そこは、私たちが住んでいる世界とは、ちょっとだけ違う場所。人間と恐竜とが共存する社会です。
恐竜は人間の音楽で操ることができ、輸送機関や工事のパートナーとして、人間社会では欠かせぬ存在となっています。
その恐竜を扱う専門家「恐竜使い」を育成する学校がある南の島が、本作の舞台。
恐竜使いを目指す以東えみりは、進級試験を控えたある日、歌を歌う恐竜に出会います。おりしも試験の内容は、恐竜の卵を発見すること。えみりと、双子の妹あんじぇは、無事に試験をパスして進級することが出来るのでしょうか?
恐竜が出てくるゲームというと、真っ先に思い浮かぶのが「モンスターハンター」のように、剣や銃を振り回し、血沸き肉踊る、デジタル暴力満載のアクションゲームでしょう。それらのゲームの中では、恐竜(≠ドラゴン)は、どうしても敵側の強大なモンスターとして、暴れたり狩られたりする存在として設定されがちです。
太古の昔から、ドラゴン(アジアでは龍)といえば最も神に近く、最も畏怖された天上の生物(神話によっては神そのものの場合も多い)。自然を統べるそれらの偉大な存在に対する恐怖心、憧れといった想いは、世界最古の英雄伝説「ギルガメッシュ叙事詩」から6000年を経過した現在でも、人間の魂の奥底に確実に継承されているようです。人間が手に入れた最新の表現機器の一つ「テレビゲーム」という媒体で、恐竜やドラゴンといった、本来ならば想像上の存在でありながら人間では打ち倒すことが出来ないこれらの存在を、剣一本、銃一丁で駆逐する有様は、それだけ魂に刷り込まれたドラゴンに対する恐怖心のアンチテーゼ、もしくは憧れの大きさの裏返しなのでしょう。
そういう意味では、恐竜を恐れるわけでも蔑むわけでもなく、あくまで人間生活のパートナーとして共存させた本作は、目の付け所が非常に新鮮で、実に楽しくプレイできました。それは、キャラクターデザインと原作を担当した竹本泉と、フルデジタルアニメーション・アドベンチャー(インタラクティブ・コミック)として製作したゲームアーツの功績が大です。
恐竜という存在の持つ畏怖・恐怖感を、竹本泉のスッとぼけたキャラクターと、実にほのぼのとした、ゆる〜い世界観が、ものの見事に克服させているのです(主人公・以東えみり役の声優、大谷育枝の、良い意味で肩の力が抜けるような抜群の演技力も表彰モノです)。
実際のところ、他のゲームに登場する「恐竜」は、前述の通り、凶悪で恐ろしい敵であるか、味方であっても、それは力感溢れる頼もしい仲間であるわけです。本作のように「音楽で心を通わせる、ともだちとしての恐竜」という存在は、ゲームとしての先例がないわけではありませんが、それにしても前代未聞のゆるさです。
本作はアニメーションの途中で時折現れる選択肢によって展開が変わる「マルチエンディング」を採用しているのですが、最初から最後までアニメで製作するマルチエンディングのゲームには、どうしても避けられないデメリットがあります。
まず最初に「シナリオありき」でアニメーションを製作するため、後々に不具合や辻褄が合わない箇所が発覚しても、その訂正がなかなかできないわけです。だから「前の場面と持っている武器が違う」とか「着ている服が違う」などといった些細な矛盾点が生まれることもままあります。
驚くことに、本作ではそういった「矛盾点」が(少なくとも私がプレイした限りでは)見られませんでした。これは、世界観の徹底した統一と、シナリオの完成度の高さを表す良い指標だと思います。
この前に登場した、やはり竹本泉がキャラクターデザインをし、ゲームアーツが製作した「ゆみみみっくす・りみっくす」も、非常に良くできたアニメーション・アドベンチャーでした。アニメーションというジャンルだけでも労力がいるのに、動画の再生に向いていないサターンの弱点を克服するために「全部デジタルでつくる」という、かなり常軌を逸した仕事でも、いっさい手を抜かない。かつてのゲームアーツには、こういった職人魂が溢れていたのですが……。
こういったソフトをレビューするとき、私は「大作RPGで疲れたときの気分転換に」といったことをたまに書きます。しかし、本作は違います。そういった箸休めのためにプレイするには、もったいない出来のよさです。
最初から、この独特でゆる〜い世界につかり、心地よいほのぼのさにひたるためにプレイしましょう。
確かに、ゲームで笑い、怒り、驚き、泣き、感情をあらわに出来ることは、非常に良いことだと思います。そういった「ドキドキ感」がゲームという媒体の醍醐味であることは真実です。
けれども、だからこそ、こういった「ぽわぽわさせるために作りこまれたゲーム」の存在もまた、非常に貴重なものなのです。
(2008.01.14)