「……」
あたしは目を閉じて、そっと息をついた。何とも言えない余韻に浸るには、やはりこの方法が一番だ。
懐かしいという思いもあるけれど、同時にそんなに昔ではないと否定する思いもある。相反する気持ちが、心地良い感じで溶け合っていた。
もしあの頃の自分と会話する事が出来るのなら、確実に盛り上がれる。当時からお酒を飲んでいたんだし、絶対に楽しくなるだろう。
それに、相手は他ならぬ自分なのだから、その心に共感してあげる事も容易なのかもしれない……。
「あー、でも、わかんないか」
思わず苦笑して、目を開いた。明るくなった視界に入るのは、もはや見慣れた部屋の中。
あの頃の自分が居て、今のあたしが出来た。取り巻く環境も全て、過去の自分が作り上げたモノ。結果だけを見るなら、間違いではなかったのだ。
けれども、欲という感情は果てしないもので、振り返ってみると、もーちょっと方法があったんじゃないかなー、とか首を捻ってしまう事もある。
過去と飲み明かしたとしても、いくつかの場面で派手な罵り合いになる可能性も捨てきれなかった。まぁ、それも最上級の肴になるのかもしれないが。
色々な気持ちを抱えつつも、一つだけは確かだった。日に日に傷が増えていく綾の顔。また笑ってくれた、あの夜。
「……頑張ったよね、あたし」
誰も褒めてくれないので、自分で自分を褒めてあげる。もっとも、他人にそれを求めてはいないし、そもそも事情を知っている人間が少ないのだから、どうしようもない。
だから、現在を創り上げてくれた自分に対して、最大級の感謝と賛辞を贈る。
諦めていたら、あたしはこの家には居ない。あの子の傍にも居ない。もしかすると、言葉を交わすことすら―――――叶わなかったかもしれない。
「む?」
あたしを現実に引き戻したのは、玄関の方から聞こえてきた物音だった。顔を向ければ、ガチャガチャと金属音が続いてくる。
壁の時計を見れば、二十一時を少し過ぎた所。あぁ、もうこんな時間だったんだ。帰ってくる筈よね。
一人納得していると、「ただいま」という声が玄関から聞こえてきた。それに対して、あたしも「お帰り」と迎える言葉を返す。
間を置かずに、あたしの居るリビングに向かって足音も近づいてきた。そして、廊下とリビングの境目のドアが開いた。
「あー、寒い。寒すぎる。つか、ありえねぇ」
入ってくるなり、綾は呪詛を紡いだ。開口一番にそんな事を言われたあたしは、一体どういうリアクションを取ればいいのやら。
「今日は比較的暖かい方じゃなかった? 今年は暖冬って噂なのに」
「いや、氷点下ギリギリになったって一緒だって。雪が降ってる時点で寒いんだから」
「なんか本気で哀れんじゃうね、その体質……」
いくら寒がりと言っても、綾の場合はちょっと行き過ぎている。雪に対しては過去のトラウマと相まって、もはや嫌悪対象となっているのだった。
その一文字が名前に入っていて、しかもその由来がそっくりそのまま『降ってたから』という逸話があるあたしとしては、結構悲しかったりもするのだが。
こないだ雪合戦に持ち込もうとした時も、即座に力一杯拒否されたし。
「で、毎度の如く、飯はまだ?」
と、マフラーとコートを脱ぎながら、綾が尋ねてきた。
「うん。明日は休みだし」
「……つまりは食うより飲むってわけね。別に良いけどさ」
「綾も付き合ってよねー。バイトの時間によって加減しても良いから」
いつも通りに誘ってみると、綾は苦笑を浮かべつつも頷いて、
「俺も明日は休みだから、構わないけど……徹夜は駄目な。霞に醜態を晒すわけにもいかないし」
などと次の日の心配を盾に念を押してくる。幾らあたしでも鬼じゃないのに。綾にとって一番大事な用事を、妨害する筈がないじゃないの。
とは思いつつも、頭の中にはポコポコと面白そうな案が浮かんできてしまう。
ちなみに、霞ちゃんというのは楓ちゃんの一つ下の妹で、あたし達の複雑な事情にも深く関わっている、当事者の一人なのだ。
「いっそのこと、霞ちゃんも酔い潰せば良いんじゃない?」
「アホか。大人が犯罪を勧めてどうすんだ」
「あ、なによ。自分なんか飲酒喫煙の上に銃刀法違反プラス窃盗罪じゃない」
現在の状況を明確に伝えてやれば、綾は盛大に吹き出した。全部本当の事だ。万が一捕まった場合、この子はどうなってしまうのだろう?
「せ、窃盗罪は雪姉だろ! 大体、あの刀だって雪姉が勝手に取ってきたんじゃないかっ」
「だって、綾が竹刀とか木刀じゃ心許ないって言うから。それに、おばぁちゃんが快く貸してくれると思うの?」
「そ、それを言われてしまうと……!」
苦虫を噛み潰したような顔で、綾は唸る。飲酒喫煙はともかくとして、残りの二つは役に立ったらしいので、綾はあたしに頭が上がらないのだ。
……でもそう考えると、主犯はあたしって事になっちゃうのかしら?
「まぁ、それはともかくとしてだな……霞はそういう所に厳しいんだって。前に酔った雪姉の話をした時なんてスゲェ怖かったからな」
「いや、どうしてそういう経緯になったのかを、まずは聞きたいわ」
「……勘弁してくれ」
よほど思い出したくないのか、若干青ざめた顔で、綾は項垂れてしまった。霞ちゃん……大人しそうに見えて、実は過激? 外見と内面のギャップでゲッツ?
「じゃあ聞かないけど。そろそろご飯の用意しようよ。お腹減ったし喉渇いたし」
催促をして、あたしは立ち上がった。キッチンへ行って、冷蔵庫の中を探ってみる。
「普通に飯炊くか? それとも適当にツマミ作る?」
後ろからかかる綾の声。少しくぐもって聞こえるのは、きっと煙草を咥えているからだろう。まぁ、一服くらいは許してあげる事にする。
それに今日は、何となく二人で何かをしたい気分だった。
「とりあえず普通に炊いちゃえばいいでしょ。余っても困る事は無いしさ。二合くらいで」
「結局はいつも通りか。まぁ、もうしばらくは我慢してくれ―――――って、雪姉?」
「なによ?」
左手に卵、右手にウインナーの袋を掴んで振り返れば、予想通りに綾は煙草を咥えていて、しかし壮絶に不思議そうな顔であたしを見つめていた。
……ここまで露骨に驚かれると、逆に良い気分なのかもしんない。
「二人で作れば、早く食べられるっしょ? 綾は吸い終わったら、お米研いでね。しっかり手を洗ってからよ?」
「……どういう風の吹き回し? なんか良い事あったの?」
「んー?」
表情を変えぬままに尋ねてくる綾に、あたしはしばし悩むように顔を顰めて―――――
「突発的プレゼント企画・姉と弟の共同作業編……ってところかしら」
「なんだそりゃ?」
綾は更に眉をひそめたが、あたしは答えずに笑うだけに留めておいた。
昔はこうやって一緒に居る事にすら、許可が必要な勢いだった。でも、それすらも乗り越えられたから、今がある。
姉として傍に居る事を許してくれた。抱えているモノを全て話してくれた。自分の内に溜め込もうとする癖は、未だに直ってはいないようだけど。
こうやって一緒にいてあげようとするのは、綾の為だけじゃないんだなぁ―――――などと改めて納得する自分が居た。
「綾ー」
「なにさ?」
「大好きだよー」
「っ!? ぐ…っ!」
「ちょ、大丈夫!?」
むせて思いっきり咳き込む綾の介抱で、晩御飯は更に遅くなってしまった。
(FIN)
記念SS贈りますと宣言してから、死ぬほど時間経ちましたが、ようやく完成しましたので……。
はっきり言って、KEEFさんですら『何だコレ』と思うくらいの、雪姉視点で書いてみた二年前のお話です。
書けば書くほどに雪姉がわからなくなっていきます。独り歩きするって、こういう事なんですね(多分違う)。ある意味、最強です。ホント。
既に200万も越えて久しいですが、お贈りさせて頂く次第であります。どうかこれからもよろしくお願い致しますorz
ALICEさん、ありがとうございました!
雪姉さんって、自分に素直でありながら、半面でしっかりと自己を律することが出来る、強かな人生観を持つ女性だな、と、この作品を読んでいて思いましたね。
たぶん、並みの男性では、一生適わないと思います。私など手玉にとられちゃうこと請け合いです。
私は、一人称でキャラクターに語らせたり、キャラクターの心情を深く表現する作風は書けない人間なので、それを上手くこなせる人の小説は凄いと、いつも思います。
見習わなくてはなりませんね。