クォ・ヴァディス 20

4-3

 ネコボルト族が群島諸国、特にネイ島固有と言ってよい希少種族であるのに対し、エルフ族は世界中で散見される、人間にもっとも近いと言われる亜人種である。
 それでも、人間に比較すれば数は少なく、生活形態も人間とは異なるところが多い。
 元は異世界の住人であり、それが人間界に住み着いて現在のエルフとなった、という説もあるが、詳しい検証が行われているわけではない。
 例えば紋章砲の開発者であり、先の群島解放戦争の直後に非業の死を遂げた大魔術師ウォーロックなら、あるいは少なからぬ知識を持っていたかもしれない。
 彼は、他ならぬ異世界から召喚した怪生物を基にして、紋章砲を開発したのである。
 だが、彼は生前、よほど記憶力に優れていたのか、わずかな研究ノートを後世に遺したのみで、まとまった著作などは遺していない。
 弟子のような人間もいるにはいたが、そのような人物にも自らの心奥を殆ど語ることなく、ウォーロックはその膨大な知識と偉大な研究結果を、全て自分の中に内包したまま、天に昇ることを強制されてしまった。
 現在、異界を経験した貴重な人物のうち、キリルという青年が生存しているが、彼にしても異界に対して知識があるわけではなく、この事実じたいも彼が自らの内に秘めたままにしている。
 全てを知っているのは、キリルの父親ウォルターと魔術師ウォーロック、二人の死者のみであったが、さしあたってこの事実は、アカギが目前に積んだ問題とは関係はない。

 そのアカギとミズキは、闇にまぎれて森の中を、島の北東に向けて音もなく走っている。
 目指すはこの島においてエルフ族の集落となっている巨木だ。
 元来、エルフ族は緑なす森林に居を構える習性があるが、ナ・ナルのエルフはそうはしなかった。
 彼らは、大の大人が五十人がかりでも取り囲めぬほどの太い幹と、地上からはとても先を見ることもかなわぬ高さを持つ神木の中身をくりぬき、そこに住み着いたのである。
 エルフ自らは「黄金樹」、人間たちからは「忘却の樹ウェーブリット」と呼ばれるその神木は、島の中にあって急峻な峡谷に囲まれており、文字通りエルフ族の聖域として、人間社会との共存を拒み続けた。
 その神木が今、まるで落日の余韻に暗く嗤う邪神の瞳のように、血の紅に染まりつつあった。


 圧倒的な存在感と荘厳な神性を放っているこの神木の内側は、ある意味では、外観よりも更に神聖な雰囲気に包まれている。
 それは、まるで天空へと伸びる一本の塔を思わせる構造になっていた。
 樹木の生命力と妥協しつつ、エルフ特有の芸術的な感性のままに何世代もかけて彫りぬかれた、精緻を極めた生活空間は、その最下部から最上部までの気の遠くなるような高さの中で、一つの街のような様相を呈している。
 この神木の中に、その光彩に満ちた空気に似合わぬ血のにおいが充満している。
 ありえざる融合であった。
 かつて気高いエルフの居室であった部屋には、手狭な牢に収まりきらぬ捕虜が押し込められているのだ。
 その殆どが、エルフとは進んで関わりを持とうとしなかったはずの人間たちである。
 彼らは、同じ島に住む同胞であるはずの人間から脅迫され、ここに拘禁されているのだ。
 対オベル強硬派は、島民の大多数を占める穏健派を制圧するのに、三つの段階を踏んだ。
 まず、一つの家族から数人、強引に人質を取り、それらをエルフの神木に強制連行して、小癪なエルフと共に閉じ込めてしまった。
 そして、人質をとった家族から更に一人、戦える肉体を供えたものを、戦闘員として駆り出した。
 拒絶する者は容赦なく殺された。みな、嫌々ながら従うしかなかった。
 最後に、残った者。
 人質としての価値がなく、戦闘もできない者は、せめて強硬派の邪魔ができぬように、自宅に閉じ込められ、窓や扉を閉じられた。
 これらの蛮行が行われたのが、四週間前のことである。
 既に、島も人間も、まともな肉体と精神とを維持している者は、殆どいなくなってしまっていた。
 ミドルポートからの支援がなくなり、オベルの本気を見せ付けられ、マス・ヒステリーという怪物の手のひらに転がされてしまった結果、強硬派は心の箍を弾き飛ばした。
 彼らは、穏健派に対しては拷問を、仲間内に対しては私刑リンチを繰り返し、自分の手足を醜く食いちぎりながら、のたうちまわっていたのである。
 島から逃亡しようとする者は、派閥に関係なく殺された。
 ただ一人、脱出に成功した者がいたが、ジュエルという名のその少女は現在、オベルにて生死不明となっている。

 そのエルフの神木に閉じ込められた人質のうち、最も傷つき、それでもなお最も覇気に富んでいる者が閉じ込められているのが、最上階にある部屋である。
 彼は、大柄な体躯を苦しそうに動かし、部屋の隅の壁に背中を預けていた。
 筋肉質の色黒の肌には、多数の擦過傷と火傷とミミズ腫れが散らばっており、彼が複数回にわたってひどい拷問を受けていることが容易に知れる。
 銀色の髪は長く、背中まで伸ばされていたが、それにも血がこびりついていた。
 現島長のアクセルであった。
 彼は島長の座に就いて以降、ナ・ナルの過剰なまでの独立嗜好を彼なりに希釈しながら、徐々に中道的な政策を道に乗せようとした。
 そして、それがゆえに強硬派の反発を食らい、彼らを激発させてしまったのである。

 ナ・ナルの島長は基本的に世襲ではなく、一つの習慣的な基準によってのみ選出される。
 つまり、その時の島民の中で最も強い人間が、島長に選ばれるのだ。
 アクセルの血統は、肉体的な頑強さと天才的な戦闘のセンスを代々継承しており、この一族から島長が選出されることも多かった。
 そして、強さを何よりも重視する、その良く言えば「古典的な」、悪く言えば「野蛮な」伝統が、ナ・ナルの頑強で閉塞的な島民意識を、より強烈に蒸留する原因になっていることも事実であった。
 これを禍根なく一代で改革するのは、どのような強者であろうとも、まず不可能であろう。
 島長が最強の人間であることは確かだが、それはあくまで個人の武勇である。
 島長に選ばれなかった島民も、またみな屈強な漁師であり、それなりに自分の体力には自信を持っている。
 そして、そういう人間はえてして、大人しく調教される精神的な家畜の立場にははまりきれぬものだ。
 これまでと真逆の価値観で上から押さえつけられれば、その力を二倍にも三倍にも増して反発する。
 それが分かっていたから、アクセルはできるだけ柔らかな手段を選択したが、それでもこの結果であった。
 では、反発できぬほど強烈な力で押さえ込んだらどうなるか?
 結果は見なくても分かる。現在の発狂した強硬派が、そのなれの果ての姿であるのだから。

 アクセルは、傷ついて熱を持った身体を鬱陶しそうに小さく動かし、不意に苦笑した。
 それは諦めの感情ではない。
 たとえ寸毫のものでも、逆転の可能性のために、少しでも体力を残しておかなければならない。そんな「諦めの悪い自分」にむけた苦笑だった。
 それに、彼が「一人ではない」こともあったろう。
 一人でこれだけ痛めつけられれば、いくら頑強な彼といえど、既に死を願っていたかもしれない。彼には相棒がいたのだ。
 アクセルは、痛む足を動かして、壁を軽く三回蹴った。

「おい大女―――エルフの大女、まだ生きてるか。死んでないだろうな」

 すると、壁の向こうからも音がして、声が返ってきた。

「私のことをそう呼ぶなと、何度言えば分かる、この単細胞……。
 貴様の耳は風穴で、貴様の脳はスポンジか。私にはセルマという立派な名がある……」

 それは女性の声だった。
 声の質は低く、今にも消えそうなほど力が欠けていたが、間違いなく女性の声であった。
 セルマは、エルフ族の族長である。偶然の一致だが、アクセルとほぼ同時期に族長になった。
 人間よりも華奢な者が多いエルフの中では例外的に大柄な女性で、筋骨もたくましい。
 アクセルとセルマは、以前から面識がなかったわけではない。先の群島開放戦争にも揃って参加している。
 解放軍の首魁であるマクスウェルは、重要な作戦を実行するとき、好んでこの二人を同じチームで組ませていた。
 将来的にナ・ナルの指導者になるであろう二人の立場を、そのときから既に考えていたのかもしれない。
 そんなセルマの声を聞いて、アクセルはまた苦笑した。

「お前だって、俺の名前なんて呼んだことないだろうが。まぁいい、それだけ悪態がつけりゃ充分だ。
 死ぬなよ、大女。少しでいいから、力を残しておけ。俺たちをこんな目にあわせたヤツらを叩き斬るだけの力をな」

「言われなくても、そのつもりだ……。返す刀で、お前の減らず口も切り裂いてやる」

「好きにすりゃあいいさ。人間がエルフに迷惑をかけたのは確かだ。
 島長として、責任を感じてないわけじゃない」

 責任を感じる、と断言できないところに、この島の人間とエルフの間にある心の壁の高さが表れている。

「だが、お前さんに斬られてやるためにも、ここからは生きて出なきゃならねぇ」

「………………少し、眠るぞ」

「ああ、良い夢を」

 今の状態では皮肉にしかならない言葉だが、アクセルにしてはそうとしか言えなかった。
 彼も目を閉じた。 
 拷問による傷だけではない。戦闘力の高い彼らを制圧するために、たちの悪い薬品が、大量に投与されている。
 少しでもその効果を抜くためには、眠らなくてはならない。
 それが永遠の眠りに繋がるかもしれない、という恐怖の中で、アクセルは眠った。
 この二時間後、彼は、一ヶ月ぶりに全身で月光を浴びることとなる。

4-4

 アカギとミズキは、気配を消したまま、すでにその神木を見ることができる位置まで来ていた。
 ミズキはこの一連の事件が起こる直前にナ・ナルに潜入しており、その時にこの樹を見ているが、初めて目にするアカギは、その巨大さに目を見張った。
 口をあんぐりと開いて、思わず見上げた。

「なるほど、こりゃあ聞きしに勝るってやつだな。
 こんな樹の存在も、こんなのを住居にしちまうエルフの感性も、どっちも正気の沙汰とは思えない」

 だがその樹も、いまや人間とエルフの牢獄と化している。ミズキが言った。

「エルフはナ・ナル人を見下しているが、そんな彼らがこの樹に閉じこもってやっていたことといえば、世を憂うことと策を弄することだけだ。
 人間もエルフもなく、狭量な彼らにふさわしい住居といえるだろう。天に届くこともない、愚かな断罪の塔だ」

 いつものように無表情だが、その口から出た手厳しい嫌悪感は、ミズキには珍しい感情の発露だった。
 オベルの幹部の中では最初期からこの事件に関わっている人間として、多分に思うことがあるであろう。
 アカギもその想いに、好んで足を踏み入れようとは思わない。
 忍びは現実的でいることができれば、それでいい。気にはなるが、個人の思惑など任務には関係ない。
 アカギは、ひとつ頷いただけだった。

 さて、エルフの神木を見ることができる位置まで来ているとはいえ、二人の前には、霧がかかるほど広く深い峡谷が広がっている。
 その峡谷が、この島における人間界とエルフ界とを断絶しているのだ。
 その峡谷を越える道は、細いものがわずか一本あるのみである。
 大樹に向かうにはその道を正面から進んでいかねばならず、当然、強硬派はその道を監視するか、封鎖するかしているだろう。

「さて、どうする」

 ミズキがアカギを見上げて問うたが、これは確認の意味が強い。
 二人の心は既に決まっている。
 闇にまぎれて忍び込み、監視の島民を無力化しながら人質を解放していく。
 騒ぎが大きくなれば、人質が殺されるかもしれない。
 できるだけ速やかに、そして隠密にことをはこばなければならない。

「強行突破ばっかりというのも、忍びとしちゃあ美しくない。ここらで一つ、俺たちの本領発揮といこうか」

 アカギの口が、挑戦的なかたちに吊り上った。


 闇の中、二つの影が風のような速度で進む。
 その道は細い。しかも両脇は谷底に直結している。
 一歩足を踏み外せば、次の瞬間にはもう命はあるまい。
 だがその二つの影は、まるで逡巡する風もなく、一直線に大樹へと走った。
 大樹の近くまで来ると、ますますその巨大な存在感に圧倒されそうになるが、足を止めることはない。
 闇に溶け込んで走る二人は、だが奇妙な感覚に囚われる。
 必ずいるであろう、と思っていた見張りがいないのだ。
 人質を収容したこの神木は、強硬派にしてみれば第一の監視対象であるはずだが、どうしたことか。
 仲間狩りに必死でその余裕がないのか、それとも監視の必要がないほど人質を弱らせてあるのか。
 警戒しつつ近づき、木の巨大なうろ・・に身をかがめて、二人はその理由に気付いた。

「アカギ……」

 ミズキの問いかけに答えず、アカギは顔をしかめて、少し鼻を動かした。
 専門に訓練された者にこそわかる、強烈な臭気が二人の感覚を刺激している。

 ―――強烈な、血の臭い。
 それも、流されてややも時をおいた血の臭いである。

 その「近さ」を感じて特に警戒しながら、二人は神木の周囲を探索する。
 探すまでもなく、それはあった。
 神木の入り口から見えないように、影に隠された三つの死体である。
 服装から察するにナ・ナル人、この神木の見張りをしていた者たちだろう。
 アカギたちから見れば、隠し方は雑で、暗殺や潜入のプロの仕事ではない。
 だが、その死体の「死」の原因になったと思われる傷跡は凄まじい。
 どれも傷は胸か首に一つのみで、それが致命傷である。
 三人が三人とも、ただ一撃で倒されていた。

「どうやら、俺たちよりも先に忍び込んだ【 先客 】がいるらしいな」

 顔をしかめながら、アカギはつぶやいた。
 気に入らぬ。
 アカギは表情全体で、そう語っていた。


 人質たちが周囲の変化に気付いたのは、一時間ほど経ってからである。
 監視の人間が妙に騒いでおり、次々と階下に降りていったが、誰も帰ってはこなかった。
 鋭敏な感覚を持つエルフたちが、樹内のただ事でない空気を感じ始めていたのだ。

「何が起こっているのかしら」

 一つの牢で、エルフの少女が不安げに声を震わせた。
 エルフの牢は神木の組織をそのまま利用したもので、蔦が絡まった複雑な形をしている。

「もう怖い目にあうのは嫌よ。人間なんて大嫌い!」

 少女はそばにいた女性にしがみついた。
 その女性もエルフで、少女の美しい髪を撫でてやった。

「大丈夫です、リシリア。それに、人間が全て悪魔のような存在ではありませんよ。
 この島の外には、良い人間もたくさんいます」

 その優しい声も、島の外に出たことのないリシリアには、現実感を持って受け止めることはできなかった。

「ポーラは、なんでそんなに人間たちをかばうの!? そんなに、そんなに酷い目に合わされているのに……。おかしいよ……」

 言って、ポーラの左耳にそっと手を当てた。
 エルフ族の外見上の最大の特徴は、長く鋭く突き出たその耳である。
 だが、ポーラの左耳は、右耳の半分ほどしかない。
 まるで後から失われたように、不自然に長さが違う。
 生まれつきのものではない。この島の人間によって、それは奪われたのだ。
 エルフの中で強硬派によって拷問にかけられた人数は少ない。
 その中の一人がポーラだった。ポーラは、ジュエルを島の外に逃亡させる手助けをした。
 そのことが、彼らの怒りに触れたのだ。
 常軌を逸する拷問の中でも、ポーラは何もしゃべらなかった。
 怒りに支配され、それ以外のすべてを吹き飛ばしてしまった島民は、ポーラの左耳を、焼いたナイフで乱暴に切り裂くという、暴挙に走ったのだった。
 ポーラはあまりの苦痛に失神し、逆にそれが幸いしてか、殺されることなく、そのままこの牢に放り込まれた。
 この事件は、強硬派の人間の程度の低さを如実に表すものとして、エルフと穏健派の人間と、双方の怒りと軽蔑を買っていた。

「ポーラはおかしいよ。こんなに、こんなに……」

 感情がこもって声にならないリシリアを抱きしめて、ポーラは優しく言った。

「リシリア。私はこの島の外で長く暮らしてきて、たくさんの人間と交流しました。
 もちろん、悪い人間もたくさんいましたが、それ以上に素晴らしい人間と数多く知り合うことができた。
 それは、私にとって大切な宝物なんです」

 ポーラの脳裏に、様々な顔が浮かぶ。
 ガイエン海上騎士団養成校の同級生だったマクスウェル、ケネス、ジュエル、タル、スノウ。
 様々な思惑を胸に協力し合っていたリノ・エン・クルデス、キカ、エレノア・シルバーバーグ。
 そして、グレアム・クレイ……。

「リシリア、外を知らないあなたに、すぐに全てを認めろとは言いません。
 しかし、これだけは覚えておいてください。否定するべきは、種族の壁じゃないんです。
 良い者と悪い者とがいるのは、人間もエルフもネコボルトも変わりません。本当に否定しなければならないのは、「悪い心」なんです」

「でも、ポーラの耳は、もう元に戻らないんだよ? 殺されたら何の意味のないのに、それでも人間を許すの?」

「この傷を与えたのは人間ですが、そのために私が逃がしたのも人間です。
 そして、彼女は私の大切な友人です。
 友人のために負う傷ならば、それがエルフのためだろうと、人間のためだろうと、耐えることができます。
【人】が人を傷つけるのではない。【心】が人を傷つけるのです。
 悪い心こそが、全ての傷を作るのです」

 かたちこそ残っても、肉体の傷はやがて癒える。
 だが、心の傷は一生残る。残って、自分を苛み続けるのだ。
 ポーラの良く知る二人の人間、マクスウェルとキカ。
 マクスウェルは親友だと思っていた人間の裏切りによって全てを失い、キカは最も大切な人間の命と共に全てを失った。
 だが、彼らはその心の傷と共に、強く生き、多くの人間の上に立つ存在となった。
 ポーラは、その二人ほど強く生きていける強さも自信もない。
 だから、その傷を負う前に、ジュエルを逃がしたのだ。

「大丈夫です。生きてさえいれば、必ず助かります。生きてさえいれば……」

 ポーラの言葉が止まった。
 リシリアの身体を抱きしめたまま、牢の外の一点に視点を硬直させていた。
 何が起こったかわからず、リシリアも同じ方向に視線を向ける。
 そこには、大柄な人間の男が一人、立っていた。
 頭はバンダナに隠れ、目から下も布で覆われており、一目では正体は分からない。
 長い放浪を経験しているのか、機能的な服装は汚れが滲んでいる。
 何よりも手に握られた血にまみれた剣が、ポーラを強烈に不安にさせた。
 進退窮まった強硬派の人間が、人質の皆殺しでも始めたのか。
 ポーラはリシリアを背中に隠しながら、不安と同じくらい、強烈な既視感に襲われていた。
 ポーラはこの男を知らないはずだ。
 その体格や雰囲気は、彼女の知るどの男性とも一致しない。
 だが、彼女の脳内に、何百枚か何千枚かの肖像画がかかっている。
 その中の正体不明の一枚が、強烈に自己主張を始めていた。

 男は無言のまま、彼女たちに向けて歩き出した。
 その歩に合わせるかのように、ポーラやリシリアを含めた人質たちは、後ずさっていた。

COMMENT

(初:09.04.26)