そろそろいいだろう。鍋の蓋を開けた瞬間、すごい量の湯気が立ち上った。
その中身は、グツグツと音を立てて、俺達を急かしているようだった。
「美味しそうだね!」
「あはは、鍋なんて久しぶりね」
「父さん達が引越してからは、数えるほどだったし」
「家でも、そんなに多くはなかったですよ」
それぞれに感想を述べながら、器に移していく。全員が満たされたところで、雪姉が缶ビールのタブを開けた。
「あ、お姉ちゃん。私が入れますよ」
「そーお? じゃあ、お願いね」
「綾人君は、私がやってあげるよ」
「ん、サンキュ」
自分のコップに、なみなみと注がれていく液体。これが瓶だったりしたら、もっと雰囲気出たんだろうなぁ。などと、馬鹿みたいな考えが浮かぶ。ホントに馬鹿だ。
「んじゃ、楓もコップ。今日は飲め」
「えぇ!?」
「たまには付き合えって。コップ一杯でいいからさ」
「う、うん……」
「それなら、霞ちゃんも飲まないわけにはいかないわねー」
「……もう諦めてます」
若干抵抗のある楓と裏腹に、既に霞のコップはビールで満たされていた。雪姉の隣だったのが、最大の間違いだったな。
もっとも、仕方ないと云えば仕方ないのだが。
「綾と楓ちゃんの七周年を祝って! さぁ、一気!」
「「「乾杯は!?」」」
フライングの宴の開始。
そのツッコミは、抜群のハモリで入れられる事になった。
「ちょっと綾、楓ちゃんが居るからってペース遅いんじゃない?」
「あ、あのなぁ。今日ぐらい、ゆっくり飲ませろよ」
「……これでペース遅いの?」
「凄いですね」
鍋をつつき始めてから、まだ一時間も経っていないのに、既に三本も空けている。
「あー、この人ビールだけなら底無しだからな」
「そんな事どうでもいいのよ。さぁ、飲みなさい!」
「わーったよ」
答えて、残りを飲み干す。が、次の瞬間には元以上の量に増えていた。
いや、構わないけどさ……今日の趣旨を理解してる?
「お兄ちゃんも強いんですね……」
「そうでもないけどな。お前だって、まだまだイケるだろ」
「わ、私よりもお姉ちゃんの方が強いですっ」
「へーそうなんだー」
「え、ちょ、霞!? あーっ、もういらないのにーっ!!」
見事、スケープゴートにされてしまった楓。霞、お前案外酷いな。実の姉を売るなよ。
とりあえず、無礼講なので放って置こう。
一部始終を眺めつつ、俺は鍋から具を取って、また足した。
「あら、また空になっちゃった。取ってこよーっと」
「かーすーみー?」
「し、仕方なかったんですっ!」
「まぁまぁ。罰として、霞はノルマ二本に決定」
「そ、そんなっ!?」
「つーわけで、雪姉ー。あと二本追加ー」
「ラジャー!」
一気に三対一。勝ち誇る楓と涙する霞。
うーん、テンション高いなぁ……。いつもじゃ想像出来ないぞ、こんな二人。まぁ面白いから許されてしまう。酒の席ってのは、そんなもんだ。
「あ、しまった」
「どうしたの?」
「なんか忘れたと思ったら、ニラだ。道理で緑が足りないと思った」
「でも、十分でしょ? 他の具だって沢山あるんだし」
「それもそうだな。こら、霞。コップを持って何処へ行く?」
気付かないとでも思ったのか。霞は見咎められた姿勢のまま、固まりつつ、
「お兄ちゃん……女の子にそれを尋ねるのは、失礼ですよ」
「それは悪かった。でも、コップは置いていけ」
「ふふ……霞……諦めた方が良いよ……」
「お姉ちゃん……怖いです」
スゲェ邪悪な笑みで、妹を見る楓。ごめん。俺、今ちょっと霞に同意した。
「じゃあ、それを飲んで行けば問題無いわね」
雪姉もさらりと、越えられない難関を定義する。段々と霞が可哀想になってきた。
いや、もともと炊き付けたのは俺なんだけど……。
「わかりました」
「え?」
「の、飲めばいいんですねっ!?」
「え、あ――――――」
意気込んで一気に―――――霞はソレを飲み干した。
手は腰で。思い切りが良い……って感心してる場合じゃなくて!
そして、ドンっとコップをテーブルに置く霞。顔を伏せたまま、何も言おうとしない。
しばし、場が静まり返った。
「……霞?」
楓が問いかけるが、返事が無い。酒乱の気は無かったと思うんだが……?
そう思った瞬間だった。
「ッッ―――――」
「か、霞ちゃん!?」
ガバッと顔を上げ、リビングから飛び出していった。そのまま、帰ってこない。
「……悪い事しちゃったね」
「大丈夫かな?」
「うーん……後で水持ってってやろう」
霞が戻ってきたのは、それから三十分後だった。
「ほらほらー! 主役がそんなじゃ盛り上がらないわよー!?」
「ちょ、ちょっと待て……! おかしいだろ!? なんで俺だけ一缶丸々なんだよっ!?」
「大丈夫っ、綾人君なら生き残れるよ!」
「お兄ちゃんだけ飲まないのは、卑怯です!」
三時間経過。皆、結構良い具合に出来上がっていた。
……酔っ払いの集会か、ここは。
「ふーん、あたしの酒が飲めないっていうの?」
「せめて大きめのコップ一杯!」
「ダメです。そんなの許されません」
よっぽどさっきの事を根に持っているらしい。据わった目で、霞がズイと詰め寄る。
くっ……か、楓は!?
「綾人君……」
「な、なんだ?」
「今日は……記念日なんだよ?」
「死刑宣告!?」
形勢逆転。先ほどの霞の二の舞に成り下がっていた。
「「「さぁ!!」」」
「ぐ……クソ……ったれ!!!」
そして、俺は覚悟を決めた。缶に口をつけ、一気に傾ける!
流れ込んでくる液体を、喉を通していく。躊躇しない。止めたら無理。飲み干せ。飲みつくせ。
コールが無いのが――――辛い。
「……っ……!」
あ、ちょっと逆流しそう。それほど無様な事は無い。
吐くなら、トイレ。じゃないと処理が大変だ。
何で後始末の事を考えながら、飲まなくてはならないのだろう。
矛盾した思考の中、俺はラストスパートをかけた。
「っっ!! どうだ、コラァ!?」
「え? まだ足りない?」
「言ってねぇぇぇぇぇ!! うぇっ……無理」
笑顔で二本目をチラつかせた雪姉に、心の中で毒を吐きつつ、俺はトイレを目指した。
「あー……クソ……」
「おかえりー」
「って、おい」
「ん?」
「なんだ、この有様」
しばらくしてリビングに戻って、俺は呆然とした。仲良くコタツにくるまって、神崎姉妹が寝息をたてていた。
「まぁまぁ、頑張った方でしょ。これ以上は酷ってもんよ」
「それはわかるが……一体、今日は何だったんだよ?」
手酌している雪姉に、俺は項垂れて問いかけた。
出会って、約束して、七年目の記念日。しかし、阿鼻叫喚の宴と化していた。
もっとこう……。
「しっとりと過ごしたかったって?」
「まぁ……」
そんな柄じゃないのはわかっているが。楓はそういうのが好きなんじゃないかと、思っていたのだ。
「でも、楓ちゃんが望んだのは、こういうモノなのよ?」
「え?」
ぽつりと呟いた雪姉の言葉に、俺はその顔を上げた。
「楓ちゃんは、こんな風に騒いだりした事無かったから」
「そ、そんな事無いだろ? 翔子とか由美達と遊んだ事だって―――――」
不意に、俺は言葉を止めていた。雪姉が……とても悲しく微笑んだから。
「いつか……こんな瞬間に巡り合えるといいね」
「何言って……」
「綾が待ち続けてれば、きっといつか叶うから」
「だから、何言ってんだよ!?」
わけがわからなくなって、ついに俺は叫んでいた。しかし、雪姉は悲しげな表情のまま、静かに笑う。
「もう朝が来ちゃう」
「はぁ? さっき日が変わったところだろ」
「朝が来れば、この世界も消えちゃう。だから……」
そう呟いた瞬間に―――――世界が消えた。
『きっと……もうすぐ会えるから』
酷く懐かしい声で、『俺』の視界は黒で塗りつぶされた。
目を開ければ、朝だった。何も変わらない、いつもの部屋。
自分のベッドで、俺はその身を起こしていた。
「…………あれ?」
我ながら、間の抜けた声が零れ出た。頭は全然痛くない。二日酔いを覚悟していたのに。
むしろ、好調。すぐにでも、かかり稽古ぐらい出来そうだ。
「……やっぱ、か……」
低い声で、呟く。全て覚えていた。
頭の何処かでは、確かにわかっていたのだ。求め続けていた、小さな幸せ。
決して、大仰なものが欲しかったわけじゃない。平凡で、どこにでもあるようなもので良かった。
それすら―――――夢でしか叶わない。
「……楽しかったなぁ」
俺の知らない楓がいた。でも、あの頃のままの楓がいた。幸せそうに笑っていた。俺も……楓も。
「…………」
もう一度ベッドに倒れこみ、目を覆う。
ため息一つ。
あのまま―――――夢の中に居られたら。
「―――――なんて言ったら、怒るよな?」
お前はずっと夢を見てるんだから。
『きっと……もうすぐ会えるから』
あれは誰の声だったんだろう?
楓でも、霞でも、雪姉でも無かった。でも、いつか聞いたような、懐かしい声。
「うっし」
反動をつけて、起き上がる。
夢でもいい。嘘でもいい。それらはいつか薄れて、忘れてしまう。でも、現実は色褪せない。
形は変わっても、醒める事は無いから。
「今度は……もっとペース考えてやろうな」
俺にしかわからないかもしれない。再現する事は、難しいかもしれない。
けれど、楓が望んだ事があの夢であるのなら。
「さ、朝飯の用意だ」
今日の朝は、いつもよりも気合が入った。
(FIN)
えーと、コレが最初に考えた方のSSです。
何でしょう? 雪姉がいれば雰囲気も明るくなるんですが、神崎姉妹が出ると悲しくなります。
わざわざ、「その先」をリクエストしてくれたKEEFさんには、とても申し訳なく思っております。
一回読んだだけでは、理解できない内容ですが……。本編が終われば、こんな感じに収まるかと。
冬はともかく、ほのぼのには出来ませんでした。いつもシリアスっぽいものになってしまう……。
やはり二本目の方が楽しめるんじゃないかと。雪姉のキャラが最大の救いですね。
個人的には、結構書き易かったんですけどねぇ。壊滅的なまでに、一人称しか書けません。
おそらくKEEFさん以外の方には、「なんだよ、コレ?」と唾を吐きたくなるようなSSですが、少しでも興味を持ってくれれば、有り難いです。いや、ホントに。
では、KEEFさん。この度は、50.000HITならびに、一周年!
本当におめでとうございます!!
はい、ALICEさん、ありがとうございました! 当サイト50000ヒット記念に頂いたニ作の、一作目でした!
いや〜、まさか二本も頂けるとは思ってなかったので、感謝感激雨あられでございます! (>▽<)/。・。・°★・。・。☆・°・。・°
今回は、ALICEさんの大長編オリジナル+クロスオーバー作品「その先」より、リクエストさせて頂きました。お応えいただいて、本当にありがとうございました! (>▽<)/。・。・°★・。・。☆・°・。・°
夢を見ているとき、そこが「夢」の中なのだと自覚できる夢を「明晰夢」といいますが、綾人にとって今回の明晰夢が、彼にとって前向きな行動の源にすることが出来ればいいですね。楓の望んだ夢が、幸福に実現されることを、願わずにはいられません。