えー、田代まさしです。
1980年、シャネルズの一員として歌手デビュー。1983年にラッツ&スターに改名後も和製ドゥーワップグループの第一人者として君臨し、そのお笑いのセンスを志村けんに認められてお笑い界にも進出しました。
順調に出世コースを走っているように見えましたが、2000年9月24日の盗撮事件以降、麻薬の不法所持など、面白すぎる、というには少々不謹慎な数々のイベントを経て服役、2008年6月26日に出所して7月に開いた出所会見で、思いっきり失笑を買っていた、典型的な転落人生の彼ですが、このソフトが出た89年当時はまさしく人気絶頂。だって、同僚の鈴木雅之や桑野信義だってゲームにはなってないんだぜ?
自分自身にゲームより激しいイベントが団体で待っていようとは、思ってもいなかったでしょうけどね。
ゲーム自体は、浚われた四人のお姫様、「シンデレラ姫」「人魚姫」「おやゆび姫」「白雪姫」の四人を、ヨーヨーを武器に田代まさしが救出に向かう、ストーリーのアクションゲーム。
はい、この時点でもう既に、何故かやるせなさが充満してます。覗きにいくんじゃないのか? とか。
ちなみに、この四人のお姫様のモデルを募集する為にわざわざオーディションが開催されました。もちろん、田代まさしも審査員に入っていました。
そして選ばれたプリンセス役は、四人の小学生の女の子。
正直、実際のゲームに出てくる絵とモデルの女の子の顔の造型は、素晴らしいデフォルメ技術のお陰で面影のカケラもありませんが、モデルの女の子にとってはいい記念になったんじゃないですかね。2000年頃までは。
おとぎの国の妖精から「四人のプリンセスを助けて欲しい」と懇願された我等がマーシー、ガバッとベッドから立ち上がり、ナイトキャップを取ることも忘れ、大慌てで叫びます。
「!! プリンセス?! いくいく! どこでもいっちゃう!
どこ? どこなの ぼくのプリンセス」
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……すいません、シャレにならなさ過ぎて、コメントのしようがありません。
「ミニにタコ」の下地は、このとき既に充分すぎるほど形成されていたようです。
最初に表示されるプリンセスの写真が遺影みたいに白黒なのは、彼の邪悪な瘴気にあてられて死んだからじゃないかとさえ思えてしまいます。冗談抜きに。
(プリンセスの遺影は、助けるごとにカラーになる)
肝心のアクション部分の製作は手抜きというか、割と凶悪。
ヨーヨーを複数方向に飛ばす田代まさし自身の攻撃アクションにはなんら問題ないんですが、一番の問題点はジャンプ。
ジャンプの操作性が極めて悪く、またステージ構成も明らかに田代まさしのスペックをオーバーしている作りで、墜落死だの溺死だの連発。
せめて田代が飛び越えられるように作れよ!
四人のプリンセスを助けた後は、何故かアクションRPGっぽいバトル形式のラスボス戦へ。
女性のラスボスに当然の如く色目を使いながら、倒すと野郎だらけのエンディング。
プリンセスは!?
一時期、「TIMES」誌においてウサマ・ビン・ラディンに二倍の大差をつけて2000年の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」を獲得しそうになった大物にしては少々キッツい仕様ですが、本人にとっては1988年に出版した「田代まさしの道徳読本」と同じくらい忘れたい過去なんじゃないでしょうかね。
(2006.08.21)