネスはともかく他のメンバーは、さすがに騎士団の制服のままでは目立ちすぎるので、街で新しい服を調達している。
マクスウェルが借りていたのは、ごく普通の単身者用の部屋で、とりたてて広くはない。
まつわるエピソードも大したものはなく、騎士団の食事関係を全て担当しているコックのフンギが遊びに来たときに、食料保管庫いっぱいに積み上げられた「まんじゅう」の山に失神しかけ、二時間かけてマクスウェルに説教を加えた、という程度のものが伝わるのみである。
この悪食、偏食はマクスウェルの欠点の一つで、何度注意されても直らなかった。
「艦長を倒すには、剣も紋章もいらない。美味そうな「毒まんじゅう」が一個あれば良い」
とは、オセアニセス号のスタッフの間で流行している、笑い話のひとつである。
この部屋の管理人は、マクスウェルの後援者の一人で、彼がラズリルを離れた後も、整理せずに管理を続けてくれていた。
多くの人が彼に会いに来ることを考慮してかテーブルは大き目のものが用意してあり、部屋の広さに比べれば、アンバランスさを感じる。
ここに七人は陣取った。
マクスウェル自身が久しぶりに淹れた、七杯のコーヒーの煙がリシリアの嗅覚を軽やかに刺激したが、その上で交わされる会話は、殺伐さ極まりない。
話はおおよそこれまでの事実の再確認に過ぎなかったが、アカギからナ・ナル島での事件の詳細を聞かされたときは、さすがのマクスウェルも愕然として言葉を震わせた。
「……それで、アクセルやセルマさんは無事なのか。
いま、ビッキーはどうしている?」
「とりあえず、あんたの元で一緒に戦った連中で、死んだ者はいない。
アクセル、セルマの二人は、療養ながらに島の混乱を収めようと動いてる。
ビッキーちゃんは、カタリナさんに無理を聞いてもらって、騎士団の医療室のベッドに押し込んでもらった。
騎士団の常駐医なら、腕も確かだろうと思ってな」
アカギの回答に、マクスウェルは口元を噛みしめたままだったが、胸をなでおろす。
「そうか……。ポーラ、君も無事でよかった。本当に……」
言って、やはり自分の隣に座っているポーラの手を握った。
マクスウェルは、ポーラの切り落とされた左耳については、意図的に触れなかった。
どのように切り出していいか分からなかったからであるが、どのように反応されても、それに誠実な言葉を返せるかどうかも分からなかった。
ポーラは、先ほどまでの激怒が嘘のように、マクスウェルに微笑んだ。
恐らく、耳のことを尋ねられても、同じように笑顔で答えることができたろう。
自分で正しいと信じたことをした結果としての傷であるし、結局、自分はこうして無事にマクスウェルの前に顔を出すことができている。
ポーラが自らに引け目を感じなければならない理由はない。
それがよく分かっているから、笑顔にもなれる。
唯一の懸念は、ポーラが身体を張って逃がしたジュエル自身の生存が危ぶまれていることだった。
アカギの報告の後、マクスウェルはケネスから、オベル・ラズリル艦隊がミドルポート艦隊に敗れた後の状況も聞いた。
マクスウェルはここで初めて、自分の身柄がオベル艦隊のラズリル入港の条件の一つとして、ラズリルへ引き渡されたことを知った。
だが、これに関しては、マクスウェルは一つ頷いただけで、無言を貫いた。
「さて、現状はこんなところだ。今度は、俺からお前に聞きたいことがある。
答えにくければ、答えなくてもかまわないが」
「回りくどい言い方をしなくてもいい。
俺が【罰の紋章】で、オベルを攻撃してしまったときのことだな」
慎重に言葉を選ぼうとするケネスに、マクスウェルは言った。
気難しい表情で、ケネスが頷く。
アカギもミズキもポーラも艦隊戦が繰り広げられていた時間にはナ・ナルにいたから、この中でマクスウェルと【罰の紋章】による【蛮行】を目撃していたのは、ケネスだけということになる。
口で説明されただけでは、あの場にいた全員の精神を発狂させかけたあの事件を、理解しきるのは難しいだろうが、ケネスとしては当人の意見を確認しておきたかったのである。
果たして、あれがマクスウェルの意志で行われたのか、どうか。
「いや、あれは【罰の紋章】が単独でやったことだ。
俺の自我はどうやら、【罰の紋章】の内部に閉じ込められてしまっていたらしい」
淡々と、マクスウェルは説明した。
彼が知っていること、決断したことを、包み隠さず全て語った。
これに関しては、マクスウェルは誤魔化すつもりは無かった。
もちろん、目の前にいるのが信頼できるメンバーだからこそ、包み隠さず言えるのである。
マクスウェルの話を聞き終えて、ケネスは難しい表情で腕を組んだ。
彼のカップからは、当にコーヒーは失われている。
「【罰の紋章】が何をしたいかは分からない。その解釈には全面的に賛成だ。
……と言うよりも、【罰の紋章】を持つお前に分からないことが、そうでない俺たちに分かるわけがない」
ケネスの言葉に、アカギが苦笑ともとれる表情をした。
ケネスの言うとおりであって、彼らが【罰の紋章】について、できることも語れることも、実際問題として殆どないのであった。
マクスウェルは一度懐かしい天井を見上げて落ち着くと、真剣な眼差しで、自分の本心を語った。
「俺としては、オベル島に捕われたままの仲間を救出したい、と思ってる。
だが、そう思っているだけで、具体的な方法や、奇跡的な解決策を思いついたわけでもないんだが」
ケネスが提案した。
「ならば、目立たなくてもいいから、ラズリル騎士団に協力してくれないか。
ラズリル、オベル連合軍の目的と、お前の目的は大部分が重なるし、なにより、お前のリーダーシップは、俺たちにとって頼りになる。
カタリナさんも歓迎するだろう。お前にとっても、居心地は悪くないはずだ」
それは懇願にならない程度の説得の口調だった。
無論、頼りになる友人として身近にいて欲しい言葉も本心であるが、ケネスにはもう一つ本心がある。
マクスウェルに、ラズリルとオベルの両国の橋渡し役になってもらいたいのだ。
オベル海軍がラズリルに入港してから、まだ一日しか経っていないが、両国の間には、すでに見えざる「きしみ」が音を立て始めている。
原因は、カタリナがオベル側に示した、苛烈極まりない入港条件だった。
オベル側にしてみれば、まるで将来の属国化をいま名言しろ、と言わんばかりのカタリナの高圧的な態度は、理屈では受け入れることができても、感情では納得できるはずもない。
群島最大の国家としてのプライドが、オベル海軍の神経をさかなでていた。
だが、カタリナにすれば、これでもまだ譲歩したほうである。
ただでさえ多勢とは言えぬラズリル海上騎士団は、リノ・エン・クルデスの指揮による敗戦によって、その兵力の四分の一を永久に失い、四分の一が負傷のために長期離脱を余儀なくされている。
無論、純真無垢な義侠心からオベルに協力したわけではない。カタリナにも政治的な下心があったのは確かだし、至近にあるミドルポート領主が騒動の根源であるからには、いまさら後に退くわけにはいかない。
せめてリノ・エン・クルデスには、恥を忍んでもオベル王国を取り戻す覚悟があるのかどうか見せてもらうのは、ラズリルとしては当然のことであった。
敗者のプライドと協力者の必然が、両者の間に微妙なヒビを入れつつある。
ケネスは、それをマクスウェルに埋めて欲しいのだ。
というよりも、この役柄は、両国で大きな人望を持つマクスウェルにしかできないことであろう。
「目的、か……」
マクスウェルはラズリルとオベルの確執の話はまだ知らないので、ケネスのもう一つの本心には気付かなかったが、言葉通りの要請に応じるのにも慎重だった。
ケネスは、連合軍の目的とマクスウェルの目的は合到する、と言ったが、マクスウェルはそうは思っていない。
カタリナとリノ・エン・クルデスの第一の目的は「オベル王国の国土を回復する」ということであろう。
だが、自分の目的は、必ずしもオベルの国土にはこだわらない。
究極のところ、彼にとって大切な人々の命と安全さえ確保できれば、それでいいのである。
無論、オベルへの愛着が消えてしまったわけではないし、仲間を苦しめる原因となったラインバッハ二世に対しても、強い怒りがある。
彼と対決する機会が与えられれば、マクスウェルは望んで彼を打ち倒すだろう。
もし、その機会が与えられれば、である。
自分自身でその機会を作ろう、と思えるほどの余裕は、今の彼にはない。
一瞬、考えた後、マクスウェルはケネスの要請を断った。
「やはり、俺はカタリナさんやリノ陛下とは違う、自分の道を行くよ。
俺とカタリナさんたちの目的は、交わることはあっても、重なることはない」
マクスウェルは、ぎゅっと左腕を握り締める。
「それに、あの海戦で思い知った。【罰の紋章】を持つ俺は、多くの人と共に行動してはいけないんだ。
この紋章のために、誰かが死に、誰かが傷つき、そのたびに多くの悲しみが生まれる。
それなのに、【罰の紋章】に許された俺だけは、紋章に傷つけられることもなく、のうのうと生きている。
ケイトさんが言ったとおりだよ。そんな理不尽に耐えられるほど、俺は強くはない。アマちゃんなのさ」
ケネスもアカギたちも、無言のまま耳を傾けている。
「ケネス、俺はオベルでお前に約束したな。ポーラを助け出し、ジュエルも死なせはしない、と。
この約束に命をかける、とまで言った。俺は結局、その約束を何一つ守れなかった。
なぜだ? あの時、俺は、私人としての自分の
全く馬鹿だ。救いようのない勘違いだ。
リノ陛下に厚遇してもらって、俺はのぼせ上がっていた。何様のつもりだってんだ。
あの時、俺が私情を優先していれば、少なくともジュエルの傍にはいてやれたというのに、それに気付いたときにはこのザマだ!」
自分の言葉で腹が立ってきたのか、マクスウェルは乱暴にテーブルを殴りつける。
罪のない七つのコーヒーカップが、音を立てて少し浮き上がった。
この事件が起こって以降、マクスウェルのジュエルに対する贖罪の念は、重なり積もるばかりであった。
ジュエルは、マクスウェルを何度も助けてくれた。
一度などは、自分の立場を捨てて、命を賭けてまで、マクスウェルの無実を証明するために同行してくれた。
そんな命の恩人の危機に対して、自分は立場可愛さに、格好をつけてしまったのである。
「自分の勘違いに対する罰の大きさで、俺はようやく自分の愚かさに気付いた。
これは、せめてもの償いだ。
俺は、ジュエルやジェレミーたちを助け出す。どんなことをしても、必ず!
俺がいま生きる目的は、それだけだ」
隣のポーラが、思わず自分の手を軽く握り返してきたことに、マクスウェルは気付いていない。
ポーラだけでなく、ケネスにも心配がある。
マクスウェルは自身の目的意識の大きさに比例するかのように、その覚悟はいつも壮絶だ。
決して命を粗末にしようとしているわけではないのだが、気付いて見れば、結果的に命を危険に晒している。
ジュエルを助けるのは当然としても、ケネスにしてもポーラにしてみても、マクスウェルもまた、失われてはならぬ存在であることにかわりはないのである。
「マクスウェル、お前は、それを一人ででもやるつもりか?」
彼の鬼気迫る空気に不安を感じて、ケネスが釘を刺す。
だが、ケネスの不安を肯定してしまうかのように、マクスウェルは首を縦に振った。
「言ったはずだ。俺は、他の人間とは共に行動してはいけない。
それに、これは俺の償いだ。だから、カタリナさんとは別の道を行くんだ。
俺は、必ずみんなを助け出す。例え死んでも……」
その瞬間、何が起こったか、マクスウェルは最初、理解できなかった。
目の前に座るケネスがいきなり立ち上がったと思ったら、次の瞬間には彼は椅子ごと背後に倒れていた。
ケネスに殴られたのだ、ということを状況的に理解したのは、頬の痛みが感覚として実体化した、三呼吸ほどおいた後だった。
マクスウェルは怒るよりも呆然として、ゆっくりと立ち上がったが、ケネスも身を乗り出すと、その胸倉をつかんだ。
「お前はもう少し賢いと思っていたがな。
マクスウェル、お前は馬鹿だ。救いようがない大馬鹿だ」
「………………………………」
驚いたまま言葉が出ないマクスウェルにかまわず、ケネスは彼を罵倒し続ける。
「お前は未だにのぼせ上がったままの、大馬鹿野郎だ。
俺からも聞くぞ。何様のつもりだ、お前は。
【罰の紋章】を持ってるからって、人よりも優れた存在ででもあるつもりか!
でなきゃ、こんな不可能なことを一人でやるなんて、馬鹿なことは言えないはずだものな。
理不尽に耐えられないようなアマちゃんなら、軽々しく「死んでも」なんて言えるはずがあるか!
本当は不安なんだろう。どうなるかわからないから、恐いんだろう!?
そうでもなきゃ、お前が人前でこんな言い訳がましい理屈を、べらべらと喋るわけがない!」
呆然としていたせいか、すべての言葉を理解しきるまでに時間がかかったが、二瞬ほどおいて頭に血が上ったようで、今度はマクスウェルがケネスの胸倉をつかみ返した。
ケネスの暴言も珍しいが、こちらも滅多にないような荒れようで、マクスウェルが怒鳴り散らした。
「ああ、お前の言うとおりさ。俺は不安だよ! それが何か悪いのか!
確かにどうやったって、一人でできることには限界がある。
だからって【罰の紋章】がどうなるか分からない現状で、誰かを巻き込むわけにはいかないだろうが!」
ケネスを睨みつけるマクスウェルの瞳には、複雑すぎる感情がありありと浮かんでいる。
「俺だって恐いさ、死にたくなんてない。だけどもう、誰も殺したくもないんだ。
俺が生きている【今日】は、【罰の紋章】に殺された人たちが、必死に生きたかった【明日】なんだ。
彼らの【明日】を奪った俺が、自分のために命を賭けるなんて、そんな馬鹿なことができるか!
俺はもう、誰かのために命を賭けることしかできないんだ。
それに、たとえ誰かを頼るとしても、俺が行動を起こすからって、いまさら誰がついてくる!?
あんなことをした俺の言うことに、誰か耳を貸してくれるとでもいうのか!」
マクスウェルの声が張りあがる。
それは、外に声が漏れていないかとアカギが心配するほど大きな声だった。
言葉の最初の部分はマクスウェルの「負い目」であり、言葉の最後の部分が、マクスウェルの「本心」であったろう。
もうオベルに戻れない自分は一人きりなのだ、という思い込みこそが、彼の本心だった。
それを察知したのか、むしろ哀れみをこめたような声で、ケネスは言う。
「だからってお前が死ぬような無茶やって、何らかの償いになるのか。
お前が死んで、悲しむ人間がいないとでも思っているのか!?
俺たちにとっては、お前もジュエルも、生きていなければいけない人間なんだ」
マクスウェルの胸倉を離し、ケネスは椅子に腰を落す。
マクスウェルは言葉を失って、立っているままだ。
先ほどまでとは違い、優しい口調でケネスが親友を見上げて続ける。
「やるなら、みんなでやるんだよ。仲間のために協力して、後で思い出話にするのさ。
マクスウェル、お前の覚悟の元には、常に俺たちがいることを忘れるな。
頼る人間がいないと、なぜ決め付ける!? 俺たち【ガイエン海上騎士団員】は、一心同体だ。
お前の苦悩は、俺たちの苦悩でもある。頼むから、一人で思い悩むことだけはしてくれるなよ」
ケネスは、ラズリル海上騎士団ではなく、あえて前身のガイエン海上騎士団の名を出した。
どれほど時間が経ち、どれほど立場が変わっても、ガイエン騎士団が、彼らにとっての故郷であることにはかわりはない。
特に、マクスウェルのように複雑な立場に立つ者にとって、そういう故郷は、必ず必要なものなのだ。
【場所】ではない。【人】という故郷が、である。
【同胞】という関係は、時に血より濃い絆を形作る。特にガイエン海上騎士団員は、複雑な過去を持つ者が多かった。
マクスウェルにせよ、ケネスにせよ、ポーラにせよそうである。
特に、共に孤児であったマクスウェルとケネスは、互いの境遇に共感するところ多く、強固な友情を得た。
似たような境遇の者たちが心を通わせるとき、そこには驚くほど固い絆が生まれることがある。
多くの場合、それは生涯にわたって、彼らの貴重な宝になるはずあった。
ケネスは恥じてもいる。
この親友の深刻な苦悩も知らず、ラズリルとオベルの橋渡しに、つまりは政治に利用しようとした。
償わねばならないのは、マクスウェルだけではない。ケネスも、マクスウェルに対して償わねばならないのだ。
ポーラが、ケネスの言葉に同意するように、ぎゅっとマクスウェルの手を握り締める。
アカギが受け継ぐ。
「俺はナ・ナルの事件からこっち、疑問に思っていたことがある。
あんたとロドルフォは、いったいどこが違っていたのかってことだ」
考えながら喋っているのか、不規則に両手の指を絡ませる。
「正直、見た目のいかつさや頼りがいなら、ロドルフォの方があんたより百倍も上だった。
たぶん、あんたが人前で現実を語るより、ロドルフォが派手に理想をわめいたほうが、人はついてくるだろう」
だが、マクスウェルは解放軍を勝利させ、ロドルフォはナ・ナルの島民を壊滅においやった。
いったい、なにが違ってここまで真逆の結果になった?
アカギは、隣のミズキに何か目配せをした。それで意思が通じたのか、二人で頷く。
アカギが言った。
「俺には、その理由が分かった気がする。
現実を正面から受け止めること、命を賭けても償うこと……それは、【勇気】だ。
ロドルフォには、それができなかった。たぶん、俺にもできない。
あんたがその【勇気】を持ち続ける限り、俺たちはあんたの手足となり従うだろう」
ケネスの誠意と、アカギとミズキの真剣な忠誠と言葉に、マクスウェルは数秒間、どうしてよいか分からず、うろたえた。
だが、彼らの言わんとすることを理解し、表情を崩した。
自分は一人ではなかった。それを、理解した。
マクスウェルは生涯に何度か激しすぎる感情に身を任せたが、この時ほど感激で打ち震えたことはない。
利害を抜きにして付き合ってくれる、本当の意味での【仲間】。その存在が、どれほど自身にとって心強いか。
今日ほど、思い知った日もないであろう。
これが、後に【マクスウェル独立勢力】などと、大仰に呼ばれるようになる一派の最初である。
わずか五人。ささやか過ぎる船出ではあった。
だが、マクスウェルにとっては、人生の大きなターニングポイントとなる瞬間だった。
(初:09.09.10)
(改:09.10.11)
(改:09.10.19)
(改:09.11.04)