「コルトン将軍、戦いは、終わったよ」
群島解放軍の旗艦。その牢階において、青年はそう告げた。
告げた相手は、かつての彼の強敵であった、クールーク第二艦隊指揮官コルトンである。
海戦において堂々と戦い、そして敗れたコルトンは、こうして敗残の身を、敵旗艦の牢にて捕虜として晒していたのである。
彼にそう告げた若者は、群島解放軍の指揮官マクスウェルであった。
未だ十代と思しき彼は、どのような表情を作ってよいものか迷っている顔で、コルトンの反応を待った。
マクスウェルの一言を受けて、コルトンはその立派な口ひげを思わず揺らし、牢の格子木を掴んで立ち上がる。
「卿がこうしてここにいるということは……、トロイ殿が、敗れたと言うのか?」
胸郭からしぼり出すようなコルトンの声に、マクスウェルは、複雑な表情で頷く。
「まさか……信じられぬ……」
「信じられなくても、信じてもらわねば困る。これは、事実だ」
マクスウェルの声は、コルトンには半分も届いていなかった。
彼は、トロイが海戦で敗れたという事実を飲み込むのに、やや時間を要した。
歴戦の老将であるコルトンから見ても、彼の子供ほどの年齢でしかないトロイは、こと海戦指揮において、間違いなく天才と呼べる人種だった。
彼は戦場の勇者でもあり、かつ戦争そのものを掌で動かせる稀有な人間だったのだ。
その彼が、今、コルトンの目の前に立っている、この二十歳にもなりえぬような青年に敗れたというのか。
数分を経て表面上だけでも落ち着きを取り戻したコルトンは、初めてマクスウェルの瞳を直視した。
「それで、トロイ殿はどうなされた。捕虜としたのか?」
しかし、返ってきた答えは、またも彼の思いを打ち砕く。
マクスウェルはやや逡巡した後、小さく息を吐き出して、コルトンと視線を交わす。
「彼は……海へと還ったよ。沈む自分の旗艦とともに……」
「馬鹿な! トロイ殿が亡くなったと!?」
「生死は不明だ。だが……我々も船を残して捜索させているが、海は大時化の状態だ。恐らくは……助かるまい」
「そんな、馬鹿な……」
コルトンは、思わず力を失い、膝をつきそうになる。
そこで膝をつくことなく立ち留まったのは、歴戦の老将の名に恥じぬところであったろう。
だからといって、彼の目に力が戻るわけでもないが。
彼は、自分とトロイを敗り、見事にエルイールを陥落させた若き指揮官と、再び視線を交錯させる。
「それで……、指揮官たる卿は、私をどうする。
その事実を告げるためだけに来たわけではあるまい」
マクスウェルは、もう一つ息を吐き出して表情を整えた。
大きな報告を済ませても心境は軽くならないが、それでも話題が転じるというだけでも、幾分は表情は和らぐ。
「ああ、戦後の話だ。戦争は終結したことだし、捕虜となっていたクールーク兵は好きにさせることにした。
クールークへ帰りたい者は帰るだろうし、残りたい者はここに残るだろう」
「そうか」
ひとまず、コルトンは胸をなでおろした。
「寛大な処置に感謝する。部下が無事と解れば、私は思い残すことはない。
殺されるのならば、それはそれで受け入れよう」
エルイール総督の南進政策が、グレアム・クレイの野望に踊らされたものであることが明白であるといえ、自分も艦隊を率い、この青年の率いる解放軍と戦った身である。
トロイがその若い命で敗戦の
勝利した敵と、自分の指揮で命を散らせてしまった部下と、その部下の家族と、少なくとも、この三者に対しては。
だが、相対したマクスウェルの言葉は、再びコルトンを驚かせる。
「早まるなよ、コルトン将軍、貴方も解放する」
「なんだと?」
今度は意表を突かれたかっこうで、コルトンは自分よりも遥かに年下の青年を見た。
「私は敗軍の将だ。その私に生き恥を晒せというのか? いっそ、一刀のもとに切り伏せられたほうが本懐である」
「そんなことは貴方の都合だ。俺の知ったことではない」
マクスウェルはむしろ、冷然と言ってのけた。
「言った筈だ。もはや戦争は終わったのだ。
この戦争でこれ以上死者を出す気は、俺たちにはないし、その必要もない。
だから貴方もクールーク兵も解放するのだ」
「………………………………」
「貴方が死にたいのというのなら、この船から降りた後で、自殺するなり何なり、好きになされるが良い。
俺たちには、貴方の【武人の本懐】とやらに付き合わなければならない、義務も義理も無い」
コルトンはなにも言い返すことが出来ず、というよりは、むしろ呆気にとられた表情でマクスウェルの言葉を聞いている。
その様子を全く無視して、マクスウェルは言葉を続けた。
「もうじき、この牢の鍵を持った男がやってくる。その男とともに、早急にこの船から立ち去ってくれ。
貴方の解放は、俺の独断でね。エレノアに知れたら少し厄介だ」
言うと、マクスウェルは身体の方向を変えた。
これ以上、コルトンに語るべきことはないと言いたげであった。
コルトンに一瞥も返すことなく、マクスウェルはその場を後にする。
コルトンは、虚空を見つめたまま、なにも言ってこなかった。
マクスウェルが牢が並ぶスペースから廊下に出たとき、何者かの気配を感じた。
誰であるかは、確認する必要もなかった。
マクスウェルは、わざわざ彼が自分を尾行していることを確認しつつ、ここまで来たのだから。
「いるのは解っている。出てきてくれ、ヘルムートさん」
その気配は、自分の名を呼ばれて一度驚いたような動きをしたが、臆することなくマクスウェルの前に姿を現した。
出てきたのは、マクスウェルよりもやや年上に見える青年だった。
銀髪と、その端正な顔立ちが、驚きの表情に支配されている。
元クールーク分艦隊司令官の一人であり、元ラズリル駐留艦隊司令官、ヘルムートである。
彼もマクスウェルら解放軍に敗れ、部下達の助命の代償として、解放軍に力を貸していたのだった。
「マクスウェル艦長……」
ヘルムートはなにかを言いかけたが、言い終える前に、マクスウェルが彼の手に何かを投げ渡した。
ヘルムートが反射的に受け取ると、それは何かの鍵であるらしい。
「ヘルムートさん、時間がない。聞いていたと思うが、それはコルトン将軍の牢の鍵だ。
それでコルトン将軍とともにこの船から去ってくれ。あとはどこに行こうが、貴方達の自由だ」
「なぜだ、なぜ今、私たちを助ける? 何年か後に、再び私たちは卿らの驚異となるかもしれないのだぞ」
ヘルムートが問うと、マクスウェルは少し寂しそうな表情を見せた。
それが意外だったのか、ヘルムートは、続けようとした言葉を飲み込んだ。
「言った筈だ。もう戦争は終わった。この戦争による犠牲者を……」
言いかけて俯き、マクスウェルは自分の左手をぎゅっと握り締める。
彼を忌まわしき運命へと導いた「罰の紋章」が眠る左手を。
「いや、もうこの罰の紋章による犠牲者を、出したくないんだ。
戦後、兵たちは助けられるし、俺たちに協力してくれた貴方も、寛大な処置が下されるかもしれない。
だが、コルトン将軍はそういうわけにはいかない。彼は最後まで協力を拒み、証言を拒否した。
それは立派な態度だが、俺たちが勝った以上、彼に大きなペナルティが下されるのは避けられない。
しかしそれでは、彼も罰の紋章に起因するこの戦争の犠牲者であることに、なんの変わりもない」
一気に言い終わった後、マクスウェルは自分の気を落ち着かせるように深呼吸する。
ヘルムートは、恐る恐る問いかけた。
「卿は……、自分がなにを言っているのか解っているのか?
確かにこの戦争は、卿に宿った「罰の紋章」が発端だろう。それは間違いない。
だが、その紋章の齎した被害の責任と、この戦争による被害の責任は全く別の話であるはずだ。
それに先ほども言ったが、私たちが将来、再び卿達の敵となる可能性を考慮しないのか」
「同じなんだよ、ヘルムートさん。紋章も戦争も関係ない。この紋章を持つ俺にとっては、同じなんだ」
マクスウェルが少しうつむいた。
前髪で瞳が隠れる。
「理解しているさ、自分のわがままの重要さはね。
誰が見ても、理性ではなく感情による行動だ。所詮は幼稚な主張だろうよ。
だけど、これは俺が自分で決めたことだ。もし何かあったら、俺が責任を取る。
それに、貴方達が再び俺たちの驚異となれるかどうかは、貴方達次第だ。
船から降りた後に死にでもしたら、将来も脅威もなにもないだろ」
意地悪な笑顔をつくってマクスウェルが言うと、一瞬、ヘルムートも苦笑を閃かせかけた。
だが、マクスウェルがヘルムートの手をぎゅっと握ってきたので、それも未遂に終わった。
「コルトン将軍を頼む。
年下の俺が言うのもヘンだが、ヘルムートさん、お父上を大切にしてあげてくれ」
ヘルムートの表情が、一瞬で切り替わる。
驚きと警戒と、半々の表情で、彼はマクスウェルを見た。
「……知っていたのか」
「すまない。トロイ艦隊との決戦前に貴方と同様、俺もこのフロアに居てね、貴方とコルトン将軍の会話が耳に入ってたんだ」
「そうか……」
ヘルムートは、微かな笑みを浮かべて、マクスウェルの手を離すと、少し俯いた。
マクスウェルが言うように、ヘルムートはコルトンの息子である。
戦争中は、敵国クールークからの投降者であるヘルムートが、彼自身に必要以上の猜疑を向けられることを防ぐために、解放軍への協力を拒否し続けるコルトンと、意識的に距離を置いていた。
しかし、最終決戦となるであろうトロイ艦隊との戦いの前日、ヘルムートは、この旗艦に搭乗して初めて、父と対話した。
無論、周囲の目がない深夜の時間帯を選んで、である。
父であるコルトンは、息子を諭した。
『クールークだけが世界ではない。お前の思うとおりにやればよい』と。
そうして、親子で立場を異にしたまま、彼ら親子は終戦を迎えたのであった。
数瞬後、ヘルムートは目を開き再び顔を上げて、マクスウェルの顔をその瞳で直視した。
「私は誇りあるクールーク軍人として卿に誓おう。
再び我ら親子が群島諸国と対することになっても、卿が私たちにかけてくれた恩義は、生涯忘れぬ」
ヘルムートの宣誓を、マクスウェルは嬉しそうな表情で、一つだけ頷いて受け入れた。
「ヘルムートさん、貴方も聞いたかもしれないが、俺は両親の顔も自分の出生も知らない。
だから、家族の絆も、その意味も知らない」
「………………………………………………………………」
「俺の人生の教訓として、数年かけて貴方達から教えてもらうよ。
コルトン父子の絆を。貴方達が障害を乗り越えていく、絆の強さを。
家族というものの、繋がりの強さをね」
言って、マクスウェルはぽんと軽くヘルムートの胸を小突いた。
「だから、死ぬなよ」
ヘルムートは、笑顔でその手を握り返した。
「卿も、大人しい顔をしてキツい宿題を出してくれるな。
これは命がけで応える羽目になりそうだ」
「なに、お飾りとしての俺の最後のワガママさ。せいぜい、自由に使わせてもらうさ。
それに、きつい宿題と理解しているわりには嬉しそうだな、ヘルムートさん」
マクスウェルの顔も、自然と綻んだ。
この旗艦にある時、お互いの立場の違いから、マクスウェルとヘルムートが会話をする機会は、それほど豊かではなかった。
だが、ヘルムートが降伏し、この船に乗って二ヶ月間の、最後のこの僅か数分の語り合いが、ヘルムートにとってもマクスウェルにとっても、得難い時間になったのは、間違いのない事実だったのである。
「さて、長話をしている暇はなかったな」
マクスウェルがふと気付いて、周囲を見渡す。
幸運にも、周囲に人影はない。
「そろそろ、戦いの興奮が醒めて、皆が通常通りに戻る頃だ。
時間がない。早く行ってくれ」
言って、マクスウェルが、ヘルムートの肩を押す。
「解った。必ずまた、いずこかで会おう」
「ああ、必ずな」
ヘルムートは頷くと、鍵の所在を確かめるように、しっかりと手を握り締め、コルトンの牢の方に走っていった。
マクスウェルはそれを確認すると、彼も足早にそのフロアを後にした。
コルトンとヘルムートの“脱走”が明らかになった後、マクスウェルが同じ時間に同じ場所にいたことが判明すれば、かなり厄介な事態となるに違いないからである。
群島解放戦争は、クールークの敗北によってその決着をみた。
ヘルムートが指摘した、再度の対立の可能性は、この数年後、コルセリア皇女の決断によってクールーク皇国それ自体が瓦解したことで、ほぼゼロとなった。
だが、コルトン父子とマクスウェルが、約束どおり再会しえたかどうかは、定かではない。
(fin)
「幻想水滸伝4」のエンディングで、ヘルムートのその後が、コルトンとともに脱走していたことになっていたところから、妄想を膨らませてみました。
ヘルムートもコルトンも、残念ながら4の続編である「ラプソディア」には登場しませんでしたが、どこかで生きているものと信じたいですね。
(初:06.01.25)
(改:06.01.26)
(改:06.11.19)
(改:08.03.26)
(改:09.06.30)