風組慕情

 まだ少し寒さの残る、三月の中ごろ。

 夜の十時を過ぎ、帝国劇場の事務室は、狂気じみた量の仕事をようやく乗り越えて、ささやかな休憩時間を迎えていた。
 普段は快く手伝ってくれる大神も今日は光武のテストに同席していて、助っ人を頼むわけにもいかず、藤井かすみ、榊原由里の二人は事務室に、高村椿は売店のほうになかば縛り付けられていたも同然のありさまで、それぞれの席を離れたのは、昼食時間の十分だけという有様だった。

「やっっっっっと、終わった〜〜〜〜……」

 由里は椅子に腰掛けたまま、テーブルに上半身を突っ伏した。

「お行儀悪いわよ、由里」

 最年長のかすみは、こんなときも年上の女性としての役割を忘れない。

「いいじゃない、たまには〜。もう疲れたのは疲れたんだから……」

 実際、今、かすみも由里も、使いすぎたせいか両手は痛くてかなわない。
 客の相手と事務を同時にこなさねばならず、立ったり座ったりの繰り返しで、腰にもかなりダメージがきている。

「私だって若い女の子なんだから、これ以上腰痛めたら、いい子供、産めなくなっちゃうよ……」

「そんなわけないでしょ」

 苦笑してかすみが答えるが、彼女もややテーブルに沈み気味だった。
 その時、事務室のドアがノックされる。

「お茶入りましたよ、かすみさん、由里さん」

 三杯の茶碗を盆に載せて入ってきたのは、最年少で売店担当の椿だった。
 湯気の立ち上る由里のテーブルに載せると、二人に茶碗を配る。

「ありがとう、椿。あなたも疲れてるのに悪かったわね」

「いいんですよ。ここにくるついででしたから」

 椿はにっこりと笑って自分も椅子に腰掛けて、ふうふうと息を吹きかけてお茶に唇をつけた。
 由里は、まだ上半身をつっぷしたまま、大きくため息をついた。

「あ〜、大神さん早く帰ってきてくれないかな〜。ああ見えて、大神さん頭いいから、手伝ってくれると助かるんだけど……」

「大神さんは優しいから手伝ってくれるけど、本職じゃないんだから、私たちが頑張らなきゃだめでしょ」

 かすみは言って、一口お茶に口をつける。

「由里が大神さんのことを好きなのはわかるけど……」

 由里は器用に顔だけをかすみの方に向けて、三白眼をしてみせる。
 気のせいか、やや顔が赤くなっている。

「そんなこと関係ないでしょ。私は純粋に仕事の効率化を……」

「はいはい、わかったから。早く飲まないと、お茶が冷めるわよ」

「う〜〜〜……」

 由里は抗議の声を上げるがゆっくりと上半身を上げると、ぬ〜っとした動きで茶碗を手にとった。

「でも、うちの隊長はどうしてますかね。花やしきも大変だと思うんですけど」

 椿が声をはさんだ。
 彼女ら帝劇の事務員、通称「三人娘」は、同じところに勤めてはいるが、花組ではなく、同じ特殊部隊の風組に所属している。
 花組のように前線に出て派手に立ち回ることはないが、後方で情報と輸送を扱う重要な部隊である。

 風組の隊長は、花組の隊長の大神一郎と同期で、大神と、同じく「月組」の隊長である加山雄一と仕官学校時代は激しく主席を争い、三人で「江田島三羽烏」と呼ばれた逸材だった。
 のだが……。
 この三人娘以外の風組の隊員は、普段は花やしきの遊園地のスタッフとして勤めている。
 しかし、花やしきの地下にある帝国華檄団のドッグに入ると、秘密部隊の隊員として、常に大型輸送機器の点検に精を出しているのだ。

「大丈夫じゃない? あの人、無用なエネルギーなら大神さんの千倍くらいありそうだし」

 改めて椅子に腰掛けながら、フォローなのかそうでないのかさっぱりわからない言葉を、由里が言う。
 そのままかすみと椿を見ると、なぜか二人とも笑いをこらえていた。

「あれ、どうしたの?」

 と、由里が言おうとすると。

「ふっ!」

 不意に、背後から由里の耳に生暖かい息が吹きかけられた。

「ひゃああああああ!」

 一気に全身に鳥肌を広げながら、大慌てで立ち上がりながら由里は振り返ると。
 そこにはなぜか、色黒で大柄な男性が立っていた。
 見まがうこともない、三人の上司だった。

 風組の隊長、天草伊織。
 身長は大神よりやや高い182cm、長く伸ばした髪を首の後ろで白い紐で結っている。
 今日は黒眼鏡サングラスをかけているが、穏やかな表情に隠された切れ長の眼は、場合によっては獰猛な獣を思わせた。
 行儀悪く着崩し、袖をまくった軍服からよく焼けた肌をさらしていたが、長身の細身に見えるその肌が、意外なほど筋肉質であることに、初見の人間は大抵、驚く。
 無駄な筋肉というものが、この男にはついていないのだ。
 極めて実用的な、絞り込まれた筋肉だった。
 天草は、背負っていた大きな硬質皮のカバンをカウンターに置くと、手近にあった椅子に、その身体を落とした。

「たたた、隊長、いたの!?」

 由里は慌てたままなんとか椅子に座り直した。

「いたのだよ、なぜか」

 サングラスで表情がわかりにくいだけに、由里にはその、いつもと変わりない口調が怖い。

「あ、あの、今の、ひょっとして、聞いてました?」

「さて、なんのことかな」

 天草は不思議そうに由里を見た。

「榊原君は、俺がいると何か不都合なことでも?」

「いえいえいえいえいえいえいえ、とんでもない!」

 豪快に首と手を横に振る由里。
 かすみと椿は笑いをこらえるのに必死だった。

「でも、本当にどうしてこの時間にここに?」

 椿がやっと笑いを止めて聞いた。
 普段は天草は花やしきに常駐していて、会議や緊急時ならばともかく、私用で大帝国劇場を訪れることはあまりない。

「最近忙しいという話を聞いていたのでな。心配して様子を身に来たんだよ。
 どうやら、俺は大神の千倍ほど無用なエネルギーが余ってるらしいんでな、肉体的過負荷は皆無だ」

 天草はその大きな手で由里の頭をつかむと、意地悪くうりうりと動かしてみせる。
 とりあえず由里の頭を掴んで弄ぶのが、この男の奇妙な癖だった。
 由里としては、猛然と抗議をしてもよいはずなのだが、原因の多くが由里自身の余計な一言であるため、抗議も黙殺されることが殆どである。
「あう〜、やっぱり聞いてたんだ〜」という由里の情けない抗議は、当然の如く今日も完全に黙殺された。

「どうだ、やはりここの事務はきついか?」

 天草は由里の頭から手を離し、あいていた手近な椅子にどっかと腰を落とした。
 由里は自分の頭をさすりながら「あ〜、髪がめちゃめちゃ〜」とぼやいたが、きっちり無視された。

「ええ、お客さんの数が多いですからね。
 立ったり座ったりで、少しはきついですけど、やりがいはありますよ」

 かすみの言葉に、その太い腕を胸の前で組み、天草は大きく頷く。

「うむ、藤井君は責任感があるな。
 誰かさんにも見習って欲しいものだ。なぁ、榊原君?」

 天草はかすみのことを「藤井君」と苗字で呼ぶが、実はかすみのほうが二つほど年上である。

「あたしはちゃんとやってますよう! もう、隊長なんて嫌いだ」

 思いっきり拗ねたように由里はそっぽを向いてしまった。
『さすがに言い過ぎたか』と、天草は困ったような顔をかすみと椿に向けたが、二人は苦笑して首を横に振ってしまった。

「わかったわかった。きちんと仕事をこなしてるみんなに、土産だ」

 天草は座ったまま自分の持っていたカバンを持ち出すと、中から大きな物体を取り出し、事務机の上に置いた。
 それは一升瓶であり、中には波々と液体が入っている。
 ビンに貼られたラベルには「本焼酎・竜殺し」と、勇ましい銘が刻まれている。
 ほかに見まがえ用も無い、立派な高級日本酒である。

「わ〜、お酒だ♪」

 態度が百八十度変わって、両手を合わせて飛び跳ねんばかりの由里。

「隊長、これどうしたんですか?」

 いぶかしんで、かすみが問責の視線を上司に投げつける。
 そもそも、劇場の事務とはいえ、任務中の飲酒はかたく禁じられているはずなのだが、この男にそのようなことは些事にしか映らぬようである。

「持っているだけだ。飲んでいるわけではない。なにが悪いのか」

 と、天草に言わせるとそのような認識であり、問題はないらしい。
 もとより、「飲む」ことと「所持する」ことは別の問題であり、「飲むために所持する」という「露悪的な」発想の関連は、好まざるところだった。
 このあたり、真面目な性格の由里には、理解不能な精神作用ではある。

「ん? 頑張るみんなに陣中見舞いを、と思ったのだが?」

「いや、そうじゃなくて、どこから持ってこられたんです?」

 かすみが重ねて問うと、堂々と胸を張って天草は答える。

「かっぱらってきた」

 あまりにもストレートな回答に、かすみは困ったような怒ったような表情を、自分の上司に向けた。
 恐らく、花やしきの倉庫に眠っていたものを、無断で持ち出したのであろう。
 実はこの男、似たような前科は枚挙に暇がない。
 そもそも、風組の隊長として花やしきに赴任した当日からそうだった。

 もともと風組は他の組に比べて人数が多いのだが、更に大きく分けて、人型蒸気や巨大空中戦艦の整備や艦内スタッフとして働く力仕事中心の組と、ブリッジのオペレーターなどの頭脳労働中心の組と二つに分かれる。
 当然、中には気性の激しい者や、年下の新任隊長に反発する者も少なからずいた。
 しかし、天草はこういった連中を、赴任翌日にはまとめあげてしまった。
 いかなる方法を用いたかというと、いきなり、倉庫に眠っていた酒をすべてあけてしまい、隊員たちに大盤振る舞いしてしまったのである。
 そして、こう言い放った。

「俺の実力を知りたい者、俺に言いたいことがある者は、今のうちに全部吐き出せ!
 文句でも意見でも何でもよい。堂々と言えねば、酒の力を借りてもよい。
 俺が本当の実力を見せ始めてからでは、遅いかもしれんぞ!」

 そして、酒の勢いに任せて討論や勝負を挑んでくる者を、天草は片端から言葉で論破し、あるいは力でねじ伏せて、全員に自分の器量と実力を認めさせてしまったのだ。
 まるで、五百年前の戦国武将のやりくちである。
 かすみたち三人がはじめて天草に会ったのも、この時だった。

 当時の華檄団副指令は、藤枝あやめである。
 普段は清楚で、落ち着きに満ちたこの女性が、唖然として、開いた口をふさぐ事もできない表情を部下に見せたのは、後にも先にも、この時だけだったと言われる。
 なにせ、巨大戦艦のブリッジで、秘密組織による一大宴会が、しかも休園日の真昼に行われているなどと、思いもしなかったのだ。
 予想できるほうがどうかしている。
 あやめの想像力の限界を責める者は、華檄団には存在しないはずだった。
 結局、天草の着任によるトラブルは殆どなく、驚くほど順調に受け継ぎは行われた。
 もっとも、天草の風組隊長としての最初の仕事は、勝手に倉庫の中のものを使ったことによる始末書だったが、この事件で彼の豪放な性格とその度量の広さは、華檄団中に広まることになった。

「まったく、いいんですか? また始末書書かされても知りませんよ?」

 かすみは呆れて言うが、本人にまったく反省の色はない。

「なにを言うか。こういう物をただ眠らせて置くなど、文字通り愚の骨頂だろう。
 酒は飲むために、剣は斬るために存在する。
 名剣も使えばこそだ。もったいぶって鞘にしまっておけば、自然に錆びるだけだ」

 剣と酒。どんな例えだ、と、かすみは言いそうになったが、ぐっと堪えた。
 こういう人なのだ。
 自らの理論に忠実でありながら、それにおいて他人を納得させてしまう力量を、同時に持っている。

「今日すぐに飲めとはいわん。花組の連中と一緒に酒を囲むのもいいだろう。
 仔細はまかせるさ」

 と、軽くフォローを入れるあたり、この男なりにかすみに気を使ってはいるのだ。
 それが解るだけに、苦笑を浮かべざるを得ないかすみである。

 

「でも、椿は残念ね。お酒飲めないもんね」

 由里が悪戯っぽく笑った。さっきまでの上司に対する不敬はどこへやら、だ。

「ほう、高村君は下戸か? それは残念だな」

 なにが残念なのだ、と、またも堪えるかすみ。
 この人の話は聞いていて楽しいので、それに対してつっこむ、などという無粋なまねを、したくなかったのである。
 椿は、少し顔を赤らめて俯いた。

「私、お酒を飲むとすぐに寝ちゃうんです。
 だから、まわりの雰囲気とかおぼえてないんですよ」

 聞いて、再び腕を組む天草。

「ふむ、酒の強さは人それぞれだから、仕方がないことではあるが、惜しいな。
 高村君はなかなか美人だから、ほろ酔いでしなをつくって、ため息でもついたら、男の二、三百人、すぐに引っかかるだろう」

「15歳の子に、なに言ってるんですか。すけべぇなんだから、このオヤジは」

 笑いながら由里が、いやみはないものの、痛烈な言葉を飛ばす。
 だが、その程度では、この男を凹ませることはできないのだった。

「自分を隠して真面目ぶるよりは、よほどいいだろう。俺はすこぶる健康的だと思うがな?」

 と、同胞であり親友でもある大神へのあてつけのようなことを言う。
 こういうことを真顔で言っても、この男にはいやらしさとか、いやみといったものがまったくない。
 だからこそ、男性隊員にも女性隊員にも受け入れられたのだろう。
 それこそ、下種な下心がある男など、女性はすぐに見破ってしまうものである。
 大神はその生真面目さにおいて、そして、天草はその剛直な磊落さにおいて、異性の部下の忠誠心を得ているのであった。

「あ、あの」

 俯きかげんな椿が、再び口を開いた。

「隊長から見て、私は美人ですか?」

 由里とかすみが、驚いて視線を交わした。
 元気だが、少し控えめなところのある椿にしては、大胆な発言だった。
 しかも、それが上司に対しての言葉なら尚更であるが、由里もかすみも、椿が上司として以上の信頼を天草に置いていることを知っていたから、軽く驚くだけですんだのだった。

「ふむ」

 言って天草は立ち上がると、椿と鼻の先が触れ合うほどの位置に顔を持ってきた。
 椿の顔が一気に紅潮してしまう。

「高村君」

「はい!」

 鼓動が一気に二倍ほど跳ね上がった椿は、身体同様に舌まで硬直させてしまったようだった。

「はっきりと名言しておくが、君は充分に美人だ。
 なにか、自らの容姿に対して引け目があるのなら、そんなものは杞憂に過ぎん。
 過信にならぬ程度の自信は持っていい」

「はい…………」

 ぽ〜っとして、失神してしまいそうな雰囲気で椿は答える。
 由里が大神に好意を持っていることのように、椿が天草に対して好意を持っているということは、風組の中ではほとんど公然に近い秘密だった。
 気づいていないのは、当の大神と天草だけなのだ。
 もっとも、天草には気づかぬ理由はある。
 彼には別に想い人がいるらしい、というもが、専らの噂だった。
 椿もそのことには、薄々感づいている。

 なにか浮遊感に支配されてしまった椿から顔を離すと、天草は立ち上がった。

「さて、あまり長居するのも悪いから、そろそろ帰るかな」

 そう言いつつ、酒ビンをだして少し小さくなったカバンを、肩に再び下げた。

「大神さんにはお会いにならないのですか?」

 かすみが問うと、天草は、彼らしくなく複雑な顔をした。

「会わんよ、必要がないからな」

 これは、本心の本心だろう、とかすみにもわかった。
 わかって苦笑した。実にこの人らしい。

 大神と天草は、特に不仲というわけではない。
 ただ、必要以上に馴れ合うということは天草は好きではなかった。
 いざという時に意思疎通ができればそれでいいと思っているし、天草と大神は、それができるほどには互いに修羅場をいくつも経験していたはずであろうから。
 なにも友情という関係の全てが、親愛で結ばれている必要は無い、というのが、彼の心情である。
 自分を越し、兵学校を首席で卒業した大神の能力に対する畏敬の念はあるが、それは大神の全人格への尊敬に直結するものではないのだった。
 帝国華檄団に属する殆どの人間が知らぬことであるが、大神と天草は、海兵学校に入る前から、既に面識を有している。
 ろくな面識ではなかったが……。

「で、今日はこれから色町ですか?」

 と、由里がまた言わなくても良い冗談を言うものだから、彼女は天草から再び頭を掴まれるのだった。

「そういうことを言う部下には、俺の酒は下賜できぬな、榊原クンッ」

「あああああ、冗談です、冗ぉ談んん〜…………」

 結局、天草の大きな手でしこたま頭を揉まれて、由里はふらふらとすわってしまった。
 程よく目が回っているらしい。


「では、俺はこれで失敬する。明日も諸君の精励に期待するところ大である。さらばだ」

 そう言い残し、天草は、何事もなかったかのように大帝国劇場を後にした。

 後に残された三人のうち、一人は目をまわし、一人は真っ赤になったままふわふわしている。
 まともな状態だったのはかすみだけとなってしまっていた。

COMMENT

 CD-ROMを整理してたら出てきた、四年前の原稿です。ほっとくのも勿体無いので、(これでも)改稿して公開。
 全編に俺設定炸裂だけどいいんでしょうか、コレ。
「サクラ」はゲームしかしてないんですが、風組隊長というのが出てこなかったような気がしたので、創作してみました。
 舞台や音楽CDに出てたらすいません。

(初:02.06.20)
(改:06.01.29)
(改:08.03.26)
(改:09.06.30)