どんなに「運命」という言葉が嫌いな者であっても、常に自分の感知しないところで、自分に関わりのある状況が構築され続け、常に自分が巻き込まれる、という生活を半年も経験すると、「運命」という存在の片手くらいは握ってみたくなるものだ。
もっとも、片手を握って、「運命」とやらに求婚するのか、それとも殴りかかるのかは、その人の性格によるだろうけれど。
マクスウェルにとってのこのような状況は、群島解放戦争、クールーク紋章砲事件、そして今回のナ・ナルの事件の期間を総合すると、ゆうに半年を超える。
そろそろ彼も、「運命」の存在について考慮を払ってもいい時期かもしれないが、それよりも先に、片付けなければならない事件はいくらでも起こるものだった。
例えば、今日のこのときのように、である。
マクスウェルと、一歩を控えて彼の背中についてくるミレイ。
二人の耳に飛び込んできたのは、聞きなれた女性の声だった。
それは、二人を呼ぶ声ではない。
明らかな悲鳴である。
そして、高らかな剣戟の音。
一瞬、マクスウェルとミレイは視線を交わし、それでお互いの意思を確認しあうと、一気に走った。
目的地は洞窟。戦前、オベルの巨大船が隠されていた、王宮裏の巨大洞窟である。
その洞窟は、ラズリルから流罪にされてリノ・エン・クルデスに保護された後、マクスウェル一行がしばらくの間、仲間集めのための本拠地にしていた場所である。
誰よりも通いなれたマクスウェルが、ミレイを先導して走った。
全力で走った。恐らく二分もかからなかったはずだ。
巨大船が抜けた後の巨大な空洞に駆け込んだ二人が見たものは、多勢の追っ手に取り囲まれたフレア王女の姿であり、そして、その王女を護るように、見覚えの無い冒険者風の長身の戦士が、敵に剣を向けている姿だった。
アカギでもトリスタンでもない。その二人よりも背は高い。
だが、不自然に表情を隠すように頭と口元に巻かれた布のせいで、顔が全くわからない。
冒険者の正体の気にはなったが、それ以上にマクスウェルが気にしたのは、王女を襲った敵の正体である。
三十名ほどの敵は服装はバラバラだが、皆同じバンダナを頭に巻いていた。
マクスウェルを無人島に襲った者たちと同じように。
王女は肩で息をしていた。
護身用のショートソードでよく「敵」の攻撃をしのいではいたが、王女が本来得意とする武器は弓矢である。
不慣れな剣での戦いには限界があった。
だが、その王女の苦戦をフォローするかのように、見知らぬ冒険者の剣は冴え渡った。
半月形の軌跡を描いて敵の一人を打ち倒すと、返す剣で更に一人を斬り捨てる。
明らかに、訓練された者の動きだった。
敵が二人を警戒し、遠巻きに取り囲み始めたとき、ミレイとマクスウェルは躊躇することなく敵の後背から襲い掛かった。
「殿下!」
ミレイがフレアの無事と健闘を確認すると、剣を抜いて突進した。
「どきなさい!」
ミレイにとっては、無人島での戦いの再現である。
敵の背後から斬りかかり、次々と打ち倒していく。
敵の数は三十人程度で、マクスウェルを救出したときの六割ほどである。
「お前たちは何者か! この方を、オベル王女フレア殿下と知っての狼藉か!」
ミレイの澄んだ声と、剣戟の音が、洞窟の壁面に乱反射する。
充分に怒りを籠めた一撃は、しかしそれを凌駕する憎悪によってかき消された。
マクスウェルの双剣による攻撃が、その憎悪を剣身に乗せ、無言の圧力と化してあらゆる感情と敵の身を切り裂いた。
思わず彼のほうに顔を向けたミレイが、その表情に一瞬、息を飲んだ。
彼の表情には感情というものがない。
だが、視線から零れ落ちる透明な殺意と憎悪だけで、充分に敵を害することができるだろう。
滅多に無いことだが、この場において最も激高していたのは、マクスウェルだった。
その双剣が、唸りを上げて上下から疾駆する。その後に残る空気と音さえ両断して。
彼は許せなかったのだ。彼の大切な仲間を瀕死に追いやり、自分を襲い、そして今度は姉同然のフレア王女を亡きものにしようとしている、この愚か者たちが。
この時点では、まだこの三つの事件が同じグループによって引き起こされたという証拠はなかったのだが、マクスウェルの頭脳の中では、既に事実が一直線につながり、一つの結論を導き出している。
そしてその「結論」が持つ危険な可能性を、彼はよく理解している。
だが、彼は「許すこと」ができなかった。立て続けに起きた三つの事件がすべて、彼の意識をマイナスの方向に刺激した。
場は騒然となったが、混乱しているのはむしろ敵のほうだった。
ミレイたちは、多勢の敵を相手にしても、複数の敵と同時に剣を合わせる愚は冒さない。
優れた体術で敵を「選別」しながら、常に状況を一対一にする。
そして、圧倒的な実戦経験の差がある以上、一対一の対決が続くかぎり、状況は不利にならない。
ミレイは今回は部下を連れていなかったが、それでも勝算はあった。
前回同様、敵の動きは奇妙に緩慢で、持っている武器の扱いも杜撰だった。
しかもこちらには、自分以外にも、双剣の達人であるマクスウェルがおり、更に王女を護る冒険者風の男が鬼神のごとき強さを発揮していた。
訓練され実戦を何度も経験した戦闘の達人は、そうでない者を、驚くほど簡単に破ることができる。
「強さ」というものは、単純に腕力や武器の腕のみで決まるわけではない。
無駄の無い行動、状況判断、洞察力、環境を利用する能力、足の運びから敵の隙を突く技術に至るまで、全てを総合して「強さ」と称するのだ。
そして、無名の戦士を含むミレイたち三名と、その十倍の敵とでは、それらの「強さ」に差がありすぎた。
あっという間に敵の三分の一ほどを倒し、敵の囲みを突破したマクスウェルとミレイは、フレアと冒険者の男と合流し、先ほどよりも小さくなってしまった敵の包囲網に対する。
「フレアさん、大丈夫!?」
「大丈夫よ、ありがとう」
マクスウェルが敵に剣を向けつつ、フレアに駆け寄る。
フレアは息を酷く乱してポニーテールの髪を揺らしていたが、それでも気丈に背筋を伸ばして応えた。
ミレイ、マクスウェル、そして冒険者風の男は、フレアを護るように敵に対する。
マクスウェルは正体不明の男の隣で険しい表情を表している。二人はひたすら無言で、目も合わさなかった。
ただ、マクスウェルはその男の剣にだけは目を向けた。
どこかで見覚えのある剣だ。果たしてどこで見たものか。
それは、いい加減な作りの安物の剣ではない。しっかりとした腕で制作された逸品だった。
だが、男に対して正体を詰問するようなことはしない。
「味方」を疑うことはいつでもできる。
だが今は、それをすべき時ではなかった。
マクスウェルは、目的を違えることはなかった。
ここで、彼らは決断に迫られる。
このまま四人で残った敵を全滅させるか、王女を護って再び敵の囲みを突破して王宮に逃げ込むか。
敵を全滅させることは不可能ではないだろう。敵は明らかに戦闘の素人であり、彼我の戦闘力に差がある。
だが、今回の戦闘の目的は王女を守り抜くことだ。
ミレイとしては王女が疲労していることもあり、一刻も早く脱出を敢行すべきだと思った。
一瞬だが、ミレイはマクスウェルと視線を交わし、そして二人で頷く。
この程度の意思の疎通であるなら、二人にとっては、これで充分なのだ。
そして、彼らが行動を起こそうとした途端、三度状況が変わる。
敵味方のそれぞれが行動を起こそうとしたとき、膠着状態を実際に打破したのは、第三者だった。
洞窟の入り口付近から、大勢のものと思われる怒号が響いてきたのだ。
ことここにいたって、ようやくオベルの近衛兵が事態に気づき、フレア王女を救出せんと、突入を開始したのである。
「突入せよ! 殿下をお救い申し上げるのだ!」
近衛兵の指揮を執るトリスタンの声が響く。
この際、敵の狼狽を誘うことも重要であるから、自らのものものしさを隠すことはしない。
立場は完全に逆転した。
既に戦闘力において敵の士気を挫いている上に、完全武装の兵が五十名から突撃してきたのだ。
十九名しかいない襲撃者側が、今度は一方的な被害者となる番だった。
ここで、マクスウェルが叫ぶ。
「皆殺しにはするな! 二、三名は生かして捕らえろ。事情を聞かねばならん!」
その指令は実行された。
不運な襲撃者が二名、後頭部や腹に複数の打撃を打ち込まれて、意識を失い、確保された。
残りの十七名は、怒りに身を任せた近衛兵によって、血祭りに上げられた。
自分たちがフレア王女に対して実行しようとした蛮行を、十倍にしてその身に返されたのだ。自業自得ではあったろうけれども。
こうして、無人島に続き、マクスウェルにとって思い入れのある場所が、複数の真紅の血に染まることになった。
なんともいえない空虚な思いに、マクスウェルは思わず歯を食いしばり、血に染まった剣を握ったままの両腕に力を籠める。
ふと気づいてミレイが周囲を見渡したとき、すでに王女を最初に護っていた冒険者風の長身の男の姿は見えなかった。
あれほどの使い手が、あの程度の混乱の中で命を落とすとも考えづらい。混乱にまぎれて脱出したのであろう。
彼らの予想以上の速度で、周囲の状況は回転している。
一時間後の世界すら、二人は予想できず、深刻な表情で、そろってため息をついた。
オベルのような開放的な国の王宮にも、誰の目にも触れぬ施設というものがある。
いや、開放的な土地柄だからこそ、逆にそういう施設は欠かせないのだ。
オべル王宮の地下、尋問室において、捕らえた襲撃者の尋問が行われた。
国王リノ・エン・クルデスを含むオベルの要人が、ほとんど臨席したが、フレア王女だけはリノの強固な命令によって、半ば強制的に自室で休まされた。
王女は控えめに不満を口にしたが、父王には一顧だにされなかった。
リノは苦々しい後悔に精神を染め上げていた。マクスウェルが襲撃されたことで、充分に警戒心は持っていたつもりだったが、まさか自分の足元で、娘が襲撃されるとは思いもしなかったのだ。
もはやどこも安全とはいえない。リノは一切の楽観を廃し、二年前のあのときのように、心に甲冑をまとわざるを得なかった。
そして、そんな国王の怒りが乗り移ったかのように、捕虜への尋問は過酷を極めた。
それは、尋問という形式を整えたうえで行われた、事実上の拷問だった。
家臣団は王家を直接襲った賊に対して、仏心を微塵も持つ気にはなれず、リノ・エン・クルデスはその処置を、ことさら推奨はしなかったが、黙認した。
そして、捕虜が二人とも「ナ・ナルの刻印」を額に持っていたことが、余計にその敵愾心を刺激した。
尋問は、最終的に捕虜が二人とも狂死するほど過酷なものになったが、その事実の凄惨さに比べれば、得られた情報ははなはだ少なかった。
「俺は、ただの漁師だ……。ただ巻き込まれて、強引に……。なんで、俺がこんな……」
一人目の男は、悲鳴を上げながら、それだけを泣き叫んだ。
慣れた尋問官が手練手管を用いて情報を得ようとしたが無理だった。
本当に、何も知らないようだった。
二人目の男は、一人目よりも事情に明るかったが、それでも事件の核心に迫る情報は得られなかった。
「このまま放っておけば、オベル王国の権力と影響力はどんどん充実していく。
我らのただ一つの願い、ナ・ナルの独立は、群島諸国連合という、響きがよいだけの醜いコートに隠れた、オベルの下卑た政治的野心によって、必ず蹂躙されるだろう……。
それを防ぐのは、我らの当然の正義である。
我らはただ、幸福に暮らしたいだけなのだ。それのどこが悪いのか」
その告白を聞いたとき、リノ・エン・クルデスは、上半身全体を使って大きく息を吐き出し、首を横に数回振った。
リノ・エン・クルデスには、ナ・ナルの独立を侵すつもりなど、全く無かった。
そうする理由が無いのだ。
仮に「群島諸国連合」の存在を隠れ蓑に、オベル軍がナ・ナルを占領したところで、オベルにはほとんど利益は無い。
それどころか、後々もたらされるであろうデメリットのほうが、はるかに大きいと思われている。
確かに、豊かな海産物がもたらす莫大な富には、大きな魅力があったが、それ以上に島民が持つ閉鎖的な資質は、占領下という悪環境の中では特に扱いが難しい。
更に、ナ・ナルには、人間だけでなくエルフ族の小さな集落がある。
現在は小康状態が続いているが、エルフ族は人間以上に閉鎖的で、昔も今も、島民との小さないざこざが絶えないのだ。
ナ・ナルを占領するということは、いつ爆発するかわからないそれらの爆弾を、まとめてふところにしまいこむことに他ならない。
ようやく安定と発展を取り戻したオベルにとって、その爆弾を抱えるのは、得策とはいえなかった。
だから、リノ・エン・クルデスは、「群島諸国連合」という形をとり、ナ・ナルを、オベルを含めた他の群島諸国と同格の友として、近づきすぎず、遠ざけすぎず、手を取り合うかたちを選んだのだった。
ナ・ナルの一部住人には、それですら「下卑た政治的野心」に受け取れてしまうようであるが、一方的な被害者妄想とはいえないであろう。
「群島諸国連合」を構築し、渋るミドルポートやナ・ナルを連合に組み込むために、リノ・エン・クルデスが少なからず強引な手段を用いたことは事実であったし、それが、元々複雑なナ・ナル島住人の自尊心を逆なでしなかったとも、必ずしも言えないからである。
ナ・ナルにおいてあっさりとクーデターが成功した裏には、そのような事情があったのかもしれない。
だがどちらにしても、この捕虜の証言で、オベルの今後の方針はほぼ決定したといっても過言ではなかった。
直後に開かれた、この日二度目の御前会議では、朝に開かれたときとは異なり、大勢がはっきりと主戦論、強硬論に流れた。
よりによって、オベル本島でオベル王家を襲うとは! ナ・ナルの田舎者どもに、実力で身の程というものを教えてやるべし!
この意見は、リノ・エン・クルデスも認めないわけにはいかぬ。
ぎりぎりの駆け引きを続けながらも、オベル王国としての意思をはっきりと表明しなければならない。
確かに、「なぜ、今なのか」という重大な疑問は残る。
ナ・ナルに対して詰問状を送り、相手方の真意を確認することが大切ではあるが、もはや全面戦争も已むを得ぬ。
フレアやマクスウェルが襲われた事件については、二人は無事であったが、ミレイの部下であるオベル兵四名の命が失われている。
少なくともこの件に関しては、ナ・ナルは何らかの説明義務があるはずだった。
謝罪をしてくるか、無実を訴えてくるかは、わからないが。
リノ・エン・クルデスは、ミドルポートやラズリルとの連携を急ぐこと、出撃を前提に艦隊の準備を急ぐこと、本島の警備を充実させること、などを命令した。
会議は、参加者のほぼ全員が納得するかたちで終わったが、ただ一つだけ、違和感を残すことがあった。
仲間、自分自身、そしてフレアを失いかけ、誰よりも過激に強硬論を展開するであろうと思われたマクスウェルが、意外にも主戦論への積極的な肩入れを控えたのだ。
彼は始終、考え込むような動作をしながら、会議の成り行きを聞いてはいたが、自らは王の決断を支持したのみで、ほとんど発言はしなかった。
会議散会後、リノ・エン・クルデスは改めてマクスウェルとミレイを呼んだ。
彼も、マクスウェルの態度には、やや違和感を感じていた。
リノがマクスウェルに意見を求めると、彼は自らの腹中を明かした。
「罠でしょうね」
「罠?」
マクスウェルは明快に断言し、リノも聞き返すが、自らもその思いはあったのだろう。その表情に、不可解さはない。
マクスウェルが説明する。
まず、これら二つの襲撃事件には、不自然な点が多すぎる。
このオベルへの潜入など、襲撃当初の手際が良いのに、襲撃そのものはあまりに手際が悪い。
重要人物を襲うには、襲撃者の手腕が無様すぎる。
そして何よりも、大げさすぎる。
弱者が強者に対する際のテロリズムの常道を欠いているとしか言えず、ナ・ナルにとってのメリットが、何一つ感じられない……。
準備と実行の手腕の乖離。これは、マクスウェルがずっと違和感として感じているものだった。
フレア王女のような要人を襲うなら、実力のある暗殺者を一人か二人、雇って送り込めばすむはずだ。
だが、暗殺の「あ」の字も知らず、また戦闘の手ほどきを受けても居ない、完璧な素人と思しき者を、わざわざ危険を冒して島に忍び込ませるなど、ヤケになった者がヤケになって企てた無謀な作戦としか言いようがない。
だがそのわりに、この「敵地」の真ん中であるオベル本島に三十人からの「暗殺部隊」を送り込むなど、肝心の襲撃の前段階の手際だけは際立って優れている。
どうにも納得しがたいバランスの悪さだった。
「確かにその通りだが、我がオベルを動揺させる効果は充分にあるだろう。
実際に、先ほどの会議を見れば分かる。俺たちはすでにナ・ナルの思惑に乗せられているのではないかな?」
リノが疑問を呈してみせるが、国王自身がその疑問を信じていないことなど、一目瞭然だった。
「ナ・ナルにとって重要なのは、オベルを動揺させてからどうするのか、その後のことのはずです。
動揺させるだけなら、オベルの軍事報復を招いて自滅するだけのこと、ナ・ナルにとってなんの意味もありません」
そしてクーデター派に担ぎ上げられたというナ・ナル前島長が、そんな手段をとるとも思えない。
マクスウェルもリノも面識があるが、彼は良くも悪くもリアリストであった。自らに不利を招くだけの策は弄すまい。
「ナ・ナルの本当の目的は、オベルと戦争をすることではなく、我らを激高させて軍主力をオベルから引きずり出すことでしょう」
「では、我らを引きずり出して、やつらはどうしようというのだ」
一段低くなったリノの言葉に、マクスウェルの視線にも険が入る。
ミレイが緊張のあまり、一瞬、呼吸をとめた。
マクスウェルは答えた。
「艦隊主力が出撃した後の、空になったオベル本島の逆占領」
大きくため息をついて、リノは玉座に乱暴に体重を預けた。
「確かにな。オベルの息の根を止めるには、まずこの島を押さえるのが常道だが」
マクスウェルの予測の説得力を認めながらも、彼の表情は晴れない。
なにもかもが、この長身雄偉な国王には気に入らぬ。
確かに、少人数のナ・ナルに、正面きってオベルと戦争をすることは不可能だろう。
だが、現在のナ・ナルのやり方も、リノには気に食わぬものだった。海の男のやることとは思えぬ。
ここで、遠慮がちにミレイが疑問を出した。
「ですが、ナ・ナル島の住人が全員、クーデターに加担しているわけでもないのでしょう?
一部の者が過激に暴走しているだけのナ・ナルに、オベルを占拠するだけの余力があるでしょうか」
その疑問も当然ではある。
既に「敵方」は、マクスウェルとフレアの両襲撃事件において、百名を超える「犠牲者」を出している。
何人がクーデターに加担しているのかは不明だが、これ以上の犠牲は、絶対に出したくないことだろう。
それに、クーデターに無関係の漁師を無理に巻き込んでいるような状況も見て取れる。
なんらかの形で反クーデター派を無理やり巻き込んだとしても、そんなことをしていては、いずれナ・ナル島の実効支配すら危うくなる。そんなことがわからないとも思えない。
それとも、とうに「そんなこと」が判断できぬところまで追い詰められてから、発作的に決起したのであろうか。
だがそうだとすれば、余計に襲撃事件の準備段階の手際の良さの説明がつかぬ。
それに、だ。
ナ・ナルの前島長は二年前の戦争のとき、自ら手を組もうとしたクールークの島民虐殺という蛮行を目前に見ている。
その時、明らかに色を失い、これ以上島民を危険に晒すことを恐れて、ナ・ナルは解放軍に協力したのだ。
その彼が突如、激しく対立しているわけでもないオベルへの対抗心に目覚め、島民を犠牲にしながら勝てるとも思えぬテロリズムに走る、というあたりの心理状態に、マクスウェルもリノ・エン・クルデスも、どうしても必然性を感じられないのである。
リノとマクスウェルは視線を交わした。
「見えざる第三者の思惑、か。
ナ・ナルは時間稼ぎのためだけに、いいように使われる道具にすぎんというわけだ」
「はい。オベル本島を占拠したいのは、ナ・ナルではなく、ナ・ナルを操っている何者か、でしょうね」
応じたマクスウェルに、リノが尋ねる。
「それでマクスウェル、お前はどうすればよいと思う」
「オベルの態度をはっきりさせておくためにも、ナ・ナル制圧の軍事行動は致し方ないと思いますが、全艦隊を出撃させる必要はないでしょう。
あくまでミドルポート、ラズリルとの共同作戦の形をとり、少なくとも半数はオベルに残しておくべきかと」
「なるほど、事件を群島諸国連合全体の問題にして、ナ・ナルを占領する事態になった時は、責任をミドルポートとラズリルにも負わせるわけだな。
よかろう、わが国の損にはならぬ。マクスウェルの意見を採る」
満足はしていないし、気が晴れることもないが、リノ・エン・クルデスは決心した。
今は、これが最良の方法であろう。
「それにしても……」
リノは玉座から立ち上がりながら、苦渋の息を吐き出した。
「群島の海の男の戦いは、もっと正々堂々としたものであったはずだ。いつから、こんなに湿っぽい戦いが増えた?
策略を用いることが悪いとは言わないが……」
言って、国王は首を振る。
国王としてのリノ・エン・クルデスが理解できることであっても、戦士としてのリノ・エン・クルデスが納得できないことは、いくらでもあるのだった。
リノ・エン・クルデスは海の男であり、海の国の王である。
文書一枚で国を纏めてきたのではなく、時には自ら軍の先頭に立って国を護ってきた。
その上に現在の国の安定と、国民の忠誠があり、リノはそれに絶大な自信を持っている。
だからこそ、ナ・ナルのテロリズムも、それを裏で操っている(と思われる)者の存在も、リノ・エン・クルデスは許容できなかったのだ。
もしも、娘のフレアを今日、失うことがあったとしても、彼は正面から堂々とナ・ナルと対決し、これを打ち破ったであろう。
それが、強者の驕りの正義だといわれれば、確かにそうかもしれない。だが彼は、いまさら自分の生き様を変えるつもりはなかったのである。
(初:08.08.20)