「先客」に遅れて神木のうちに潜入したアカギとミズキは、途中の岐路で二手に分かれて、各々上を目指した。
目的は、この神木の監視者のトップを打ち倒すこと。
潜入を果たした今、人質を助けることはいつでもできる。
それならば、先に「敵」を倒しておいた方が、人質の救出もスムーズにいく。
政治思想が強烈でも、その持ち主はただの漁師たちである。
多少、腕力に秀でているという程度のレベルでは、アカギやミズキが倒される可能性は、わずかもない。
問題はそのナ・ナル人ではなく、別の人間であった。彼らよりも先に、この神木内に力ずくで侵入した「先客」の存在である。
外回りの見張りは「先客」が打ち倒してくれていた。
現在、自分が進んでいる神木の内部に、強硬派と思しき姿が見当たらないのも、その「先客」のせいだろうか。
だが、それを両手を振り上げてただ喜ぶほど、アカギは人が良くはない。
「先客」の目的がまずわからない。
それによっては、その「先客」とも一戦を交えねばならぬ。
『それにしても……』
複雑な構造の内部を、人質たちも気付かぬほど見事に気配を消して進みながら、アカギは考えていた。
自分たち以外に、ナ・ナルに干渉しようという者の正体である。
オベルやラズリルではないことは間違いない。
リノ・エン・クルデスらオベル首脳は、目前のミドルポートとの争いに必死で、そんな余裕はない。
ミドルポートも、オベルとの戦争とオベル領の支配に躍起で、ナ・ナルの方面にまでは手が回るまい。
ネイ島の住人にはそんなパワーはない。
チープー商会は、チープー自身がナ・ナルには干渉したくないという心境を語っていた。
『では……』
考えられる答えは一つ、マクスウェルが予言した「第三勢力」ことミドルポートに次ぐ、これまで表舞台に登場していない「第四勢力」の工作である。
ならば、その候補として考えられるのはどこか……。
アカギは慌てて我に返ると、自分の頬を叩いた。
珍しく冷静さを失っている。余計なことを考えていては、肝心なときに失態を犯すだろう。
ミズキほど徹底はしていないが、アカギも任務の遂行には冷徹さをもってあたっていた。
それがこうなってしまったのは、リノ・エン・クルデスやマクスウェルなど、政治の中枢を担う者たちのごく近くに、長くいたせいかもしれない。
自分が政治を考える必要も意味もない。
【忍び】は任務の遂行に特化した機械であれば良い。
そのへん、ミズキは徹底している。アカギの真似できそうでしきれぬところだった。
だが、アカギとて優秀な忍びであることには間違いはない。
その証拠に、考え事をしながらも、緊急の事態に陥ったときも我を失うことなく、状況を冷静に受け止めることができる。
上へ上へと進み続けたアカギは、ついにその突き当たりにたどりついた。
神木の内に削りだされた住居スペースの最上階である。
かなり登ってきたはずだが、ここでも幹の太さはさほど細っていないのか、一面彫りの広大なエントランスが広がっていた。
芸術的な細工の窓から入る月明かりと、精霊の力で光る人工的な灯りのもと。
―――ホールの中央に、一人の男が立っていた。
背は高い。一見して冒険者風だが、頭部を覆う布のせいで、顔は分からない。
だが、その体格と、全身から醸し出す「剣気」が、只者ではないことをアカギに悟らせた。
アカギは気配を絶って、その様子を見守る。
『なるほど、あれが「先客」か。なかなかどうして、剣呑なヤツだ。
だがさて、これからどうするか……』
アカギは数秒だが考え込んだ。
あの剣呑な先客と、共闘するにしても敵対するにしても、それを悠長に判断している時間はない。
『なんだ、結局、俺に思いつく手段は一つだけか。俺、忍びには向いてないのかな……』
などと思いつつも、男の一挙手一投足から目を離すことはない。
男はどうやら、ホールの奥にある並んだ二つの扉に向かっているようだ。
大きな扉で、普段なら族長だか島長だかのお偉いさんが、その中で偉そうに鎮座しているに違いない。
今のような状況ならさしずめ、貴重な人質が閉じ込められているのだろうか……。
男の両手がその扉の一つにかかったとき、アカギの投げたナイフが、その扉に突き刺さる。
男は勢いよく振り返った。その視線の先には、長身で軍艦頭の、痩身の男が立っていた。
「悪いが、そこに閉じ込められている人質に、手を出させるわけにはいかねぇ。ついでに、テメェの正体も喋ってもらおうか!」
アカギは闘気荒く、自らの主武器である二つの金属の円形武器【 金波紋圏 】を両手に構えた。
その口調も闘気も、相手の次の行動を探るための演技である。
【 金波紋圏 】は、彼の命の恩人であるラマダから贈られた、二個一対の武器だ。
任務の途中で一つを破壊してしまっていたが、後にマクスウェルから、同じものを作り直して贈られ、晴れてアカギの両手に二つが納まっている。
【 圏 】とはチャクラムと呼ばれることもある武器のことで、金属でできた輪の形をしている。
これに凶悪な棘が何本もついていたり、輪の孤が刃物のように研ぎ澄まされていたりする。
接近戦では孤の部分を手に持って戦うが、例えば馬上で使うときなどは、長いロープをくくりつけて、豪快に振り回して使うこともある。
どちらにしても特殊な訓練を必要とする武器である。
男は腰の剣に右手をかけながらも、左手をアカギの方に突き出して、手のひらを広げて見せた。
どうやら
「戦う気はない」
……という意思表示であることは、アカギにも理解できたが、男は一言も口を開かない。
「喋らない」のか、「喋れない」のかは不明だが、少なくともその行動が、アカギの疑念を解く手助けになっていないことは確かだった。
「無言で自分のことを
叫びながら、アカギは男との長大な距離を、まるで無視するがごときに殆ど一瞬で詰めてしまう。
男が瞬きをした瞬間、遠くにいたはずのアカギは、まるで奇術か何かのように彼の目前に「出現」していたのだ。
【 縮地 】と呼ばれる特殊な歩法の一つで、アカギが見せたのはそのほぼ完成形である。
本気になるにしろならないにしろ、まずは相手の意表を突くことを狙ったのだ。
だが、男の動きも大したもので、アカギの奇術に意表を突かれても狼狽はせず、最速の動きで剣を抜き、振り下ろされるアカギの金波紋圏を受け止めた。
金属がぶつかる特有の音と火花が二人の視界と聴覚とを焼いていた。
それは、奇妙な戦いだった。いや、戦いと称してよいのかどうかすらわからない。
アカギも男も、激しく動き、相手に一撃を打ち込み、それを受け止め、態勢を戻す。
攻防の応酬、という意味ならば、確かにそれは戦闘と呼びうるものだ。
だが、アカギの攻撃にも男の攻撃にも、殺気も闘気も殆どない。
まるで子供のチャンバラ遊びを大人が真剣でやっているような空気すら、そこにはあった。
二人の応酬には五分も必要なかった。本来なら、最初の一撃で十分だったのである。
それで、お互いが決して敵対する者同士ではないことは理解できた。
だが、男は一言も発せず、アカギも自らの目的を話すこともなく、お互いの正体を探ろうとする、むしろ「心の動き」が、この一見に奇妙な状態を生み出していた。
その状況をとめたのは、アカギのほうだった。
彼は、気付き始めていた。ポーラも、そしてフレア襲撃事件のとき、マクスウェルにも看破できなかった、この男の正体に。
距離をとって立ち上がり、アカギは男と対峙する。
そして次には手ではなく、口を出した。
「意外だとか失礼なことを言うヤツもいるが、俺の特技の一つは、この記憶力でね」
その呼吸は乱れてはいない。
それだけ、アカギにも男にも力が入っていないのである。
「あんたの、その目、その体格、その剣、その太刀筋……。俺は確かに覚えてるぜ。
手を合わせたのは初めてのはずだが、その強烈な印象を、俺が見誤るはずはない!」
これは事実だ。アカギが相手の動揺を誘ったものではない。
アカギは確信しているが、だが、男からは大した反応はない。
アカギは言葉を続けた。
「分からないのは二つだ。なぜ、あんたがここにいる? 目的は何だ。そして、なぜ一言も喋らない?」
だが、この質問に返答が返ってくることはなかった。
このエントランスにいたる階段は二つある。
アカギが登ってきたものとは別の階段から、大勢の足音が聞こえてきたかと思うと、女の叫び声が響いたのである。
「アカギ!」
ミズキの声だった。
エントランスから顔を出した途端に、正体不明の敵と対峙している同僚の姿が見えたのだ。
絶妙のタイミングと言っていい。
アカギの意識がミズキのほうにむいた、何分の一秒かの隙。
その隙を完璧に捉えて、男はアカギの注意を脱し、彼が登ってきた階段へと姿を消してしまったのである。
アカギは男を追わなかった。
武器を収め、ミズキを出迎える。
ミズキは、大勢のエルフや人間の群れを引き連れていた。
神木内に囚われていた人質であろう。
ミズキの話では、彼女が登ってきたルートには、強硬派の人間と思しき死体が十体ほど転がっていたという。
恐らく、あの「先客」が、敵を打ち倒しながらここまで登って来たに違いない。
ミズキは敵の気配がないことを確認し、人質を解放しながらきたのだ。
「アカギ、今のは……?」
「ああ、
「逃がしてよかったのか? お前のことだから、確信あってのことだとは思うが」
「さあね」
口ほど余裕のない表情で、アカギはミズキに応えた。
「味方だとは言い切れねえ。だが少なくとも、この一件では敵対することはないと思う」
言って、ミズキの疑わしそうな表情から、アカギは目をそらした。
エントランスの広大なホールは、緊急の病院と化した。
大勢の人質の全員が解放され、ホールに溢れた。
四週間の虜囚期間を経てなお「比較的」健康な者は、そうでない者の治療に明け暮れた。
この行為の中心となったのは、エルフの側はポーラ、人間の側はリキエとラクジーの親子であった。
いずれも、アカギやミズキと、先の戦争の際に知己を得ている。
ラクジーは解放戦争当時、まだ小柄な子供に過ぎなかったが、あれから二年が経って驚くほど身長も伸び、外見だけならもう十分に「少年」の域を脱していた。
彼はアカギとの再会を懐かしむ暇もなく、母のリキエと共に、傷病者の救護に汗を流した。
アカギを苦笑させたのは、ポーラの背中に隠れていた、リシリアというエルフの女の子である。
リシリアはアカギの顔を見るなり、彼を指差して、
「ポーラ、こいつは【 悪い心 】の持ち主か!?」
などと叫んだのである。アカギにはなにがなにやら分からない。
「リシリア、この人たちは私たちを助けてくれたでしょう?」
と、ポーラが言うと、リシリアはなにやら考え込み、そして自分の中では納得のいく結論を出したらしく、アカギの前で少女とは思えぬ慇懃な態度で、頭をほんのわずかに下げたのだ。
「私は人間のことが大嫌いだが、それは私が勝手に嫌っているだけで、えーと、お前たちに責任はない。
とにかく、助けてくれたことに対しては礼を言うべきだ。感謝します!」
まるで捨て台詞のように言ってから、ポーラの背中に再び隠れてしまった。
アカギとしては苦笑するしかなかったが、陰惨な強硬派の人間よりも、むしろ、このエルフ少女の率直さの方に好感を覚えてしまう、というのも、皮肉なことなのかもしれない。
この間、「先客」である男が開けようとした二つの大きな扉も、頑強な鍵に苦戦しながらも開放され、二人の重要な人質が救出された。
すなわち、ナ・ナル島長アクセルと、エルフ族長セルマである。
二人とも、自らの足では歩けぬほど弱っており、人間とエルフの双方の精神を冷やしきった。
この二人に死なれては、せっかく混乱が収束しても、その後の島の行く末には、混迷しか待っていないであろう。
「すまない、アカギ。俺が島長になったばかりに、ナ・ナルはこのザマだ。
迷惑をかけた人々に対して、謝りようもない」
傷ついたアクセルは、そう呟いて銀色の髪を揺らし、弱々しく頭を垂れた。
アカギは「誰が島長でも、この事件は止めようもなかった」と慰労した。
それは完全な事実であったが、それでアクセルが慰められるとも思えなかった。
僥倖だったのは、身体が弱りきっていても、アクセルもセルマも、精神はなおも強靭に我を保っていたことである。
二人は、拘束中にはお互いを口悪く励ましあった「相棒」ではあったが、いざ顔を合わせると、お互い「ふん!」の一言でそっぽを向いてしまった。
だが、さすがにアカギとミズキに対しては、二人とも揃って礼を言った。
アカギは「礼なら、先客の男に言ってくれ」と謝辞を辞退したが、二人は意地になって取り下げなかった。
自分をこんな目に合わせた人間に対する怒りはあったろうが、セルマはその感情を億尾にも出さなかった。
大勢の者に囲まれて治療されながら、セルマが、ぽつりと気なることを言った。
「このホールの更に上に、隠し部屋がある。強硬派の人間だとは思うが、大勢の者がその存在に気付いて、何度も何度も出入りしていたようだ。
ひょっとしたら、まだ人質がいるかもしれない」
「そんなことを、人間たちに教えてもいいのですか?」
一人の老エルフが、セルマに耳打ちする。
「種族の対立など関係ない。今は何よりも命が優先だ」
などとは、セルマは言わない。彼女はいつものように低い声で、低い感情を吐き出した。
「私の部屋の真上で人間などに死なれては、今後、寝覚めが悪くなる。
もし誰かいたら、生きているうちに連れ出せ」
セルマの言葉が本心だとは、ポーラには思われない。
セルマはエルフには珍しい武断派だが、精神としてはむしろ、これもエルフには珍しい開明派であり、人間に対する差別感情も根が深いものではない。
このあたりは、ポーラと共通している。だが、族長という立場上、古いエルフに対して気を利かせなければならないときもある。
そうした心遣いが、このような言葉になるのだろう。ポーラはそう理解した。
もっとも、本心を素直に吐露したところで、アクセルと笑顔で生還を喜び合うようなこともないであろうが……。
ともかくも、セルマの発言を受けて隠し部屋への扉が開かれた。
天井の一部が開き、そこから仕掛け階段が降りてくる。
ラクジーやアカギは素直に感嘆したが、アクセルは複雑な表情で見上げていた。
ポーラの案内で、アカギとミズキら何人かが部屋に昇っていく。
暗い。窓らしいものはなく、ポーラが灯りを点すまで、そこが大量の書物に溢れた書庫であることに、二人は気付かなかった。
人間世界の本が多い。ナ・ナルのエルフの世界では「禁書」「悪書」と呼ばれるものだ。
人間の生態を理解するための資料と称して、先代の族長が集めさせたものだという。
広い部屋だった。直下のエントランスほどではないが、書庫にしてはかなり広い。
それに、いやな空気に満ちている。アカギとミズキは、次々と点される灯りの中で、注意して辺りを見回す。
そして、発見してしまった。部屋の奥の壁に確かに誰かがいるのを、優れた視力で見つけてしまったのだ。
その「誰か」は、まるで壁に固定されているように見える。
両腕を「Y」の字型に広げ、頭をがっくりと下げていた。長い黒髪が、垂直に垂れ下がっていた。
遠めに見ても、普通の状態でない事は、一目瞭然だった。
皆がその「誰か」に走りよって、その状況の異常さに言葉を失った。
その長い黒髪の主は、少女だった。
それだけでも強烈な光景だったが、側のテーブルには、食料の残骸と思われる何かの塊や、薬ビン、注射器など、一目して禍々しさ以外の感情を与えない物体が散乱していたのである。
アカギは息を飲みながら、恐る恐る、その少女の髪を後ろに回し、顔を確認した。
「お、おい……、大丈夫……?」
そして、軽く顔を持ち上げて、アカギの動きが止まった。彼は震えていた。
どんな戦いでも、彼がかつてこれほど戦慄させたことはない。
激しい暴行によると思われる傷跡のせいか、多少、顔面のかたちが変わってしまっているが、アカギだけではない、ミズキもポーラも、よく見知っている顔だったのだ。
二年前の群島解放戦争。
少数の解放軍を戦勝に導いた、最大の功労者と言っても過言ではない、特殊能力者。
「ビッキー……さん……?」
まるで空気が凍りついたような冷気の中、ポーラの呟きに、アカギがハッと我に返った。
「お、おい! 何で、お前さんがこんなところにいるんだ。なんでこんな目に遭ってるんだ!」
傷ついたビッキーの体重を受け止めるように、その上半身を胸で支え、アカギは彼女を壁に拘束している手錠と鎖を外そうとした。
だが、焦っているせいか、金属音が響くだけでそれは外れる様子はない。
「外れろ、外れろよ、ちくしょう!」
わめき散らすアカギの脇からミズキが進み出て、冷静に手錠の鍵穴に小刀を差し込んだ。そして力をこめる。
がしゃん、と音がして、手錠が外れた。
ビッキーのやつれ切った身体が、アカギに倒れこんだ。
抱きしめる形になったが、アカギは直ぐにビッキーを床に寝かせて、声をかけ続けた。
「ビッキーちゃん、おい、ビッキーちゃん!」
焦燥を形にしたようなアカギの声に反応して、ビッキーはゆっくりと目を開いた。
彼女は生きている。
全員がとりあえず安堵の表情を見せたが、それも次の瞬間には、再び凍りついた。
ビッキーは、目覚めた途端に恐怖に顔を張り付かせると、弱々しく身をよじりだしたのである。
身体を丸めて手足をバタつかせ、消えそうなほど小さく掠れた声で必死に呟いた。
「い……やあ……。もお、痛いのは、いや……。何でも、言うこと、聞くか、ら……もう、殴らない……で……。
もう……く……すり、を……」
それは、哀願だった。
解放軍の中でも飛びぬけて明るい性格だったはずの少女が見せた、この世で最も弱々しい請願だった。
アカギとポーラは、細かく身体を震わせた。特に、ビッキーと縁が深かったアカギの怒りは大きい。
ビッキーの超天然の言動に、彼が根気よくツッコミを入れる光景は、解放軍の名物の一つでもあった。
その、本来ナ・ナルとはなんの関係もない少女が経験したであろう、暴力と薬物にまみれた地獄のような日々を想像して、怒りと悲しみと、様々な感情を体内で暴走させていた。
同時に、一つの謎が解けた、とミズキは思った。
マクスウェルの住む無人島に、オベル海軍の巡視艇に気付かれることもなく、百人からの部隊を送り込む。
ただでさえ警戒の厳しいオベル島に、三十人からのフレア王女暗殺部隊を送り込む。
どちらも、通常の手段では、成功はおろか実行すら困難なはずである。
それを、優れた戦略眼を持っているわけでも、超人的な実行力を持っているわけでもないナ・ナル人がやりとげるには、必ずトリックがあるとあると思っていた。
その回答が、ビッキーだったのだ。
彼女を薬物と暴力で強引に支配下に置き、彼女の持つ特殊能力―――テレポート能力を最大に利用したのであろう。
だが、そんな理不尽な支配に、わずか十六歳の少女の肉体と精神が、耐えうるはずがない。
ただでさえ、ビッキーのテレポート能力は、彼女自身に大きな負担をかける。弱りきった彼女の身体が、テレポート能力を発揮しえなくなったに違いない。
ナ・ナルによる遠距離テロリズムが、フレア襲撃以降にぷっつりと無くなったのは、つまりは「やめた」のではなく、ビッキーが壊れてしまって、「やりたくても不可能になってしまった」のだ。
ミズキ一人が冷静にそう考えているなか、変化が起こる。ビッキーの身体が、細かく震えだしたのだ。
少女は自分の身体を抱え、歯をカチカチと鳴らし、小刻みに意味不明の単語を呟きながら、視線を空中に漂わせ出した。
「アカギさん、彼女は……?」
ポーラの声を奮わせた問いに、アカギが擦り切れそうなほど歯を食いしばって応える。
「薬の禁断症状が出てるんだ……」
言って、ミズキのほうをちらりと見る。
ミズキは何も言わずに、まだ使えそうな注射器をひとつ手に取ると、丁寧に布で拭き、アカギに投げ渡した。
「アカギさん……?」
ポーラの声を背に、アカギはビッキーに近づき、その腕をとった。
肘の内側にある多数の注射痕に、一度はやりきれなくなって目を背けたが、持ち直し、そこに、自ら手にした注射器の針を当てる。
「アカギさん! なんてこと……」
ポーラが止めようとするのを、ミズキが止めた。理由が分からない。
ポーラは、彼女には珍しい批難と怒りの炎を視線に乗せてミズキを射抜いたが、ミズキは表情を変えず、首を一つ横に振っただけである。
そして、ポーラの心配を無視するかのように、アカギは、ビッキーの細い腕に、注射針を差し込んだ。
「ひッ……」
ポーラの声が上がるのと、意識を再び失ったビッキーがアカギの中に崩れ落ちるのが、ほぼ同時だった。
アカギは表情を変えずにビッキーを支えたまま、注射器を忌々しそうに投げ捨てた。
「なんてことを……!」
湧き出すポーラの怒りを静めるように、アカギはむしろ静かに言った。
「心配するな。本当に薬をうったわけじゃない」
「え……?」
「【 ニードル・ハビット 】ってヤツさ。俺たちは、【 針バカ 】って言ってるがね」
それは、麻薬常習者に表れる、反射症状の一つだ。
身体に針をうたれるだけで、脳が「麻薬が身体に入った」と誤反応を起こし、禁断症状を緩和させてしまうのである。
もちろん、治療行為にはなりえない。
その場しのぎの悪あがきに過ぎないが、とりあえずその場しのぎにはなることもある。この時のように。
アカギとミズキは、忍びの訓練の一環として、様々な薬物の知識を頭に詰め込んでいる。
こういう知識は、そのおこぼれのようなものであった。
アカギはビッキーを支える腕に力を、そして声には怒りをこめて、呟いた。
「許さねえ……。絶対に、許さねえぞ……!」
なにも、個人が政治的な主義主張を持つことを悪いことだとは思わないし、それを振り回して他人と争うのも個人の自由である。
ただし、自分の器量の範囲でやるなら、だ。
自分以外の他人を傷つけながら、世の不正不公平を糾弾して、誰が首を縦に振るものか。
そんな連中に対して、アカギが好意的にならなければならない理由は、一片も存在しない。
アカギの呻きには、そういった人種への怒りと軽蔑とやるせなさが混在し、渦を巻いていた。
(初:09.04.26)