海洋貿易国家オベル。
地理的にも人文的にも、そして資源的にも群島諸国の中心に位置するこの国で最近、流行している遊戯がある。
リタという、若干12歳の少女が考え出したというこの遊戯は、群島解放戦争の最中に、解放軍のなかで流行し始めたもので、鯨の骨で作られた小さな牌を使って役を作り、できた役に応じた得点をやりとりしあう、一種のテーブルゲームである。
当初はルールも流動的で、遊ぶ場によって「ご当地ルール」なるものが多数存在し、参加人数も二人打ちだったり四人打ちだったりとまちまちだったが、戦争が終わる頃にはそれもほぼ固定化され、今は「ご当地ルール」も殆ど見かけられない。
そして、解放戦争の中心であり、リタが長期に渡って滞在していたこのオベルで、その「リタポン」なるゲームが流行したのは、当然の成り行きといえよう。
そして、オベル王家では、今夜も牌のぶつかる音が、数々の悲喜交々を生むのであった。
オベル王宮・大客間。
この夜、卓を囲んでいるのは二人。片側は、オベル国王リノ・エン・クルデス。そして、その相手は群島解放戦争の英雄マクスウェルである。
二人の後背には、王家のボディガードであるアカギとミズキをはじめ、クールークの事件後に滞在しているキリルとコルセリア等、二人の関係者が喉を通る唾の音にさえ注意を払いながら、固唾を呑んでその様子を見守っていた。
アカギも、リノ・エン・クルデスの後背から、冷静な目でその卓を見下ろす。現在卓を囲んでいる両者は、真剣な表情こそ共通すれど、手持ちの得点には大きな開きができていた。
大きくリードしているのは、マクスウェルである。この若者は、さほど大きな役を狙うわけでもなく、奇抜な手を打つわけでもない。ただ、非常に堅実なのであり、かつ相手の心理を読むのに長けているのである。
政治的な駆け引きでは近隣諸国の為政者の一枚上を行くはずのリノ・エン・クルデスは、当然ギャンブルにおいても、それを発揮するものと思われていた。しかし、マクスウェルはそのリノが見せる感情のブレと、手配の迷いを見逃さないのである。リノは、マクスウェルの張る数々の罠に自ら飛び込むように、何度も彼の本命牌をうってしまうのであった。
「くっそー……」
最終局、思わずリノが怒気雑じりのため息をつく。さもありなん、十順目に至っても彼の手牌はバラバラであり、かつ彼が引いてしまったのは、対面の捨て牌から察するに、マクスウェルのド本命なのである。
(くそったれが……。どう見てもヤツの本命は『チャンポ』の『チャン』……。オマケにドラを抱え込んでやがる可能性が高い……。なんでこんな時に限って、こんなの引きやがるんだ……)
リノは呻きながら長考に入ってしまったが、背後で見ているアカギは、彼の主君とは全く異なる思惑を抱いていた。
彼が見る限り、マクスウェルの本命牌は『テッド』の『ソウル』だ。確かに捨て牌でブラフをかけてはいるものの、これはそれほど高度なものとは言い難い。だがリノは、これまでに何度もマクスウェルの罠に掛かってしまっているため、敵を過大評価してしまう心理的な陥穽にはまってしまっていた。
焦りまくるリノとは対照的に、マクスウェルの表情は涼しげである。もともと多弁な青年ではないが、こと勝負ごとにおいて、これほどポーカーフェイスを保っていられるのは、垣間見せる才能以上に、よほど度胸が据わっているのであろう。
そうこうしているうちに、リノは腹を極めたのか、一つの牌を手に取った。それはまさしく、『テッド』の『ソウル』……。
(あっ……)
思わず出そうになってしまった声を抑え、アカギは躍り上がるように動く心臓を落ちつかせる。まさに、何か強力な力にでも引き入れられるように、リノはマクスウェルの本命牌を手に取ったのだ。
そして、怒号とともに卓に打ちつける。
「こいつでどうだ、オラっ!」
ざわ…… ざわ……
一瞬後、場が沈黙に支配された。だが、それはすぐにかき消される。マクスウェルの口の端が上方へカーブを描き、彼の後ろで見ていたキリルとミレイが、驚きの表情を見せる。
「残念だったね、リノさん」
言いながら、ゆっくりとマクスウェルが牌を倒した。
「ロン」
「なんだとっ!?」
リノが思わず、卓に覆いかぶさるようにその牌を睨みつけた。だが、マクスウェルは淡々と自分の役を語る。
「ロン、リーチ一発、清一色、ドラ、他牌名役。しめて5250点」
それに止めをさすかのごとく、いつものように冷静な声でミズキが加える。
「陛下のトビで終了です」
「言われなくても、見れば解る!」
リノが乱暴に言い放った。
リノの残点数が1000点を切っていたにも関わらず、マクスウェルはその五倍を超える点数の役を、容赦なく上がったわけである。流石に国王であれ怒ろうというものだ。
「ちくしょうめが、手加減って言葉を教えられなかったのか、お前は?」
だが、慣れているせいもあってか、マクスウェルは慌てずに卓の上で両腕を組んだ。
「毎回、手加減するなって言ってるのはリノさんじゃない。それに、対局中のリノさんの怖い顔をずっと見てたら、とても手加減なんてできないよ」
「俺の顔なんて見なくてもいいから、今度からは周りの空気を見ろ、まったく」
「はい、心得ておきましょう」
「ちっ、こんな時だけ器用に食えぬガキを演じやがって」
リノは立ち上がって振り返りながら、マクスウェルの顔を一瞥する。
「まぁいい、俺は今夜はここまでだ。これ以上は疲れるからな。皆も好きに続けるといいが、明日の任務に支障が出ない程度に抑えておけよ」
一声かけると、その場から大股でのしのしと歩き去ってしまった。
マクスウェルは、後ろに立っていたキリルやミレイと会話をしながら、乱雑になったままの牌の整理を始める。
その様子を見ながら、アカギは頭の中でこれまでの流れを整理していた。
アカギは、解放戦争当時、奇妙な縁があってミズキとともにマクスウェルに仕えていた。
マクスウェルは、その当時から、確かにただの若者ではなかったが、それでも彼が偶然にその身に宿した罰の紋章を除けば、それほど衆に抜きん出た存在というわけではなかった。罰の紋章の恐怖を自らチラつかせることもなく、海と民に揉まれて成長した英雄、という表現がぴったりであろう。
忌まわしきあの戦争から一年が経ち、確かに彼自身も成長した。双剣の腕前は見違えるほど上がり、時にオベルの国政にも参画して、相変わらず多弁ではないものの核心を突いた一言で、オベル国王としてのリノ・エン・クルデスを満足させ、他の重臣を驚かせている。
しかし、そのような普段のマクスウェルという青年を知るだけに、余計にアカギは驚くのだ。このギャンブルという場で、この青年が発揮する“力”。これが彼の能力の一部でしかないというなら、この青年は将来、とてつもない大物になるのではないか。とてもではないが、底が知れぬ。
だが元々、マクスウェルはフィンガーフート家の下男として、精神的に鍛えに鍛えられたのだ。少々のことでおたつく青年ではないのである。しかも、罰の紋章を持った故の神輿ではあったが、オベル海軍を中心とした解放軍のリーダーとして、戦争を戦い抜き勝利したことで、更に一回り彼は大きく成長していたのだ。
そこまで詳しく、アカギはマクスウェルについては、知るよしもなかったが。
そんなアカギの思惑を無視して、ミズキがマクスウェルに声をかけた。
「マクスウェル様、いかがされますか。このまま場を続けるかどうかは、勝者であるあなたの決断によります」
「そうだな……」
片付けるつもりであったのか、バラバラだった牌をまとめ直していたマクスウェルは、背後のキリルとミレイを順に見やるが、二人は慌てて首を横に振った。流石に慎重な性格の二人だけ合って、予見できる敗戦に飛び込むほど、物好きではないらしい。
マクスウェルは残念そうに、アカギとミズキに目を移す。
ミズキは、マクスウェルが誘えばやるだろう。命令に従う、というだけの意味ではあるが、彼女も感情を表さないポーカーフェイスぶりは徹底しており、駆け引きもそれなりに達者だから、マクスウェルとでもいい勝負になるかもしれない。
だが、マクスウェルの視線はそのままミズキを通過し、アカギで停止する。
「次の相手は、アカギさん。あんただ」
「え、俺か?」
「そうだ」
落ち着いた表情を崩さぬまま、マクスウェルはアカギを見上げる。
「あんたは、リノさんを相手にしていたときの俺のブラフを、見抜いていた筈だ。全てではないかもしれないが、かなりの高確率でね」
「なぜ……、そう思ったのか聞いていいか」
「あんたは、他の連中とは、驚くタイミングが違った。そして自分ならどうするかを、かなりの速度で計算していたはずだ。目を追えば解る」
「ほう……」
アカギは、腕を組んで、マクスウェルを見る目を変えた。興味本位のそれに、賞賛の意が少しだけ入る。
「あんた、あのイカツい国王陛下と一対一(サシ)でやってる最中に、その周囲にまで注意を向けてるのかい」
「確かに、あの長身と威圧感は驚異。だが、それは二人の目線の違う、例えば肉体を用いた勝負事(タイマン)での話だ。卓の中、同じ高さの目線でやるならば……」
マクスウェルの顔が俯き気味に沈み、その肩が静かに震えた。嘲笑(わら)っているのだと、アカギは気付いた。
マクスウェルは、片掌を卓上に広げ、それをぎゅっと握りつぶす。なにかが、生々しく潰される音が聞こえてきそうであった。
「……罠に誘い込み、捻り潰すなど…………、たやすいことさ……」
なんとも言えぬそのマクスウェルの冷たい笑顔を見た瞬間、アカギの背筋にぞくりと寒気が走る。
違う、この青年は、なにか普通ではない。目は凍った湖のようにすべてを拒絶し、その背中には、得体の知れないものを背負っている。普段の姿から余りにも違うこの姿こそが、彼の本性だというのか。
「……面白ぇ……」
アカギは、自分の意思でリノが座っていたマクスウェルの対面の椅子を引き、そこに腰を降ろす。この瞬間、二人の勝負は、お互いによって承認されたも同然であった。
対面で、同じ高さで視線を合わせて初めて、アカギはマクスウェルが発する恐ろしく冷たい空気に気付いた。
なるほど、こいつは想像以上だ。確かに、リノにあらずとも、この冷たい空気のなかでまともな勝負勘を発揮するなど不可能であろう。
思わず、アカギの表情が強張った笑みに変わる。
正直、一年前のあんたには、あまり親近感がわかなかった。だが今はどうだい、こうして目前に座っているだけで、何かタチの悪い死神に抱擁されているようだぜ。あんたにこれほど「親近感」を感じたのは初めてだ。
「へへへ……、あんたとは、明日からいい親友(ダチ)になれそうだな」
目前から迫りくる冷気の抱擁に晒されながらも、アカギは挑戦的、あるいは偽悪的な笑顔でマクスウェルを見据えた。この、普段は常識と柔らかな物腰を持つ青年の精神の奥に眠るものを、暴き出してやりたい。そうとすら思う。
未だ勝負も始まらぬ折、アカギのマクスウェルの印象は、変わってしまっている。豊かな才能と将来性とを内包した穏やかな青年はいまや、死の翼をはためかせ、死神の鎌を視線に乗せて、アカギの前に腰を落ち着けている。
もしかしたら、先のクールーク皇国との戦争は、この青年の持つ最も危険な部分を、急激に成長させてしまったのではないか。だとしたら、それがより大きく成長する前に刈り取らねばならぬ。
未だ、戦争の英雄としてこの青年の持つ政治的・精神的な影響力は計り知れない。過去・現在・未来、全ての時間軸において、である。ならば、今、彼の死神を取り除かねば、群島諸国全体にとっての禍根を、みすみす見逃す羽目になるかもしれぬ。長年、闇の世界で生き抜いてきたアカギの直感がそう告げている。
勝負の場は、卓の形をした世界。
賭けるべきものは、世界の未来。
思い描いて、アカギの背筋に氷塊が滑り落ちた。
命を賭けねばならぬかもしれぬ。
その思いが、アカギを戦慄させた。だが、戦慄しているのは、どうやら彼だけではなかったようである。
「同感だ。俺も得体の知れない恐怖を感じているよ」
マクスウェルも、波長は異なるものの、アカギと同様の戦慄を覚えている。
アカギと異なるのは、戦慄の主客が入れ替わっていること。そして、アカギが直感によってそれを感じたのとは異なり、マクスウェルは英雄ゆえの洞察力でもって、それを察していたことであろう。
ミレイもミズキもキリルも、ごくりと二人の表情を見比べる。それは、どちらも同じだった。確実に恐怖が待っているというのに、それすら楽しみで仕方がないという、微笑み。
マクスウェルとアカギは、牌を手早く並べていく。自分の山を積みながらも、注意深く互いが互いの手の行き先を垣間見た。とりあえず、今回はイカサマ無し(ヒラウチ)での勝負で様子を見るらしい。
先ほどの勝負で、マクスウェルはリノを相手にイカサマは使用していなかったが、これほどの打ち手である。なにをしてきてもおかしくないとアカギは警戒した。マクスウェルにしてみても、相手のアカギは稀代の忍だ。器用さもズバ抜けている。決して油断できる相手ではなかった。
そして、マクスウェルが親決めのための賽を、アカギに手渡す。君が振れ、ということであった。
マクスウェルは猛る。
「さぁ、幕を開けよう。誰からも賞賛されぬ、最高の舞台のな!」
「ああ! もう降りるとこは……できねぇ!」
こちらも狂喜の様相で腕を振り上げ、アカギが卓にサイコロを叩きつけた。
狼たちの夜は、まだまだ始まったばかりである。
(fin)
なんじゃ、こりゃ(笑)。
いやー、幻水4のミニゲームの中でも、この「リタポン」は、最も手を焼いたものの一つです。勝てやしません。
麻雀というよりはドンジャラに近いのですが、特殊牌として存在する「紋章牌」が強力で、火の紋章で手牌を燃やされたあと、風の紋章で連続ツモされて負けると、腹が立つのなんの(笑)。
だけど、これを乗り越えないと108星が揃わないし、高い壁ですね。
(初:06.01.25)
(改:08.03.26)
(改:08.08.20)