AFRIKA

2008年8月28日発売/SCE/84点

 アフリカ! 世にありふれた単語のようでいて、魅力的な響きを感じてしまうのは、我々日本人の生活環境とは明らかに異なる要素を多分に含んだ世界からくる、未知への好奇心の表れでしょうか。

 本作「アフリカ」は、余りの強さに日本のプロ野球界から追放されてしまった「アストロ球団」を指揮し、マサイ族の野球チームとの試合を成功させるために、アフリカの地で様々な困難を克服していく経営シミュレーションである

わけがなく

自然を追い求めるカメラマンとなり、様々な依頼を受けながらアフリカの魅力あふれる動物たちを激写していくサファリ(探検)ゲームです。
(依頼に拘らず、自分の感性のままに動物たちをフィルターに収めることも、当然できます)

 あまり前例の豊富ではない本作の「サファリ」というジャンル、あえて先例を挙げれば「アクアゾーン」が最も近いですが、「アクアゾーン」は観察対象が魚だし、本作はより能動的な行動力を必要とされます。
 稀有な例ではPSの「パペットズー・ピロミィ」というのもありますが、あちらは電波ゲーすれすれの毒気を内包しているのに対し、こちらはナショナルジオグラフィック協力のもと、ごく真面目に動物をシミュレートしています。
(そのぶん、「ピロミィ」ほどの強烈な個性は孕んではいませんが……)

 ナショナルジオグラフィック協力のもとで、スタッフ自身がアフリカに渡ってまで研究し尽くされたアフリカの動物たちの動きや生命感は、プレイステーション3という高性能の名伯楽を得て、最高のグラフィックでアフリカの大地を動き回ります。
 他のPS3タイトルと比べて本作「アフリカ」がもっとも異質な点は、これらの綺麗な動物たちを、「殺す」ためではなく「愛でる」「観察する」という目的のために生み出していることです。
 多くのプレイヤーがゲームという媒体に求めるのは、「自分が登場人物の一人として世界の中に存在している」という、漫画や映画にはない「没入感」だと思うのですが、そういった参加型の欲望を手っ取り早く体験させようとすると、どうしても動きの激しいジャンルに企画が走ってしまいがち。
 実際にXbox360やPS3の先行タイトルを並べてみると、現実に近い世界観を舞台にしたものといえば、FPSやら剣撃アクションやら、どこか血の臭気の強い殺伐としたジャンルが目に付きます。

 あえて例えるなら、「ゲームの中に入り込んで、ひたすらシャッターチャンスを狙う」という本作の趣旨は、「ベルベットアサシン」のようなスニーキングゲームの派生ジャンルと言えなくもありませんが、一言で違いを言い表せば、本作は「ひたすら平和」。
 様々なシチュエーションの依頼(どういう場所でどういう動物を撮れ! と、シチュエーションの指定が妙に細かい)を受けて、それを満たす写真を撮るために、朝から晩までアフリカの大地をウロウロします。
 現地の部族に襲われたりだとか、密猟者を発見して緊迫の銃撃戦! などという激しいシーンはいっさいなく、ただただ目的の情景を写真に収めるために、待ち続けます。

 そう、本作「アフリカ」は、あくまで動物が主役。我々カメラマンは「傍観者」に過ぎないのです。
 傍観者にすぎないのですから、主役たちの生活に介入してはいけません。彼らの生活ペースを乱さぬように、慎重に彼らを追い続け、その美しい自然美を永遠の記録に残すのです。
 動物も生き物ですから、こちらの思い通りに動いてくれるわけではありません。

「ほら、そこで水を飲むんだよ。飲め、飲め、あーー、草なんかいつでも食えるだろーーっ!
 でも食ったら咽喉が渇くよな? さあ、水を飲んで咽喉をうるおせ!
 ……違うんだよ、なんでそこで俺に気付くんだよ! こっちくんな!
 あ、でもこの顔も可愛い……シマウマ! 邪魔だ、そこのシマウマーー!」

 ……と、まるで「志村、後ろ後ろー!」という一種のドリフ的な叫びを(無論、心の中で)上げている自分がいます。

 そうして彼らを美しく撮れた写真に対して、良い評価が与えられると、これは被写体ではなく自分への評価ですから、カメラマンとしては喜びの境地。
 動物の赤ちゃんなんて見つけたときには、あまりに可愛すぎて萌え死に確定のオーラロード突入ですよ。
 思わず本来の目的とは全く別に、PCの壁紙用に写真をパチリ。


 そして、美しい「動物」への拘りと双璧を為すのが、本作の「カメラ」に対するこだわりです。
 ソニー自身を含めたメーカー各社の、変質的なまでにこだわりぬかれたカメラのカスタマイズは、その道の人ならばもうたまらないのでは?

 カメラの知識のない私などは、「プロ並みに撮る写真術W」などを読み、作中で著者の日沖宗弘氏が本の初っ端から、

「拙著「写真術T」が著者の私自身や出版社の予想に反して何万人もの方々にお読みいただけたのは、読者の皆さんの心が潜在的にクラシック・カメラまたはアンティーク・カメラを熱望されていたからではなかろうか。
(中略)
 これは現代人の精神のあり方や現代という時代に深く関与する重要な問題であることがわかった。この潜在的欲求こそ近・現代の日本が抑圧してきたところの愛・自由・宗教への渇望である。 (1ページ)」

 と大真面目に論じ、カメラやレンズの解説を、デカルトやシュレーゲル、果てはエックハルトにいたるまで、ドイツ浪漫主義思想にからめて大真面目に行い、さらには、

「現代の日本の状態はまさにこれだ。志ある人が悪に虐げられ、浄化のために腫を絞られている社会や経済は滅亡に瀕している。
 それでも闘わねばならない。そして勝利せねばならない。敗北は“恐怖を原理とする暗黒の帝国”による支配の復活をもたらすだけであるから。
(328ページ)」

 と、血液が血管の中で沸騰しそうな情熱でまとめておられる気合に接すると、もうカメラを扱うのは命がけであり、世界を救うドラクエの勇者なみの勇気と覚悟と正義感がいるものだと思っていたのですが、命を危険にさらすことなくカメラのカスタマイズができ、さらに生き生きとした動物を好きなだけ写真に収めることができる本作のようなゲームの存在は、本当にありがたいばかりです。
 カメラに詳しく接したことが無いと、いまいちわからない単語が出てくることもありますが、それらはあくまでおまけみたいなもので、ゲーム中ではあまり専門的な知識は要求されず、光量やシャッタースピードなど、およそ写真を撮る場合に考えられる最低限の常識しか要求されないため、安心です。


 私的にはとりたてて不満はなかったのですが、難点を挙げるとすれば、プレイそのものが究極に単調なところ。
 写真を評価してもらったり、ネットで展示できるという付加要素はあるとはいえ、やっていることは「依頼を受ける」→「移動」→「写真を撮影」。コンプリートまで延々とこの繰り返し。
 依頼を受けずにボーっとすることもできますが、だからといってできることが豊富にあるわけでもありません。
 トロフィーはないし、ミッションをこなさないと現れない動物もいるし、この単調な作業、言い換えれば「動物の写真を撮る」という行為そのものに熱中できないと、なかなか厳しいものがあります。

 また、動物たちのグラフィックは素晴らしいのに、それ以外の植物やら水やらのグラフィックがこんなにぞんざいなのは、いったいどういうことか。
 肝心の動物も、そんなに極端に種類が入っているわけではないし、発表から発売まで相当な期間が開いた本作なら、もっと動物以外の方面にも力をさけたとは思うんですが……。
 ところどころで動物たちが見せる奇妙な不自然な生態は、愛嬌といえば愛嬌ですが、こちらも気になるといえば気になります。

 セーブやロードも時間がかかり、セーブするたびになんか不安な気持ちになってしまいます。また、オンラインモードも妙に使いにくい。


 Xbox360なんかで出たら、絶対に凶暴な野生生物をハントするシューティングになってたであろう本作。そういう意味では、このような形態のソフトにしたライノスタジオは偉い。
 あえて言えば本作は、そのほのぼのとした外見とは裏腹に、最近では珍しいほどの野心的な一作です。
 続編を重ねて経験を積めば、もっとシャープにアフリカの大自然に迫ることができるでしょう。本作も充分に楽しめる一作ですが、気になる荒い部分は続編に期待大、ということで。

 ……どうでもいいんだけど、制作会社のプログラマーが全員やめちゃって、ヨーロッパ向けのローカライズができないまま話が流れちゃった、という話は本当か?