クリスとサロメは警戒を解かず、その証として武器を下げることもせずに、青年に向かい合った。
このような奥地で自分たちの名を知っている者を、簡単に信用するわけにもいかぬ。
敵対する理由は無いにしても、味方であると即座に決め付けるわけにもいかなかった。
キリルと名乗った青年は、まるで女性のような細面に、困ったような表情を浮かべていた。
敵意を向けられていることに戸惑っているようでもある。
キリルは自分の巨大な双刃の武器を背中にしまい、二人に両手を広げて見せた。
「お二人とも、とりあえずその剣呑なものを仕舞いませんか。
もとより、僕は争うことを望んではいない。
しかし、そのように構えられては、落ち着いて話もできません」
二人にとっては、意表をついた提案ではなかったが、心を許すかどうかは即座に決めかねているようで、クリスとサロメは短時間、視線を交わしあい、とりあえずはその武器の切っ先を下げた。
「これは失礼した。キリル殿と申されたか。
自己紹介の必要はないようだが、どうして私たちの名をご存知かな」
クリスの言葉に棘は無いものの、キリルをはかりかねている感情がはっきりと表れており、キリルを苦笑させた。
「失礼ながら、お二人は御自分の立場と知名度というものを、正しくご理解なされたほうがよろしい。
ゼクセン連邦の誇り高き六騎士。
そのご活躍は、このような辺境の地まで鳴り響いています」
世辞にしては上手いとは言えぬし、本音としては信頼しかねた。
キリルは「辺境」と言ったが、なにぶんにも辺境すぎる。
こんな人跡未踏の地まで自分たちの噂が飛んでいるなど、にわかには信じがたかった。
「キリル殿は、この近くにお住まいなのですか」
サロメが問うと、キリルはうなづいた。
「はい、この近くにあばら家をもうけて、秘かに生を営んでいます。
あなた方が面会をお求めの、【真の紋章】の継承者、―――――と共にね」
その男性の名が出たことで、クリスとサロメの顔が再び引き締まる。
剣先を上げることは無かったが、警戒感は百倍に増した。
それは誰あろう、シーザーと小ビッキーが二人に告げた【英雄】の名であった。
こんなかたちでその名を聞くとは思っていなかったのである。
キリルとしては、歎息せざるを得ない。
「どうしてそのように、いちいち警戒なさるのです。
お二人とも、【彼】に会いに来られたのでしょう?
僕は【彼】から頼まれて、地理に不案内であろうお二人を迎えに上がったのです。
そのような不審な態度を取られては、【彼】を害する可能性がある者として、【彼】に会わせるわけにはまいりません。
早々にお引取りください。僕たちとて、望んで騒乱に巻き込まれたいわけではない」
そう言い放って、二人に背を向けてしまった。
クリスは慌てて剣を鞘に仕舞うと、言葉を躍らせて警戒していたことを詫びた。
「すまぬ、悪気があってのことではない。しかし、【彼】は望んで世に隠れたと聞く。
隠棲した方を訪ねるに、騒ぎを起こしたくないと思ったのだ。まさか、先方から案内をいただけるとは思っていなかった。
失礼はお詫び する。許されたい」
そう言って、頭を下げる。サロメもそれに準じた。
キリルは、分かっていただければよろしいのです、と笑顔を向けた。
「実際のところ、【彼】に接触したがっている勢力は少なくはないのです。
しかし、【真の紋章】の恐ろしさ、愚かさを身をもって知っている【彼】は、もうそのような騒ぎに加担することを望んではいない。
しかし、どこに移り住んでも、必ず【彼】の存在をかぎつけてくる者たちがいる。
【彼】は、例外なく嫌気がさしているのですよ」
クリスはやや怒りをこめた口調で、感情をあらわにした。
「しかし、世に乱れが生じるときには、力ある者が起ち、これを治めるのが道理ではないか。
それだけの力を持ちながら隠棲するなどは、英雄たる者の責任の放棄ではないのか」
そのクリスの言葉を聴いたとき、はっきりとキリルは失望を表情全体に表した。
クリスが何か言いかけるのを、彼は制して首を振った。
「クリス殿、それは真に力を持つ者を利用する者の、浅はかな考えです。
真の紋章に選ばれた者の言葉とは思えません。
どうか【彼】の前で、【彼】をあおるような言葉は使わないと約束してください。
【彼】は、望まぬ力のせいで、多くのかけがえのないものを失っている。
なによりも、【彼】は【英雄】と呼ばれることを最も嫌うのです」
目標を前にして、強烈な釘を刺された気分だった。
クリスとサロメは、この【真の紋章】の継承者を自陣に招くために、このような辺境までわざわざ足を伸ばしたのだ。
しかしこのように執拗に釘を刺されては、会見をする前に億劫になってしまう。
クリスはなかば投げやりに質問を口にした。
「しかし、そこまで他人を避けながら、どうして我々は受け入れるのだ?
それも、わざわざ案内まで寄こして……」
「それは、貴方が【真の紋章】の継承者だからですよ、クリス・ライトフェロー殿。
同じ力を身に宿すものとして、【彼】はゲド殿に会い、貴方とも面会を望んでいるのです」
なぜかそれが不満でもあるように、キリルはため息混じりに言った。
サロメは勘付いていた。
恐らく、キリルは、自分たちを【彼】に会わせたくはないのだろう。
【彼】に接触を望んでくる者は、【彼】という個人に会いに来るのではなく、彼の持つ【真の紋章】に会いに来る。事実、自分たちもそうだった。
そんな者たちが会いに来る理由など、何らかの騒乱に巻き込むためだと決まっているから、キリルとしては、未然に【彼】の憂悶を防いでやりたいのだ。
しかし、今回に限っていえば、【彼】本人が自分たちとの面会を望んでいる。
キリルは彼の意思を尊重し、でも自分としては仕方なく、この役を買って出たのだろう。
【英雄】と共にあるこの青年の正体は不明だが、その美しい容姿の裏でどこか人間くさくて、サロメは親近感を覚えてしまった。
キリルは気を利かせてか二人の馬の前から離れ、表情を和らげた。
「さて、どうします? 今すぐ【彼】に会いに行きますか?」
「無論だ、私たちはそれが目的で、ここまで来たのだからな」
気合を入れなおすように上を向いた後、クリスは力強く応えた。
面会を望んできたのは自分たちのはずだが、いつの間にか招待される身になってしまっている。
彼を自陣に招くという目的は達せそうにないし、おかしな気分ではあったが、真の紋章の継承者の話を聞くというのも、得がたい体験になるだろう。
特に、英雄と呼ばれるほどの力を持ちながら、それを頑なに拒絶する理由を聞いてみたい。
クリスは彼に対し、興味と反感とを微妙にブレンドした感情を覚えている。
クリスは気持ちを入れ替えて、馬の手綱を握った。
(To be continude ...)
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前回の「A」のあとがきに「七ヶ月半ぶりの続きです」「終わらせる気はちゃんとあります」とか書いておきながら、「B」はなんと三年ぶりになってしまいました。
いまさら「終わらせる気はあるのです」とか言っても、誰か信じてくれますか。
(初稿:09.07.03)