FRIENDS

 なぜ、こうなってしまったのか。マクスウェルは、自分の現状を理解しきれずにいる。
 つい先日までは、ラズリルの新米海上騎士の代表格の一人として、船長まで勤めた自分である。そして味方を指揮し、次々と襲い掛かってくる海賊を追い散らし、暴走したスノウを押しとどめ、ラズリルを護りきった。
 本来なら、最大の功労者とたたえられてもよいはずだった。それから一週間もたたぬうちに。

 マクスウェルは、ぼうっと空を見上げた。どこまでも青空が続く。彼の頭上に、それをさえぎるものは無い。
 彼は今、流刑船に乗せられている。ラズリルを追放されてしまったのだ。
 いったい、なにごとが起こったのか。マクスウェルは、必死に現状を整理しようとしてみる。

 海賊による二度目のラズリル強襲。それを自分たちは迎え撃った。
 敵の戦法は戦術もなにもないが、とにかく数と勢いで押してくる。海上戦闘のプロとも言える海上騎士を、じわじわと押し始めた。
 そして、海賊によるラズリル占領もあわやという瞬間、「あの光」が海賊たちを船もろとも焼き尽くしたのだった。騎士団の館から立上った深紅の光は、禍々しい音とともに、ラズリル沖を火の海にしてしまったのである。

 ともかく、海賊たちは追い払った。
 それからの記憶は、曖昧だった。館へ入ってはいけないという命令が出ていたことは知っていたが、父親も同然に自分を育ててくれたグレン団長がただ一人残っていたことを考えると、そのような命令など意に介している暇はなかった。
 団長は無事だろうか? ただその一心で、館の階段を駆け上がったことだけは覚えていた。
 そして、団長が墨のように真っ黒に変色し、粉々になって宙に散っていった瞬間までは。

 そして、気がつけばこの有様であった。自分は団長殺しの濡れ衣を着せられ、流刑に処せられた。

「首を落とされなかっただけ感謝してちょうだい」

 副団長のカタリナはそう言った。それだけ、あなたのことを惜しんでいるのよ、とでも言いたげな顔は、マクスウェルにとってはなんの感慨も残らない。
 恐らく、自分は無実だといってもカタリナは信じはすまい。団長が消えたあの場にいたのは、自分以外には一人だけだった。
 そのもう一人、スノウは、マクスウェルが団長に何かをしたのだ、と公の場で断言した。この証言を、カタリナは信じたのではない。「信じたかった」のである。そうでもしなければ、己を保てなかっただろうから。


 さて、いまや「他人」となってしまったカタリナやスノウのことを心配する余裕など、マクスウェルにはなかった。
 彼はいまや心当たりの無い罪人であり、流刑人である。乗せられたのはオールも無い中型の漁船であり、自分の意思でどこか目的地を選ぶこともできない。波に任せてどこかに流れ着くか、海上でいずこかの船に助けられる以外に、生き延びるすべはないのだ。
 さすがに、食料は数日ぶんはあるだろうが、それも確実にやってくる死をわずかに先延ばしにする効果しかない。

「……もう、だめかな」

 元来、何もしないで諦めるのは彼の本意ではない。だが、この状況で天寿を全うできると思うほどの楽天家でもなかった。
 海図もオールも無い。行く先を知っているのは波だけで、この状況を見て泣いてくれる人間もいない。
 つい自分が泣きたくなって、ごろんと寝転んだ。そのとき。

 寝転んだ彼を見下ろす、顔があった。よく見知った少女の顔が、絶望的になっていたマクスウェルを見下ろしていた。
 マクスウェルは思わず驚いて、飛び起きた。そんな彼を見て、見下ろしていた銀髪の少女は、くすくすと笑った。ジュエルだった。

「ジュエル、どうして君がここに」

 浅黒い肌と銀の髪を持つ少女は、マクスウェルの困惑を楽しんでいるようにも見える。

「どうしてって、友達が酷い目にあってるのに、助けに来るのがそんなに不思議?」

「不思議って……。これは流刑船だよ? もうラズリルには戻れないのに」

「知ってるよ、そんなこと」

 むしろあっけらかんとした表情で、ジュエルは答えた。

「私はさ、堅苦しい場所が苦手なんだよね。グレン団長には感謝してるけど、マクスウェルが間に入ってくれたから、あの鬼のしごきにも堪えられたんだ。
 それがいまや、君がいなくなったうえに上司はあのカタリナさんだなんて、私にはムリムリ」

 場違いなほど陽気な声で、ジュエルはひらひらと手を振ってみせる。マクスウェルは何も言えない。

「それに、マクスウェルに団長が殺せるわけないじゃん。それだけは絶対にない。
 そんなこと、騎士団の中に思っている人間なんていないよ。
 君の無実を証明する。ついていく理由、それじゃだめかな?」

「だって、死ぬかもしれないのに……」

「ついてくのが、一人だけならね」

 不安にうつむくマクスウェルを前に、ジュエルは大きく手を挙げて見せた。
 マクスウェルがそのほうに目をやると、さらに人影が見える。

「ようやく俺の出番か、一人でカッコつけすぎだぜ、ジュエルよ」

 そういって出てきたのは、がっしりとした体格のタルだ。同期では年上で、仲間内のムードメーカーだった。

「私も、あまり窮屈な場所は好きではありません。出れてホッとしました」

 これは、エルフのポーラだった。物静かで一人の場所を好む少女だが、動作は機敏だ。

「だが、俺たちに時間があるわけじゃない。オールは用意してきたから、手分けして漕ぎ出そう」

 そう言ったのはケネスだ。頭の回転が速く、同期の中でも参謀格で、先の海賊対策でもマクスウェル船長の副官として力を発揮している。

「あ、食料の心配はしなくていいからね。マクスウェルが餓えなくていいように、まんじゅうは十分に積んであるよ」

 騎士団での食糧事情を一人で担当していたフンギも乗り込んでいる。特徴的な髪型のこの男がいる限り、集団が餓死することはありえない。

「退屈になったら、ボクがいつでも相手になるからね。気分転換にもなるから、ベーゴマの腕は磨いておいてよ」

 そう言ったのは、ラズリルの街角で、ベーゴマのゲームで荒稼ぎをしていたバジルである。この少年もマクスウェルの顔なじみで、何度も対戦した相手だった。

「もしもボディーガードがいるなら……」
「俺たちを頼るがいいが……」
「あいつのように、無駄な体力は使うなよ」

 そうアドバイスをくれたのは、スノウが艦長、マクスウェルが福艦長をつとめてオラーク海運の船を護衛する仕事をしたときに同船してくれた先輩騎士たちだ。
 のんびりとしているように見えるが、騎士だけあって腕は立つ。
 その三人が「あいつ」と呼んでいる騎士は、船の端のほうで一人、剣を振っていた。先の仕事で一緒になったときと変わらず、真面目に練習を続けていた。

「たまには、俺の相手もしてくれよな。あいつらにも負けていられないしな」

 彼の言う「あいつら」とは、マクスウェルと同期の新人三人組である。先輩の一人に指導を受けながら、三人並んで、必死に剣先を∞に振っている。ラズリルで教えられる基本的な剣術だった。

 船には、意外な人物も密航していた。ラズリルでの新人騎士の誕生を祝う祝祭、「火入れの儀式」の際、裏通りで海賊によって誘拐された女の子と、その父親である。

「あの時、お兄ちゃんに助けてもらったの。今度は、私がお兄ちゃんを助けてあげるから!」

「と、まあ娘がこういうものですから。何の役にも立たないかもしれませんが、お邪魔になるようなことはしませんので、よろしくお願いします」

 マクスウェルが驚いたのは、その娘を誘拐した二人組みの海賊まで乗り込んでいたのである。

「てめぇには借りがあるからよぉ、生きているうちに痛い目にあわせてやらねぇとなぁ!」

 理由はともかくとして、これだけの人数がマクスウェルの身を案じて、わが身の危険も顧みずに同行してくれるのだった。マクスウェルは、思わず、深く深く頭を下げていた。涙が、その頬を伝っていた。


 自己紹介の連続による混乱がおさまったあと、ポーラが改めてマクスウェルに報告する。

「以上、この流刑船に乗り込んでいるのは、ガイエン騎士団から3827名、ラズリル市民から7593名、合計で11420名です。あと、猫が16匹」

「この漁船のどこにそれだけの人数が乗り込めたのか、永遠の謎だな……」

 ケネスが深刻な表情を見せたが、タルがその肩を叩いた。

「分からないことは考えたって仕方ねえさ。今はできることを考えよう」

「そうだな」

 先輩騎士Jが話を継ぐ。

「幸いにも、これだけの人数がいれば様々な道のプロフェッショナルも多い。
 早めにどこか係留できる大き目の島を見つけ、そこに根拠地をしてとりあえず安定を得よう」

 合計11420名からなるこの集団は、すでに海上を移動する一都市といってよい。だが、ひたすら放浪するわけにもいかないのも確かだった。
 人間はもともと大地のうえで生まれ、大地の上で死んでいく生き物だ。いつまでも揺れ動く床の上では心は落ち着かない。
 市民OSが、心配そうにマクスウェルに視線を向ける。

「しかし、これだけの騎士が一気に騎士団から抜けると、ラズリルを護りきれるのでしょうか。
 また海賊がラズリルを襲うともかぎらないでしょうし……」

「今のラズリルがどうなろうと、知ったことか!」

 マクスウェルの激しい声が、船内を乱打した。声の届く範囲にいた700名ほどが、思わず目を見張る。
 マクスウェルはそれ以上は語らなかった。せっかく自分に着いてきてくれた人々の心に波風を立たせなくなかったし、本心を語ったところでなんの意味もなかったからだ。
 果たして、自分にとってラズリルとはなんだったのだろう。生まれ故郷? いや、否だ。
 自分は捨て子だった。たまたま領主に拾われ育てられたが、だからといって人間扱いされていたのかどうか。
 お前の総てはスノウのために。領主からはそういわれ続けてきた。お前の身体も、意識も、命すらも、スノウのためだけに存在するのだと。
 これまで、それが当然のように生きてきたし、正しいと思ってきた。疑うこともなかった。
 だが、グレン団長に出会って初めて、その認識が間違っていることを教えられた。人間として自由意思に基づいて生きる道を教えられた。
 そのグレンの死を自分に押し付けたカタリナとスノウは、その手で絞め殺しても飽き足らぬ存在と化していた。少なくとも今の自分では、この二人への怨恨を抑えられそうにない。
 よほど醜い表情をしていたのだろう。タルがマクスウェルの首をヘッドロックに固めると、そっとつぶやいた。

「今は、前だけを見てろ。お前の隣にも後ろにも、お前を支えてくれる人間がいる。
 今やお前は、10000人を越える人間の先頭に立たなきゃいけない。個人の恨みなんざ、考えてる暇もないくらいに忙しくなるんだ。
 この海で何をすべきか、それだけを考えてりゃいい。細かいことは、すべて俺たちが何とかしてやる」

 どうやら、彼の言うとおりらしい。こうして自分のために集まってくれた人間の群れをみわたすと、認めざるを得ないようだった。
 自分の無実を信じてついてきてくれた11420名の信頼にこたえるために、自分は何をしなければならないか。
 そう思考を進めた瞬間だった。船の先頭のほうから、声が響いた。

「船長! 前方にモンスターと思われる物体を発見!」

 船内の10000人に緊張の色が走る。すでに、この船の船長がマクスウェルだということは、無言の事実として認識されていた。彼は船長として、乗員の安全を確保しなければならない。
 幸いにも、彼は戦場での戦い方、船の動かし方に関しては専門の教育を受けていたし、指揮の経験もあった。動転はしても、狼狽はしない。
 マクスウェルは真っ先に先頭に踊り出た。モンスターはどうやらウォータードラゴンのようだ。巨大なヒレを両腕のように操りながら、魔力であろう力で宙に浮き、マクスウェルの船に一撃を加えてやろうとすわ狙っている。

「ラズリル騎士団、戦闘用意! 一組を100人とし、敵に一撃を加えつつ順次離脱せよ!」

 相手は強敵ウォータードラゴン、戦場はせまい船上である。マクスウェルは3800人の戦力を一気に投入して戦闘を混乱させることをさけ、戦力を小分けにしてじわじわと相手の体力を削ぐ作戦に出た。
 この作戦は見事成功した。ウォータードラゴンの水圧攻撃に悩まされながらも、五組目の集団が100人による協力攻撃「騎士団攻撃」を放ったところで敵は力尽きた。
 断末魔と思える奇怪な音を発しながら、モンスターは海底へと消えていった。

「やったな、マクスウェル。お前の指揮による初勝利だ!」

 彼の命を狙っていたはずの海賊Fまでが、彼を羽交い絞めにして我が事のように悦んでくれた。
 そんななか、ケネスとポーラが冷静な会話を交わしている。

「ケネス、わたし達が抜ける直前、ガイエン海上騎士団はどのくらいの勢力だったか、覚えていますか?」

「ああ、全兵力3831名だった。そのうち99.9%が離脱した計算になる。
 いまラズリルに残っているのは、カタリナさんとスノウを含めて4人だな」

「ではいまラズリルが外の勢力に攻め込まれたら……」

「護りきれないだろうな。4人では船も動かせないだろう。
 マクスウェルの口ぶりからも、我々が援護にむかう可能性も低い」

「………………」

 船内が初勝利に沸く一方で、深刻な空気が一部に流れていた。そしてその憂慮は、事実になっていたのである。


 その船は、商船を名乗り、そう装ってはいたが、見るものが見ればそれが偽装であることは一目にわかっただろう。
 目立たないようにしているとはいえ、左右両舷に四門の紋章砲を備え、船体の一部を鉄板で覆っている。小型とはいえ、それは軍艦として作られた船であることは明らかだった。
 周囲はすでに闇の帳が下りているが、甲板上には何人かの姿があった。ほとんどが商船らしく白い機能的な服装をしていたが、二人のみ、闇に溶け込むような黒の服を着ていた。見間違いようも無い軍装であり、一人は司令官クラスなのだろうか、マントまでしつらえている。
 その若い、長身の男が言った。

「商船にしては随分と剣呑だな、この船は」

 それを皮肉と受け取ったのか、もう一人、立派なヒゲをたくわえた中年の軍人が、やや不満そうに答える。

「なにぶんにも不器用なものですから、お気に召さなければご勘弁を。
 なにごとも最悪を予想してしまう性格なのです」

 最悪を想像するにも、やりようというものがあるだろう、と若い男は思った。せっかく商船に偽装しても、これだけものものしいと余計に怪しまれるだけではないか。
 思いはしたが、口には出さない。副艦長をつとめるこの老練の提督を、ことさらに言い立てて傷つけたくなかったからである。
 別のことを口にしそうになったとき、部下の一人が報告を持ってきた。小型の漁船が、近づいてくるというのだ。

「漁船? こんな時間に漁でもしているというのか?」

「それが……、船の大きさにしてはやけに大人数が乗り込んでいるようにも見えます。
 このままだと接触する勢いですが……いかがいたしましょう?」

 副艦長の老人は、少し考えるような仕草を見せたが、すぐに決断した。

「とりあえず様子を見ろ。捕獲の準備は整えておけ」

 部下が走り去るのを見て、若い指揮官は副艦長を諭すように言った。

「できることならもう少し商人らしくしろ、コルトン。戦闘となるなら私が指揮をとる」

「………了解いたしました」

 歴戦の老提督は、不満を隠しきれない。それは若い上司に対する不満だけではなかった。上司の命令に徹しきれない自分への不満も含まれている。
 なにしろ、コルトンは生粋の軍人である。どこまでも前線の人であり、敵状の視察とはいえ、商人の真似事など器用なことができる人間ではなかったのである。

 そうこうしているうちに、接近した例の漁船から人間が訪れてきた。全員がいっせいに乗り込むわけにもいけないからと言ってはいるが、それでも代表グループは573人からの大人数である。
 船長は船の先頭で仲間からの連絡を待たねばならないため、この集団の相手はコルトン一人が押し付けられた。まるでファンにもみくちゃにされるアイドルさながらの風景であったが、さすがにコルトンの軍人の威厳 は、押しつぶされはしなかった。

「それで、なにかお困りのことはおありかな?」

 コルトン自身、せいいっぱい商人らしく振舞ってはみたが、これが想像を絶する結果になった。

「できれば、海図チャートを一枚でも譲ってほしいのですが」

 一人がこう言い出すと、最初はぽつぽつと頼みごとが出た。
 だが集団の心理というものはどうしてもエスカレートしていくのだろう、要求も徐々に大げさになっていく。

「あ、俺は六分儀を」
「私はダルビッシュのサインが欲しい!」
「765プロに入れてくれ! 346プロでもいい!」
「贅沢は言わないからコンサートホールを!」
「そんなものはいいからエアコンを設置しろ!」
「LINEができないのは我慢できない」
「第六駆逐隊と翔鶴・瑞鶴姉妹を全員、嫁にしたいんだ!」
「それを言うなら川内せんだい型だろうが、埋めるぞコラァ!」
「あ? お前、足柄さんを見捨てる気か、おぉ!?」
「私が主人公の映画を撮ってください、お願いします!」
「オールスターが毎年マツダスタジアムで行なわれるように裏工作をしてください! ついでに広島が優勝できるように根回しもしてください! あと、栗原と東出の復活! それと外国人枠を10人くらいにしてバリントンとサファテとキラを呼び戻すことと、あとは、えーと……」
「SMAPが昔やった「聖闘士星矢」の舞台のビデオがあったら言い値で買います。「ドラゴンクエスト」でもいい!」
「藤原達也と松山ケンイチでドラマ版「デスノート」を作り直してください!」
「365日フォアグラ!」

 最初は行儀よく聞いていたコルトンも、その節操のなさに段々と腹が立ってきた。要求をする側と、それを聞く側の温度差というものは、どの時代にも存在し、完全には埋めることは永遠に不可能なものの一つだろう。
 しかも、彼らの要求の大半は自分の努力でなんとかなるものであり、600人近い人数で仲間内で物別れまでされては、善意の第三者を気取るのも限界がある。コルトンは忍耐心は強いほうであるが、あまりに努力を伴わない図々しさに対しては我慢の必要を感じない男だった。

五月蠅やかましい! 一度に言うな、頭痛がするわ! 後で聞いてやるから、いまは休んでろ!」

 普段なら艦隊を率いて敵を撃滅する男である。歴戦の軍人であるコルトンの一喝は、573人もの人数をものともせず黙らせた。
 だが、そこまで叫んでから、いまの自分は商人であることを思い出したのか、コルトンは思い直して咳払いをした。それでごまかせるとも思わなかったが。

「……お休みになってはいかが?」

 ともかくも、やっかいな大集団を一室に無理やり押し込み、コルトンは船長のもとに戻った。
 ちょうどそのとき、水平線のあたりに、点滅する灯を見出した。それは、かねてより決めてあった味方の合図である。群島地方の侵略をたくらむ、クールーク皇国でよく用いられるものだった。

「……ガイエンのラズリル村がまた襲われた?」

 味方の報告を、船長は冷静に聞いている。ある程度の予想はしていていたのだろう。船長に代わってコルトンが問う。

「例の光とやらは、今度は出なかったのか?」

「はい、光どころか、ラズリル村に存在するはずの海上騎士団の反撃すらなかったようです。
 攻めたのはいずこかの海賊のようでしたが……」

 船長もコルトンも、この直前にガイエン海上騎士団の99%以上が脱走した事実を、このときはまだ知らない。
 だが、それもすぐに知られることになった。報告の最中に、船が大きく揺れたのだ。まるで、大人数がいっせいによろけたような衝撃だった。

「誰だ!」

 船長が一喝すると、艦橋の影から人間がぞろぞろと現われた。さきほど、コルトンが相手した集団である。どうやら、一人残らず聞き耳を立てていたらしい。
 二三、激しい言葉の応酬があった。2対573。コルトンも船長も大したもので、人数の差にまったくひるむ様子すらない。

「なるほど、お前らはみんなラズリルの人間か」

 コルトンが剣の柄に手をかけながら、右から左に相手集団を睥睨する。その脇に立っている黒髪の船長も、眼光だけでプレッシャーをかけた。それだけで、集団は声を封じられる。彼もどうやら歴戦の戦士らしかった。

「当然、生きて帰れるとは思っていないだろうな」

「元・騎士団です」「俺は騎士団員と違う!」

 ようやく何人かが抵抗の声を上げてみるが、それもコルトンの怒りに火を注いでしまっただけだった。コルトンは剣を抜きながら声を荒げた。

「ええい、貴様らの要求は聞き飽きたわ! いまここで木っ端微塵にしてくれる! いいですね、トロイ艦長!」

「やむをえまいな……」

 トロイと呼ばれた艦長は肩をすくめてみせながら自らも剣を抜く。まだ若い艦長だが、剣の構えは堂に入り、相手を静かに、だが食いつくさんばかりの迫力があった。
 コルトンの怒りやトロイの考えとは別に、ラズリルの若い騎士たちには一つの思いがよぎる。

(こいつがトロイか)

 と、元・騎士の全員が思ったであろう。彼らの師であったグレン・コット元騎士団長は、ことあるごとに「クールークにトロイあり」と彼らを教育した。
 もう十年以上も前になろうか、クールーク沖の海戦において、ガイエン騎士団とクールーク海軍が激突したが、このとき、いまだ十代の少年提督だったトロイに、ガイエン騎士団は文字通り全滅の憂き目にあったのである。
 艦隊を指揮する提督としても、一人の戦士としても、ガイエン騎士団はトロイ一人に完敗した。グレンとガイエンの病的ともいえるトロイ恐怖症は、このときより始まったといっていい。それはすでに、呪いの域にまで達していて、ガイエンの騎士はその名を聞いただけで足がすくむまでになっている。

「ええい、怖気づくな!」

 誰かが叫ぶ。そうだ、いかにトロイとコルトンが優れた指揮官であり、超人的な戦士であるとしても、この数を相手にまともに戦えるわけはない。
 戦闘は数である。真理ではないにしても、正義の一つではあるに違いない。いかなる戦術も、300倍の数の差を前にしては無意味である。
 そう、彼らは思い込んだ。思い込んで楽になろうとしたが、その「甘さ」が、彼らの敗北を決定付けた。
 誰かが言った。「どんなくだらないことでも、師の言葉は覚えておけ」と。グレンは、やはり正しかったのだ。
 その戦いは、巨象と蟻の戦いにすらならなかった。まるで台風の前の綿毛のような有様だった。
 武器を構えた573人の人間を相手に、トロイもコルトンも微動だにしない。コルトンが剣を一振りした。その衝撃は、ラズリルに住んでいた者たちには想像もできぬものだった。たった一撃で50人が吹き飛ばされる。今度はトロイが右腕の風の紋章を発動させる。竜巻が甲板上を一閃し、400人が一気に海へ弾き飛ばされた。この間、わずか10秒。
 数え切れない悲鳴が飛び交い、船上も海上も阿鼻叫喚の惨状となった。力あるものが変えようと思えば、世界はいくらでも変わるのだ、ということを、若い騎士たちはいやというほど思い知らされる。
 この状況を戦闘と呼べる者はどこにもいまい。これで死者の一人も出ていないのは、ある意味で奇跡と言っていいかもしれない。トロイはともかく、コルトンは手加減など考えてもいない。あまりに実力差がありすぎて軽く吹き飛ばされた上に、その先が海だったことが、あるいは幸いした。
 海に放り出されたものは、なんとか自力で自分の船に泳ぎ着いた。甲板に残ってコルトン、トロイと対峙した残りの120人は、表情を青一色に染め上げている。

 誰も生きた心地がしなかった。敵と対峙しているうち、先頭にいるのはマクスウェルとケネス、ジュエル、タルらである。彼らは、ガイエン騎士団でも優れた腕の持ち主だったが、この期に及んで眼前のトロイに勝てるなどと思えもしない。
 気持ちは震えても足は震えていないのはさすがというべきだが、それがなにかの救いになるわけでもなかった。
 ジュエルが、そっとマクスウェルに耳打ちする。

「ここは逃げるよ、マクスウェル。かっこつけてここで死んだら元も子もなくなっちゃう」

「逃げるったって、どうやって? コルトンなんて殺る気満々だぞ」

「それをなんとかするのが君の仕事でしょ!」

「そこで俺に無茶振り!?」

「リーダーなんだからなんとかしてよ! 春香がピンチのときはインベルとか飛んできてくれたでしょ!」

「あれはあらかじめインベルが春香をストーキングしてたからじゃないか! 俺にはそんな心当たりないよ!」

「じゃあどうするのよ! あんたとスノウの真の和解の場面に感動するのが私の一世一代の見せ場なのに、それがなくなってもいいって言うの!?」

「それこそ知らんわ!」

「……すいません、この二人を人質に差し上げますので、残りの人間は助けてくれませんか?」

 この二人の突然の言い争いに呆気にとられたのは敵だけではなかったようで、ポーラが剣を収めながら深々と礼をする。
 もしもマクスウェルが罰の紋章の継承者であることを知っていれば、またトロイも違った行動をとったかもしれないが、幸か不幸か、彼はそれを知らなかった。トロイは上半身全体でため息をつくと、剣を鞘に戻した。

「トロイ艦長?」

「くだらん、興味が失せた。どこへでも行かせてやれ。どうせ祖国にも戻れぬ弱者たちだ」

「く……」

 これは、ケネスとコルトンの両者が同時に上げた呻きだった。コルトンは一人も生かして返すつもりはなかったし、ケネスは心底侮辱されたと思ったからだ。しかもそれは事実であったから、言い返しのしようもない。

「なんと甘い艦長だ……!」

 ぶつぶつと文句をつぶやいたが、軍人として上司の命令に背くという思考回路は、彼にはなかった。だが、なんとか自分の意も通さねば気がすまない。

「艦長の命令に背くことはできぬ。ならばせめて、クールーク海軍の恐怖をその身に刻み込んで好きな場所へ逝け!」

 と、すでに十分すぎるほどに恐怖を染込まされたラズリルの元・騎士たちに剣を向ける。
 その剣先が、わずかに桜色の光を帯びた。ケネスは「気のせいか」と最初は思ったが、どうやらそうではないらしい。

「クールーク剣術の奥義を思い知れ」

 光だけではない、コルトンの放つ「剣気」とでも言うべきものが、物理的な力を増していく。それは、これまですべての戦いにおいて清廉を貫いてきたであろう彼の軍歴の総てをあらわすかのように、快さすら漂わせている。
 コルトンが構えた。ただ一刀あるのみの大上段である。

「破邪剣征……桜花放神!!」

 それは、桜色の衝撃だった。食らった者は、そうとしか表現できなかった。
 コルトンの振り下ろされた剣は、まるで強烈に圧縮した空気を放つかのごとき威力でもって、未熟な戦士たちをあるいは弾き飛ばし、あるいは打ち付けた。
 まるで救いを求めるように、マクスウェルたちはごろごろと海へと転げ落ちる。
 殺すつもりはないから、破壊力は意識的に抑えてある。が、それでも、元来は魔を断つ一撃必殺の剣だ。100人程度を吹き飛ばすなど造作もないことだった。
 コルトンは圧倒的な力を示しながらも、それを面白いとも思っていないようで、口を真一文字にしたまま剣を鞘に収めた。そして、若い上司に向き直った。

「もう一度出会うことがあれば、そのときこそわしらに殺されることになりましょうな」

「それはそれで構わぬ。生き残るのも定め、死ぬのも定めだ。その裁定は、この海が下すだろう。
 私たちには成すべきことがある。彼らに構っている暇はない」

 言って、トロイは海を見下ろす。その視線の下では、10000人をこえる人間が乗った小船が、8000本を数えるオールを全力で漕ぎ出し、猛スピードで離れつつあった。
 そのうちの一人が、トロイと目が逢った。先ほど、自分の眼の前で言い争いをしていた男のほうだ。
 一見、華奢な男に見えるが、彼らにとっては緊張と恐怖でしかなかったであろうあの場で、緊張感のないやり取りをして居るところを見ると、予想以上に胆力があるのかもしれない。

「面白い男たちだ。もう一度会う機会があれば、本気で相手をしてやろう」

 マクスウェルたちにとっては「皆殺し発言」以外のなにものでもないが、トロイの知るところではない。彼らの乗った船は、すでに水平線の向こうに消えていた。


 逃げることは恥ではない。逃げるべき時にそれを躊躇う余計なプライドこそが恥なのだ。
 少なくとも、彼らはそう教わった。そして、その教えを今日ほど有り難いと思ったことはない。
 とにもかくにも、彼らは全力でオールを動かし、体力の尽きるまで逃げた。すでに夜が明けているが、自分たちがどこにいるのか、どこに向かっているのか、全くわからない有様である。
 正気を失うほどの恐怖の果てに、彼らは陸地も見えぬ海の真ん中で途方にくれた。

 餓死の恐怖はない。フンギが気を利かせたおかげで、マクスウェルが100年かけても食べきれぬほどの饅頭を積み込んであるし、元は海の街の出身者の集まりだから、釣りも達者なものだ。10000人の人口でもかなりの期間は持つだろう。
 だが、明けても暮れても饅頭と釣りだけの毎日というのは、ひにち・・・の感覚を狂わせる。狭い船内では戦士たちが腕を磨くにも限界があるし、エンターテイナーがバジル一人では、娯楽にも飽きがくる。搭乗員たちの心のケアをいかにするか、マクスウェルたち中心メンバーは頭を痛めた。

 事態が急変したのは、マクスウェルたちがトロイから逃げて四日目。「ラズリル……遠いね……」と、思わずネコボルトTが漏らした翌日である。
 空が澄み渡ったその日、見張りを担当していたのは視力の優れたポーラだった。
 青い海と青い空。遊んでよいといわれればこれほど遊び心をくすぐる環境は珍しい。ポーラも海上騎士のはしくれであったから、当然、泳ぎの訓練は受けている。水着が一着とボール一つ、そして友人がいれば、夕暮れまで退屈はしないだろう。
 そんなことを思いながら遠くを見つめ、偶然にこれまた珍しいものを視界におさめた。イルカとともに、人魚が海上に跳ねたのだ。
 人魚はその名のとおり、海中生活に特化して進化した亜人種だ。十年ほど前までは地上の人類とも交流があり、それほど珍しい存在ではなかったが、近年、すっかりその姿を見る機会が減った。
 ポーラが聞くに、人魚の剥製を商売にするたちの悪い商人たちが出没するようになり、人魚の密漁が横行しているのだという。人魚たちも人間たちを警戒するようになり、自然、人間の前には出てこなくなった。
 趣味の悪い者もいるものだと、ポーラは痛感する。彼女自身、人間ではなくナ・ナル島出身のエルフである。故郷では、人間とエルフは関係が悪く、小競り合いがたえない。ポーラは幼い頃からその二種族の間で弄ばれ、両者の関係に嫌気がさしてラズリルの海兵学校に行き着いたのだった。
 幸いにも、ここでは種族に関係なくポーラは受け入れられて、仲間にも恵まれた。自分の周囲が理解ある人間たちばかりだから、余計に他種族の習慣を受け入れようとしないナ・ナルの者たちの狭量ぶりに呆れているのだった。

 そんなこともあって、ポーラはその人魚を後ろから眺めていると、じきにその前方、水平線の向こうに徐々に意外なものが見えてきた。
 まさに人魚様々だろう、見間違いようもない、それは「島影」だった。彼らが求めに求めた「陸地」が、それも距離を考えてもかなり大き目の島が、ポーラの視界に入ったのだ。
 ポーラは思わず船内に向けて叫んでいた。

「皆さん、聞いてください! 宝です。私たちの求めた宝が、いま私たちの手に入るところまで来ています! 迷わずこのまま直進してください」


 そのときの心情を表すに、「幸福感」という言葉を使わないものは、当時のマクスウェル一派には存在しなかったであろう。
 ポーラの発見した島は、外から眺めるだけでも真っ白な砂浜、巨大な山、広大な密林、深そうな洞窟の入り口など、自然が生み出せるだけの様々な風景を見せてくれた。
 船が停泊できそうな施設が存在しないため、どうやら無人島であるらしいこともわかってきて、首脳部を期待させた。ひょっとしたら、彼らに最も必用な「本拠地」たりえるかもしれない。

 10000人を越える人数が一度に上陸するわけにもいかないので、元騎士団員を中心に一グループ150人の集団を10組つくり、島の調査にあたることにした。このときばかりは、マクスウェルも人海戦術のありがたみが身にしみた。
 そして調査すること三日、島の正確な地図が作られ、マクスウェルの元に届けられた。
 島の海岸線長は約200km。完全な無人島であり、人の手のはいった形跡はまったくない。
 群島地方で現在知られている島の中でも最大級の規模であり、これだけの大きさの島が何故今まで人に知られなかったのか、ラズリルの漁師でも理由はわからないという。
 生態系も独特で、中には大型生物もいるようだが、ことさらに刺激しなければ危険は少ないだろうとされた。なによりも、広大な密林には食料となるものが多く、開けた場所もあるので開拓も容易だ、という報告は、最もマクスウェルを喜ばせた。

 感極まりすぎて「諸君、私は戦争が大好きだ」などと演説しかけたマクスウェルを殴り倒し、ケネスが全員に宣言した。

「諸君、今、このときを持ってこの島を我らマクスウェル一派の本拠地としたい。
 みな、思惑は様々あるだろうが、マクスウェルの無実を信じているという一点において、一つの集団を形成できると、俺は信じている。
 誰にも強制されることはなく、何事も強制することなく、俺たちは一つの街を構成できる。今日より、俺たちはマクスウェルの元に市民となる。
 みな、精一杯生きよう! 自分にできることを精一杯なしとげよう! それこそが、俺たちの生きる証となる。歴史に残る足跡となる。自らの良心に従う限り、すべてが自由だ」

 その声に11420の歓声が返ってきた。みな、大地を踏みしめる有り難さを痛感し、新たな土地で新たな文明を切り開く自分たちに期待していた。
 歴史にマクスウェルの無実を証明し、同時に自分たちの名も残る。フロンティア精神というものがいかに貴重なものであるかを、例外なく彼らは理解していた。
 彼らの思いは別にしても、群島の中心に人口10000を越える島がいきなり誕生することは、いやおうなく周囲の島々に衝撃を与えるだろう。しかも、その1/3が強力な戦闘力をそなえた集団である。
 その事実がどのような影響を及ぼすのか、自らの足元を開拓しながらも、彼らは慎重に観察するほかなかった。

(To be continude ... ???)

(初:15.07.11)