夢の終わり

 深夜一時、あたりはすっかり闇に包まれ、帝劇もうっすらと灯りがともるだけで、静かなものだ。
 最近は夜更かしさんが多い帝国歌劇団も、この時間には全員寝静まっていて、音らしきものは、外から聞こえてくる野犬の遠吠えくらいだった。
 この晩、マリア・タチバナが遅めの見回りをしている。
 いつも深夜の見回りをしている隊長の大神一郎は、今日は新型の人型蒸気の実験につきっきりで、ラボのある花やしきに泊りがけだ。
 彼のいない晩は、決まってマリアが見回りをすることになっている。
 夜、遅くはあるものの、もともと大神が隊長として赴任してくる前は、責任者としてマリアが夜の見回りをしていたので、今更苦になることはない。
 マリアはその長身とセミロングの金髪をなびかせて一階の見回りを終えると、二階の見回りのために、正面玄関脇の大きな階段に足を向ける。
 その階段を上ったすぐ脇には帝国劇場の二階観客席があり、階段を挟んだ反対側には、帝都を見下ろす大きなテラスがある。
 帝国歌劇団の面々は、夜の瀬にここで月を見上げ、あるいはそれをだしに会話を弾ませるのが好きだった。

 マリアは不気味なほど静まり返った二階客席の扉を閉じた。
 開演時は騒々しいほどに賑わうここがこうも静かだと、逆に落ち着かぬ不自然ささえ感じてしまうマリアである。
 マリアは気分転換も兼ねて月でも見上げてみようかと、テラスに目を向けた。
 すると−
 そこに、月の光に照らし出された人影があった。
 マリアは瞬時に警戒し、いつも懐に忍ばせている愛用の銃に手をかける。
 そしてゆっくりと近づいていく。
 人影は特にどうすることもなく、テラスの塀に手をかけたまま、どうやら上を見上げているようだ。
 かなり背が高いようで、恐らくは186cmのマリアとそうは変わらないだろう。
 脇には、なにかとても長いものを立てかけている。
 大刀か?

「誰? そこで何をしているの?」

 マリアは銃を向けたまま、ついに言葉を発した。
 すぐに対象となった人物は、自分のことだと理解したのか、マリアの方に体ごと向き直る。
 月明かりに改めて照らし出されたその顔は、マリアの見知ったものだった。

「天草隊長……」

 マリアは構えていた銃を少しだけ下ろし、呆れたように声を上げた。
 その人物は、天草伊織だった。
 帝国華檄団風組の隊長であり、マリアの上司である大神一郎と同位同格の人物だ。
 彼の脇にあるのは、長さ五尺という化け物刀であり、天草にしか扱えないであろう、彼の愛刀だった。

「おう、マリアさんではないか。
 夜の見回りにしては剣呑なものを構えているな」

 マリアの心境など思いもよらず、緊張感のない天草。
 マリアはため息混じりに銃を懐にしまう。

「……なにか聞きたいことがありそうだな?」

「確かにそうですが、沢山有り過ぎて、何から聞いたものやら」

 マリアは歩を進めて、天草の隣に立った。
 そして、彼を見据える。
 夜も遅いせいか、天草はいつものサングラスをしていない。
 天草が182cm、マリアが186cm。
 この帝国劇場でもっとも大きな男女の組み合わせの一つであるには違いない。
 天草は柔らかな笑顔を浮かべた。
 マリアには、それは意外な光景だった。
 マリアから見て天草は、磊落な性格を前面に出している割に、行動自体にはまったくといっていいほど隙がない。
 触れた瞬間に斬られてしまいそうなその雰囲気は、彼女の上司である大神によく似ている。
 伊達に士官学校で「三羽烏」と呼ばれていたわけではないということだ。

「そうだな、聞かれる前に答えて見せようか」

 何が嬉しいのかマリアにはさっぱりわからないが、天草は笑顔のまま話し出す。

「以前に提出していた資料に手違いと誤りがあってな。
 予定にはなかったが、米田指令直々に出頭の指令があった。
 それで、新たな資料の提出と、以前の資料の訂正に梃子摺って、この時間になったわけだ。
 それで気分転換にここに来たんだが、こんなに見事な月は久しく見ていなかったからな。
 思わず阿呆のように魅入ってしまった」

 マリアもつられて夜空を見上げる。
 確かに、見事な満月だ。
 が、彼女の疑問がすべて解けたわけではない。
 マリアは再び天草に向き直った。

「しかし、今日は新型の人型蒸気の実験があったのでは?
 いくら書類の不備とはいえ、総責任者であるあなたが花やしきを留守にしてかまわないのですか?」

 マリアが尋ねると、天草は複雑な表情を浮かべる。
 先代の華檄団副指令である藤枝あやめ亡き今、天草は花やしき支部の実質上の総責任者の役をになっている。
 いずれあやめの後を継いだ副指令が赴任しては来るだろうが、それまで天草は冗談にならないほど忙しい日々を送る宿命にあった。

「うむ、あっちのほうは、蒼霧あおぎりの方がうまく取り仕切ってくれている。
 どうも、風組の俺の部下は、隊長である俺よりも、蒼霧のほうが安心できるらいい。
 まったくもって、失礼な話だが」

 聞いて、マリアは苦笑してしまった。
 蒼霧というのは、天草の部下で風組副隊長、蒼霧茜のことだ。
 大神や天草と同じく士官学校出身のエリート軍人だが、それが女性というのは珍しい。
 それほど有能かつ有為な人材ということだ。
 磊落で大雑把に見える天草と違い、几帳面な性格の女性で、日常生活における天草との(ドツキ合いともとれる)会話は、風組の名物の一つである。

「さて、君は見回りの途中ではなかったのか? この時間に俺のような暇人の相手をしていていいものかな?」

「いいもなにも、この時間ですよ。
 後は部屋に帰って眠るだけですから、その時間が10分や20分遅れたところで、あまり影響はありません」

 マリアの微笑に合わせ、天草は大きく笑った。
 彼の笑い声は竜の咆哮の如き豪快さがあり、深夜の空気に、声が響き渡る。
 しかし、それも長くは続かなかった。
 天草は外側に向いていた体の向きを内側に向け、テラスの塀に背を預けるような体勢になり、顔だけをマリアに向けた。
 その表情は月明かりではよくわからないが、少しだけ真剣みが加えられたようにも思える。

「用もないのに去らないのは、理由があるのではないか?
 大神の言い草ではないが、今の君は隠し事が下手だ。
 表情でどれだけごまかしても、目がそれ以上に語っている」

 マリアは表情を強張らせ、思わず後ずさりして天草から少し離れてしまう。
 これがこの人の一番怖いところだ。
 考えていることがわかる訳ではないが、微妙な感情を見逃さない。
 動作や言葉ではなく、「目」でそれを洞察してしまうから、隠しようがないのである。

 確かに、以前からマリアは天草に聞きたいと思っていたことがあった。
 さっきのようなことではなく、もっと重要なことを。

「……本当に、あなたは怖い人ですね」

 マリアの声が低くなる。
 確かに、マリアもロシアで革命軍にいたときに、経験豊かな先輩から、「目」で相手の心理を知る方法を聞いたことがある。
 目の瞳孔や虹彩のわずかな変化で、心理を読むのだが、それにしても確実なものではないし、ネゴシエーションのような特殊な状況でない限り、あまり使う技能でもないようにも思っていた。
 しかし、それをこの人は、平気で日常生活で、しかもこんな夜間でもできてしまう。
 こんな人と、マリアの上司は同等の評価を受けているのだ。
 だが、天草は意外なことに苦笑といっていい表情を浮かべる。

「持っていたところで、俺の場合は、人殺し以外の役には立たない能力だ。
 こんなものに長じくらいなら、まだ掃除や炊事に長じていたほうが、人間として遥かに有益だろうよ。
 戦争の犬など、存在しないに越したことはないからな」

 その投げ出すような言い草は、マリアの知る天草らしくはない。
 だが、意外と本心であるような気もする。
 この人は、なにをしても豪快だが、同時に空気のようで、つかみどころが無かった。
 ここが、裏表の無い大神と天草が異なるところで、マリアも万全の信頼をおきながらも、自然と一歩引いて、警戒直前の「観察」をしてしまうのだ。

「さて、話が逸れたが、聞きたいことがあるのではないか?」

 もう一段つっこんだ質問を、天草はした。
 いくら天草でも、そこまでは深く人の心理を読めるわけではない。
 ただ、マリアが疑問に思っていることがあり、自分がそれに答えることができるなら、僅かでも役に立てるかもしれない、というのが彼の本音である。
 それをされた方のマリアとしては、些か不気味さがあるのは当然だろう。
 誰でも自分の心理を覗かれて気持ちのいいものではない。
 しかし、そんな状況でも自分のために利用できるものは利用してしまおうと思えるのは、マリアが豊かな精神的な場数を踏んでいる証左であるに他ならない。

「わかりました。
 ではお言葉に甘えて、一つお聞きします」

「何なりと」

 その後の一瞬の逡巡が、マリアにとってこの質問がどういう意味を成すのかを、天草に理解させた。
 マリアが口を開く。

「大神隊長は……、もしかしてどこか……例えば郷里に、心から愛する人が、いたりするのでしょうか」

 それは、以前のマリアからは想像も出来ないほど俗な質問だった。
 マリアがその質問を自分にしたことも、その対象が大神であることも、予測していたとはいえ、やはり天草には意外に感じられる。

「……そう思う理由を、よければ教えていただけるか?」

 質問に対して質問を返した天草に、またマリアは一瞬の逡巡を見せた。
 これは、他の花組の隊員にも相談できないことだった。
 なぜなら、一つに誰もが大神の実力を認め、彼に惹かれながら、彼の素性を殆ど知らないこと。
 そして二つ目に、マリアを含めた花組の全員が、恐らくはマリアと同じ秘密を他の隊員に対して持っている、ということ。
 その秘密、それは、マリアが大神に抱かれている、ということだった。
 そうそう回数があるわけではない。
 しかし、マリアがなんらかの変調をきたし、精神的に沈んでしまった時など、大神は言葉の変わりに、それらの行為を彼女に与えた。
 そして、それは他の隊員も同じなのではないか、とマリアは思っている。
 大神が花組の隊長として赴任してきたばかりの頃は、互いにいがみ合うことが多く、チームワーク云々を言う以前の問題であり、役者の集団としてはもちろん、なにより戦う者の集団として致命的な弱点を内包していた。
 しかし、大神が赴任してから半年ほども経つと、やんわりと、少なくとも彼女たちの元来の性格に起因しない刺々しさはなりをひそめ、チームワークも自然に、効果的に発揮できるようになっていた。
 もちろん、それが大神の人格に惹かれたのも原因の一つではあるだろう。
 マリアをはじめ、さくら、すみれ、紅蘭、カンナ、アイリスの全員が大神に惹かれていることは間違いない。
 しかし、ここ一年で、マリアを含めて彼女らは見違えて輝きだした。
 感情どうこういうのではなく、彼女らが年齢的に持っている若さが、それ相応以上に花開きだしたのだ。
 これは、単に男性に惹かれたから、という以上の変化といっていい。
 花組の全員が大神に抱かれていて、メンバーがそれを自らの秘密として心の内に秘めている。
 それは、まだいい。
「精神的に安定させてやりたい」という大神の目的を置いておいても、大神に求められて反対する者が花組にいるとは思えないから、花組のためにはそれが必要だったのだろう。
 結果論であるにしても。
 しかし、マリアはここで重大な疑問を持つ。
 果たして、大神個人としての心理はどうなのか。
 少し下賎な言葉面だが、若さという点に置いても、美貌という点に置いても、花組の少女たちは、およそ世の男性の趣向の頂点に近い。
 だが、それら全員を相手にしてなお、大神は彼女らいずれか個人に惹かれている、という様子はない。

 だとすると、大神には、ほかに本当に心にある女性が外にいるのではないか。
 それがマリアの質問の原義となっていた。
 聞けば、天草は大神とは士官学校に入る前からの付き合いという。
 彼以外に、この質問をぶつけられる相手はいなかったのだ。
 そこまで理解するにも知る由も天草は至らなかったが、マリアの質問に対し、押し黙って月を見上げてしまった。
 マリアは不安を心に募らせながらも、つられて月を見上げてしまう。
 天草が呟いた。

「……空には白い月……深紅の色は、涙によって拭われた……それは、夢の終わり。
 短く長い、夢の終わり……か……」

 言い終えて、天草は振り返った。

「詩……ですか?」

 マリアが、自分の質問をはぐらかされたと思ったのか、少し怒りを声に込めた。

「遺言だよ」

「……遺言!?」

「そうだ」

 天草は、それ以上は語らなかった。
 彼は姿勢を変えぬまま、顔だけをマリアに向けた。
 その表情は、悲哀とも怒りともとれる、複雑な表情である。

 マリアは困惑していた。

「あの、それが私の質問となにか関係が……」

 いいかけて、気づいた。
 ふと言葉と足が止まる。

「遺言……? 大神隊長の愛する人……?」

 マリアの思考が、高速で回転を始めた。
 自分の質問と、天草の応答。
 それは、どうつなぎあわせても、そういう結論に達してしまう。

 解答の真偽を求めて天草の方に視線を向ける。
 が、天草は表情を消したまま、マリアの表情を確認するように彼女を凝視していた。

「天草隊長……?」

 マリアの不安げな声を、天草は自分の愛刀を肩に担ぎ上げながら聞き流した。
 彼の足が、帝国劇場の中に向いて歩き出した。
 マリアは、彼の服を掴んで帰すまいとした。
 彼女の疑念、不安は、1mgも解決されていないのだから。

天草は、歩を止めてマリアを見る。

「そう求められても、俺にはこれ以上は言えぬ。
 お前さんにとって大神が大切な人間であるように、俺にとってもヤツは刎頸の友だ。
 友の記憶を簡単に掻き回すような安い真似はしない」

 諭すような天草の言に、マリアは彼の服を離して頷いた。

 それはそうだろう。
 自分だって、親友のカンナのことを聞かれて、なにもかもを聞いた方に答えるとは思わなかった。

「まぁ、お前さんの気持ちもわからんでもないから、切っ掛けは与えた。
 後は自分でなんとかするんだな。
 お前さんは、それが出来る人間の筈だ」

 おやすみ、と一言付け加えると、天草は再び歩を進め、劇場の闇の中に姿を消した。
 後には、佇むマリアが残された。

 マリアは、再び月を見上げる。
 結局、疑問は解決せず、不安だけが水量を上げた。
 それがほんの切れ端であっても、大神の過去の一端を見た。
 天草は嘘はついてはいないだろう。

「遺言……? 隊長の愛していた人が……死んでいた……?」

 マリアはぽつりとつぶやいた。
 それは自分から発した言葉ではなく、思わず出た心境の一端だった。


 空には白い月
 深紅の色は、涙によって拭われた
 それは夢の終わり
 短く長い、夢の、終わり

(fin)

COMMENT

ぶっちゃけ、すまん。

(更新日不明)