ユリ・サカザキが学校に通い生活をしているのがサウスタンの光の一面なら、リョウ・サカザキが戦っている世界はサウスタウンでは闇の一面であろう。リョウは「ストリートファイト」としか言わなかったが、ユリはリョウが闇の世界に片足をつけて戦っていることを、なんとなく気づいていた。
 リョウが持って帰ってくる「賞金」は、明らかに一般のサラリーマンを上回る学だったし、現在では滅多にないものの、リョウが傷を負って帰ってきたとき、その傷の位置や深さが、「相手に勝利する」ことではなく「相手を無力化する」ことを狙って負わされた傷であることは疑いようがなかった。

 兄が何も言わないので、ユリは何も聞かなかった。リョウは今ではサウスタウン最強のストリートファイターとしてその方面で有名となり、陽の方向からも陰の方向からも多数の視線が彼に向けられていた。
 妹が兄を見るその視線は、リョウに向けられる視線の一本に過ぎなかったが、リョウにとってはもっとも大切で、もっとも太いものであったに違いない。

Act.1-14 Dark dawn
KEEF

 その日、サウスタウンの「陽」の部分に属する男が、精神の中で歯ぎしりしていた。
 サウスタウンステーションの目前に広がる高層オフィスビル群は、まさにサウスタウンの光の結晶だ。まるでニューヨークのブルックリン・ブリッジ・パークからゴールデンゲートブリッジと同じ視界に入るワールドトレードセンターを中心としたビル群を見上げるのと変わらない。
 多くの自動車と多くの人間が入り乱れ、大きな幸福とささやかな不幸を交わしている。
 その光景を目にしたとき、サウスタウンが見間違いようもないアメリカの近代化の象徴だと信じることに、誰も疑問を覚えないだろう。

 だが、サウスタウンの裏側にはっきりとした「陰」の一面があるように、その光の中にも確実に「闇」が入り込んでいることを、ごく一部の人間はよく知っている。
 闇があっての光だ。逆も真であるが、サウスタウンが平和なひと時をおくっていると信じているのは、下町の無責任な批評家くらいのものだろう。

「ラ・モール」という店がある。レストランとバーを兼ねた大きな飲食店だ。高さ260メートル、地上66階、地下5階というサウスタウンでも最大級のビル「853パーク・セントラルタワー」の63〜65階のフロアを全て使い切った、広大な「紳士と淑女の社交場」だった。
 1957年に開店。最初の店舗はべつの場所だったが、60年代にはすでにこのビルに移転している。
 その規模の大きさ、歴史の古さから独特の「マイナールール」や「ドレスコード」が存在し、誰か常連客の紹介でもないと店に入ることすらできない。情報も人も漏れにくい堅牢さから、サウスタウンの善も悪も、ここから発信されることが多いことが知られた。
 もちろん、この店に入ることが許された人間でも、「ラ・モール」のすべてを知ることはできない。例えば、大事な商談のために使われる個室が、実は表に公表されている倍の数存在し、そのすべてが完全な傍聴・盗撮対策を施されている。ここを使うのは主にマフィアか、彼らとつながりのある「後ろ暗い」商人たちだった。

 さて、今夜一人の男性が、少し怒りを感じさせる呼吸で「ラ・モール」の扉を開いた。
 身なりは良い。縦じまの入った紺のスーツを身に着け、金髪をきれいに撫でつけている。しかし感情が高ぶっているせいか、その表情は芸術的な華麗さには欠けていた。
 男性は真っ直ぐに受付へ向かい、担当者に乱暴に声をかける。担当者は最初から彼が来ることを知っており、笑顔のまま対応した。

「ミスター・ハービンジャーでいらっしゃいますね。アポイントメントは確認しております。M.B様は地下二階のルームNo.5で既にお待ちです」

「M.B? 私の確認した名前と違うぞ」

 受付嬢は、胸倉を掴もうとするほどの勢いのハービンジャーに押されたが、しかし対応は正確だった。

「M.B様からは、なにも心配せずミスター・ハービンジャーをご案内するように、と仰せつかっております」

 ハービンジャーは怒りと困惑とを混ぜた複雑な表情をした。確かに本名は誰も知らない男であるが、この店に入るならもっと偽名らしい偽名を使ったらどうかとも思った。
 だが、ハービンジャーはその思いを胸にしまったまま、エレベーターまで案内され、そこからは一人で歩いた。長い廊下だ。白夜のような白の壁と赤のカーペットを盛り上がりも埃も一つも残さず真っ直ぐにひいた、完璧な誂えである。
 ハービンジャーは数多い扉の名前を確認しながら歩いた。扉と扉の間隔が広い。それだけ部屋が広いということだろう。そしてついに「No.5」の扉を見つけた。
 中にいるはずの相手を意識し、ごくりと咽喉をならす。だが、今更臆病風に吹かれて逃げ帰るわけにもいかない。
 ハービンジャーは二回、両肩を上下させ、二回深呼吸してから扉を三回ノックした。

「Come in !」

 その声一つで、ハービンジャーを震わせるには十分だった。声が太く、低い。そして傲慢さに満ちたたった一言。
 もう後悔する時間も過ぎ去っていたので、ハービンジャーは、少なくとも自分では覚悟を決めたつもりになって、扉を開けた。

 大きな客室だ。団体の食事用の長テーブルは部屋の容積の七割は占めているだろうか。他に骨董品の絵や壺、椅子、家具などが配置されているが、これらはハービンジャーの芸術観の外側にいる者たちだから、全く気にならなかった。
 その分、自分の視線の直線状にいる男に、全神経を集中した。
 強い。見ただけでそう分かる男だ。頭は見事にスキンヘッドにし、サングラスで視線を隠し、口ひげに囲まれた口からは葉巻の紫煙が吐き出されている。
 大きい。見ただけでそう分かる男だ。身長も高いが、何よりも体格が普通の人間と一回り違う。高級スーツに身を包み、威風堂々とした、言葉を換えれば傲慢そのものの態度がよけいに彼を大きく見せているのだろう。

 男は葉巻の煙を吐き出しながら、不敵に口元を釣り上げた。

「どうしたね、エイブ。つっ立ってないで座りたまえ」

 エイブ。ハービンジャーのファーストネームであるエイブラムスの愛称だ。この男に愛称で呼ばれるのは、この男に認められているのか、それとも蔑まれているのか、複雑な気分になる。
 無論、事実は後者であって、彼が他人を自分の同格として扱うことなどないのだが。

「ご無沙汰しております……ミスター……BIG……その……」

 せわしなくスーツの裾をただし、ネクタイをなおし、視線を五回ほど周囲の物品にそらして、ハービンジャーはようやく目前の男と視線を合わせた。
 男はMr.BIGと呼ばれた。大きめのワイングラスに赤ワインを注ぎ、その危険な「笑顔」ではない「笑い顔」は、ハービンジャーを緊張の極限まで追い詰めるのに十分な毒を含んでいた。

「お前の方から連絡が来るとは驚いたよ、エイブ。まだ約束の支払いが二ヶ月分、滞っているだろう。
 今日はそれを支払うために来たのかね? それとも、ここで自殺して保険金でくれるのかな?」

 Mr.BIGの言葉は、音質が低く、太く、高低に乏しいが、それが逆に非物理的な鈍器としての攻撃力を上げていた。ハービンジャーは、いつどこの穴から体内の体液を噴出するか分からぬほど怯えていた。

「それとも、君の二人の娘をこちらに売り払ってくれるのかね? 器量はないが、身体だけは良いものを持っているからな」

 この言葉が、ハービンジャーの気持ちに柱を立てた。そう、彼は今日、その娘のことでMr.BIGと会談を持ったのだ。ハービンジャーは、まったく本心の見えないBIGに、初めて正面から向き合った。
 Mr.BIGは、敏感に知覚した。この男は、その娘のことでなにかを話しに、もしくは願いに来たのだな。愚かな男の愚かな娘など、肉体的な欲望のはけ口に使う程度の価値しかなかろうも、ハービンジャーの怯えようが滑稽なので、しばらく放っておいてみた。
 すると、ハービンジャーは話はじめた。

「Mr.BIG、今日はその娘のことでお願いがあってきたのだ」

「君が俺に願い事をできる立場だと?」

「そうは思っていない。だが、必ずあなたの興味をひくはずだ! 今後のあなたに影響のある話のはずだ」

「……話してみろ」

 サングラスで視線は分からないが、一瞬だけ、Mr.BIGの口ひげが下に下がった。「笑い顔」が少しいかめしくなった。これが機会と、ハービンジャーはまくしたてた。

「今日、私の高校生の娘が、ある女から侮辱された。屈辱を受けたのだ。
 その大きな侮辱のせいで、私の娘は明日から学校に通えないと言っている。部屋にこもって泣き続けている」

「それで、俺の部下に、お前の娘の屈辱を晴らすために働け、とでも言う気かな、エイブ」

 Mr.BIGは大笑した。大きな口をさらに大きく開けて、肺の中の空気を一気に吐き出して笑った。ハービンジャーも、これが嘲笑だと聞いた瞬間に理解した。
 彼と彼の娘が見栄っ張りの嘘つきだとしても、それを他人に非難されるのは腹が立つことだった。ハービンジャーは顔を捻じ曲げたが、Mr.BIGは大笑は過ぎ去った後、ニヤニヤとした侮蔑でハービンジャーを見下した。

「仮に俺がその話を受けるとしよう。お前は何をもって俺に報いるつもりかね?
 お前の二人の娘と妻を死ぬまで性の玩具にし、お前の命と全財産をすべて売り払ったところで、サウスタウン駅に住み着いた鳩を一匹殺すにも値しないほどのものだ。
 お前は世界の誰より、自分の価値を誤解しているぞ、エイブ」

 ハービンジャーは思わず怒りの表情で立ちあがり、テーブルの上で全身の力を拳に集中して握りこんだ。
 腹が立ったとはいえ、ハービンジャーは愚かではあるが馬鹿ではない。娘よりももう少し賢明である。
 だから、話に興味をなくして立ちあがろうとしたMr.BIGを、一言で引き留めることに成功したのである。

「私の娘を侮辱したのは、極限流空手の関係者だ。リョウ・サカザキ、あの男の妹だ!」

 その名を聞いた瞬間、Mr.BIGは浮きかけた腰を落とし、ハービンジャーを睨みつけた。サングラスで視線は見えなかったが、口ひげの動きでハービンジャーはそれを察した。

「そう、あなたの提示する金品に見向きもせず、あなたに逆らい、あなたの思い通りにならない、いまやストリートの王となり上がったあの男だ。
 あの男の妹が、私の娘を侮辱したのだ!」

 もう正攻法でも演技力でもない。ただ本能でハービンジャーは叫んでいたが、だからMr.BIGを立ち止まらせたのかもしれない。

「ほう、リョウか。最近はここラ・モールでも、その忌々しい活躍ぶりに興味を引く人間が増えているようだが、そのリョウがな……」

 Mr.BIGは、サウスタウンの闇にはびこる勢力でも最大級のマフィア集団を率いている。それはジャックやキングなどの愚連隊とはわけがちがう、本物の「マフィア」である。武器の横流しや恐喝、麻薬取引、資金洗浄、軍事訓練、要人の誘拐、そしてストリートファイトの興行など、一般には後ろ暗い稼業で一大勢力を作り上げた。
 Mr.BIG自身も、その圧倒的な戦闘力と優れた軍事的戦術眼などで恐れられ、「魔王」と呼ばれた。サウスタウンの政治にも大きな影響力を持つに至っている。

 この街のたいていの人間は、彼の威圧だけで屈服した。それだけで折れぬ者は金と恐喝に折れた。ジャックやキングなど、まだ逆らう人間は少なくないが、現在の彼の視界の中で最も鬱陶しい存在は、リョウ・サカザキであったろう。
 実は、Mr.BIGとリョウ・サカザキは、何度か直接的な対話をした経験がある。だがそれは、すべて建設的な結果に終わらなかった。
 BIGの仕切る、闇の大金がかかった大掛かりなストリートファイトの興行で、BIGは何度もリョウを目玉として出場させようとしたのだ。しかし、リョウはその大金に目もくれず、「魔王」と呼ばれた自分を正面からにらみつけ、彼の存在を悲しむかのようにうそぶくのである。
 今やこの街でそんなことが出来るのはリョウだけだ。ジャックやキングも、Mr.BIGの勢力に吸収されないように器用に立ちまわっているが、BIG自身は時間の問題であろうと思っていた。
 だが、リョウは違った。彼の用いる手段を全て否定し、一笑に伏し、啖呵すら切って見せた。
 誰がそう仕組んだものではない。ごく自然に、この二人は将来の対決を約束されたように時間が進んでいくのだ。

「極限流空手か。タクマがいなくなったことで少しは大人しくなると思ったが、結局、またのさばってきやがった。
 ヤツは石ころに過ぎないが、石ころが馬車をひっくり返して死人が出ることもあるだろう。ここらで一度「清掃作業」に精を出すのもいいかもしれんな」

 Mr.BIGは立ちあがった。ハービンジャーは、改めてその大きさに驚嘆する。身長は190cmに届かないだろうが、ワイシャツを盛り上げるほどの分厚い胸、太い腕、太い首、なにもかもが太く大きかった。
 彼が纏う空気が、いっそう視覚的にではなく、感覚的に彼を巨大に見せた。ハービンジャーは逆に、圧倒され、よろめいて着席してしまった。

「エイブ、俺に決断のきっかけをくれたことは感謝してやる。あとは約束の支払いを早く済ませることだ。
 俺の感謝に関係なく、お前たち一家はサウスタウンベイに浮かぶゴミの一つにまざるだろうぜ」

 背中で扉の閉まる音を聞いても、ハービンジャーはそれに気づかなかった。彼はMr.BIGの興味をリョウ・サカザキにむけることで、自分の失態から目をそらし、少しでも自分の命を守るために、直接Mr.BIGに会うという危険を犯したのに、結果は何一つ変わらなかった。
 この部屋に入るまでは、数か月後に自分たちの家族の死体が海に浮かぶと予想していた。この部屋に入った後は、数か月後に自分たちとリョウの死体が海に浮かぶことになるらしいと分かった。未来は何一つ変わらない。
 ハービンジャーは肘をテーブルに突き立て、頭を両手で覆って呪詛の言葉を30分ほど吐き続けた。


 ファイターとしてなにか予知めいた感覚が働いたのか、それともたまたまそういう気分だったのか、彼には分からない。
 だが今夜、リョウが妹を抱く手は少し乱暴だった。正常位と後背位で、妹の膣と子宮を散々に突き上げ、ヒップを鷲掴みにしてその精液を躊躇なく妹の中に流し込んだ。
 ユリは、最初の正常位の半ばからすでに連続する絶頂で悲鳴のように喘ぎ続け、潮を吹きあげ、兄の手で体位が変えられるころには、すでにイキすぎて意識を失っていた。リョウはユリが失神してからもその身体を突き続け、ようやく射精したのである。
 ユリの身体はリョウによってソファに横たえられたが、その後も軽度の絶頂が続いていたようで、ユリの身体はなん十分にもわたって痙攣しづ続けていた。

 リョウは驚いていた。自分にサディストの能があるのか、それとも妹にマゾヒストの能があるのかは判断がつきかねたが、少なくともそのどちらかが開花した結果、この淫らな結果となったと思われた。
 ユリの無事と寝息を確認し、シャワーを浴び、リョウは窓から夜の空を見上げた。真円の月に見下ろされ、自分が酷くいびつな感覚に陥っていることを理解し、首を横に数回、振った。
 妹は兄に「犯されること」をむしろ受け入れた。兄はそんな妹を「犯した」。
 自分がユリを守るのは、こういう場面を演じるためではない、少なくとも、兄の方はそう思っていた。
 まだ。