夢を見ている。
そう認識している自分が居た。
これは夢。
記憶には無い、嘘で固められた空間。
だからユメ。
限りなく現実に近い、虚構の世界。
それがわかってしまった。
喜べる事では、無いのかもしれない。
覚めてしまった時、更に打ちのめされてしまうから。
しかし、俺は嬉しかった。
例えニセモノでも、こんなにも幸せな時間を掴めたから。
一夜限りの幻。
朝になれば、消える残像。
それでも―――――
俺は、嬉しかったんだ。
「げ……」
窓の外を見た瞬間に、俺はうめいた。外と云っても、景色が映るわけではない。
白一色。それだけで、埋め尽くされていた。
「マジかよ……」
ため息をついて、思わず身震い。一瞬で目が覚めるのは、良い事なんだろうか?
とりあえず、最速で服を着替える。いつものGパンに、灰色のセーター。だが、それでも役不足。
部屋を出て、階段を下りる。リビングに入るなり、暖房をセットした。
「いくら冬だからって、有り得ねぇよな……」
身体を抱きつつ、テレビをつけてみる。チャンネルを回して、天気予報。
――――――マイナス4℃。最低気温ではなく、最高気温が。
毎度の事ながら、冬なんて来なければ良いと思う。つーか、雪なんか降るんじゃないっ。雪掻きとかする、こっちの身にもなってみろ!
意味も無く、天候に悪態をついてみた。
「寒すぎる……」
俺の呟き以外には、暖房が起こす風の音だけ。こうして突っ立っていても、暖まるには時間がかかる。
とりあえず、手っ取り早い手段として、コーヒーでもいれよう。当然ながら、濃いブラック。朝はコレに限る。ヤカンに水を入れて、早速火にかけた。
量は大体、3.5人分。俺が食前食後で2杯。で、雪姉が1.5杯だ。沸く合間に、テーブルの上に置いてあった煙草を手に取り、火をつけた。う……起き抜けだから、ちょっとクラクラする……。
「ふぁ……おはよー」
「ん、おはよう。雪姉」
と、二階から雪姉が降りて来た。まだ眠そうに、大きなあくびをしている。
もーちょっと、恥じらいってもんを理解しろよ。
「綾は朝が強くて良いなぁ……」
「そうでもないだろ。雪姉だって、しっかり起きてるくせに」
「まぁ、今日は特別な日だしね」
にっこりと笑う、雪姉。
特別な日。そう、今日は言うなれば、記念日だ。
俺ともう一人……一番大切な子との。
「早いわねー。もう七年目だっけ?」
「まーね。そう思うと、かなりの付き合いだな」
「それ、惚気?」
「ちげーよ! っと……」
やかましく鳴り出したヤカンに気付き、俺は火を止める。その熱湯を、コーヒーメーカーに注いでいく。
「あはは。でも、ホントに凄いよね。初恋は実らないって言うのに」
「そういうもんなのか? まぁ……あいつはどうか知らないけど、俺は初恋じゃないし」
「そうなの?」
驚いたように、雪姉は目を見開いた。むぅ……その反応はいただけないな。俺にとっちゃ、かなりの爆弾発言だったのに。
「そんなの初耳よ。綾の初恋って幾つの時? 相手は誰?」
椅子に腰掛けつつ、興味津々に尋ねてきやがる。本気でわかっていないらしい。それはそれで、結構悲しかったりするのだが。
しばしの沈黙。
その傍らで、コーヒーメーカーがコポコポと、小気味の良い音を上げていた。こうしているわけにもいかないので、とりあえず口を開く。
「あー、まぁ誰だっていいだろ? もう過ぎた事だし」
「いーえ! これだけは聞いておかなきゃ気が済まないわねっ」
「何でだよ?」
「面白そうだからに決まってるじゃない」
にやりと、邪な笑みを浮かべる雪姉。一体、何が面白いというのだろうか。
というか、それが自分だと知ったら、どんな反応をするのだろう。知ってみたくもあり、知らないでおきたかった。
「そういう言い方するなら、死んでも教えない」
「えぇー!?」
「あぁもう、朝から叫ぶな。ほら」
煙草を口に咥えたまま、コーヒーを手渡した。自分のコーヒーを片手に持ち、ひとまず灰を落とす。
そして、一口。うん、美味い。
「ちなみに聞くけど、本当にわからない?」
「うん」
迷い無く言い切る雪姉に、苦笑が零れた。しかし、それが雪姉には理解出来なかったらしい。とても怪訝そうな顔で、こちらを凝視している。
「雪姉も俺の事言えないよな」
「な、なにが?」
「自分には無関心だって事」
今度は、俺がからかうように笑ってやった。
「え? え? ちょっと、綾ー! 全然わかんないってば!」
そんな朝の会話。
記憶には無い、願いの欠片。
こんな瞬間……あったのだろうか?
「んじゃ、行ってくるわ」
「うー」
「いや……そこは元気よく送り出してくれよ」
「だって、教えてくんないんだもん」
時刻は昼過ぎ。俺が出かける時間になっても、雪姉は不満そうであった。俺としては、本当に今更の話なので、さすがに話せない。
というか、何でこの人も気付かないんだろう? 小さい頃は、俺は雪姉べったりだったというのに……。
「ねぇ、教えてよー。減るもんじゃなしー」
「減るからヤダ」
「何が減るのよ?」
「減るっていうか、下がる。俺のテンションが」
ついでに、貴女のテンションも。
「じゃな、夕方には帰ってくるから!」
「あ、ちょっと!」
返事も聞かず、俺は玄関を開けて外に出た。冷たい空気を、即座に感じる。しかし、そんなものはとても些細な事だった。
□□□
そして、俺はいつものように歩を進める。現実では、決して辿り着けない場所へと。
近づくことを避けていた――――――約束の場所。
ものみの丘。
七年の歳月を経ても、ここは変わっちゃいなかった。
そして―――――あの日のように、先客が居た。
「悪い、ちょっと遅れたかな?」
「ううん、私も今来た所だよ」
何の気負いもなく、俺は声をかけた。一番、大切な子。俺の愛しい人。
神崎 楓に――――――――
「さて、とりあえず買い物行くか?」
「うーん……もうちょっとここに居たいな」
「飯は食ってきたのか?」
「うん、大丈夫」
笑う楓の隣に、俺は腰掛けた。あの日もそうした石は、もう小さい。だから、自然と肩を寄せ合うように座る。
「えへへ……」
「ん? どうした?」
「ううん、何だか意識すると恥ずかしいね」
「そ、そうか」
そんな事を言われると、俺も意識してしまう。この場所で出会ってから、もう七年。だけど、俺達は何も変わらず、ずっと一緒に居る。
「まぁ……何にも不満なんか無いから、当然だろ」
その言葉に、楓は俺の顔を覗き込んでくる。何かおかしい事を言ったんだろうか?
「綾人君って……やっぱり変だよね」
「お前もやっぱり、失礼だよな」
憮然として、言い返した。
「じゃあ、楓は何か不満か?」
「そ、そんな事ないよ!」
「だろ? じゃあ、続いて当たり前じゃないか」
「そうなんだけど……あんな恥ずかしい事言えるの、綾人君ぐらいだよ」
顔を背けながら、楓が呟く。
そーかなぁ……? そりゃ口喧嘩くらいは、何回もした。だけど、その度に仲直りした。
お互いの短所。それはもうわかっている。ならば、何も問題は無い。
「つっても、特別に考える事は無いと思うんだけどな」
「え?」
「別に自慢になる事でも無いだろ? 付き合ってる年月とかはさ」
というか、小学生の頃から一緒なのだから、長くなるのは当たり前だし。
「その間の思い出は、大切だよね」
「そだな。そっちの方が大事だよ」
誇らしげに言う、楓。いつだって、その目には見えない物が、大切に思える。
だからこそ、求めて止まなかった――――――
「まぁ、一年に一回だけだしな。誕生日と一緒みたいなもんだ」
「ちょっと違うと思うんだけど……」
「でも、同じように歳を重ねてくぞ?」
「ほ、本当だね……」
即席の共通事項だったのだが、楓は納得してしまった。でも、こういう所は、小さいときのままだなぁ。
すると、楓は急に立ち上がって、さもおかしそうに笑った。
「でも、綾人君で良かったな」
「何が?」
「私の傍に居てくれたのが」
「き、急になんだよ?」
いきなりそんな事を言われて、俺は慌ててしまう。段々と顔が暑くなっていくのが、やけに恥ずかしかった。
「うーん。だって、他の人なんて想像出来ないもん」
「……それは光栄だな」
「その割には、あんまり嬉しそうじゃないね」
「あのな、俺の顔を見て察しろよ」
「あはは」
屈託無く笑う楓。そう、楓はこんな奴だった。
俺の事を変だというくせに、自分の事を自覚していない。
俺も同じように立ち上がり、少し高い目線で、街を見下ろした。
「そろそろ行こうぜ。雪が降る前には帰りたい」
「私は降って欲しいなぁ」
「勘弁してくれ。雪なんて……いっぱい積もってるじゃないか」
「そうじゃなくて、降ってるのが見たいの!」
「お前も変わってるなぁ。もう珍しくも無いだろうに」
「だって、綺麗だよ。そう思わない?」
そんな笑みで笑いかけられてしまえば、否定する事なんか出来なかった。そんな自分が恨めしくて、先に踵を返す。
「ほら、行こう! 用意もあるんだし、霞も迎えに行かなきゃならないだろっ」
「あ、ちょっと待って」
歩き出そうとした瞬間に、楓に手を捕まれた。手袋をしていて、その体温はわからなかったが。その代わり――――――違う場所が、熱を感じた。
「お前な……」
「えへへ、記念日だよ」
手は繋いだまま、すっと楓は身体を離す。俺は頭を抱えて、思わず項垂れる。
「じゃあ、行こうっ!」
「あぁもう、わーったよ!」
商店街に行くまでに、顔の火照りが無くなれば良い。そんな事で頭を悩ましているのは、どうやら俺だけのようだった。
段々と、わかってきてしまった。
この世界が、どういうモノで構成されているのかが。
「じゃあ、呼んで来るね」
「ああ」
言い残して、楓は家へと入っていった。
吐く息は、真っ白。空を見上げる。
灰色に濁っていて、いつもより低く感じた。
今にも雪が降りそうだ。
「お待たせっ」
「こんにちは、お兄ちゃん」
「おっす。じゃあ、行くか」
少しして、仲良く出てくる二人。楓とよく似た女の子。
それも当然、霞は妹なのだから。
「……本当に持たなくて大丈夫?」
「心配すんなって。俺だって男なんだから」
俺の両手に提げられた袋。中には、様々な食材が入っている。今しがた、商店街で買い揃えられたものだ。
「いっぱい買ったんですね」
「まぁな。まぁ、残っても困らないし」
「そう言えば、お酒は良かったの?」
思い出したように、楓が言う。もっとも、楓が飲むわけではなくて、雪姉専用のである。
「その辺は抜かりなく。昨日、自分で買ってたから」
「雪音お姉ちゃんは、どうしてるんですか?」
「あー、多分家でゴロゴロしてると思うぞ。今日は出かけないって言ってた」
「気を遣ってくれてるのかなぁ?」
「そんな事無いだろ。大体、あの人が言い出したんだぜ?」
そう、今日の予定は全て雪姉が組んでいた。今日は、俺が楓と約束を交わした日。
恋人とか、そんな範囲ではなく。はっきり言って、生涯を共にするような言葉を交わした日。勢いというのは、マジで凄いと思った。
「騒ぎたいだけなのかもしれないけどな」
「でも、雪音お姉ちゃんは優しいですよ」
「霞の言う通りだよ。もっと感謝しなきゃ」
「……二人がかりで擁護するか」
まぁ、恥ずかしくて言えないだけで。言われるまでも無く、雪姉には感謝しているのだ。
今日の事を含め、色々な面で俺達を、理解してくれているから。
「うん、早く帰ってあげよう? きっと待ってるよ」
「そうですね。急ぎましょうか」
「お前ら、雪姉大好きだなぁ」
本当に楽しげな二人を眺めながら、俺はふと頬を緩めた。
時として、想いは力を持つ。
今までは考えもしなかったけれど。
それでも、この瞬間だけは……信じられると思った。
「ただいま」
「おかえりー」
予想通り。雪姉はコタツにくるまって、ダラけていた。
「こんにちは、雪音お姉ちゃん」
「お邪魔しますね」
「うん、いらっしゃい。二人とも、ゆっくりしてね。準備は綾がしてくれるから」
「アンタだけ飯抜きだ」
「ち、ちょっとした冗談じゃない!」
ガバッと身を起こす雪姉。なら、初めから言うんじゃないっての。
それはともかく、早速取り掛かるか。
「そうだな……。楓は野菜切ってくれるか? 霞はご飯炊いてくれると助かる」
「うん、わかったっ」
「お安い御用です」
答えるや否や、すぐに動いてくれる二人。うん、本当に助かる。
「綾ー、あたしは何すればいいの?」
「雪姉は……鍋出しといて」
「あたしだけ扱いが酷いー!」
「そう言われてもな……。台所に三人は狭いだろ」
二人で並ぶならともかく、三人もいては、むしろ邪魔だろう。
「じゃあ、鍋は俺が出すから。霞が終わり次第、楓の手伝いね」
「はーい」
「よし、じゃあ頼んだ」
雪姉もコタツから出てきて、戦線に加わる。いっつもそうしてくれると、大助かりなんだが……。
それはともかく、楽しかった。いつもは二人。だけど、今は四人。
それが、心許せる人ばかりだからこそ――――――
「ええと、早炊きで良いんですか?」
「ああ、ありがとな。冷たかったろ?」
「いえ、言ってくれればいつでも手伝います」
柔らかく微笑んで、霞は炊飯器のスイッチを押した。よし、これで飯はオッケー。
「綾ー、鍋暖まって来たよー」
「そっか。楓、そろそろ昆布出して」
「ごめん、お姉ちゃん。菜箸取って」
「あたしが使ってたんだっけ。ごめんごめん」
テーブルの椅子に座って、仲良く支度を進める二人。その傍らには、ほどよい大きさに切られた野菜が沢山。あとは冷蔵庫から肉、か。
「俺達も座ろうか」
「そうですね。お酒はどうします?」
「んー、霞も飲むか?」
「え……えぇ!?」
「ちょっとぐらいならいいだろ。じゃあ、三本でいいや」
慌てる霞に笑いかけながら、俺はコップを抱える。楓と霞でも、二人なら一缶ぐらい空けれるだろう。無理でも、雪姉が処理するし。
「今日ぐらい、霞も羽目を外してみろって」
「……どうなっても知りませんからね」
少し非難めいた口調だったが、その顔は確かに笑っていた。
「もう野菜も入れていいのかなー?」
「ああ、適当にブチ込んで蓋しといてくれー」
冬といえば、やはり鍋だ。美味いし、体も温まるし、何より楽しい。こればかりは、多人数じゃないと出来ない。
だけど―――――今日は四人一緒だから。
―――――叶わなかった、あの頃の残滓が今―――――
(To be continude...)